第十六話。クレインブリッジ家でのひととき。
「ありがとうございました」
正座の状態でそう言うと、結葉が正面の男女に頭を下げた。
「娘さんのおかげで、スムーズに依頼の品を持って来ることができました」
頭を揚げ、言葉を続けた結葉に、
女性の方がどういたしましてとにこやかに応じた。
「娘がなにか失礼をしていないか、心配だったんですよ。
大丈夫でしたか?」
女性 エルの母親の心配そうな表情の問いかけには、
結葉はとんでもないですとかぶりを振った。
「そうですか、よかったです」
ここはクレインブリッジ家。
膝より少し上ほどの高さに天板のあるテーブルに、
エルと結葉が並んで座っている。
向かい合う位置に座っているのは、ここまでのやりとりからエルの両親である。
「あの、どうしてあなた一人なんですか? 朝には四人だったのに」
男性、エルの父親が不思議そうな声で問いかけて来た。
それに答えようとした結葉だが、その前に
咎めるように夫を見たエルの母親のその目に、
左手を上げて問題ないと示す。
「そうですか?」
「スムーズに依頼の品を持って来られた、って言ったじゃないですか。みんな無事ですよ」
笑顔で答えた結葉を見て、エルの母親の表情は和らいだ。
「それで、なんでわたし一人かですけど、簡単なことですよ。
この時間に四人でお邪魔するのはご迷惑かと思って、
代表してわたしが来たんです」
「そうでしたか、お気遣いいただいて どうもすみません」
エルの父親は、安心した表情とそれに違わぬ声色で頭を下げる。
「当然の礼儀です。それと、わたしの方が年下なんですから、
そんな硬くならないでください。こっちが緊張しちゃいますよ」
雰囲気を和らげるためか、柔らかな表情で優しく言う結葉。
「でも、冒険者さんはわたしたちにできないことをしてくれる人ですし、
ユイハさんは仕切りが六つもある。
そんなすごい人に娘と同じように接する
なんてできません」
あたりまえのこととしてそう切り返すエルの父親。
「そうですか。そう……ですよね」
そんな様子を見て、結葉はそっと寂しげな息を言葉に乗せた。
「あの、ところで……そこにいるのは、いったい?」
エルの母親が、エルと結葉のちょうど間に対空しているゆるさんを見て、
不可解そうに声を上げた。
「なに言ってるのお母さん。竜凰様だよ」
ゆるさんを左手で指差しながら、不思議そうに返す。
「「え?」」
目を丸くする両親にかまわず、
「ユイハさんといっしょに、ここまで送ってくれたの」
エルはそう補足した。
「「し、失礼しましたっ」」
慌ててエルの両親は結葉にした時よりも深く
ゆるさんに対して頭を下げた。
「気にしないでください。よくわたしが竜凰だって言っても
信用されませんから」
言葉通りなんの憂いもなく、頭を下げるエルの両親に、
ゆるさんは言葉をかけた。
ほっとしたような息と共に頭を上げたエルの両親は、
その息遣いの通りの顔つきをしていた。
「言われるまで気が付かないのに、気が付いたら怖がるんですよね。
人間三は、わたしのなにがそんなに怖いんでしょうか?」
不思議そうに首をかしげるゆるさんに、
エルの両親が不思議そうな表情で答え
リビングに薄どんよりとした空気が流れ始める。
「ゆ……ゆるさんって、このボルカディアの人にとっては竜王様。
王様なんですね」
なんとか空気を換えようと結葉が口にした言葉は、
それでも彼女の本音である。
感心した声色と、
声色を表すように訳知り顔で頷いていることで、
この場の人間たちは察しがついた。
「いえいえ。誰だか言われて初めて分かられるんじゃ、
王様とは言えませんよ」
一匹だけが、人間でないがゆえに空気に同調できていない。
そのせいで、再びリビングが薄どんよりしてしまい静まり返る。
「うぅ」
どんよりを掻き散らすかのように突然うめいたエル。
人間三人のみならずゆるさんまでが、彼女に注目した。
「あ……あし しびれてきちゃって」
「ああ、正座してたんですねエルさん。自分の家にいるんですし、
そんな硬くならなくてもよかったのに」
うめきの正体がわかって、クスリと朗らかに笑って言う結葉に、
「おとめのたしなみ」
そう顔をしかめて答えたエルは、
「だめだ、もう たえきれないっ」
慌てて姿勢を正座から崩した。
だが足を延ばしたところで、足のしびれが
収まったわけではなかったようである。
「っぁーっ!?」
声にならない悲鳴を上げて目を白黒させてしまった。
そんな少女の様子に、三人と一匹は温かく笑った。
「もうっ、どうしてユイハさんは平気なのっ?」
八つ当たりするような口調で、むっとした顔のエルが
結葉に問いかけた。
「そうですねぇ。正座に慣れてることと」
自分の太腿を軽く数度叩きながら
「『乙女のたしなみ』でしょうか」
と、軽く強調して楽しげに言う結葉を、
「むぅ。わたしがまだ魔法が使えないからって」
更にふくれっつらになって睨むエル。
「絶っ対っ、乙女のたしなみ。極めてやるんだからっ!」
右の握り拳を作って決意を見せつけたエルに、
「それ以外の魔法も、使えるようになるといいですね」
そう優しい含み笑いで、応援するよと伝える結葉。
まるで年の離れた従姉妹のような二人の空気を、
クレインブリッジ夫妻は不思議そうに眺めている。
そして、そんな人間さんたちを
フフフと陽だまりのように笑って見ている
ゆるさんなのであった。
「さて、そろそろわたしは失礼します。
仲間が宿屋で待ってますので」
言い終えると、結葉は正座を解いてゆるりと立ち上がる。
「あ、すみません。なにもお構いしなくって」
慌ててエルの母親が続き、次々とクレインブリッジ一家が立ち上がる。
「いえ。こうしてお話させていただくだけで充分ですから」
玄関へ向かいながら答え、ちらっと後ろを振り返る。
しっかりと目の高さに浮遊しついて来るゆるさんが確認できて、
小さく結葉は頷いた。
「それに、あまり長居すると帰りづらくなっちゃいますしね」
そう微笑で続ける。
「あら。仕切り六つの冒険者さんに、そう思ってもらえるなんて光栄ね」
エルの母親が微笑を返すと、そうだなと父親が続く。
「いてくれてもいいのに」
呟いたエルにありがとうと笑んで、
帰らなければならない理由を結葉は説明する。
「わたしは冒険者です。依頼を完了せずにパーティを抜けることは、
冒険者として礼儀に反します。それと……」
少し歩調を緩め、躊躇したような間を置いてから、
「それに。彼等をほっておくわけにはいきませんからね」
そう無難な言い回しで しかしエルにはわかるであろう表現で、
最も重要な理由を伝えた。
「あ……ああ、うん。わかった」
苦笑いで答えたエル。無事伝わったことに、結葉は静かに安堵の息を吐く。
クレインブリッジ夫婦が顔を見合わせていたことは、
二人が背後のエルと結葉に気付く由はない。
「それでは。改めてになりますけど、本日はありがとうございました」
玄関ドアから出てクレインブリッジ母娘に向き直ると、
そう言って結葉は丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、お役に立てたようでよかったです」
母親に言われて笑みを返すと、
「それじゃ。またいつか」
そう言って、山本結葉は背を向けた。
「今度会う時、ぺったんこから卒業してるよ、きっと」
そう声をかける金髪に水色の瞳の少女に振り返ると、
「楽しみにしてます」
そうにこやかに微笑んだ。
「またね」
手を振り始めた少女に一つ頷いて。
「それじゃ、また」
手を振り返す結葉は、背を向ける。
静かに、でも意志強く。
「……行きましょう、ゆるさん」
密かに、薄く瞳に溜まり始めた涙を押し込むように唇をかんでから、
そう背後の竜に声を駆けた。
「はい。宿屋さんまでおともします」
そう言うとブルカーニュは着地した。
しかし、今度は後ろではなく、結葉の左に。
そしてまた、クレインブリッジ家に入るまでのように歩いて行くのだ。
「なんか、ゆるさんがペットみたいですね」
「ペット?」
言葉の意味を理解できていない様子のゆるさんにクスリとすると、
「ゆるさん。夜のお散歩ですよ」
そう言って冒険者の少女は、足取り軽く歩き始めた。




