12.旅立ち
ユウヤは別れの挨拶をするため、市場へと足を運んでいた。
一番初めに行った八百屋では、目を腫らした店主から餞別として大量にクッキーを渡され、初手で困り果てる結果となった。
肉屋、魚屋など転々と挨拶をして、これから最後の店に訪れる。
「じいさん」
タナバは眉間に常となった皺を寄せ、本を机に積み上げていた。
「なんだ、また来たのか坊主。今、ここは大騒ぎだ。あのいけ好かん貴族の女の正体が実は虹だと。どこまで本当なのかもわからんがな」
タナバは開いた本を伏せ、あからさまに迷惑そうな表情を取る。
タナバはあまり人が好きで無いようだから、仕方がない。
でも、ユウヤは知っていた。
「本当だ」
「随分と知ったような口を利くな、坊主。わしより情報に疎い坊主に言われても信じられんわ」
ユウヤは情報に疎い。確かにその通りだ。しかし、今回ばかりは違うのだ。
「死んだんだ」
「ハッ、何を根拠にーー」
馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに鼻で笑い、再び読書に勤しむ。本を繰る手を休めることはない。
「本当、なんだ」
虹の死を、ユウヤは誰よりも早く知っていた。
ーーなぜなら。
「オレがやった」
自分が、当事者なのだから。
タナバの手が、不自然に動きを止める。
「……何を、言っとる」
タナバが顔を上げる気配を感じ、思わず俯いてしまう。
「オレが、殺したんだ」
しっかりと、噛みしめるように繰り返す。
これは自分がやったことだと。
自分が、殺したんだと。
「坊主」
「ナイフで心臓を貫いた。あいつに教えてもらった通りにできたんだ」
「おい」
答えることなく話し続けるユウヤに、タナバの語気が荒くなる。
しかしユウヤは顔を上げないまま、上げられないまままくし立てた。
「今日は話があって来たんだ。オレ、家を出ることにした。ユアが旅してるって言っただろ? オレもついていこうと思うんだ。だから、しばらくここに来られない。メシとかちゃんと自分で……そうだ、じいさんあの家に住まないか? 生活に必要なものは大抵揃ってる。市場までの距離を無視すればここより快適だと思うぞ。それがいい、そうすればーー」
「坊主」
これまで聞いたことのない凛とした声が店に響き渡った。
口を挟む間も無く話し続けた内容が途切れてしまう。
ーー恐ろしかった。
タナバは、ユウヤを責め立てるだろう。
人殺しと罵られ、軽蔑の眼差しを向けられることが、本当に、本当にーー恐ろしくて、たまらなかった。
「座れ」
タナバがカウンターの向かいを指差す。
ユウヤは角に置かれた椅子を引っ張り、それに従った。
椅子に座った途端、タナバはユウヤの頭を机に押さえつける。
額が派手な音を立ててぶつかり、ひりひりと痛む。
しかし、その手は離れない。
「ってぇな、何すんだーー」
「無事でよかった」
「……ぁ」
思いもよらない言葉に、息が漏れる。
タナバは、ユウヤを責める。
仕方なしにとは言え、人を殺したユウヤを、責めるはずだ。
今聞こえたのは、一体何だ。
「お前が、無事でよかった」
その一言に、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「……じいさん、オレ、怖くて……あの時みたいに血がいっぱい出て。でも、やらないと死んでた。オレは、死ぬわけには、だからオレは……」
声が詰まってしまう。
しかし口は止まらず、頭を巡る明瞭な意味を持たない音を吐き出し続ける。
タナバは、黙ってユウヤの頭を撫で続けていた。
どれほど経っただろうか。
ユウヤが少し恥ずかしさを覚え始めた頃、タナバはようやく口を開いた。
「わしはあの家には住まない。あそこは坊主とアレンの家だ。これから先も、ずっとな」
ユウヤの提案ははっきりと拒否される。
そして、頭を撫でていた手がようやく止まった。
顔を上げるとタナバが笑っていた。
他人が見てもわからない、ユウヤにしかわからない微かな笑みで。
「いってこい。この世界をきちんと自分の目で確かめろ」
その言葉はじんわりと胸に染み込み、暖かく広がった。
タナバは度が過ぎるほどのぶっきらぼうだが、それだけだ。その奥に隠された優しさは本物だ。
ユウヤしか知らない、優しさだ。
ユウヤは返事の代わりに、頭に乗せられていた温かな手をしっかりと掴んだ。
「……それじゃあ、オレ戻るな。ちゃんとメシ食えよ。店の掃除もな」
「人に構ってる暇があるのか。自分の心配をせい」
いつの間にか通常運転に戻っているタナバに苦笑が漏れる。
だが、それはいつもユウヤに安心をもたらしてくれていた。
ーーようやく、気がつくことができた。
「じゃあな、じいさん。帰ってくる時には手土産でも持ってきてやるよ。ーーいってきます」
扉の音が響き、足音が遠くなっていった。
一人になった店の中、タナバは大きく息を吐く。
「ーーお前だけは、俺たちのようになってくれるなよ」
その呟きは声の主の願いを乗せ、誰の元にも届くことなく静かに反響して消えていった。
◆◇◆◇◆
「先に出てるからな」
ユウヤは既に準備を終えた二人の背中を見送った。
最後ということで気を使ってくれたのだろう。
「ペンダントはつけた、ナイフ……これがあればいいか」
忘れ物が無いことを確認し、最後に家の中を見回す。
八年間過ごしたこの場所とは一旦お別れだ。
そう思うと一度踏み抜いたこの床にも、雨漏りした天井にも愛着が湧くというものだ。
「ーーアレン。オレは、オレの知らない世界をこの目で見てくる。……っていうか、お前が約束破ったんだからな。オレ、結構楽しみにしてたんだぞ。だから、ちゃんと責任持って見守っててくれよ」
この世界にアレンの写真は存在しない。
写真に向かって話すことはできないが、アレンと過ごしたこの家が、アレンが存在した証だ。
ぐるりと何度も回りながら、アレンに向かって話しかける。
ユウヤは扉に手をかけた。
それは習慣となった運動のためでも、買い物のためでもない。
新しい世界に踏み出す、自分のためだ。
「それじゃ、いってきます」
扉が軋んだ音を立てる。
次にこの扉が開かれる時には、何を見て、何を思った自分がいるのだろう。
扉一つ開けるのも、まだ見ぬ世界に向かうためのピースに思え、楽しくて仕方がない。
堪え切れぬ笑みを浮かべ、扉を閉める。
主を失った家は静かだ。
しかし、冷えた静けさではない。
きっとこの家の主二人を祝福する、心地のよい静けさだ。
この作品を読んでくださっている皆様。宣伝ができていない中、私の作品を見つけて下さり、本当にありがとうございます。
そこで、ツイッターを始めてみました。進捗などを話していけたらと思います。作者のページから開けるようになっているはずなので、ぜひご覧下さい。
長くなりましたが、これにて第1章完結です。
もう1話挟んで第2章となります。




