第三話。一事(いちごと)終えてまた一事。
「ほへー」
山の中腹。一本の巨木にもたれかかって、ブルカーニュはグデーっとなった。
右半身を木に預けている様は、昼寝でも始めそうに見える。
「木の点検終了です~」
そう。朝から始めた木の果実チェックは現在、間もなく太陽が真上になろうかと言う時間までかかったのであった。
ふもとからこの中腹の巨木まで全て見回った結果、
土竜たちがいた場所にあったような、
異常成長した果実は土竜たちのところを含めて僅かに三つ。
飛んだり歩いたり、移動手段を切り替えながらだったこともあり、
すっかりお疲れさまなのだ。休憩なしに作業していたので、
その果実による栄養補給だけでは、体力が回復しきらなかった様子である。
「あぁ。木の感触と、おひさまがぽかぽかで気持ちいいですねぇ。
このままおひるねでも」
しちゃいましょうか、とまぶたを閉じて少し。
ブルカーニュの意識がまどろみに沈もうとした、まさにその時。
「ゆるさん起きてくれ、出番だ!」
空中から呼びかけられて、ゆるさんことブルカーニュは
のっそりと体を起こす。
「どうしたんれすか? こえからおひるねひようと
(どうしたんですか? これからお昼寝しようと)」
眠気で滑舌がヘロヘロになっているのを聞いて、
声の主は「あちゃー」と顔をしかめた。
「わりい。けど出番なんだよ」
「ればんっれ、ろうゆうころれすか?(出番ってどういうことですか?)
風要さんちのビユウンくん?」
声の主ーーブルカーニュよりも少しだけ大きな、緑色のドラゴンを見上げて問いかける。
「オレはフウジャルだよゆるさん。ビユウンはもうちっとでかいだろ」
たしなめるように言うフウジャル。一瞬の間の後で、
咳払いして気を取り直した。
「それはともかく、出番は出番だよ。人間の子供が一匹k」
「ひろりれす。にんげんさんは、ひろりっれかろえるんれすよ。
まりらえれかろえるのは、ひるれいれふ
(一人です。人間さんは一人って数えるんですよ。間違えて数えるのは失礼です)」
単位を間違えたことを、ブルカーニュは眠いながらも指摘した。
「あ、ああ。そうか。気を付ける」
フウジャルは少し面喰ったようにたじろいだ。思わぬ指摘だったようである。
「むぅ」
なんとも納得していないように、ブルカーニュは軽く首を右に傾けた。
ドラゴンのみならずモンスターにとっては、どんな物であれ
生き物は一匹二匹と数える方が当たり前である。
物に合わせて数え方を変えると言う、人間的な思考をする方が、
むしろモンスター内では非常識なのだ。
だが、ブルカーニュはこれまでの人間との接触で、
人間はそうした 物に合わせた数え方をすると言うことと、
それをしないことは相手を不快な思いにさせてしまう、
つまりは失礼であると言うことを学んでいるのだ。
そのため火山の頂点に立つ者として、火山の資源を利用するが、
しかしそれだけではなく、自分たち火山に住まう者のことも慮る人間たちとは、
友好的に接することを、火山全体で心掛けるようにしている。
そういう理由から、人間のかかわらないこうした日ごろから
人間とモンスター双方が少しでも険悪にならないように、
小さなことから気を付けているのである。
「で、だ。人間の子供が一人、湖側からこの火山に向かってるんだよ。
かっこうが岩ほじくり返しに来る奴等とは違うんだ。たぶん迷子って奴だ。
歩き方が怖がってたしな」
気を取り直して、ゆるさんを起こした理由を説明したフウジャル。
「ふみゅう。いまはうごきたくないれす」
説明を聞いたゆるさんは、しかしペタンと地面にお腹をくっつけて
動きたくないアピールをし始めた。
「お前なぁ。これまでそういう迷子とか子供だけで火山に来たのを
元の場所に帰してたろうが」
呆れるのと同時に少し苛立ちを含んだ声で、
そう火山の頂点を叱責するフウジャル。
こんな口調で、こんな態度でも許されるのはこのフォニクディオス火山ならではである。
「らっれ、つかれたんれすもん。おひるねしてかられもおそくないれしょう?」
まったく折れる気配のないゆるさんに、大きく溜息を一つつくフウジャル。
その溜息が風の弾丸となって口から放たれた。
しかし、幸い射線には誰もおらず またなにもなかったためなんの被害も出なかった。
風の魔力を司るドラゴンは、ただ息を吐くだけでも殺傷能力を伴ってしまう場合があるのだ。
だがゆるさん この山の頂点たるブルカーニュは、
この意図せずブレスについてはなにも言わない。
なぜならこれが、風を司るドラゴンにとっては日常で、
変えようのないことだからだ。
「はいはい。たしかに、人間の子供が歩いて山の入り口につくまで
まだけっこうあるとは思うからな。一眠りしたらその子供、送り返してやれよな。
たぶん俺たちじゃ、速度を子供に合わせるまでに時間かかっちまって
怖がらせることになっちまうからよ。頼んだぜ」
そう言うと返事も待たず、やれやれと言うひとことを残してフウジャルは飛び去って行った。
緑竜を見送ったところで、はふぅとあくびのような長い息を吐き、
うんしょと立ち上がったブルカーニュは、
さきほどの巨木に再び寄りかかった。
「おやふみなはーい」
誰に聞かせるでもなく言うと、そのまま間髪入れずに寝息を立て始めた。
***
「んー」
ブルカーニュはぼんやりと声を上げた。太陽が西へ、空の色を変えない程度に傾いている。
「ふぅ。ぽかぽかですぅ……っと、いけない。そうでした」
二度寝しようとした自分の意識を、
首をブルブル振ってなんとか起こすと、何度かまばたきをした。
ここちいい巨木から離れて、「ん~」っと言う声と共に、
四本の足を地面に押し付けるようにし、尻尾と翼をピンと張って、
そして今朝と同じように、顔をのびあげた。起きがけのせのびである。
「顔洗ってからにしましょうか」
言うと今朝と同じように地面を蹴って飛翔し、
けれど今朝と違ってふんわりと湖へ向かった。
***
「おーい、ブルカーニュおねーちゃーん」
湖から、チャパチャパと水と遊ぶような音といっしょに聞こえた声に呼ばれたように、
ブルカーニュは降下 着地した。着地点は湖と地面の際。
「こんにちはカスクちゃん」
うっすらとだけ水色の入ったほぼ真っ白の、アズラッティよりも更に小さな
首を含めてやっとブルカーニュの体長の半分ぐらいの長さのドラゴンに、
ゆるさんはそうにこやかに声を返した。
さりげなく湖とその周りを見回す。アズラッティの姿をみとめて、
よし 今回は間違えなかったぞ、と密かに心の中で頷く。
「なにしにきたの?」
楽しそうに尋ねて来たので、ブルカーニュはそのままを答えた。
「お昼寝したから、目覚ましに顔を洗いに来たんです。
この後お外に少しおでかけするので」
目を閉じて顔を湖に付けるブルカーニュ。
湖の冷たい水が、火竜の女王の気分をスッキリさせてくれる。
「そーなんだ」と幼竜が答えたところで竜凰は、湖から顔を出した。
今朝の水ガブ飲みの時ほどではないが、顔から水滴が湖にしたたり落ちている。
「あのねあのね、カスクもおでかけしてきたの」
顎を湖の中から地面に乗せて、
落ち着きなくチャプチャプと波を立てながら話をするカスク。
その嬉しくてたまらないと言った様子は、自然と姉のアズラッティと
竜凰ブルカーニュを笑顔にする。
「そうなんですか。面白かったですか?」
幼い水竜に相槌を打つ。
「うんっ 面白かったっ。でも……おもしろくなかったの」
「どういうことですか?」
子供特有の用量を得ない言い回しを、右に首をかしげて問い返す。
「おやまから水の中をおさんぽしてたんだけどね。おさんぽはおもしろかったの」
この湖がある三合目、ちょうど裏側には川があり、それは海へ繋がっている。
しかしフォニクディオス火山に暮らすモンスターたちは、
フォニクディオスから一定距離までを縄張りにしているため、
海を見たことのあるモンスターはブルカーニュたち火竜や、
一部の、長クラスの者程度と一握りである。
「そうなんですね」
「うん。それでね、おねえちゃんにここまでだよってゆわれるぐらいのところで、
へんなのがいたの」
「変なの、ですか?」
気になって、ブルカーニュは問いかけた。
「うん。細くてガシャガシャ言ってるの。『あなたたち、なーに?』ってゆおうとしたら、
おねえちゃんがカスクの顔、水の中にジャバーってしたの。こえかけちゃだめ、って。
それがおもしろくなかったの」
両手を岸に出して、地面をバシバシ叩きながら
だだをこねるように言うカスク。
その動作に微笑したブルカーニュは、僅かの間逡巡。
その後で、少し離れたところからこちらを見ているアズラッティに、
少し細めた視線を向けた。