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ロストハーツクロニクル  作者: すずめ
第2章 望まぬ再会
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番外編2 裏切り者の真相 前編

お久しぶりです

今日は数本投稿する予定なのでそちらもぜひ!

 ーー狂犬エリー。


 男はその名を聞くたびに、苦々しさに顔を歪める。


 誰であろうと情を移さず、事情があろうと容赦なく。

 依頼は遵守し、障害は全て排除する。その者は常に牙を晒して威嚇し、決して他を寄せ付けない。


 仕事を遂行するためには至極当然のことだ。男はそう思っていた。

 しかし、それこそがこの世界に踏み込んだ者が最初に当たる、一つの大きな壁となるらしい。


 客観的に考えると喜ばしくないことに、男はこの世界に必要な才能を持ち合わせていた。

 主観的に考えていたことではなかったが故に、ここまで生きてこられたと言えるのかもしれない。


 これが、ある男の物心がつく前からの当たり前の日常だった。




 男はある組織へ加入を果たした。男が望んだ訳ではない。逆らうことなど叶わない、ある命令があったからだ。


 男が潜入した組織。名を、『鎖』。


 組織の構成員。その絆は家族よりも強く、他人よりも弱い。

 異常である裏の世界の中でも一際異質な存在。加入しているという事実だけで、周囲から一目置かれるほどだ。

 さらに、この組織には外部の人間には決して明かされない情報が存在する。


 ーー裏切り者には、死を。


 加入の際に告げられた、鉄の掟だ。

 その言葉を使った時、鎖の(かしら)は普段の強面を見慣れているはずの周囲の人間が息を呑むほどに厳しい表情をしていた。

 そして話が終わると一転、悪戯っ子のような笑顔を見せる。


「そんじゃまあ、よろしく頼むぜ。ーー狂犬エリー?」


 瞬間、男は頭を抱える。


 響きもさることながら、その名はあまり良い意味合いのものではなかった。それを払拭するために、別人と取られるようあえて口調を変えたのだ。

 これはある男を参考にしているのだが、本人に知られるとこれまた面倒なことになるので、決して言わない。

 厄介極まりない事態に陥りかけた男だが、その通り名と男の顔を一致させる者が少なかったのが唯一の救いだった。

 これだけ変わっていれば気づく者などいるまい。男の変遷を間近で見てきた者は別として。


 しかしそれ以降、男は大型新人などと揶揄われ、度々通り名を持ち出されることになる。



◆◇◆◇◆



 月日が経ち、数々の仕事をこなすことであっという間に信用を築き上げてきた男の元へ、(かしら)から一つの指示が下る。

 それは一人の少女と行動を共にすることだった。

 引き合わされたのはどこか仄暗い雰囲気を纏う少女。瞳は光を宿さず、反応も薄い。


 子どものお守りは専門外だ。指示に従うべく終始笑顔を心がけたが、正直なところ、面倒臭いという思いでいっぱいだった。

 しかし、その思いは戦闘によって覆る。


 男は目を奪われた。


 ーー少女は、綺麗だったのだ。


 血と死体に溢れ、時には腐臭まで加わる闇の戦場。それをここまで不快感もなく、鮮やかに彩ることができるなど、考えたこともなかった。

 闇の中、少女は輝いていたのだ。


 男は素早く敵を片付け、完成した屍の山に腰を下ろす。


 流れるような美しさ。かと言って弱々しさは欠片も感じさせず、どこか力強さを放っている。

 いくらでも見ていたかった。いつまでも続いて欲しかった。


 全てが終わった時、こちらを見る少女の顔に初めて色がつく。それは驚愕ではあったが、初めて見せる表情。目の前で呆ける少女の、ようやく見つけた人間らしさだった。


 男は立ち上がり、男の積み上げた死体の山を眺めていた少女へ一歩近づく。

 今度は男が驚く番だった。


 ーー小さい。

 こんなにも小さな体で、少女は戦っていたのだ。

 初対面では気にもしなかったことだった。

 戦闘中の存在感の大きさとは裏腹な少女に、男は目を丸くする。


 しかし、それも一瞬のこと。男は笑みを浮かべながら手を差し出す。

 なぜか、少女は首を傾げた。そして、一言。


「……変な人」


 初めて聞いた少女の声は、心地よく耳に馴染んだ。しかし、その内容だ。会って数日の人間に指摘されるほど不審な点などあっただろうか。


 辺りを探り、ふと目線を落としてそれに気がつく。差し出した手のみならず、両の手の平が血に塗れているではないか。


 こんなことにも気がつかないなんて、と自分の迂闊さを疑う。少女に集中するあまり、自分を疎かにしていた。

 慌てて手を引くが、それは少女の動きに阻止される。引いた手首を掴まれ、さらに反対の手で握られた。

 べちゃり、と湿った音が響く。男は身をよじるが、思いがけず力強い手にに抜け出すことができない。


 この綺麗な少女を血で汚してはいけない。反射的に浮かんだ考えが男の体を動かしたが、結果に結びつくことはなかった。


 落ち着いて考えると妙な話だ。

 既にこの世界に身を投じている者を、血で染めたくないと、とうの昔に殺しを済ませたはずの人間を、この色から遠ざけたいと思ってしまったのだ。


 そして何を思ったか、少女は笑う。

 その笑みが幼さに似合わず歪んでしまっていたことに、胸が痛くなった。


 他者の行動に心が動かされる。

 そのような経験、男は積むどころか一度として得たことはなかった。


 動揺を隠すため、密かに深い呼吸を繰り返す。


 取り敢えず、笑っておけばどうとでもなる。これは腐れ縁の男の談。


 だから、男は笑う。


 微笑みの裏に、全てを隠して。



◆◇◆◇◆



 そこから、二人の仲は急速に縮まっていった。

 少女は元来、大人びた子のようだった。だから、知らなかった。


 気がついたのは、本当にささいなことからだ。


 あまりに無頓着だった彼女の髪を、男が見兼ねて束ねた時。

 素材がよかったこともあり、あっという間に綺麗に整ったそれを見た少女は、これまで見たことのないほどに顔を輝かせた。


 その時、男はようやく思い出した。少女はまだ幼い子どもなのだと。何も考えずに喜び、泣く。それが許されている年頃のはずなのだと。


 時々見せる年相応の表情に惹かれていくと同時に、悲しみを覚える。

 本来であれば、今が一番楽しい時期であるはずだ。しかし、彼女は日の当たらない世界で血みどろになって暮らしている。

 それが、どうにも悲しかった。




 ある話がきっかけで、少女から文字を教えてもらうようになった。

 少女に読み書きができるほど教養があるということに驚かされる。裏の人間にそのような高等教育を受けてきた者はほとんどいない。

 独学で習得した者に思い当たったが、それは例外中の例外である。


 男は言及しなかった。その話は少女の過去を紐解くことになり得るからだ。そして、辛い話に繋がってしまう。

 この世界に足を踏み入れることになった出来事など、知りたくはないし、聞かれたくもないだろう。その一線を越えることはできない。少女も、そう考えていたのだろう。


 少女とのひと時は、ただただ新鮮で楽しくて。

 少し大人ぶって文字を教える彼女に、何度も笑いを堪えた。


 二人の間を僅かに隔てる壁は一つ。

 たった、一つだけ。


 暗黙の了解で、お互いの過去に触れることはなかった。



◆◇◆◇◆



 男はある場所を訪れていた。


 物が多いにも関わらず塵一つない空間。ここは、言わば隠れ家である。

 その主は、あの大国を滅ぼした虹の一角である橙だ。


「最近、妙な動きを取っているな」


 書類から顔を上げることなく不機嫌そうな声を発する橙の側面に立つ男は、努めて冷静な声で返した。


「……何のことです?」


「とぼけるのも大概にしろ。気づいていないとでも思ったか」


 橙の声には、微かに苛立ちが見て取れる。

 その気になれば、橙は今すぐに男を殺すことができる。そして、橙が人を殺すのは決まって研究のため、もしくは自分の苛立ちが原因であった。


 危うい状況に陥っていることを理解しながらも、男が構えることはない。

 あからさまに敵対する意志を見せる訳にはいかない。男にその行動は許されていなかった。


「さりげなく私が不利になる行動を取っている。それがどういう意味か、わからない貴様ではあるまい」


 ようやく顔を上げた橙。声に違わず、その表情は冷ややかなものである。


 橙の考えは正しい。男は、受けた指示に言い逃れできる範囲で背いていた。それを繰り返した結果、こうして危機に陥っている。

 こうなることは予想できた。以前の男なら絶対に取らなかった行動だ。


 全ては、少女と出会ってから変わった。


 橙に従うことに疑問を覚えるようになった。

 命令されるのではなく、自分のまま生きたかった。

 自分のまま、少女の隣に立っていたかった。


 そんな願いが、男を動かしていたのだ。


「私から逃げられるとでも思っているのか」


 橙の細められた目には、はっきりと疑いの色が浮かんでいる。彼のことだ。確証を得たからこそ、こうして問い詰めているのだろう。


「勘違いでしょう。僕がそんなことをするはずがない。僕はあなたの忠実なしもべ、カラーズですから」


 男は瀕死のところを橙に救われた。カラーズとなることで延命されたのだ。

 そこに感謝の念はない。男は致命傷を受けた時点で生きることを放棄していた。


 いっそ見殺しにしてくれたならば、ここまで思い悩むこともなかっただろうに。


 思考を消し去り、感情を押し殺し、自分の立場を口に出すことで危機を脱しようとする男。それを見たアーデスは満足気に頷く。


「それならばいい。……時に、だ」


 言葉を切った橙。次を待つ男の前で、彼の補佐の役割を担っている、言うなれば右腕が湯気の立つカップを運んでくる。


「相棒とは、うまくやっているか?」


 珈琲を一口すすりながら、橙は何でもないことのように話を転換させた。

 まるで世間話のようなその話題に、男の体には緊張が走る。

 橙は必要の無い会話を嫌う。故に、この話の切り口はおかしい。何らかの意図があるはずだ。

 男の全てが、この状況を危険だと判断している。


「……それが、何か?」


「いや、うまくいっているのならいい」


 男の警戒を知ってか知らずか、橙は書類を置いて立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩みを進めた。

 男の背後には扉がある。ようやく解放されるのかと僅かに力を抜いた。

 しかし、通り過ぎるのかと思えば、男の横でぴたりと止まる。


 そして、耳元で囁いた。


「……あなたはッ!」


 男が思わずといった様子で漏らした殺気に、橙はにやりと笑みを浮かべる。


 男の主人は知っている。

 非協力的な態度を取り始めた奴隷のその訳を。そして、男の決定的な弱点を。それを盾に取られたならば、男は従わざるを得ないということを。


 その笑みの意味は、嫌でも理解できた。

 歯を食いしばり、橙を睨みつけていた視線を逸らす。


「私の言うことに従っていれば何の問題もない。何もなければいい話だ。ーー何もなければ、な」


 その言葉を最後に、橙は去っていった。

 一人残された男はその場に立ち竦む。


 男は許せなかった。


 ようやく見つけた、大切なものを利用しようとする橙が。


 その橙の人形となっている自分が。


 男は、心底憎かった。

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