3.店とは
次の日、二人は共に市場へと向かった。
昨日の今日で、と考えたがやはり泊まるとなるとどうしても必要なものはある。
小さな籠の中に水筒を三つと軽食を入れて家を出た。
下り坂とは言え、昨日のユアの様子を見ると休憩が必要だろう。
「ユアー。大丈夫かー?」
道に飛び出している枝を手で避けながら振り向き、声をかける。
「大丈夫だよー」
後ろを歩くユアから返事があったが、少し息が乱れていた。
距離も歩くたび着実に離れている。
「ちょっと休憩するか」
「まだ歩けるよ?」
「具合悪くなったら大変だろ? 時間はあるんだから焦らなくてもいい」
「……わかった。ごめんね」
「気にすんな。オレもひと休みしたい気分だった」
ほら、とユウヤは上を指差した。
続いて空を仰いだユアが目を細める。
「こんなにいい天気なんだからな」
高くそびえ立つ木々の隙間から柔らかい日差しが差し込む。
いつも通りの穏やかな森だ。
「こんな場所があるなんて知らなかったよ」
「そりゃあ、国境の端っこにあるような町だからな」
この町ーーカノラはリステリア王国の国境ギリギリに位置している。
あまり有名ではなく、旅人や観光客も少ない。
市場は賑わっているが、それは少し離れた町に住む人が買い物のために訪れているだけである。
店の人間も外部に家を据えている者ばかりだ。
実質、この町に住んでいる人間はほとんどいない。
「ここでいいか」
ユウヤが大きな石に腰を下ろす。ユアも息を吐きながらそれに倣った。
小さな籠の中から水筒を取り出して渡し、自身も喉を潤す。
しばらく座ったままぼんやりと過ごしていると、小さく息が聞こえた。
ふ、とユアが欠伸を噛み殺す。
ユウヤの視線に気がつくと、照れ臭そうに笑った。
「あったかいね。眠くなっちゃいそう」
「そうだな。じゃあ、そろそろ動くか」
ユウヤは立ち上がり、腰を浮かしたユアに手を差し出す。
「……優しいね、ユウヤは」
ごめんね、と言いながら手を取るユアに首を振った。
「『ごめん』じゃねぇぞ、ユア」
その言葉に不思議そうな顔をするユアをそのまま引っ張り上げた。
「『ありがとう』でいいんだ。そっちの方が嬉しいだろ?」
ユアは目をぱちくりさせる。
しばらく瞬かせていた目は、次第に弓なりにしなる。
「…そう、だね。ありがとう」
「ああ。どういたしまして」
その後も何度か休憩を挟みながら市場へ到着した。 まだ早いにも関わらず、ほとんどの店が開いている。
「最初に寄りたい場所あるんだが、いいか?」
「もちろん」
二人はまだ人のまばらな市場を進んでいった。
◆◇◆◇◆
しばらく歩くと目的地が見えてきた。
シャッターの閉じられた古びた一軒家の前で止まる。
「ここ、なの?」
首を傾げるユアを置き、ユウヤはシャッターに手をかけた。
ユウヤの行動に、ユアの首はさらに傾ぐ。
そして力を入れ、人が通れる高さまで開けた。
「え、勝手に開けていいの!?」
「大丈夫、大丈夫」
慌てるユアに手をひらひらと振って答える。
建て付けの悪い扉が軋んだ音を立てながら開いた。
「じいさーん」
本で溢れた空間にユウヤの声が響く。
ユウヤの背後からおそるおそる覗くユアはその散らかりっぷりに小さく声を上げた。
「おーい、いるんだろー……ユア、入っていいぞ」
「ええ……」
ユアはまるで自分の家であるかのように振る舞うユウヤに困惑しながらも、そっと足を踏み入れる。
「じいさーー」
「朝っぱらから喧しいわ」
どこからともなく聞こえてくるその声に、ユアは細く悲鳴を上げた。
店の奥で揺れた影が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
「シャッターぐらい開けろよ。相変わらずの開店休業ぶりだな」
「坊主に心配される謂れはない」
現れたのは眼鏡をかけた白髪の老人だ。
年齢を感じさせる髪色とは対照的に、背中は曲がることなくしゃんと立っている。
「ユア、この無愛想なじいさんがこの本屋の店主で、名前はタナバ」
「ユア? 坊主、女を連れて来たのか。あの坊主が」
「どういう意味だよ」
大袈裟に驚くタナバを睨みつけるが、本人は意にも返さずユウヤの後ろを覗き込む。
「は、はじめまして」
ユアがユウヤの背中から顔を出した。
「お前がユアか」
タナバがユアの顔を凝視する。
音を発する者がいなくなった店内はしんと静まり返った。
何だか居心地が悪い。そう感じたと同時にユウヤの袖が掴まれた。
「じいさん、見過ぎだ。怖がってるだろ」
ユウヤはタナバの視線を遮るようにユアの前へ移動する。
「……ああ、悪いな小娘。坊主が連れと来るなんて初めてでな」
タナバはくるりと後ろを向いてカウンターまで歩くと、腰を下ろした。
そして頬杖をつき、心底面倒臭そうな表情を作る。
「それで、何の用だ」
「相変わらず愛想ねぇな、じいさん。その調子だとこの店、本当に潰れるぞ」
「抜かせ」
幼い頃、一日の大半をこの店で過ごすことが多かったのだが、客が入っているところをほとんど見たことがない。
そして、本が売れるところはさらに見たことがない。
客が入っても店主のあまりの愛想のなさにさっさと出て行ってしまうのだ。
長く店を構えているというのに常連の一人もいない。その上、最近はシャッターすら開けない始末。
店の売り上げの九割はユウヤの貢献によるものだということは間違いないだろう。なぜいまだに潰れないのか、本当に不思議である。
ーー不思議と言えばこの店主。アレンの知り合いだということは知っている。
自分が家にいない間はこの店に、と言いつけられたのがきっかけで足を運ぶようになった。
アレンとのやり取りも店に来る客への態度とさほど変わらないものだったが、強いて言うなら口数が少し多かった。
長年の付き合いでわかったことは、この愛想のなさと記憶力の良さだ。
この老人、店にある本はタイトルから内容まで全て覚えている。正直怖い。
しかし、タナバの素性は謎のままだった。
一度聞いたことはあったが、知らなくていい、の一言だ。
その時のタナバはいつも以上に険しい顔をしていたので、それ以降聞くことはなかった。
「久しぶりに顔でも見ようかと思ってな」
「相変わらずメシ適当なんだろ?」
「頼んだ覚えはない」
「はいはい、そうかよ」
ほら、と籠の中の軽食を渡し、もう一つの水筒を取り出してタナバの目の前に置く。
「スープだ。冷める前に飲んでくれ」
朝食に出した野菜スープを冷めにくい容器に入れて持ってきた。とは言え、家から運んでいる間にかなり冷めてしまっただろう。
その一言が決め手となり、タナバは渋々といった様子で水筒を開け、一口飲む。
そして包みを開け、中からサンドイッチを取り出して食べ始めた。
この老人は放っておくと水しか飲まないことも多々あるため、度々訪れては食べ物を渡しているのだ。
強制的に引きずってユウヤの家に連れて行くこともあった。何だかんだで出したものは全て平らげるので、この食料運びは習慣となっている。
「ユア、本見てきてもいいぞ」
床に積み上げられた本を興味深そうにじっと見つめていたユアはその言葉に頷き、無駄に広い店の奥へと消えていった。
「坊主、あの小娘とどういう関係だ?」
ユアの姿が見えなくなった頃、タナバが小さな声で尋ねてきた。
タナバが他人に興味を示すなんて珍しいこともあるものだ。
「関係も何も、昨日会ったばかりだ。旅してるんだとさ」
「……そうか」
それだけ言い、再びサンドイッチに手を付けた。
何を聞きたかったのだろうか。
続きを待てども、話は終わったとばかりに黙々と手を進めており、こちらを見ようともしない。
「ユアんとこ行ってくる」
諦めたユウヤは立ち上がり、店の奥を目指した。
少し歩くと魔術書の棚で真剣に本を読んでいるユアを発見。
心なしか嬉しそうなその様子に、ユウヤは理由を聞くべく近づく。
気配に気がついたか、ユアは勢いよく振り返った。
「嬉しそうだな」
「このお店すごいね。貴重な本がたくさんある……!」
目の前の棚のみならず、全てを指してユアが言う。
「そうなのか?」
「知らなかったの?」
「オレ、ここ以外の本屋知らねぇからな。家にある本も、全部この店のだ」
小さな頃は店の手伝いをして小遣いをもらい、その金で本を買うというのが楽しみの一つだった。
タナバがくれた本もたくさんある。どれも地図やら教科書やらで当時のユウヤには難しいものばかりだったが、おかげでユウヤの知識は着実に増えていった。
「それであんなに本があったんだ」
「ユアも欲しい本あるか?」
「あるけど、こんなに貴重な本買っていいのかな……?」
「店に置いてあるんだからいいだろ」
二人はカウンターへ向かう。タナバはとうに食べ終え、目を瞑っていた。
「じいさん、この本って買ってもいいのか?」
タナバは煩わしそうに瞼を持ち上げ、怪訝な表情を浮かべる。
それもそのはず、ユウヤが手にしているのは魔術関係の本だ。
事情を知っているタナバには不可解に映るだろう。
「坊主が買うのか?」
「オレじゃねぇよ。ユアだ」
タナバが視線を移すとと、ユアは反射的に体を揺らした。
完全に怖がられている。
それには気づいているのか、タナバは目をそらしながら口を開いた。
「……構わん」
ユアが金を出そうと鞄を探るが、それを遮るように本が差し出される。
そして、顔も上げずに相変わらずの不機嫌な声音で言った。
「持ってけ」
「そ、そんなわけには……」
「いいから持っていけ。わしが持っていても仕方のないものだ」
ユアは鞄から手を抜かないまま困惑していたが、取りつく島もないタナバに折れ、そのまま受け取る。
「……あ、ありがとうございます」
「どうした、じいさん。悪いものでも食ったか?」
あのタナバが無料で本を渡したと言う事実に、心の底から驚いた。
今までの付き合いから考えるとありえない行動だ。
「食ったのは坊主のメシだけだ」
聞かなかったことにしよう。タナバを睨むだけに留め、咳払いをして話題を変える。
「この店って意外にすごかったんだな」
「急に何だ。坊主こそ拾い食いでもしたのか」
「なんだと?」
話題を変えたにも関わらず、よく似た悪態を吐くタナバ。ユウヤは見えるように拳を握るが、いつものことと諦め、ため息を吐いて緩める。
「ユアだよ。ここには貴重な本がたくさんあるらしいな」
その言葉に、タナバは普段よりは多少楽しげにユアの方へ視線を向けた。
「ほお、小娘は見る目があるようだな」
「なんでそんな本があるんだ?」
ユウヤは純粋な疑問をぶつける。
そこまで貴重な本があるのなら、店主のすげない態度も我慢しようという客は少なからず現れるのではないか。
しかし、そんな客は存在していないのが現状である。
「ここはわしのコレクション部屋のようなものだ」
「コレクションって。売り物だろ?」
ユウヤは呆れた声で訂正。しかし、なぜか鼻で笑われる。
「いいや、コレクションだ。そうそう持って行かせてたまるか」
「嘘だろ……」
初めて聞いた事実に絶句する。
それでは、今までの客に対するあの態度は故意であるということになる。
商品を売る気の無い店というのはどうなのだろうか。市場に店を構える人間にあるまじき発言だ。
「オレはいいのかよ」
ユウヤはタナバから散々本をもらってきた。
『コレクション』なのであれば返した方が良いのだろうか。
「……坊主はアイツの関係者だろう」
『アイツ』とはアレンのことだ。
この偏屈老人の信頼を多少なりとも勝ち取っていたアレンには尊敬の念を抱かずにいられない。
「……いつまでここに居座るつもりだ」
「ああ、そうだった。そろそろ行くか」
タナバにせっつかれ、予定より長く滞在していたことに気がつく。
早くしないと市場が混み始めてしまうのだ。
昨日のような輩が居ないとも限らない。人の少ないうちに終わらせた方がいいだろう。
「またな、じいさん」
「ありがとうございました」
ユウヤは籠を手に取り声をかけ、ユアは丁寧にお辞儀をする。
「もう来んでいい」
追い払うような手に、店を後にした。
◆◇◆◇◆
「あのじいさんいっつもああだから。気にすんなよ」
困惑の表情を浮かべるユアに説明をしつつ、元通りにシャッターを下ろす。
「そうなんだ……すごい人だね」
「本当にな」
ある意味では、とユウヤは苦笑。
「でもユアは気に入られたな」
「そうなの?」
ユアは首を傾げたが、ユウヤにはわかる。
ユアに本を渡す時、あれでもタナバは心なしか普段よりも優しい目をしていた。
タナバという人間を知らない者には嫌われた、あるいは無関心と捉えられるだろうが、しかし。
「じいさんはそういう奴なんだ。でも……オレの恩人だ」
タナバは孤独なユウヤの面倒を何年も見てくれた。
口は悪いが、心根は優しい人間だ。
「そっか。じゃあ、いい人だ」
理解者が居るに越したことはない。
余計なことをするな、とこちらを睨むタナバは想像に難くないが。
ユウヤはシャッターから手を離して立ち上がり、二人で来た道を戻った。
買い物は想定していたよりも早く終わった。
昔、タナバが『女の買い物は長い』と意味深な言葉を呟いていたが、ユアには当てはまらないようだ。
「ーーあ」
帰宅途中、突然立ち止まったユウヤにつられてユアも止まった。
「忘れてた……」
先日、彼女から購入した果物の存在だ。最近は暖かい日が続いているので、早く調理しないと腐らせてしまう。
「帰ったら作らねぇとな」
ユウヤは勝手に自己完結して歩みを再開した。
ほのぼの回、というか日常回が続きました。
……4話をお楽しみに!