友情三角関係
二人の少女が肩を並べて廊下を駆け抜けていた。二人の共通して抱えているものは、段ボール。彼女らの行き先は、三階の教室。
右側をかける黒髪ロングの少女の名を、城之内楓。左の茶髪ショートボブの少女の名を、如月陽菜。彼女らの抱えている段ボールは、生徒会で使う道具だ。
「今日こそ私が勝ちますからね」
「いいや、わたしだよっ! 一番活躍して、信頼を勝ち取るんだから!」
二人も生徒会に属しており、それぞれ楓が生徒会総務長、陽菜が生徒会庶務長を担当している。この二つは、他の係をバックアップする上で大切な仕事だ。
この職務が存在する学校もあれば存在しない学校もあるが、此処爽鳥高等学校ではこの二つの職務がある事で、生徒会が大いに助かっている。
その二つの職務の職務長を担当する二人だが、同じく好きな人も同じである。
生徒会副会長であり、生徒会長を最もサポートする少年、佐川春樹。影役者のように言われてはいるが、実は生徒会を最も支える柱だ。
生徒数の多い爽鳥高等学校の全生徒をまとめるために奔走する生徒会長、景浦祐樹の代わりに生徒会を維持しているのが彼だ。
そんな彼をサポートすることが多い二人は、半ば自然的に春樹を好きになった。
「春樹、持ってきたよ。文化祭で使うから、ちょっと多めに」
「おお、楓までありがとう」
「いえいえ、これが私の仕事です。私は総務ですから」
楓と陽菜の手から段ボールを奪った春樹は、机にそれを置くとにかっと笑って見せた。その笑顔に、二人の心が締め付けられる。
噂によれば、彼に好きな人がいる。そしてその噂のどれかには必ず、二人の名前があった。でも、彼女らにはその噂を信じることができなかった。
だってこの笑顔は、いつだってどんな人にも向けられていたのだから……。
「そうそう、メイド喫茶をやるっていう投票が多かったみたいなんだ。その辺の準備は陽菜に任せられるかな」
「了解! わたしに任せて!」
「頼りがいがあって良いね。じゃあ委員会を集めたりそれぞれの活動をさせる所は楓に任せっきりでもいいかな?」
「大丈夫です。必ずや任されたことを成し遂げて見せます」
うんうん、と嬉しそうに春樹は頷いた。と、ここで生徒会長である祐樹が書記担当、相川茉奈を後ろに連れて部屋に入って来た。
生徒会の教室である此処に人が集まるのは不思議ではないが、二人の顔はやや険しかった。
「実はだな、予算が足りないらしいんだ。楓は各部活での使用費用を抑えろ。陽菜は最近の使用費用の書類をまとめてくれ。茉奈と雪は色々忙しいんだ。実際に費用を扱うのはこっちだからな。あくまでもお前らがするのは初期の仕事だ。春樹は会議に参加しろ」
「了解だ。忙しいかもしれないけど、僕が言ったこともよろしくね?」
「「了解!」」
祐樹はぶっきらぼうに言葉を吐き捨てると、春樹を連れてばたばたと教室を飛び出してしまった。残された二人は顔を見合わせる。
どうやら、最近学校側が調子に乗って費用を大量に使っているらしい。だから最近イベントが多かったのか、と二人は納得。
そしてそれもつかの間のこと。生徒会長と生徒副会長の両方から早続きに任された仕事を終わらせなければならない。
「庶務が一番雑用が多かったと思うけど、総務はわたしより上だったんだ」
「そうですよ。委員会や部活を全部まとめるだけならまだしも、今は段々と他の仕事も任されてきていますからね。あちこち回って慌ただしいですよ」
「そうそう、バスケ部のユニフォームを作ってくれる会社を探してたのも確か楓だったよね。何軒も拒否されて焦ったっけ」
「いい思い出ですよ悪い意味で。結局探し当てたのは試合の二週間前で、出来上がったユニフォームは急いでいたせいで質が悪かったですし」
陽菜が書記と会計――茉奈と雪の机から最近の使用費用の書類を取り出し、楓は抑えられるだけの費用を計算しながら話をする。
実は二人共は生徒会の者としては天才的で、一時期は書記と会計になればいいのではという意見もあったが、彼女ら自身の願望でひときわ目立たない職務に着いたのだ。
彼女らは一律して、目立たないのに学校を支えている職務を好んでいた。
だからこそ、生徒会長を影ながら支える春樹に恋をした、とも言えるだろう。
それからは黙々と作業を続け、結果をまとめ、段々と日は落ちた。学生たちはすでに帰るべき時期であるが、二人は未だに黙って机に向かっている。
その集中力もすべて含め、三年である二人の卒業はとても惜しまれていた。
それから更に一時間が過ぎた。さすがに陽菜が目をこすり始め、楓の持つ筆の速度が落ち始めた。二人が一斉に時計を見ると、その針は五時を指していた。
「嘘ぉ……七時っていう最高記録を越えそうだね」
「七時は凄い先生に怒られたじゃないですか、今度こそ超えたらヤバイですよ……」
「いやでもさ、春樹からの仕事が終わってないじゃん。祐樹からの仕事はもう終わったにしても、一番終わらせたいのは春樹からの仕事なのに」
「そんなこと言っても意味ないですよ。生徒会長からの仕事が終わったにしてもって言ってますけど、本当に終わったんですか?」
楓がじとー、とした視線を向けると、陽菜はゆっくりと目線を明後日の方向に向けた。そこで、生徒会教室の扉が久しぶりに、もう一度開いた。
そこには茉奈、雪、春樹、祐樹が立っており、相変わらず険しい顔で話しながらいつもの生徒会の位置につく。
祐樹が生徒会長の位置につくと、部屋の中が途端に静かになった。
それが彼が天才だと言われる証拠。圧倒的カリスマ力。校長曰く、王の風格を持っているとはこのことである。
「総務、庶務は今日まとめた資料を副会長に渡せ。副会長はそれをもとに実際に行動に移してくれ。会計、書記はそれをもとに計画を構成しろ。広報は今回については雑用だ。人手が足りないところに回れ。指示は終わった。二度目はない。六時になるまでに必ず帰れよ」
祐樹は早口で言いたいことを全て言い終わったあと、茉奈と雪、そして広報であるパッとしない男の娘代表河口流歌を連れて去っていった。
残されたのは楓、陽菜、そして春樹だけだった。楓と陽菜の心臓は鼓動をしすぎて今にも爆裂しそうな勢いで跳ね上がっていた。
「祐樹が頼んだことはもう終わりそう?」
「はっ、はい!」
「も、勿論。はい、これはわたしがまとめたデータ。字が汚いかもしれないけどごめんね、これでも頑張ったから笑うのは勘弁して?」
「笑わないよ。こんな時間になるまで頑張ってくれたんだから、ね?」
楓とは違って流暢に話す陽菜。その理由は春樹と陽菜が幼馴染であるからなのだが、それは陽菜の内心と釣り合ってはいなかった。
春樹に書類を渡した陽菜は、新たにメイド喫茶の計画を立て始める。具体的に言うと部品、流れ、そして費用の計算も含まれる。
と、ここで陽菜は悩み始める。メイドというのだから、メイド服というものが必要だろう。費用が切迫している今、それを用意できるかどうか。
そこで春樹が立ち上がり、楓と陽菜の後ろに回る。楓と陽菜は二人で顔を見合わせて、真っ赤になった頬を見合ってふいっと顔を逸らした。
春樹はそれに気づかずに二人の書類を合わせてみて、机に軽く置いた。
「うん。メイド服を作りたいのならね、個人で集めたらいいと思うよ。広報の流歌の力も借りたら十分だよ。それと、この辺りの設計は―――」
陽菜の顔を見ながら、的確な指示を飛ばしていく。顔が十センチ離れているかどうかの、最強と言っていいくらいの至近距離だ。
陽菜はペンを持つ手が震えるのを感じた。春樹の言葉を話す度の息が耳に掛かってくるのはいかほどのものか。
今すぐにでも逃げ出したかった。陽菜の目の前に紙は置かれたまま。その状態で斜めに立つ春樹がその紙に何かを書こうとすれば―――。
もっと至近距離になるのは明らかだった。春樹は鮮やかな手つきでそこに数式を並べ、あっという間に答えを出してしまった。
それを見て、陽菜は無性に心がざわつくのを感じた。
比較的偏差値が高い爽鳥高等学校で、二人はいつだってトップテンの成績を叩きだしてきた天才の二人組である。
それを遥かに超えてトップファイヴに位置する存在である春樹の頭の良さは、生徒会の中で比べても頭一つずば抜けている。
その実力は、圧倒的カリスマの祐樹に届くかどうかすれすれのところらしい。
凄い。憧れる。好きだ。
そしてだからこそ、告白ができない。告白できないのは、振られるのが怖いからではない。今の自分が彼に釣り合うかが分からないのだ。
釣り合わないまま告白して、例えOKされたとしても後が困るだけだ。周りにあおられて幸福なカップルになれないのなら、いつか別れてしまう。
だから、心が苦しい。彼の気持ちが誰に向いているのか。一体、誰なんだ。
そうして悩んでいた陽菜を追い越すかのように、楓が一歩踏み込んだ。
「春樹さん、実は吹奏楽部なのですが、常に費用を抑えているようで今でも不足していて、これ以上費用を抑え込むと部活を維持できなくなるレベルです」
「そうか……うちの学校には十二個部活があるからね、それに昔から節約してるのなら責められないと思うよ。代わりに……ほら、バスケ部の方はたくさん費用を使いすぎて居るみたいだから、吹奏楽部の分はそこからとればいいよ」
「わかりました。ではこれでまとめます。……ところで職務中に聞くのは失礼かもしれませんが、春樹さん、好きな人はいるのですか?」
追い越された―――陽菜がそう思った時にはもう遅かった。たとえ顔が真っ青になったとしても、その感情にもう意味はなかった。
臆病になって聞けなかったのは陽菜だ。告白に悩んで顔を俯かせてしまったのは陽菜自身だ。
親友で、才能が同じで、趣味も一緒で、好きな人まで被って、そんな好敵手であり最高の仲間である楓。
しかし時には才能がせめぎ合うせいで、こうして少し超えられただけでも凄まじい悲しみが襲う。それが生涯に何度あるか分からない好きな人関係なら、さもありなん。
親友は、こう言うときだけ敵になる。
お願いだ、こんな時に楓とは答えないで。やや戸惑っている春樹の表情を見上げた陽菜は、そう祈るしかなかった。
「うーんっとね、実は好きな人はいるんだよ。ヒントを言うと、生徒会の中にね……いやいや、余計なこと言ったよ。今のは忘れて」
陽菜も、そして話題を出した楓も、頭が真っ白になった。自分達なら確かに嬉しいが、違う者だったら泣きたい気分になる。
今までの楓の七年間、そして陽菜の十二年間。それが春樹への愛情をつぎ込んだ時間だ。その時間が全て無為だったと突き付けられてしまうのだ。
それだけは、嫌だ。
それを恐れた二人は曖昧に笑い、それからは恋愛を話題に出すこともなく自分たちの仕事を黙々と進めていった。
〇
この日、楓と陽菜は楓の家に集合していた。青で揃えた家具の中でも、一際高級そうなソファーに陽菜は腰かけた。
その顔は何かを耐えるように俯いている。見れば、楓も同じだ。
「……ねぇ楓、やっぱりさ、告白しちゃった方がいいかもね」
「私もそう思いました。でも春樹さんには好きな人がいるんです。私達じゃなかったら……嫌われるかも、しれないじゃないですか……っ!」
好きな人に嫌われるのは嫌だ。蘇るのは、いつも生徒会で分からないところを教えてくれる、誰にでも振りまく優しい笑顔。
皆が押し上げるのは生徒会長の祐樹だけで、春樹はほとんど話題に出ないというのに。それでも嫌な顔ひとつせずに、生徒会に全力で協力している。
ひたむきで、優しくて、強くて、―――それでいて、損をしそうな性格で。
「でも、だめだよ。当たって砕けよう。わたし達もう卒業するんだ、これから偏差値が高い所を目指すんだから、告白してる暇はない」
「それは、そうなんですけど……」
ピロン。
ピロン。
ピロン。
三つの着信音が、陽菜の携帯から響いた。陽菜は急いで携帯を見ると、春樹からのメッセージが二つ送られていた。
三つめは陽菜の着信音と被ってしまったために気付かなかったようだが、それは楓の携帯から発したものだった。
メッセージを送ったのは『愛華』。ぶりっ子だと有名な女の子ではあるが、アドレスを交換した覚えはない。
「春樹からだ。……あ、愛華って子に告白されたぁあ!?」
「私はその愛華さんからです。えっと、『春樹君は私の物よ。私以上に彼を分かっている人なんていない。だから私から彼を奪わないでちょうだい。たった今より、佐川春樹は私のもの』だそうです」
愛華という子に告白されて返事に困っている、というのが一番目のメッセージ。二番目は、女子の中で一番陽菜を信頼しているから、どうすればいいのか教えてくれというメッセージ。
楓の元に届いたのは愛華からの明らかな敵意を含んだメッセージ。彼女は羨ましそうに陽菜の携帯を覗き込んだ。
「さすが幼馴染というところでしょうか。信頼相手と恋愛相手は違いますから、まだどちらが勝ったかとは言えませんよ」
「分かってる。もしかしたら恥ずかしくて楓に連絡できなかっただけかもね」
陽菜はそう言いながらも全くそう思っていないのが、その目から分かった。力強い視線だが、しかし楓は気おされたりせずに、ニヤリと口角を上げた。
それから二人は明るい声で笑い合い、同じほどのタイミングで携帯のメッセージに目を落とした。
それ以降メッセージが追加されることは無かったが、もし何かあるのならと思うと今にでも駆けつけに行きたくなる。
「もっと可愛くなろう。きちんと春樹の気持ちをわたしに向けてもらわないと、この愛華って子に奪われたら困るもの」
「えぇ、きっと彼女も私達と同じなのでしょう。ならば、同等に接しなければなりません。ですが私達と春樹さんとの接点を奪っていい理由にはならないのです」
楓は穏やかにそう話しながらも、燃える闘志を抑えつけられていない。何年間もの恋が、ライバルの一言で鎮められるわけがないのだ。
もしこれで鎮められるのだとしたら、陽菜と楓が共存することはあり得ないのだ。だから必然的に、陽菜も同じ思いでいる。
陽菜が携帯をくるくる回していると、突如ある考えに至る。
「綺麗になろう。誰よりも美女に、誰よりも可愛く、春樹は、絶対わたし達のどちらかが成功しなきゃいけないの!」
「独占欲半端ないですね、陽菜。ですが今回ばかりは私も同じ考えです。そうしましょう、私は絶対に負けたりしませんよ」
二人は笑い合う。二人が恋愛で費やした時間を、二人が恋愛のためにつぎ込んだ努力を、気持ちを、こんなほんの一瞬で無為にされるわけにはいかない―――。
〇
朝起きてからまず髪を整える。前髪が乱れていたので整える。保湿クリームは忘れない。少しスカートの丈を短くしてみる。
いつもはしないピンを付けてみた。少しだけメイクをする。
満足げに笑った陽菜は、テンションを上げて家を出ていくのだった。
〇
ノートは清潔に。髪の毛は何度も櫛で梳いて。体操服は綺麗にたたむ。少しだけ香水をつけてみる。
可愛いストラップをカバンに着けてみる。鏡の前で笑顔の練習。
さわやかな笑顔を維持できた楓は、そのまま家をスキップで出ていくのだった。
〇
一言言おう。
―――失敗した。
彼女らの気遣いが失敗したわけではない。彼女らが純粋過ぎたのだ。結果として、愛華と名乗る少女に狙われたのは楓だった。
練習した爽やかな笑顔と香水、快く宿題を忘れた者に綺麗にまとめられたノートを貸す姿勢、丁寧にたたまれた体操服―――、
つまり、男子からより人気になった楓に対して生徒会に入れなかった愛華が嫉妬した。
たったそれだけのこと。そして、されど、それだけのこと。
「わたしぃ、この子にカッターでぇ、切りつけられ……てっ……!」
「ぇっ、」
「本当ですか? 楓さん。もし本当でしたら、生徒会を止めてもらうほかありません。貴方は優秀でしたが……」
「ま、待ってください。この子の言うことを信じるんですか!?」
そう、結果として、カッターキャーを起こされた楓は教師から不信感を買うことになったのだ。愛華の表情は優越に歪んでいる。
その教師の態度に、段々とまわりの生徒も洗脳され始め、根も葉もないうわさが本人の前ですさまじい速さで増幅していく。
普段の楓なら言い返せた。でも今は無理だ。春樹に嫌われる。どうしよう。陽菜に負けたくない。それよりももっと愛華にはめられたなんて悔しい。
悔しいという感情があるのに、彼女は行動に移すことができない。
それは、女子特有の特徴とも言えようか。
「―――何で全員、その愛華って子を信じちゃってんの!?」
俯く楓の背中を押すようにして、清らかで強い声が届いた。陽菜だ。楓はばっと顔を上げて振り返り、続いて愛華の顔を見る。
彼女の顔は怒りに歪んでいて、数秒前の優越に浸るような表情とは比べるべくもない。
なんだかスカッとする。無根拠にそんな感情が浮かぶ楓を誰も責められないだろう。
「ていうか、カッターキャーなんてテンプレート、とっくの昔に使い古されたよ。つまり貴方達は、生徒会に入っている楓に嫉妬して、愛華に味方したんでしょ? 結局はそれだけじゃん。ちょっとは努力する気を見せてよ。正当に努力してよ。そんなバカみたいな理由で、罪のない楓に罪を着せないでよ!」
強い光が灯された陽菜の瞳は、楓だけを直視していた。負けるな。抗え。陽菜の瞳が率直に楓にそう告げていた。
ライバルとして、友人として、親友として。陽菜はこれ以上ない存在だった。こんな場所で、こんな場面で、自分を助けるために立ちあがってくれるなんて。
「みなさん、これを見てください。これは、昨日愛華さんが私に送ったメールです。これが何よりの、恋愛に嫉妬した彼女の犯行だと言える証拠です。私が提供できるのはこれだけですが、どうかこれを信じてくれると幸いです。……生徒会の、一員として」
楓は凛とした声で携帯をクラス全員の前に差し出した。騒然としていた三年一組の教室は、突如静かになってしまう。
そして誰からともなく、全員が愛華の方を向いた。教師も険しい顔で彼女を見ている。そう、誰もかれも、下剋上を察知したら立場を変えるのだ。
愛華は震えている。楓もこんな最終手段を取りたくはなかった。しかし、カッターキャーまでして春樹を奪いたいなんて、そんな気持ちで恋愛をしてほしくない。
ここで愛華が更なる犯行の言葉を探るために、違う、違う、と何度も声を上げる。零れる涙は恐らく同情を誘うためのもの。
彼女は模索しながら反論の言葉を並べるが、楓はどれもに凛として返事をする。委縮する愛華、凛とする楓、見ればどちらが有利かは一目瞭然。
「私が言いたいことはひとつです。……自分を傷つけてまでする恋愛は、綺麗ではありません。正面から、向かってきてくださいな」
「うんうん。わたしもそう思うよ。開示してあげる。わたしは、わたし達は生徒会副会長佐川春樹が、好きだ! 向かってくる者は向かってきてよ。絶対に負けないから!」
楓が柔らかく笑い、陽菜が声高らかに宣言する。愛華は彼女らの光に、一歩後ずさる。やめろ、やめてくれ。彼女の視線がそう訴えている。
やがて最後の抵抗をしたかったのか、愛華はカッターナイフを構えて「うあああ!」と叫びながら向かって来た。
教師は一瞬固まってから、止めに行こうか行かないか迷っている。所詮教師も人間。責任を負いたくないのは誰も一緒だ。
だからクラスメイトは誰も動かないし、楓も陽菜もナイフが刺さる事を覚悟している。それは、愛華への宣戦布告だ。
「―――そんな事をしている君のことを、誰が好きになると思うの?」
楓と陽菜の肩の横を通り過ぎ、愛華の腕を掴んだ少年。それは、今陽菜が好きだと宣言したばかりの生徒会副会長―――佐川春樹だった。
彼は普段見ないほどの冷たい目をしていた。所詮少女だ、愛華は春樹の腕を振り解こうとするが、逆らえずにじたばたする。
春樹の後ろにて怒りで肩を震わせている生徒会長祐樹に気付いた愛華は、ようやく諦めるようにぺたんと地面に座り込んで号泣を始めた。
しかし祐樹は容赦なく彼女に歩み寄り、絶対零度の瞳で愛華を見下ろした。
「そんなことをして許されると思っているのか。悪かったら少年院だ。我が校をこれ以上汚してくれるな。貴様の尻を拭くのが誰だと思ってる。はっきり言って貴様は我が校に必要ない。我が校はエリート校だ。ああ、調べたが貴様、繰り上げで入ったんだってな。そんな奴でしかも事件を起こしやがった奴は尚更、排除するべきだ」
「ちょっと祐樹、言いすぎだよ。僕もイライラしてるから気持ちは分からなくもないけど、言いすぎるといじめになっちゃうからさ」
「……っち。行くぞ、あとは先生、任せました。あと春樹は残っておけ。何か言いたそうな顔をしているからな……」
「ありがとう。全く祐樹も素直じゃないね。本当は優しいのに」
ニヤリ、と口角を上げた祐樹をからかう春樹。彼らは本当に仲がいいのだろう。しかし祐樹に見下された愛華は一人冷たい地面に座って、震える。
先程のカッターも怖さで深く刺さらず、腕は軽傷で止まっている。血はあれ以上流れない。誰の声も、もう聞こえない。
教師がやはり冷たい目で乱暴に愛華を持ち上げ、ずるずると引きずって去っていく。引きずるというよりは、彼女に歩く気力がないだけなのだが。
「二人ともありがとう。……僕、実は、陽菜のことが好きだったんだ。小さいころから幼馴染だからさ、楓の言う通りテンプレートだけど……好きになっちゃったら仕方ないよね、こんな僕からの告白だし、こんな場所になっちゃったけど、喜んでくれる?」
「わ、わたし……本当にわたしなの!? ありがとう! 嬉しく無いわけ、ないよ……わたしだってずっと、ずーっと春樹のことが、好きだったんだもん!」
柔和な顔で、しかしその顔に少し恥じらいが含まれて。陽菜はきゅう、と心が押し付けられる感覚を覚えた。返事を言えば言うほど、涙が溢れて頬を伝う。
意を決して叫び、春樹の胸の中に飛び込む。小学生を終えて以来、もうしたことのないスキンシップだ。しかし今は、それに込められた意味が違う。
そんな二人をクラスメイトが温かく見守る。
ぱちぱち。
軽い拍手が、何度か鳴る。ぱちぱち、ぱちぱちとクラスメイト達もつられて拍手。その拍手の波を起こしたのは―――、
「おめでとうございます、陽菜。悔しい思いはありますが、春樹さんがそうお心に決めたのでしたら仕方はありません。私もいつまでも執着しているわけにはいかないのです」
「……楓」
寂しそうな顔で。今にも涙が溢れそうな瞳で。それでいて強い声で。陽菜が彼女にかけるべき言葉は、ひとつだけだと思った。
慰めでも、哀れみでもない。ずっと前から強かった彼女に、そんな上っ面だけの言葉はいらないのだ。
「―――勝ってやったぜ!」
「はい。勝たれてしまいました」
この日、誰かの心の中の桜が散った。
この日、誰かの心の中で散った桜と満開した桜が二つ、隣に並んだ。
この日、三人の温かい心で、誰かが救われた―――。
〇
それから十年後。佐川春樹と佐川陽菜の結婚式が行われた。陽菜の苗字も、今では佐川にチェンジされている。
二人のバージンロードを、ひと際大きな拍手で、うれし涙を流しながらおめでとうと叫んだ少女が一人。そんな少女を遠目に、頬を軽く染めながら見ている少年が一人。
スピーチ、結婚の儀式、花束を投げる―――その花束をキャッチしたのは、同じく結婚式場にいた楓と、あの時カッターキャーの事件を起こした愛華だった。
彼女は可愛くなっていた。話を聞くと、あれから生徒会の一人であるパッとしない男の娘代表河口流歌と付き合っているのだそう。
楓はそれを聞いて、口角を上げた。彼女は答える。あの時春樹が好きだった時以上の笑みを浮かべて。
「私、生徒会長の祐樹君と付き合っているんですよ。いいでしょっ?」
「えぇー、なにそれー羨ましすぎだわ。もしかしたら今日プロポーズされちゃうかもしれないわよ? 準備準備、心の準備だってば!」
「そんなわけありませんよ。えっ、でもそんなわけあったら嬉しいですけど……」
「いい? 男はこういうムードを大切にするのよ。心の準備をしておいて悪いことは無いわ。ワタシ、ちゃんと忠告しておいたから」
そう言って愛華は流歌の元へ走り去っていった。まさか、と思いながら楓は机に座り、あとからやって来た陽菜からぶどうワインをもらったので、それをくいっと喉に流し込む。
「付き合ってるんでしょ、祐樹と。ならさ、今日あたりにプロポーズされちゃうんじゃない? 心の準備しといた方が良いよ~」
「それ、愛華さんにも同じことを言われたんですけど……」
楓ははぁ、とため息をつくととりあえず祐樹の元へ行くのだった。祐樹は楓の姿を見つけると、あたふたと表情を白黒させたあと、ふう、とため息をつく。
結婚式場は海の近くだ。楓の腕を強制的に引いて、祐樹は海まで一直線に走る。最初は楓も戸惑ったが、目まぐるしく変わる景色を楽しむようになる。
海に着くと、水を祐樹にかけたりして、彼女のテンションは最高潮だ。
「楓ッ!」
そんなところで、祐樹が大声を上げて楓の名前を呼んだ。楽しむ彼女が振り返ると、そこには地面に片膝をついて、小さな箱を片手で開けている彼の姿が―――、
「オレと、結婚してくれ!」
「えっ!?」
その箱の中には、確かに煌めく指輪があった。楓は思わず息をのみ、知らず知らずのうちにぼろぼろと涙が溢れてくるのを感じた。
慌てて口を押えて、照れ隠しに祐樹に抱き着く。もっとも、その行動は照れ隠しどころか逆に照れる行動になり、結果的に自爆だったのだが。
「勿論です、私も祐樹君のことが、大好きですから!」
そんな二人を見守るカップルがいる。愛華と、流歌だ。二人は笑みを浮かべてそれを見守り、流歌はやがてポケットの中から箱を出す。
「じゃあ、ボクも言おうかな。ボクと、結婚してください」
「ぅぇ、ワタシも? あ、ありがとぅ、ワタシ、返事の仕方がよくわからないの、でも大好きだから、そうね、結婚するわ!」
不器用に返事をする愛華に、流歌はくすくすと笑った。夕日が海を照らし、太陽が沈むその中で、三つのカップルが笑い合った―――。
memory...誰もが幸せになる事―――