ホブゴブリンとミニマリスト⑧
気が付くと傍らに椎名がおり、省介は崩しかけた姿勢を正し直す。
「……妹に謝るため、か。……僕はその答え、……結構好きだなぁ……」
結んだ口元を緩め、椎名が笑顔を見せる。
先ほどの威圧するような笑みとは違い、親しみのある笑顔だった。
「……大きくなったねぇ、比田君。……その歳でそこまでミニマル道を極めるとは。あまりに成長が著しすぎて、思わず美七をお嫁にあげたいくらいだよ」
「……」
ええッ、と省介が驚いて身を乗り出す。
その様子に、あっはっは、と満足そうな椎名が、
「……冗談だよ? あげるわけないじゃない。……万が一そんな風になった時はミニマリストの名に懸けて、君の下腹部を去勢しにいかなきゃならないしねッ」
満面の笑みでさらりと怖いことを言い、
「そんなに警戒しなくてもいいよ。昨日は酷いことを言ったと自覚しているけど、これも仕事の内……そんなに本心ではなかったんだ」
ローブを脱いで丁寧に畳みながら、椎名は笑った。
省介も息をつき、
椎名が宙を眺めながら続けた。
「……でも僕もね、見極めたかったんだ。君がこのまま、ただ家の事情から逃げ続けるのかどうか。……妹、お嬢様をこのまま見捨てるのかどうかを。……僕がこの家に関わっているきっかけは、もちろん君だ。中々家へ戻らない君へ業を煮やした比田家の人間が、君の説得役として僕に白羽の矢を立てたんだ。最初はお断りしたよ。君は熱心なフォロワーだったし、退魔師の仕事も少なからずあったからね。……ところが」
不意に椎名が振り返り、詩咲が走り去った方を見やる。
「……僕はね、見てしまったんだ。君がいないこの家で一人、全てを背負わされたお嬢様の姿を。彼女は弱音こそ吐かないが、もう見るからにボロボロだった。抜け殻みたいだったよ。そして驚いたことに、そのことに気付いている人物が、ここには一人としていなかった」
苦虫を?み潰したように、椎名が顔をしかめる。
「……だから、僕の方から彼女に、クライアントになってもらうよう持ちかけたんだ。君を連れ戻すために、必要なものは全て与えよう、と。……そのために僕は、退魔師団ををあげてホブゴブリンちゃん達を君のもとへ追いやったり、君の動向を見張っていたりしたんだ。……もちろん、君に気付かれないように」
「……案の定、君たちは契約を結び、親交を深めた。ただ、美七には説明不足で多少トラブルもあったみたいだけど、当初の計画通り、君に比田家へ戻る選択を課すことが出来たんだ……でも……」
椎名は振り返り、省介を見つめる。
「……結果は、予想外のものだった。もっと有無を言わさず選択を迫ることもできたけど、君の答えは二択を乗り越えて、僕の本当の目的を果たすものだった。正直、あんなに嬉しそうなお嬢様を見せられたら、もうお手上げだよ。……だから今回は君の勝ちだ」
外国人の様に両手を広げ、椎名がオーバーに肩を竦める。
その様子に、省介は少しためらいながらも、
「……俺の、じゃないです。……その、……娘さんが、助けてくれて……」
「……美七が? ……ふむ。そうかそうか。……あの子もまた、歩みを進めたんだね」
椎名はどこか満足そうな表情で遠くを見ているようだった。
そんな椎名へ省介は「あの」とトーンを下げた。
「……俺は……今、あまりにも無力で、詩咲にああは言いましたが、すぐにどうこうとか、出来る器じゃないです。……でも、これから、これから少しずつ、自分勝手かもしれないですけど、この家から逃げずに対抗できる方法を考えてみたいんです。……だからもう少しだけ、詩咲のことを、……よろしくお願いします」
深々と頭を下げる省介。
椎名はそんな省介の様子を一瞥し、
「……それは、これからの君次第だよ、比田くん」
小さく笑みを見せた。
「……今日、君がお嬢様に言った言葉の責任は、君が思っているよりもずっと重い。でも、君はそれを選んだのだろう? ……もしも、君の過ごす日々がその言葉を違えるようなら、……僕はまた、君に選択を迫りにいくことにするよ……」
にか、と白い歯を見せて、椎名が笑い、
「……ご健闘を、若きミニマリストくん」
軽快に中庭を出ていく。
しばらく進んだところで「あ、そうそう」と不意に立ち止まり、
「……例の彼女たちのことだけど……、……実はずっと、ここにいるんだ。君が見えてないのは、誰かに頼ることなく、自分だけでお嬢様と向き合おう、という心意気のあらわれだったのかもしれないね。……目を閉じて、強く願い、もう一度開けてごらん。……すぐに会えるから」
後ろ手に手を振り、椎名が去っていった。
(……さてと)
一息つき、省介は目を閉じる。
辺りはとても静かで、ときおり風の横切るのが感じられるだけだった。
すう、と省介は息を吸う。
視線を、何もない空虚な空間へ。
ちょっと眉間に力を入れ、
「――なぁ。お前ら、少しいいか?」
省介が語り掛ける。
「……この際だから、俺の要望を端的に言っておきたい」
顔をしかめ、ビシッ、と宙へ向けて指を指し、
「……おい、ブーッ。お前が大量に買ってきた分厚い古書、スペース取ってしょうがないんだよ。装丁がどうだの、カビの臭いがたまらないだの言われても、何一つ理解出来ねぇよ。 ……つか、本なんて全部タブレットに入れれば同じだろ……」
続けて、ボー、と少し横の空間をエアで睨みつけ、
「……悪いかッ? 俺が童貞であることで、お前に迷惑でもかけたのか? 高一で童貞なんて別に普通だろ。そもそも好きで童貞を十五年やってるわけじゃねえんだよ。……この際言ってやる、……汚れてるのはお前の方だ、下衆野郎ッ。……プールなら今すぐにでも連れてってやるから、暴言の数々をちゃんと撤回、謝罪しとけよ?」
はぁ、と息が切れる。
周りの酸素をかき集めるように呼吸をし、
「そして……」
「……ルン、初めて会ったときこう言ったよな? パンツと引き換えに、家事、を手伝う主従契約を結んでほしいって。…………家、事、は、どうしたッ! 代わりに、パンツパンツパンツパンツって、それでもしもべ妖精かッ。お前のメイド服はただの趣味なんだな、このコスプレ変態パンツ妖精ッ」
……何より、と。
省介は息をつき、
「……お前の残していった大量のパンツ、市の指定の透明なゴミ袋じゃ恥ずかしくて処分出来ないんだよ。……そういう趣味は、後処理までちゃんと責任とれや……」
自分の声の残響だけが残っている。
ふう、と再びため息をつき。
「……要望は、そんなとこだ。俺がお前らに望むのなんてこれくらいだ。それ以外のことなんて俺にとってみたら些細なことにすぎん。…だから」
はたから見たら完全にイっちゃた人だな、と冷静に思う。
正直、これからしようとしていることは誰にも見られたくない。
それでも、そこにいるであろうことを信じ、誰もいない空間へ片手を伸ばす。
「……帰るぞ」
省介の声が壁に反響する。
「理由や需要とか、世界のこととか、難しい理由は……全部」
「――俺が、捨ててやるから」
声の反響が消えていき、
自らの吐く息の音以外に、聞こえる音は何もない。
省介の心に次第に羞恥心が広がっていく。
「……あの、」
聞こえる音は何もない。
「本当に、いるんだよな?」
(……もしいなかったとしたら、俺は一生ものの傷を心に負うことになるんだが……)
聞こえる音は何もない。
「……ちょ、おーい」
聞こえる音は何もない。
「……マジで?」
聞こえる音は何もない。
「……お前らいい加減にッ」
「……仕方ないなぁ……」
手に、温かい感触。
省介は顔を上げ、目を開ける。
見ると小さな手が現れ、
見覚えのある細い指が省介の手に触れ、ギュッと握る。
そっと握り返す省介。
目の前に、光の粒子のようなものがキラキラと輝く。
朝靄が晴れていくように、その腕が肩が、首が、長耳が、ピンクのツインテールが露わになる。
「……ご主人様のくせに生意気言うから、もう少しタメてさし上げようと思ってたのに」
ルンは笑っていた。
そして陶器の様に滑らかな頬を、数滴の涙が伝う。
「……悪趣味すぎる」
省介の苦言に、
「……そうだね」
ルンが微笑みをこぼす。
目を線にするようにして、ルンが言う。
「……ただいま。ご主人様……」
次回の内容、祝、復活のロリ!!




