ホブゴブリンとミニマリスト⑤
「あ」
声だけでわかってしまった。
前方に花桐の姿が見える。
買い物袋を手に下げ、スカートとブラウスだけの軽やかな姿だった。
(……まさか、こんなところで会えるなんて夢にも思わなかったけど、……なんていうか、やっぱ何着ても綺麗だな……)
「……あの、どうかしたの?」
「えッ、……特に何も」
「……そう、そうなんだ……」
声色に、若干の緊張感が漂っているのがわかる。
……気まずいながらも、心配して話してくれたんだ。
荒んでいた省介の心が、温かくなる。
(……やっぱり、花桐先輩っていいなぁ)
「……あの、……そういえば、昨日比田くんのところにも来た?」
「えっと、何がですか?」
「……今度、全校集会があって、そこで私達、表彰されるんだって。……その連絡」
花桐の言葉が無意識に、省介の記憶を呼び覚ます。
記憶の中でブラウニーの声がする。
『そう。全校集会だよ。……見て』
「……比田くん?」
心配そうな顔をする花桐に、省介は、
「……あ、ああ、そうだったんですね。俺、ちょっと昨日はいろいろあって、……きっとタイミング悪くて出られなかったのかな」
「……そう、なんだ」
「……」
「……」
それきり、目を合わさず黙りこくる二人。
……き、気まずい。
(しかし、忘却魔法が目前に迫ってる今、変に下手なことをして余計な失態を増やすのも……)
『時間が経てば経つほど、噂を思い起こした回数も増えて、どんどん改変しにくくなる……』
「……」
省介は言葉を失う。
どう逃げても、三人の存在がちらついてくる。
それでも、必死に考えないようにしていた。
「……そういえば、それ、何するの?」
ぎこちないながらに沈黙を破ったのは、花桐だった。
視線の示す先は、段ボール箱。
ああ、と省介は答える。
「モノを捨てに行くんです。最近ちょっと増やしすぎちゃって、でも、もう要らないから……」
「……どんなもの?」
え、と省介は言いよどむ。
まさか内容まで突っ込まれるとは、思っていなかった。
「……古書とか軍艦のプラモとか家電とか、……あと……」
……パンツとか、な。
表立って言えるはずもなく、心の声に留める。そんな省介に、
「でも、それって貴重なものなんじゃないの? ……いいの、捨てちゃって?」
「花桐先輩」
捨てる、という言葉にスイッチが入った省介は、顔を上げる。
「いいんです、不必要なものですから。……俺はそのモノが貴重かどうかだけを、物を捨てる判断基準にしたりはしません。いくら貴重でも、本当に使うもの以外は手元には残さないんです。使えるかどうか、実際に使うかどうかを十分に吟味してふるいにかけ、無駄のない残ったものだけを自分の周りに置きます。そういう主義なんで」
キリリと言い放ち、親指を挙げて見せる省介。
『お兄様が自由なのは、背負うべき責任を、リスクを、全て放棄しているからですわ』
心の中で詩咲の嫌味な顔が浮かび、打ち消す。
そんな省介に、花桐が言った。
「じゃあ、今回捨てちゃうのは全部、ふるいにかけられて残らなかったものなんだ。……なんか、ちょっと可哀そうだね……」
省介がピタリと動きを止める。
……可哀そう?
「……? 比田くん……?」
「…………」
……可哀そう、だって? ……アイツらが?
胸の中は掻き毟られたような感覚が渦巻き、別れ際の表情がフラッシュバックする。
「……どこが……」
「……え?……」
「……どこが、可哀そうなんですか……」
省介は湧き上がる感情を必死に抑えようとし、
「……そんなことない、ですよ」
花桐を前にして、省介の中の何かが決壊する。
「……本当、呆れるくらい無駄ばっかりなんです。夜は何かとうるさくて眠れないし、休日も時間を奪われて全く便利なんかではないんです。謳い文句なんて全部ウソなんです。全然ダメなところばかりで……」
堰を切ったように言葉が飛び出し、
「家に来てからというもの、俺はずっと振り回されているんです。もう、うんざりしてるんです。俺の美学や生き方と、まるで正反対なんです。壊滅的絶望的に、どう考えても不必要なんです……もう俺にはまったく、これっぽっちも必要ないはずなんです……だから」
心に何かがつかえていて、
その何かを必死に言葉にしようとした。。
「……可哀そうなわけがないんです。俺はそれを、捨てるべきなんです。……どうしても捨てなきゃいけないんです。捨てなくていい理由を、どんなに探しても見つからないんです。……一人で帰った時に少し優しいとか、変なところで気が利くとか、俺の生活のあらゆるところに欠かさずいてくれるとかだけじゃ、ダメなんですッ。許されないんですッ。……だから俺はそれを、そいつらを、……どうしても、捨てないといけないんですッ」
心を絞り出すような声を、省介は上げた。とめどなく湧き上がってくる何かを必死に押さえつけて。そのことに戸惑いながらも、省介は堪えることしか出来なかった。
「比田くん」
そんな省介の手が、握られる。
細くて少しひんやりした花桐の手だった。
「……が、いいよ」
「え?」
「……捨てないほうがいいよ。 だってきっと、それ、……」
花桐の真っすぐな視線が、その透き通った声が、省介を貫く。
「――比田君にとって、とても大事なものだよ」
「…………」
頬を思い切り殴られたような心境だった。
ずっと認められなかった。
自分が今まで縋ってきた事柄を、覆すのが怖かった。
……けど。
そうだ。
わかっていたはずだ。
彼女たちと時間を過ごすその度に。
やれやれ、と呆れるその瞬間に。
それでも省介は、わかっていて、見ないようにしてきたのだ。
もしも理由を失ったら、どうしたらいいか分からなかった。
どう維持したらいいか、どう守ったらいいか、分からなくて恐れていたのだ。
省介の中で、何かが弾ける。
……それほど、
「……大切、……」
昼下がりの爽やかな風が吹き、省介と花桐の髪を揺らす。
「……」
立ち尽くす省介の前で、花桐がじっと省介の言葉を待っている。
しばしの沈黙の後、
「……花桐先輩ッ?」
「……はい」
「これ、ちょっと預かっといてくださいッ」
「……はい。……え?」
省介は走り出す。
段ボール箱を置き去りにして。
「あの、……比田くんッ!」
後ろから花桐の驚きと困惑の声が聞こえる。声の主に事態を説明できないことへ心からの申し訳なさを感じつつ、省介は走り出した足を止めることをしない。
久しぶりの、全力疾走だった。
走ることなんて無駄だと、不必要だと、
諦めるようになったのはいつからだろう。
あっという間に息が切れ、肺が、下肢が、限界を伝えてくる。
……でも。
三人の顔が次々と浮かんでくる。交わした言葉が、触れ合った記憶が蘇ってくる。
……俺は。
え、先輩の出番これで終わり?と思った方はご安心を。まだ出てきますので!!




