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波乱のホブゴブ●●大作戦!①


 夕暮れのアパートの階段を上り終え、ドアノブに手を伸ばす。

やっと着いた、と省介は、本日の下校の終了に安堵の息を漏らした。

 チラリと隣室を盗み見るも、隣室の扉の郵便入れには、大量のダイレクトメールが突き刺さったままになっている。

 例の退魔師の少女の部屋だった。

 夜、襲撃を受けたあの日、ツッコミすらする気も起らず、お帰りいただいたあの晩。

あの時を最後に、退魔師の少女は姿を見ていない。。

あまりにも音沙汰がないので、省介はすでに引っ越してしまったのだろうと思っている。

とにかく、目下の作戦を邪魔立てする存在はいなくなったのだ。こうして邪魔者がいなくなったのだから、さぞかしホブゴブリン達の作戦もはかどっていることだろう。


……が、




「――全然、はかどっていないじゃねえか」

省介が帰宅すると、かつてミニマリストの聖地と呼ばれた、簡素な部屋の面影はどこにもなかった。

代わりに目の前に広がっていたのは、展示用の額に納められたおびただしい数のパンツ、積み上げられた無数の古書、陳列された軍艦プラモデルの数々だった。

食い入るように墨入れ作業を行っていたボーハンが、省介の帰宅に気付く。

「……艦長、お帰り」

 その声に反応を示したのは、ブラウニーだった。

 パタン、と呼んでいた書籍をカウチに置き、「んー」と大きく伸びをしてから、「あれ、比田、もう帰って来たの? …って、もう夜かー」と赤い目をこすり、あくびをする。

「ねぇ、ねぇ、ご主人様♪ 見て見て、ご主人様のパンツも飾ってみましたッ。……どうかなッ?」

 深々とマッサージチェアに身体を預け、小刻みに振動しながらルンが言う。

 省介の堪忍袋の緒が、ついに切れた。

「おいお前らッ‼ どうしたんだよッ。これからみんなで協力して、頑張っていこうって話じゃなかったのかッ?」


 諦めかけていた未来に、ささやかな希望を見出した屋上での会話から、すでに一週間以上の時が過ぎていた。

しかし、事態は驚くほどまったく、何の進展も得られていない。

 ただ、何もして来なかったわけではない。

いくらか行動に移してみたことはあった。

例えば……。


作戦一。

立案者、比田省介。

「ATM張り込み大作戦」


「コンビニに張り込みをしてみたらどうだろう、不審な様子のATM利用客がいたら、声をかけてみるんだ」

「……パクリ?」

「パクリだ」

「パクリだねぇ、ご主人様」

「う、うるさい。前例があるんだから、表彰される可能性は高いはずだろ。最近は認知度が増えてあまり報道されなくなっているが、依然として特殊詐欺は高い件数で発生してるんだ。むしろ発見しやすくなってると言っても、過言じゃないんだぞ」

「ふーん、でもそれ、ルン達が出来ることは何もないよね?」

「…………まぁ、そうだな」

「頑張ってご主人様」

「……艦長、ファイト」

「いい報告を期待してるぞ、比田」

「……お前ら」


 放課後、省介はコンビニで立ち読みするフリをしつつ、ATMを監視する。

 しかし。

 ……おかしい、人がぜんぜん来ない。

 そのまま数時間が立ち、省介の足に乳酸がたっぷり溜まってきた頃に、ポン、と肩に手が置かれる。

 振り返ると、そこにいたのは、制服を着た警察官。

「……君、ちょっとお話いい? 挙動不審な高校生が鬼気迫る顔して睨んでて、ATMが使えなくて困ってる、って近隣のお年寄りからの通報があってね」


作戦二。

立案者、ボーハン。

「ひったくりを撃退せよ」


「……要は、……軽犯罪を防止すればいい。……この地図のここの路地、人通り少ないし、暗くて、ひったくり多いみたい。……待ち伏せして倒せばいい」

「おー、いいね、ボーちゃん」

「くッ、僕はまだ何も思いついていないのにッ」

「おいおい。ひったくり倒すって、本気か? そんなの遭遇するかどうかわからないし、そもそも俺、格闘技なんてできないんだが」

「……大丈夫。……自分に秘策が、ある」


 翌日、夜。

「ひったくりよーッ!」

 若い女性の声が響き、ガタイのいい二人の男がブランドバックを手に、スクーターで走り去ろうとする。

(……まさか本当に遭遇できるとは。半日も待った甲斐があった)

……このチャンス、逃さん!

「待てッ‼」

 省介が大声を出し、両手を広げて正面から立ちはだかる。

「ど、どけッ、ガキ!」

 スクーターの男達が動揺し、スピードを増す。

 ……あれ?

 しかし、一向にボーハンの言う「秘策」が発動する気配はない。

(……いやいやちょっと待て、死ぬだろこれ!)

 スクーターが省介に到達しようとした時。


「……エクスプロージオン」


 ドゴォッ、という音がして、スクーターが大爆発した。


男達がぶっ飛び、木端微塵になったスクーターの部品と共に音を立てて落ちる。

 省介は口をあんぐり開けて、呆然と目の前で起こった出来事を見つめる。

 ボスン、と足元に着地したブランドバックは、炎を上げて燃えていた。

「い、いやああッ」

 被害者の女性が、走ってその場を去っていく。

 省介は何も反応できず、しばらくその場で立ち尽くしていた。

肩に、手が置かれる。

「……君ちょっと、署で話いいかな? 近隣住民から不審な男がうろうろしてる路地で、爆発騒ぎがあったって通報が……」


 作戦三。

 立案者、ルン。

「地域密着アピール作戦」


「……そもそも上手くいかない理由は、通報されちゃうからだと思うの。だから、今度はその通報を、こっちが逆に利用しちゃえばいいんじゃない?」

「……なるほど」

「通報は、関心の裏返し、か。……なんで思いつかなかったんだろ、僕、才能ないのかな……」

「利用って、どうするんだ?」

「カンタンだよ。シンプルにいいことを沢山すれば、その様子が地域の人から警察に伝わって、表彰してもらえるかもしれないでしょ?」


 日曜の午後、商店街で省介は汗を流す。

 歩道に雑然と倒れている自転車を起こし、点字ブロックを塞ぐ障害物を移動させる。

「ちょっとそこの人、アーケード内は押し歩きだぞッ」

 自転車で走り去ろうとする中年女性を一喝し、省介はため息をつく。

(……どうしてこんなにマナーを守らないヤツが多いんだ、まったく)

 ゴミを拾い、落書きを消し、歩道橋を登れない高齢者をおぶって輸送し、迷子や落とし物を交番へ届け、道に迷った外国人観光客を、たどたどしい英語で案内する。

 夕方になり、街路樹に引っかかっていた風船を、持主の幼稚園児に渡し終えた頃、省介の肩に、ポン、ポン、と手が置かれる。

「――ッ!」

(……経験から言って、これは、警察官の可能性が高い)

(……しかし、今日、俺は全く責められることなど、何一つもしていないどころか、称賛に値することばかりしてきたはず)

 ……これは、まさか、ついに?

 振り返る。

「……比田っち。……お前、すげーいいやつだったんだな。まじ感動……」

「お前かようッ‼ チックショーッ‼」 

 結局、その日に警察官から声がかかることはなかった。


……などなど、である。

結果、『変態がついに壊れた』とか噂が噂を呼んで、省介への視線は、もはや嫌悪を通り越して同情の色すら見え始めていた。

それに比例するように、ルン達のやる気とアイディアはどんどん底をつきていった。

「まぁ、明日考えればいいよねー」

と、各々が暗記した省介のカード情報を利用して趣味に走った結果、今に至る。


「――俺の高校生活が懸かった、大事なミッションなんだぞ! 俺が今、どんな気持ちで学校での時間を耐えているか、少しは想像してみてくれないもんかねッ」

 省介の物言いに、ルンが「でも肝心のアイディアがねぇ……」とため息をつき、ボーハンがそれに頷く。

「……え? アイディア? あはは、何それ、美味しいの?」

「ブー。お前は現実逃避してないで、早くこっちの世界に戻ってこい」

「やだなぁ比田。何を言っているんだい? 僕はずっとまともだよ、何も思いつかないだけで。……何も思いつかない、役立たずなだけで……」

 ブラウニーの瞳から光彩が消え、青く濁った視線を向けてくる。

 面倒臭さを感覚で察知した省介は、目を逸らして髪を掻きむしる。

 ……クソッ、ストレスが溜まる。

(……こういう時は……)

「……捨ててやる……」

 省介の目が危険な光を宿し、

「うへ、うへへへ、……不必要、不必要なものはどこだぁ? 俺が、俺が捨ててやるぞぉ……ッ」

 両手をわきわきさせる省介の呼吸が、荒くなる。

「……ご主人様ッ‼ 待って待って、ブーちゃんは生ゴミじゃないようッ!」

「ああん?」

 危ない表情を見せる省介に、ボーハンが慌てて「艦長」と声をかける。

「……落ち着いて、……これは、必要なもの。……自分達も何か思いつかないかと考えた末、煮詰まった頭を一度リセットしたらどうかって思った。……だから、勝手だと思ったけどそれぞれの好きなことをやってみていただけ、よってこれらは、必要、必要な物、……理解できる?」

 フシューフシューと深い息を吐いた省介が、

「……そうか、必要なものなら仕方ない」

 と正気に戻り、ルンが安堵のため息を漏らす。

「……でも、実行中だけど、まだ効果は見られてないのも確か……」

 ボーハンが申し訳なさそうに言う。

 魔法が確実に効力を及ぼせるタイムリミットまで、あと一週間。

 それも、全校集会を開くことのできる平日は、週末を挟んであと四日しかない。

「最悪でも、今週末までには何とかしないと、厳しくなってくるな」

「そうだね。でもだいじょぶ、何とかなるよッ、ご主人様」

 ルンが、以前のように省介へ主張する。

「……いつも思うが、お前のその自信は、どこから来るんだ?」

 省介の質問に、ルンが微笑みをたたえ、答える。

「ご主人様が必要としてくれるからだよ? それだけでしもべ妖精には大きな力になるの」

「……そういうもんか?」

「そういうものなのッ。……まぁ、例外的に、ここには落ち込んでいじけてる人もいるけどねッ」

 ブラウニーの露出した肩を指先で撫で、ルンは言う。

ひゃうんッ、とブラウニーが引きつった声を上げた。

 ボーハンがブラウニーを後ろから羽交い締めにし、耳にふー、と息を吹きかける。

「ぃんッ⁉」

「ブーちゃん、いい加減にしなきゃだよー、えいッ」

「あ、……そこはだめッ……はぁんッ」

「……もう一丁」

「……く、ちょ、やめッ……」

「えいえいッ」

「……や、め、ろッ……って言ってるだろぉ‼」

 突然のブラウニーの大声に、三人は目を見張った。

「いつもいつも、人の身体を何だと思ってるんだ! ボーハン、ルンフェルは、やられる側の気持ちを一回でも考えたことがあるのかいッ⁉」

 声を荒げて防ぐブラウニーに、ルンとボーハンは「んー」と考える。

「……でも喜んでない?」

「喜んでないよッ! そういう加害者側の身勝手な自己正当化こそ、巷に横行する性犯罪の温床ッ。……相手が誘った受け入れた、だから相手が悪いって思うからこそ、わいせつ行為が無くならないんだッ。でも被害者はそんなことするわけないし、恐怖と逃れたい一心で抵抗できないってのが本音なのに、卑劣な痴漢なんかはそこにつけ込んで、やりたい放題やってしまうのが、性犯罪の構造的問題なんだぞッ。……そこんとこ、ちゃんとわかってるのかいッ⁉」 

 はぁ、はぁ、と息を切らすブラウニーに、ルンとボーハンは「……なんか、ごめん」と謝罪した。

「わかればいいよ、わかれば。……まったく」

 腕を組み、未だ憤った様子のブラウニーがそっぽを向く。

 やれやれ、と省介が思っていると、「……あ」と、唐突にブラウニーが振り返った。


「……思い、ついちゃった」







お話しがやっと本筋に戻ります。。

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