ホブゴブリンとミニマリスト⑥
見慣れた金属階段を一段飛ばしで駆けあがり、
ドンドンドンッ。
乱暴に部屋の扉を叩く。
美七の部屋だ。
「頼む、出てくれッ、いないのかッ? ……頼むッ」
戸を叩く拳が赤くなって腫れあがる。
「クソッ、クソッ、なんでだよッ」
考えてみれば最近この部屋を出入りした様子はないし、当然のことなのだ。それでも何の返答もないことに心の中に絶望が広がった。
早くしなければ、いや、もしかしたらもうすでに手遅れかもしれないのに。
「どうすれば、……考えろ、一体どうすれば」
(あの時は車に乗せられたので、退魔師のアジトがどこか地理的なことは全くわからなかった。俺が会ったことのある退魔師は三人。そのうち、居場所のわかる者は一人もいない)
ぎり、と奥歯で悔しさをかみしめる。
どう考えても情報不足だ。こんな状況でどうやって見知らぬアジトへたどり着いたらいいのだろう。
省介の心が焦りから来る苛立ちでささくれ立つ。それでも必死に冷静に頭を動かそうと自信を制御する。
(退魔師と遭遇した場所はどうだ? 図書館、駅からの帰り道、そしてこのアパート。ダメだ。共通点も特にない。見当もつかない。……ダメだ。もう、本当に間に合わないのかもしれない)
がくり、と膝をつき省介はうなだれる。
(……なんでもっと早く気付けなかったんだ? どうして、俺はいつもこうなんだ? 不必要なことに囚われて、本当の自分の必要に気付けない。そして、もう、永遠に間に合わなくなってしまったんだ……」
地面を定まらない焦点で見つめ、固く拳を握りしめる。
あまりの悔しさに瞳が潤み、苦悶が身体を刺し貫いたように心の痛みが耐え切れないほどだった。
そんな、省介の背中を一つの影が覆う。
「……ま、まだです。……比田さん」
振り返ると、セーラー服を着た退魔師の少女、美七が省介を見下ろしていた。
「……まだ、遅くないです。諦める時じゃないです」
「……君……なぜ?」
「…………この借りは、いつか必ず返すと、そう言ったはずです。……ですから」
美七はなぜか、申し訳なさそうな顔をしていた。
「……いいですか、一度しか言わないので、よく聞いてください。」
「……偶然じゃありません」
「……え?」
「あたしが図書館にいたこと、あなたの隣の部屋に住んでいたこと、駅からの帰り道でビジュアル先輩に会ったこと、あなたを説得するのが私の父だったこと。そして、……あなたがホブゴブリンに会ったこと。全部偶然じゃありません」
「……何……?」
「今、あたしがここにいるのも、もちろんそうです。ここであたしが比田さんに、ホブゴブリン達の居場所を伝えることもそういう役目になっているんです……」
美七が困ったような笑みを省介へ向ける。
「そしてあなたは、二者択一の選択を迫られます。担保は、ホブゴブリン達との生活です……そしてそれこそが、……今回の依頼主の真の目的です」
「いいですか比田さん、退魔師はお金のために動くんです。そしてその金額は一般市民が払えるような額ではないんです。……でもあなたは、最近会ったはずです。その代金を払える人物に……。……その人と、ちゃんと、向き合ってあげてください……」
日の傾き始めた街を、省介が走る。
走り過ぎて息が切れ、喉がヒューヒューと嫌な音を立てた。
乳酸が溜まって重たくなった足を必死に引きずり、歩道を、橋を、路側帯を走る。
いまさらだと、もう手遅れだと。
誰かがそう言っている気がした。
でも、もう省介の足は止まらなかった。
何度も足がもつれ、転び、省介の数少ない洋服が汚れては破れた。体中泥だらけになりながらも、自身の進むべき、戻るべきあの場所へ向かう。
「……どうして、そんなこと、俺に?」
去り際にそう尋ねると、美七は振り返り、
「……あなたも、彼女も、……似てたから。……あたしに」
また一つ、困ったような笑顔を見せた。
オフィス街。
多くのビルが建ち並ぶ中に、ひっそりと、しかしよく見ればずっしりと重い存在感を持つ和式の豪邸がある。省介にとっては見慣れた、出来ればもう見たくなかった風景だった。
屋敷の正面には来るものを威圧する大きな正門がそびえたち、その前に仁王立ちで待っていたのは、例のビジュアル系の退魔師だった。
ひいき目に見ても、場違いな印象を受ける。
「ずいぶん、遅かったようだな、貴様」
はぁ、はぁ、ともはや壊れたように呼吸をする肺では、問いに答えることができず、省介は構わずに進む。
「おい。……貴様、待てッ」
肩を掴まれ、その拍子にバランスを失って崩れ落ちる。脚が異様な痙攣を起こし、手をつかなければ立つこともままならない。
「へろへろじゃねぇかッ。……何だ、大丈……」
ビジュアル系をさえぎり、乾燥した喉にぐっと唾を飲み込み、
「……ただいま」
省介は宣言する。
「あ?」」
「……長男、比田省介、ただいま戻りました」
その瞬間。
地鳴りのような重厚な音が響き渡り、扉が開いた。
「――ッ、おいッ? 勝手に……」
視界の隅で、ビジュアル系が右手に手袋をはめたのが見える。
省介は手をかざしてそれを制し、
「……大丈夫だ。自分がどこに行けばいいのかなんて見当はついている。……心配してくれてありがとう、二年B組の田中くん」
「んなッ! 貴様ッ、なぜそれをッ……おいッ、無視すんなッ」
退魔師の田中は疑問と不満を爆発させるが、省介は気にせず歩みを進めた。
ギャーギャー言いつつも追ってこない様子から、
(……やっぱ、田中くんは田中君だったな)
思わず、省介は顔をほころばせる。
次回、ついに黒幕?が明らかに。。もうバレバレですが……。




