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ロストハーツクロニクル  作者: すずめ
第3章 失われた魔法
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28.変貌

「ユウヤさん、ちょっといい?」


 ハナコに呼び止められたのは、アイムと別れてすぐ、廊下を歩いていた時だ。辺りをきょろきょろと見回している彼女は、何かを探しているようだ。


「スズリを知らない? あの子、もうすぐお稽古の時間なのに帰ってきてないみたいなの。いつもならもう部屋に戻っているはずなんだけど」


「さっき見たぞ。納屋の近くに居た」


「あら、そうなの。……でもおかしいわ、大事なお稽古をすっぽかしたりする子じゃないのに」


 ハナコは目を閉じ、考え込み始める。スズリは稽古にあまり乗り気ではないようだったが、これが関係しているのだろうか。


「もし見かけたら、声を掛けてあげてくれない? 忙しくて忘れちゃってるのかもしれないわ」


 彼女は何か仕事を任されていたのだろうか。特にそんな様子は見受けられなかったと思うのだが。

 疑問は多くあり、これまでの話からも少し気にかかる。


「オレ、探してくる。やることねぇし」


「ごめんなさい、お願いするわね」


 それだけ言うと、ハナコは走っていった。どうやら、相当時間が迫っているらしい。

 焦る彼女の様子に、ユウヤも早足に探し始めた。



◆◇◆◇◆



「どこ行ったんだ、あいつは……」


 スズリの姿はどこにも見当たらなかった。



 屋敷の全ての部屋を探した。ーー見つからない。



 外へ出て辺りを見渡した。ーー見つからない。



 外で遊ぶ子供達に尋ねた。ーー見ていない。



 大人にも尋ねた。ーー見ていない。



 里の家を一軒一軒回った。ーー誰も見ていない。



 どうやら、最後に姿を見たのはユウヤのようだ。

 そうは言っても、大分前の話だ。スズリと話したのは朝食を終えた少し後であり、今はもう昼食を済ませている。


 あれからかなりの時間が経過していた。スズリを見た者が一人もいないというのはおかしな話だ。


 まさか、あそこから落ちたーー。


「ーーッ!」


 最悪な想像が頭をよぎる。


 きっと違うだろう。ユウヤの想像など、当たりはしない。

 しかし、探していない最後の場所はあそこだ。


 ユウヤは走り出す。彼女がお気に入りだと言い、いつも以上に正直な言葉をユウヤにぶつけた、あの場所へ。



◆◇◆◇◆



 息を切らしたユウヤは崖の上に立っていた。


 林道を駆け上がる最中、スズリとすれ違うことはなかった。ここの他に道は無く、入れ違いになることはあり得ない。納屋の付近にも姿はなかった。


 ーー残るはここだけ。


 高い空の下、そこにスズリは居なかった。


 ユウヤは歩みを進める。見晴らしの良いそこは、その分高さも十分過ぎるほどあった。


 ーーユウヤの想像はあまりに非現実的であり、ほとんど起こり得ないはずだ。


 深呼吸をし、覚悟を決めて覗き込む。


「……はぁ」


 それはただの地面だった。途方もないほど遠くに感じられる、ただの地面。

 ユウヤを胸を撫で下ろし、安堵の息を吐く。

 やはり杞憂だった。杞憂であることを確認できてよかった。


 ーーとなると、スズリはどこに居るのだろうか。


 里から出ていないことは門番から確認済みだ。しかし、里の中は探し尽くした。

 一旦ハナコの元へ持ち帰ろうと足を踏み出したその時だった。


「……うん?」


 ーースズリが居る。


 見間違いかと強く瞼を閉じ、もう一度開く。


 彼女は納屋の前に立っていた。そして扉を開け、中へ入っていく。

 確認してなお自分の目を疑ったが、耳を痛めるのではないかというほどに激しく軋む扉の音が現実であることを示していた。


 とても扉が立てる音ではない。明らかに危険なそれに、ユウヤは後を追う。

 扉に手をかけ、耳を劈く音を耐えながら開いた。


 中は暗闇に満ち、外からの光でようやく足元が照らされる。一歩踏み出すと、僅かながら床が沈むような感覚。床が耐久の限界を受けて悲鳴をあげていた。


 躊躇を振り切り、歩みを進めるうちに、室内が徐々に暗くなっていることに気がつく。


 ゆっくりと扉が閉じている。それは仕掛けでも何でもなく、単なる老朽化の果てだ。

 手を伸ばすが、既に何歩分か進んでいたユウヤはすんでのところで間に合わない。


 扉が完全に閉まってしまうと、室内は身動きを取るのも躊躇われるほどの闇に包まれた。

 思わず立ち止まったユウヤだが、その状態は継続されたままだ。


 彼女は明かりも付けずに何をする気なのか。

 この部屋の役割からするに探し物だろうか。しかし、これだけ暗ければ見つかるものも見つからない。そもそも、決して広くはない部屋の中でスズリを見つけることすらできないのだ。


「スズリ?」


 ユウヤは手探りで明かりを探す。壁に手を滑らせれば、程なくして引っ掛かりを覚えた。それを指で押し込むと、上方から眩い光が放たれた。

 その光の強さに微かに目を細めたユウヤだが、一瞬の後に正面に人の姿を見つける。背を向けてはいるが、その後ろ姿はまさしくスズリのものだった。


 さほど距離が離れていないにも関わらず、この明かりなしでは全く見えない。そんな中、彼女は身動ぎもせずに蹲み込んでいた。


「スズリ」


 一度声を掛けたが、スズリの様子に変化は見られない。距離を詰め、もう一度声を掛けた。


「スズリ、大丈夫か」


「あ、ユウヤさん。また会いましたね」


 スズリは素早い動きで振り返り、こちらを見上げて微笑んだ。

 初めて見るその笑顔は、これまで見た中でも最上級のものだった。相当に上機嫌なようだが、華やかなそれに違和感を覚える。


 スズリはこちらの戸惑いなど意に介さず、勢い良く立ち上がった。そんな彼女の動きを追うユウヤの視線に気づくと、真正面から目線を合わせ、さらに笑みを深める。


 ーー何か様子がおかしい。確信と言うには足りないが、しかし。


「稽古の時間だろ。早く行かねぇと」


「何でですか?」


 ーー『何で?』とは、何だ。なぜお前にそんなことを言われなければならないのか、という意味だろうか。

 しかし、笑みを崩さずにこちらを見つめ続けるその様子からは、ユウヤの発言に機嫌を損なったようには見えない。


「いや、稽古。行かねぇのか?」


「はい、行きません」


 解釈のすれ違いが起こっているのかともう一度尋ねるが、そういう訳ではないらしい。


 質問はユウヤの意図通りに伝わっている。その上で、彼女は『行かない』と返答した。

 あまりに堂々と宣言をするスズリ。どうすれば良いのか、ユウヤには分からない。


「……調子悪いのか?」


「どうしてですか? むしろ、とっても調子がいいんですよ、私」


「そ、そうか」


「はい。それはもう、絶好調です。今なら、なんだってできちゃいそうですよ」


 スズリは両の拳を胸まで持ち上げ、張り切った様子を見せた。


 彼女は一体何をしたいのか、その意図が全く掴めない。


 一人混乱を極めるユウヤ。次の瞬間、スズリは突然声を上げて笑った。その様子に驚き、びくりと肩を震わせるユウヤを見てさらに笑う。


「ユウヤさんったら、そんな顔して! ふふふ、変なの!」


 彼女は面白くて仕方がないという表情を隠さない。


「ねえ、ユウヤさん」


 ユウヤの反応をお気に召したのか、スズリはさらにくすくすと声を漏らして笑う。


「どうしてか、知りたいですか?」


「……教えてくれるなら」


「ええー。ふふん、どうしようかなぁ」


 自分で言っておきながら勿体ぶった素振りを見せる。その目は種明かしをしたくて仕方がないと雄弁に語っていた。


 いよいよもって何かがおかしい。ユウヤはスズリの動きを取りこぼすことなく観察する。

 そんなユウヤの様子も気に入ったのか、口元を押さえ、俯きながら笑い始めた。


 ユウヤは黙って様子を伺う。


 数分の後、ひとしきり笑い終えたスズリが大きく息を吸い込んだ。


「ーーだって」


 顔を上げたスズリ。きらきらと輝く瞳が、真っ直ぐにユウヤを捉える。


「……は?」


 その瞳は、彼女のものではなかった。


「やっと、やっと! 本当の私になれる! 今日が私の、生まれ変わった私の誕生日になるんだから!」


 髪紐が解け、丁寧にまとめられていた髪がふわりと広がっていく。徐々に変化していくそれが物語っているのはーー。


「スズリ、お前ッ……!?」


「ふふ、ふふふふっ」


 彼女の笑みに呼応するかのように、突如として黒い嵐が巻き起こる。

 ユウヤが灯した明かりが高い音を立てて砕け散った。


 とっさに両腕を重ねて防御するが、数歩後ずされば壁に背がつくような空間だ。抵抗はあえなく崩される。


「かはッ、ぐっ……」


 あっけなく吹き飛ばされ、背を強かに打ち付けた後、浮遊感に襲われた。

 ユウヤは壁の残骸と共に外へ放り出される。ろくに受け身も取れず、土埃を舞い上げながら転がった。


 納屋への道のりは、大半が坂だ。下まで転がり落ちる可能性もあっただろう。しかし運が良かったのか、そのまま転がり続けることはなく、近くの樹木に激突する。そこで止まるかと思いきや、勢いに耐え切れなかった樹木がユウヤと共に倒れた。


 最初の衝撃によって肺から空気を絞り出され、二度目はそれを上回る衝突だ。限界を超えてなお空気を吐き出すことを要求された肺にとって、すぐさま正常に機能することは難しい。呼吸を制限されたユウヤは空気を求めて喘ぐことしかできない。


 視界が大きく歪み始めた。後頭部が酷く痛む。どうやら頭を強くぶつけたようだ。手足に全く力が入らない。


「あはっ、あはははははは! うふふ、あは、あははははははははは!」


「な、んで……おまえ、なに、を」


 徐々に激しさを増す頭痛が意識を刈り取るために主張を強めていく。脳も機能を停止し始め、体を動かすことができない。残された力を振り絞って口を開くが、もはやスズリはこちらを見向きもしない。四方の壁を失い、残骸となり果てた納屋の中心に立ち、自身に黒い嵐を纏わせていた。


 抗えずに薄れゆく意識の中、スズリの笑い声だけが頭に響く。

 彼女からは一度も聞いたことのない、嬉しそうで、楽しそうなーーそれでいて、背筋を凍らせる笑い声だ。




 一体、何が起きているのか。




 あれは、本当にスズリなのか。




 手放してはいけなかった意識は、そこで途絶えた。

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