第十八話。一日の終わりに寄る寂しさ。
「お疲れ様でした、ユイハさん」
正座のままで上半身を上げた結葉のその表情が、
これまでより穏やかさが増したように感じられて、
目を細めたゆるさんは、いろんな意味をこめてそう柔らかく笑んだ。
「ゆるさんも、お疲れ様でした」
自然に、まさにこぼれた笑みにふわりと頷くと、
ゆるさんは決意したように一つ深い息を吸った。
「わたし、もう、いきますね。これ以上、いっしょにいたら。
帰りたく、なくなっちゃいそうですから」
一つ一つを、なにかに耐えるように飲み込みながら言うゆるさん。
「わたしも。同じ気持ちです。あんまりいっしょにいたら。
つれていきたくなっちゃいます」
答えた結葉は、言葉を返しながら なにかを押し込むように、
ゆっくりとしたまばたきを繰り返している。
男性陣は、二人の間に流れるしんみりとした空気に
戸惑っている様子である。
「あの……窓。開けてくれませんか?」
遠慮がちに尋ねたゆるさんに結葉は立ち上がることで答え、
そっと窓を横に動かして夜気を部屋に通す。
少しだけ冷たい夜風は、目が潤んでる言い訳になってくれるかな。
そんなことを考えた自分がおかしくて、結葉は声を出さずに
小さく口を笑みの形にした。
「ありがとうございます」
ゆるさんはそうお礼をしながら、トコトコと窓辺に歩いて行く。
男性陣からほっとしたのと残念そうな息が静かに聞こえて、
結葉とゆるさんは顔を向ける。
すると慌てたように、彼等は首を横に振った。
「ユイハさん」
ぴょんと飛び上がり窓枠に両手をかけると、ゆるさんは左横にいる
パッと見ると夜の闇のせいで頭が隠れてしまって顔しか見えなくなるような、
不思議な色をした頭と瞳の少女に顔を向けた。
「はい」
窓の外を向いたまま、彼女はそう返事をする。
ギシリと窓枠に体重をかけ外へ飛び出すと、
ゆるさんは翼をはばたかせて滞空。
少し前進すると、くるりと反転して結葉と向き合った。
驚いたようにまばたきする少女の瞳をしっかりとみつめて、
ゆるさんこと 竜凰ブルカーニュは一つ
ゆっくりと息を大きく吸った。
「また。いつか」
思い切ったゆるさんの声の力は強いが、けれど音量は大きくなく。
そして、
ーー少しだけ歪んでいた。
ゆるさんの言葉に、はいと頷き答える少女の瞳は、
うっすらと星明かりを受けて輝いている。
意図せずに「ん」となにかを噛み殺したような音が出たゆるさんは、
結葉の顔をもう一度しっかりと、
その顔を心に刻むように見つめてから、一つ頷き返す。
自分の目を濡らす感覚に気が付いたブルカーニュは、
大きくゆっくりと息を吸うと、心に残るじわりとした名残惜しさを
振り切るように、ギュルリと体を反転させた。
まるで残った名残惜しさと目を濡らす涙を帯びたように紅に輝くと、
竜凰は矢のような早さで飛翔び去った。
尾を引くオレンジの輝きが夜の闇に溶けるまで見続けていた少女は、
一つ深く静かに深呼吸をすると、そっと開け放っていた窓を閉めた。
***
「モグラさん。こんばんは」
我が家であるフォニクディオス火山に戻ったブルカーニュ。
土竜たちがいる広場に顔を出していた。
「どうした、ずいぶんと疲れた様子だが」
土竜の長が、のっそりと答えた。
ゆっくりと進むゆるさんの足取りが、長には
なんともぼんやりに感じられたらしかった。
呼び方を訂正する気にならないのは、眠いからかもしれない。
そうブルカーニュは思ったが、口には出さなかった。
「あの、ですね」
足を止めて、ブルカーニュはそう言うと、体中を薄く赤くした。
が、元々赤黒い体にうっすらと輝くオレンジの翼なので、
その変化には気付かれにくい。
「その……い ょ に て ……」
「顔を地に向けている上に、そんな小さな声では聞こえないぞ。
珍しいな、あなたがそんな口調になるのは」
「うぅぅ……」
声色から、長は火竜の女王が恥ずかしがっていると理解する。
なので、彼女が要件を言えるまで待つことにした。
「あの。その……」
目が泳いでいる。少しの間それが続いた後、
しっかりと長の目に視線を合わせ、そして言った。
「いっしょに……寝ても。いいですか?」
まるで顔色を窺うように、じわじわと首を上に伸ばしながら、
口をパクパクさせながら、なんとかと言った様子で問いかけて来た。
その言葉が信じがたく、一瞬時が止まったように
目を見開いた土竜の長だが、
一日の様子を思い返し一つ頷いた。
「お互い。人間に友好的だと、そんな思いにもかられる、か」
答えのかわりに長は移動を始めた。ズシン ズシンと感じる、
その足音と地面の揺れは朝より少し重たい気がしたブルカーニュ。
やっぱり眠いのかなと思った。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
首を普段の状態に縮めながら言葉を返し、
その背中にゆっくりとついて行くブルカーニュ。
「謝った直後に礼を言うか。本当に面白いな、あなたは」
今の二匹の様子を他の土竜たちが見たら、
間違いなくからかっていたであろう。
土竜の長にはそう思われた。
なぜなら、
ブルカーニュから見て大きな自分に大人しく付いて来る
長の足の半分ほどしか高さのない小さなゆるさんと言う状況が、
まるで父娘 ーーいや、祖父と孫娘のように長には思えたからだ。
「まったく。困った小僧どもだ」
「なんか言いましたか?」
溜息交じりにぼやいた声は、ゆるさんに音として聞こえていたようだ。
内容まではわからなかったらしいが。
「なんでもない」
平気な顔をして歩く長に、そうですか? と
不思議そうな声で答えるブルカーニュ。
でも、長から答えが返って来ない気がしたから、
しつこくは聞かなかった。




