第十二話。人の魔力と名前の話。
「ねえ、それ ほんとのはなsきゃっ!?」
慌てて走って来たエルは、上から見ていたにもかかわらず
ゆるさんが抉った落とし穴に派手にひっかかってしまった。
ゴンと言う音がしたところから、その場の全員が気の毒そうに眉根を寄せる。
「ほんとの話なの、それって!」
ぴょんっとカエルのような勢いで跳躍しながら、
三度同じことを叫ぶように問いかけたエル・クレインブリッジ。
着地と同時に「っ」と息を吐き出し、身体を縮めて
ズズっとブレーキをかけた。着地点はちょうど、
女冒険者の足の先だ。
そのままの姿勢で左手を額にあてがって、
「っつぅ……」
と目をキュっときつく閉じて静かに言うエル。
前髪で隠れているが、今さっきのゴンで
額にたんこぶができたことは想像に難くなかった。
「お、おちついてくださいえっと エルさん。心臓止まるかと思いましたよ」
思わずブルカーニュをギュウっと抑えながらたしなめる女冒険者に、
「だって、だってっ!」と鼻息荒く答えたエル。
とても落ち着けそうにないのがわかって、
また女冒険者は苦笑いした。
「大丈夫ですよエルさん。希望はあります」
足を延ばしたまんまで話すのに行儀が悪いと抵抗感を感じつつも、
おちつけるように柔らかく言う女冒険者。
「ほんとに?」
尋ねるエルの表情は半信半疑だ。声色も「ほん」が怪しんだように低く
「とに?」が喜ばしく疑うように急に高くなる、と言う奇妙な物で。
しかしこれは、彼女の希望と疑いがないまぜになった心境を、
これ以上なく表していた。
エルのこの、心が直接出たような声を聞いた、
この場にいる、まともに頭が働く生き物たちは、
みんな揃って「器用な娘だなぁ」と思った。
「え、ええ。聞いたことありませんか? 覚性期」
エルの音に出された、心の声への動揺を納め切れないまま、
そう女冒険者は言葉を返した。
「かくせいき……うー、聞いたことあるような、ないような……?」
「と言うことは、エルさんはまだ教わる時期じゃないってことですか」
「教えてっ」
ガバっと立ち上がる勢いをそのままに、女冒険者の肩に掴みかかるエル。
足を肩幅より少し開いているため、スカートが持ちあがって
膝が見えてしまっている。
「希望を教えてっ!」
女冒険者の肩をゆすって、恫喝するかのように声を張っている。
その激しい動きで、女冒険者の二つの果実が上下に激しく弾んでいる。
「わ、わかりました。わかりましたから肩を揺らさないでくださいってば!」
エルの腕を掴んで暴走を止める女冒険者。
「……すみません、鳥乱しました」
真っ赤になってうつむき加減で、小さくはにかみ笑うエルは、
とぼとぼと後ろ歩きで女冒険者の足先 元の位置に戻る。
そんな少女に、
「まだ……収まってないのね」
苦笑いしてそう言うと、女冒険者は一つ咳払いして気を取り直し、
解説を始めた。
「覚性期って言うのは、男女共に性別の違いが
はっきりと肉体に現れ始める時期の事です。
その時、男女どちらも見た目にわかりやすく
性的な成熟を始めます。
男子は体付きがガッシリとして来て、女子は体に丸みを帯びて来て、
そして、胸やお尻がふくらんで来るんですね」
「つまり、その時までみんないっしょにぺったんこってことねっ」
今さっきの恥ずかし笑いはどこへ行ったのか。
開いた左手に右の拳をバシっと叩きつけて笑顔でそう言う。
「え、ええ、まあ。個人差はありますが、概ねそういうことです」
エルの勢いに驚いてしまい、女冒険者は少ししどろもどろに
そう肯定を返した。
「よかったぁ~! わたし、魔力一切使えない
ぺったんこに決まっちゃってるんだと思ってたよ~」
肩の力がズルリと抜けて、安堵を体全体で表現したエルに、
女冒険者は微笑する。
「更に言いますと。今から魔法 魔力を学び、操る訓練を積むことで、
覚性時のふくらみが大きくなりやすくなります。
そして、覚性期を過ぎてもたゆまず魔法 魔力を操る訓練を積めば、
仕切りなしの人でも、強大な魔力とそれに応じた
体付きになれる可能性が上がります」
「お、おお! そっか、そうなんだっ。わかったよ、
ありがとうお姉さんっ!」
その場でぴょんぴょん跳ねながら、そう元気いっぱいに答えたエル。
そんな少女に笑顔で、女冒険者はどういたしましてと答えた。
「あんまり跳ねてると落ちますよ」
かわいらしさに目を細めて言う女冒険者。
「ぎゃっ!?」
言ったそばから孔に再び落ちるエル。胸から上だけ見えている。
「だから言ったのに」
そう苦笑いする女冒険者に、アハハと苦笑いを返すエルである。
「あの、人間三」
少し間を空けてから一つ頷き、女冒険者は言った。
「やっぱり、人間さんって呼ばれ方はあまり好きじゃないですね。
一期一会でしょうけど名乗っておきますか」
そう言うとゆるさん ブルカーニュに両手を添えて、
降りてもらえますかと柔らかく言った。
「わかりました」
答えるなり、ぴょんと女冒険者の足先までジャンプする。
「では、改めまして」
そう言って、さっきエルがしたように
ブルカーニュに膝を向けるように、足を折った。
そして太腿の上に両手をそっと置いてから、女冒険者は名乗った。
「結葉。
山本・結歌=咬=風真=英瑠奈=良人=徹・結葉
と申します」
名乗って両手を膝の前に持って来ると、
三本だけ指を地につけながら、体を折りたたむようにして頭を下げた。
「え? あの、人間さん?」
混乱した様子のブルカーニュに、
「長いので結葉でいいですよ」
そう言って、女冒険者 結葉は頭を上げ手を太腿に戻した。
「すごい。ユイハさんの家って、魔力が強い家なんだね」
「そうね。わたしで七人目だものね」
エルの感激の色を帯びた声に、結葉は頷いて柔らかに答えた。
「えっと、あの。それでユイハさん」
「なんですか、ゆるさん?」
「仕切りなし、って言うのは。いったいなんなんですか?」
問の意味がわからないらしく、軽く左手を頬に添えて
「ん?」と数回まばたきする結葉。
「ああ、そっか」
言葉と同時に両手を胸の前で打ち合わせる、
質問の意図を捉えたようである。
「問題なく意思疎通できるから考え付かなかった。
人間独自の習慣なのね、名前のこと」
そう納得して、手を太腿の上にゆっくりと置いてから、
結葉は答えた。
「ゆるさんは、エルさんの名前 全部知ってるかしら?」
「はい。たしか、エル・クレインブリッジ、
だったと思います」
「なるほど、だからエルさんあんなに焦ってたのね」
「どういうことですか?」
「仕切りなしって言うのはですね」
そう言いながら、さきほど吹き飛ばされて倒れていた場所まで戻る結葉。
ゆるさんもエルも、どうしたんだろうと首をかしげている。
自分が使っている杖を持って戻って来た結葉は、
ゆるさんの隣に立つと、人一人分ほど先のところに杖を向けると、
徐に杖を使って、地面になにか書き始めた。
「わたしの名前を書く時、こうやって、名前を仕切って書くんですけど」
名前を書きながら解説し、言葉を終えて少し後で
名前を全て書き終わる。
「でも、きっとエルさんは」
言うと今度は、自分側に杖を引き寄せて、エルの名前を杖で書く。
「なるほど。棒みたいなのがありませんね」
「これが仕切りなしって呼ばれる人達の名前。
この名前は、つまり魔力をあんまりうまく扱えない人
って言う意味になるんです」
「やっぱり……よく、わかりません。どうしてそんな呼び分けを
しないといけないんですか? 名前が違えばそれで充分じゃないですか」
疑問が拭えない様子のゆるさんに、そうねと軽い溜息交じりに相槌して、
結葉は再びゆるさんと向き合う位置に戻る。
「これは歴史書の受け売りなんですけど」
そう言いながら、さきほどの膝を向けた形に座り直して話を続ける。
「遥か昔、名前を仕切りなしだけで示してたころ。
強い魔力を持った人間たちが、その力を使いたいってだけで
大勢で集まって、世界に戦いを挑んだって話がありまして」
「それ、こないだ習ったなぁ。たしか、
きょうませんそう、とか言うんだよね」
「わたしも、長からそういう人間が遥か昔にいたって言う話は聞いてます。
だから人間のことを、種族そのものが嫌い
って言うモンスターは多いですね」
「モンスター世界にも偏見持ってるのって、いるんだ」
感心したように目を少し開く結葉は、「で」と仕切り直す。
「そんな狂魔戦争なんて言う自分勝手な悲劇があったから、
魔力の強い者は不穏分子って考えられた時期が長く続いたらしくて。
第二 第三の狂魔戦争を防ぐために、不穏分子を見つけやすくする、
って言うのが始まりだったそうです」
「「へぇ」」
「今では意味がかわって、名前の長さは
優秀な血統かそうでないかを決めつける
目印になっちゃってますけど」
その言葉と共に吐き出された不快そうな息遣いに、
「そうなんだ」「そうなんですか」
エルは感心して、ブルカーニュは悲しげに再び相槌を打った。
「でも、名前書くだけだと魔力がすごいのかすごくないのか、
本当にはわかんないよね?」
「そうね。だからこそ、魔力の強弱を判定するための物が開発されて、
いろんなところで使われてるんですよ」
エルの疑問に答えたのに、「そうなんだ」とエルは
面白そうに目を丸くした。
「人間の世界って、本当にすごいですよね。
自分でそうやって、いろんな物を作るんですから」
憧れるような息を伴ってそういうゆるさんに、
結葉は優しげに微笑した。