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ホブゴブリンとミニマリスト⑦


その場所は、巨大な敷地を誇る屋敷の中庭にある。

その中央に椎名がおり、前回のようなラフな格好ではなく、白色のローブを身にまとっていた。背景の屋敷のコントラストから、死に装束のようだとも省介には思えた。

「やぁ、比田くん。……お帰り、とでも言った方がいいのかな?」

 にこやかに、先日とほとんど変わらない快活な、それでいて相手を威圧する笑顔を椎名がむけてくる。

「……ヨシさん」

「君がここに来るということは、よほどの目的があるのだろうが、……担当直入に聞こう。何の用かな?」

「……俺は、……その」

 そのまま言葉を継げなくなってしまう。

 ただ単に自分が来た目的をただ言えばいいだけなのだ。

 それなのに、口が上手く動かせない。

「ホブゴブリンのことなら」

 椎名がそんな省介の様子を見かねて、代わりに言葉を続けた。

「……君のもとへ返してあげてもいい。世界がどうとか、いろいろ言ったかもしれないが、最終的には君の判断を尊重しよう。事実、ここへ君が来なければ、それもよしと思っていた。……ただし」

「それにはもちろん条件がある。この場所へ来た君が、もう薄々感づいているように、……その条件とは、……君がこの家へ戻ることだ」

 明朗に、ゆっくりと言い聞かせるように椎名が言う。

 美七が言っていたことと寸分違わぬ内容だった。そのことに省介は歯がゆさと安堵を同時に感じた。

「君は、どちらを選ぶ? ホブゴブリンと出会う以前のミニマリストとしての生活か、……それともミニマリズムを捨て、ホブゴブリンと本来の君が捨てた、比田省介としての生活か。……比田くん、君は、……一体、どちらを捨てる?」

 淀みない椎名の眼差しが、省介を刺し貫いた。

 そして、容赦なく取捨選択を迫る。

「……お、俺は……」

 しんと静まり返った中庭に、省介の言いよどんだ声だけが響く。

「……ません……」

「え?」

 聞き返す椎名へ向けて、今ですら覆したくなっている意気地のない自分へ向けて、省介は誤解や後悔のないようにはっきりと答える。


「……俺は、どっちも捨てません。……捨てるために、ここへ来たわけじゃないからッ」


「……それは一体、どういうことかな?」

 椎名の顔に張り付いた笑顔は、無言の抗議のようなものを感じさせる。

「答えなさい、比田君。……どういうことなんだい?」

 逃げ場のないほど真っ直ぐに省介の瞳を見据える。

 省介はその視線を一ミリも逸らさず、

「ヨシさん、俺は……、……俺はやっぱり、アイツらを捨てられません」

 椎名の瞳を、強く見返す。

「……ヨシさんのおっしゃったことはもっともです。確かにアイツらはこの世界には必要ないのかもしれない。自分勝手だと、正しくないことをしているというのもわかります。……でも……」

 足を一歩前へ進めて、省介は言う。

「たとえ間違っていようが、俺にとってアイツらは、ただのモノ以上の存在なんですッ。 ……俺はバカだから、いろんな人をたくさん傷つけて、それでも自由が欲しいってたくさんのものを捨ててきました。でも、本当に捨てるべきだったのは、俺自身だったんです。……捨てさえすれば幸せになれるって、そんな思い違い……楽だけど、幸せになんてなれない。そのことがやっとわかりました……」

 だから、と省介は続ける。

 椎名へ向けて、自分へ向けて、

「……俺は、そんな俺自身を捨てます。……必要なら、ミニマル主義ですら捨てます。……それが、俺がミニマリストとして出した答えです」

 省介は言い切った。

 聞き間違う余地が全くない、はっきりとした口調だった。

 椎名は視線を逸らさず、

「……それが、僕の提案に対する君の本当の答えだと、……そういうことだね?」

「……はい」

 椎名に負けないくらい真っ直ぐに、省介は見返す。

「……だから、俺は、……かつて捨てて、いや、見捨ててしまった大事なヤツを取り戻しに来たんです」


「俺はここに、……妹へ謝るために来たんですッ」

 

 しばしの沈黙の後、

 ふっと緊張の糸を切ったのは、椎名だった。

「……だ、そうですよ、お嬢様?」

 後ろを振り返る椎名の背後から、

「――ッ、」

 バツの悪そうな顔をした詩咲が現れた。


「ほら、もっとちゃんと前へ」

 中々歩みを進めようとしない、詩咲の様子に業を煮やしたのか、椎名が彼女の背中を押す。

 ズザー、と中庭の地面に土ぼこりを立てながら、詩咲が省介の前へ連れてこられた。

「……どうぞ、ご自由に。もう退魔師も、ミニマリストも出る幕はありませんから」

 肩を軽く竦めながら、椎名が去っていく。

「な、ちょっ」と詩咲が狼狽しているが、お構いなしだった。

 広い屋敷の中庭で、兄妹が二人、向かい合う。

「……」

「……」

 謝ると大言壮語したはいいものの、いざ本人を目の前にすると、言葉が出てこない。

 いつもの悪態なら、すぐにでも出てきそうなのに。

「し、詩咲はッ」

 お互い目を合わせずに、先に耐え切れなくなった詩咲が口を開く。

「……たとえどんなに謝られたとしても、お、お兄ぃ様のこと、絶対許しませんから。…こんな見え透いた茶番で、肩透かしでも食らわせたつもりなんでしょうけど。……お見通しですの」

「……だって、お兄ぃ様はいつも、逃げてばかり。こうして詩咲に謝ることで、今もまた一つ選択から逃げています。どうせまた、お家のことをすべて放り出して、隠れて、目を閉じて、……全てを詩咲一人に押し付けて、いなくなってしまうんでしょうッ?」

 省介は、何も答えることが出来なかった。

 詩咲の声には悲痛の色が、ありありと見て取れた。

「……なら、詩咲はそんなの要りません。そんなお兄ぃ様の言葉なんて、何一つ……」

「……詩咲には不必要ですッ」

 まるで叫んでいるかのような声で詩咲が言い、後ろを向いてしまう。

 きつく握られた小さな拳や、小刻みに震える肩が、省介へ自分がしてきたことの罪深さを実感させる。

(……俺は、こうまでも、詩咲を追い詰めてしまっていたのか)

「……ッ」

 必死に言葉を探すが、一行に見つからない。そのことが悔しくて悲しくて、省介は泣きたくなった。

(……どうしたらいい? どうしたらこの気持ちを伝えられる? 言葉ではない、何か他の……)

「……ッ?」

 ポン、と。

 詩咲の頭に、苦渋の末差し出された省介の手が置かれる。

「……な、一体、……何のッ」

 振り向かずに発せられる詩咲の狼狽を、省介は拾わなかった。

 代わりに、そっと詩咲の頭を撫でてやる。

「……ひゃ、……ちょっ、お兄ぃ様ッ……どういう……ッ?」

「……いいからッ。……黙ってそのままにしてろ……」

 思わず口を開くと、また悪態になってしまいそうになる。

 だから省介は、静かに詩咲の頭を撫で続ける。

 何度も、いつか誰かがしてくれたみたいに。

「……ッ」

 表情は見えないが、どうやら詩咲も抵抗をすることなく受け入れているようだ。

「……」

「……」

 しばらくの無言の後、

「……その……」

「……な、何です?」

「…………悪、かったよ……」

「……ッ!」

 ビクリと、詩咲の肩が震える。

「……確かに、俺は逃げたんた。……お前の言う通り、お前一人残して……」

「……だから、今さら、許してくれなんて言えない。俺のことをずっと許さなくても構わない……それだけのことをお前にしてきたこともわかってる……けど」

 詩咲の頭を撫でる手を止め、省介は言う。

「……これからは、お前を一人にさせない。お前だけで背負わせたりしない。……決めたんだ。ちゃんと向き合おうって。今はまだ、少し時間がかかったとしても」

「…………ッ?」

 詩咲が振り返り、涙のたっぷり溜まった目で省介を見上げる。

「……ほん、……と?」

 久しぶりに面と向かう妹の顔に、省介は恥ずかしさを隠し切れなくなり、思わず視線を外す。

「……ああ。……とにかく、……その……ごめんな。…………詩咲」

「……ッ」

 ガクリ、と。

 詩咲の身体が崩れ落ち、そのまま地面に座り込んでしまう。よく見ると細やかにけいれんをしているようにも見え、

「……お、おい? ……大丈」

 省介が覗き込むと、詩咲が首から上を真っ赤にして、涙を何筋か頬に垂らしていて、

「……ッ、みみ、見ないでッ」

 一層顔を真っ赤にして走り出してしまう。

「……お兄ぃ様のばかッ……大嫌いッ……」

 あっという間に詩咲の背中は遠ざかり、中庭には省介が一人残される。

(んーと、……これは、失敗したんだろうか?)

 詩咲の言動や置き去りにされた事実を反芻しつつ、省介は困惑する。

 それでも、今まで一度も言えなかった言葉は、言うことができたはず。

 まぁ、その結果、大嫌い、だそうだけど。


「……どうやら、私の可愛らしいクライアントよりも、君の方が一枚上手だったみたいだね」




次回、妹と椎名の関係が明らかに。そしてついにルン達が戻ってくる……かも。

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