理不尽
もらい事故って、ついついお金のことを考えちゃうよねえ。
俺は、走っていた。
何故か、走っていた。
星天の昼下がり。北陸の片田舎。小さな小さな地方都市。その片側二車線道路左側の歩道を、おそらくは仕事だったろう、俺は二本の足で走っていた。
この辺からは信号が細かく設置されている。そのため渋滞とまではいかないが、車輛はかなりその速度を落とさねばならない。
俺は歩道から車道に身を躍らせる。そのゆっくりと流れる車を一台一台避けるようにして、斜め横断を開始した。
――ゴン。
右側車線に差し掛かろうというとき、重い音と共に、俺は前方につっ転がされた。俺の右側を通り過ぎていく白いミニバン。
事故っちまった。
あーあ、やっぱり車道に飛び出して走るとか、アカンよなあ。
右肩に広がる鈍い痛みと共に、俺は反省モードに入る。……って。
――これ、人身事故じゃねーか!
見上げると、俺にぶつかったミニバンは、前方の赤信号を無視して走り抜けていく。
「くっ……」
立ち上がると、俺は右側の歩道まで渡りきり、走った。痛む右肩を左手で押さえつつ、走って、そのミニバンを追いかけた。
案の定、その車は次の信号でも引っかかってた。ただし、先頭だ。
視認できる距離まで近づくと、俺は目を皿のようにしてナンバーを確認した。
「県外の□ヶ△400、・・・1、か」
実に憶えやすいナンバーを頭にたたき込み、ガラケーを取り出すと、メモ帳を呼び出して記録する。
追いかけてきた俺に気付いたのだろうか、当のミニバンはいきなり赤信号の交差点に進入すると左折し、脇道に消えていった。
まあ、いい。後は警察に電話するだけだ。
正直、ヤンキー仕様のミニバンに喧嘩を売る度胸なんて無い。行政と司法に任せておけば悪いようにはならないだろう。そう考えて俺は加害車両の背後を見送った。
と、ここじゃあ、事故処理車が来ても止める場所が無いか。
混雑を増す車道を横目に俺は来た道を引き返す。事故地点からさらに三十メートルほど西に橋があり、川に沿うようにしてほとんど車の通らない堤防道路があった。その道を十メートルほど歩き、俺は腰を下ろす。
「1、1、0、っと」
実は110センターに電話を入れるよりは地元の市の警察に直接連絡した方が若干対応が早いことは俺も知っていた。警察署の電話番号の下四桁は大概「0110」だ。だがその前の二桁の数字――まだ三桁化されてない田舎なのだ――には自信がなかった。
程なくして繋がる。
『はい、110番です』
若い男の事務的な声。そこにわずかな違和感を憶える。そしてそれはすぐに判明した。『事故ですか事件ですか」という定型的な言葉が続いてきてないのだ。
「あ、あの、事故です。交通事故です」
しょうがないのでこちらから切り出す。
『で、場所はどちらですか?』
GPSでわかるだろ、とは思いつつも近くの家に貼られている地名票板を探して、俺は答えた。
『ああ……そうですか……。で、ところで』
――ん?
急にやる気のなくなった声色に、俺は首をかしげる。
『酢には何を合わせますかね?』
……はあ?
酢って、あの『酢』のことかあ?
「えっと……何を?」
『いやだから酢に何を合わせるかですよ。おたくの地域ではどうなんですか?』
どうなんですかって、お前、いま、どこにいるんだよ。
「いや、酢って『酢の物』でしょ。だったらワカメとかキュウリとか……」
そこまで言ってしまってから、いや酢ってのは単体の酢じゃなくてもう既に出来上がっている酢の物のことで、それにどのようなおかずを合わせるかを訊いているんじゃないだろうか、などと益体もないことを考えてしまう。
と、電話口の遠くからガヤガヤと数人の声。そして『ありがとうございました』と女性の声が耳に届いた。――その雰囲気はまるで……。
え? 旅館なの? 110センターじゃなくて旅館兼業の田舎の駐在所に繋がってるの?
「え? ちょっと? もしもし?」
返事は、無い。まるで電話も切らずにそのまま離席したかのようだった。
諦めて電話を切った。数秒の間を置いて、もう一度110にかけてみる。
頼む。今度は違うところに繋がってくれよ。
『はい110番です』
今度は中年くらいの男性の声だった。それに俺は事故のことを伝える。
少しの沈黙の後に返ってきた言葉は、意外なものだった。
『ホームページを見て下さい』
「――は?」
何故にホームページ?
『ですから管轄区域の警察署のホームページから直接連絡して下さい』
「あの……こっちはガラケーなんですけど」
いや、ガラケーでも公的ホームページくらいは見られるだろう。でもそれには折角繋がった電話をわざわざ切らなければいけない。てか仕事する気あるのだろうか?
返事はない。いや、そのかわり、何故か遠くから動物の野太い鳴き声が聞こえてきた。
擬音にすると「モー」という。
牛? 北海道? 北海道なの? 北陸から110して北海道に繋がったっていうの?
結局、再度電話を切ることになった。
――駄目だ。110番は駄目だ。
足りない記憶を無理矢理振り絞って、市の警察署に電話をする。
『はい。○○警察署です。事故ですか? 事件ですか?』
若い男性の声。よかった。今度はまともそうだ。
「えっと、事故です」
『でしたらそんなところにいないで下さい。現場に戻って下さい』
冷静に考えると、GPSがあるといっても、いま俺がいる場所が『現場でない』なんてことが向こうにわかろうはずもない。しかし、勝手に現場を離れたことに対する罪悪感からだろうか、俺は「はい」といって電話を切った。
歩きながら考える。
いや現場まで歩かせるとか自立歩行できる軽傷だったからいいものの、重傷だったらどうすんだよ。――てかそもそも重傷だと動けないか。
「……疲れた」
現場横の歩道で座り込むと、履歴を使ってもう一度警察署に電話を入れた。今度は違う男性の声。
「ああ、事故ね。いま行くから。――まったく、次から次に起こしやがって」
ん? いま聞き捨てならないことを聞いた。あのミニバン、他でもやらかしてるのか? というか……。
「あの、もしかして、目撃情報とか集まっているんですか?」
途端に電話の向こうが沈黙する。その様子に俺は、不機嫌そうな雰囲気を感じた。
――まずい。
「あ、いえ、では待ってます」
そそくさと電話を切る。これで少し待てば事故処理車がやってくるだろう。あとは警察と保険屋に任せればいい。
まずは会社に連絡を入れて、休みを取らないといけないなあ。待ち時間が長くて億劫だけど初回は整形外科に行って、あとは接骨院ですませよう。三ヶ月も通えば二十万にはなるだろう。
いやそれより慰謝料だ。なにしろ人身、ひき逃げ、信号無視のコンボだ。思いっきりふんだくってやる。もちろん人身扱いで届けて免許取り消しの苦行も味わってもらおう。それからそれから……。
と、視界が白く染まっていった。ぼんやりとした向こうに見えるのは、見慣れた光景。
――ん?
視界がはっきりとする。
そこは、部屋だった。まごうことない自分の。
「――夢かよっ!」
気怠い身体を無理矢理起こす。すると、右肩の後部にずきりと痛みが走った。
どうやら軽く寝違えたらしい。
夢落ち。
てか今日(平成30年4月23日)の夕方に昼寝してて実際に見た夢です。
面白いというかなんか変な夢だったので、忘れないうちにと掌編にしてみました。
一人称は雰囲気作りのため「俺」にしてありますが、普段自分は「俺」という一人称は使用してません。あくまで脚色です。