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呪われた五番レジの正体

 谷原は濡れた毛布のような絶望にくるまれるのを感じた。

 どこからともなく、けらけらと男の笑い声が聞こえた。

 四番レーンの最後尾に並んだあの男性客(、、、、、)が大口をあけて身体をゆらしているのが見えた。


 道上につきまとってばかりいる、作業着姿の汚らわしい男だ。

 眼が合うなり、肩をゆすって笑いながら、


「ねえちゃん、あいかわらずシケた顔してるねえ。中島みゆきの『わかれうた』の歌詞じゃあるまいし、見苦しいったらないね。あんたのレジだけ、なんで避けられてるか知ってっか?」


 魔女のとんがり帽子をかぶり紫色の衣装姿の谷原は、眼を見開いた。

 男につかみかかった。


「どういう意味ですか……。なんで私ばかり、嫌われなきゃいけないんですか? 拙くとも、接客はちゃんとしてるつもりです! 私は――そんなに仕事ができない人間でしょうか?」


「仕事ができる、できないって問題じゃないさ。あんたは悪くない。そのレジを任されたのが運の尽きだ。わかる人には(、、、、、、)わかるんだよ(、、、、、、)見える人には見える(、、、、、、、、、)――それはな」襟首をつかまれながらも男は下卑た笑い声を放ち、五番レジを指さした。声をひそめ、なだめすかすような口調で、「ホラ、あんたのレジの真横。そこのぶっとい柱(、、、、、)だよ。あそこがミソだ。見えねえのかよ? まさかあんたにゃ、見えないって言わせねえからな!」


 谷原はゆっくりふり向いた。

 柱だ。

 あの太い柱がせり出し、五番レジが見えづらい位置にしてしまっている。

 そうだ。この柱こそ元凶だったのだ。


 白く塗装されたコンクリート製の柱だった。

 谷原は、いま気づいた。

 柱の表面には水分がみ出し、なんらかの模様を形づくっていた。おまけにガラス張りの窓から、ダンボール工場の煙突の影がのび、店内の柱にまでさしかかり、ハロウィン・イベント用のかぼちゃ型イルミネーションライトがストロボのように瞬くせいもあって、いびつな模様はかすかに動いているかのようだ。今日のための特別な演出ではない。


「あれは――なに?」


 と、谷原はつぶやいた。

 周囲の買い物客たちのざわめきがやんだ。誰もが口を閉ざし、谷原が釘づけになっている方向を見つめている。


「いちばん隅のレジに並びたがらない気持ちがようやくわかった。なぜかいままで避けてきた理由が、いまわかった」と、四番レジに並んだ老人が声をしぼり出した。「あれがなんとなく嫌だったからだ。だが、いまはハッキリと見える」


 隣の青年もうなずいて同調した。


「そうだよ。なんとなく、生理的にダメだったのが明らかになった。――あれが呪われた五番レジの正体だったんだ」


 平手打ちを与えたマタニティドレスを着た女が、突き出たおなかに手をふれ、


「五番レジへは行けないのは、それ(、、)よ。そこへ並び、もしもこの子の身に、なにかあったならと思うと……」と、眼を伏せて言った。眼をあわせるのも耐えがたいほどの禍々(まがまが)しさを訴えているのだろう。「あの模様に近づきたくないの。なんだかりつかれそうで。だからあなたのレジは呪われてるの。客のあいだでも知られてるのよ!」


「そんな……」


 谷原は打ちのめされて、よろめき、陳列棚によりかかった。ガムやキャンディーのパッケージが棚からこぼれた。ひざからくずおれた。


「どうした、谷原さん!」


 異変に気づいた盛田が飛んできた。しゃがみ、谷原を抱き起そうとした。

 谷原が柱を指さした。青ざめた唇は震えていた。

 盛田は眼で追った。

 太い柱の表面をスクリーンがわりとし、異様な紋様が映し出されている。

 ちょうど原爆を投下され、熱線で人の影が浮かびあがったかのように、はっきりと人間の姿が見てとれた。


 まちがいなく人間の影だった。例えるならば、気をつけ(、、、、)の直立不動の姿勢。明らかに男のシルエットだった。

 ただし、バレリーナが爪先立ちをしたように足首は伸びきっていた。とりわけ首の部分が特徴的だった。


 まさしく妖怪ろくろ首(、、、、)そのものではないか。異様なほどゴムみたいに伸びきり、胴体から分離しかけていた。

 じっさいに現場を目撃したことがないが、これぞ縊死体いしたいの影絵にほかなるまい。おおげさなほどカリカチュアされた姿に見えたが、谷原には直感でわかった――これこそ、五番レジが忌避される元凶だと。


 その影絵が、光と影のストロボのせいもあってアニメーションのようにブラブラと揺れて見えた。

 柱の周辺から異臭が漂ってきた。濃密な腐臭である。

 悲鳴がそこかしこから放たれた。

 レジカゴを捨て、三〇人近くの客がいっせいに逃げ出した。床に商品が散らばった。


「お客さま、落ちついてください! お子さんやお年を召された方がいます! 取り乱すと危険です!」


 と、盛田が叫んだ。

 道上がレーンから身をのり出し、


「みなさん、パニックにならないでください! 危ないですわよ! どうか落ちついて!」


 両手でメガホンを作って叫んだ。

 それでおさまるものではない。

 客は騒ぎながら右往左往し、出口めざして走っていく。狭い通路では小規模の将棋倒しがおきていた。


「ちょっと!」と、佐伯がとんがり帽子を脱ぎ捨て、指さした。「お代金、払ってない人がいるよ! ドサクサにまぎれて!」




 もはや谷原の眼には客の姿は映らなかった。ただ一点、染みの浮き出たコンクリートの柱を見すえ、立ちあがった。

 ふらふらと柱に近づいていく。


 野菜売り場の方へ客を誘導していた盛田が、谷原の異変に気づいた。とめようにもあまりに離れすぎていた。


「なにをしようってんだ、谷原さん! よせ、近づくんじゃない!」


 谷原にはその声は届かない。

 柱の前にたどり着くと、縊死体のシルエットを見あげ、


「あなたのせいで私は」と、言った。心ここにあらずの表情でさらにせまり、めずらしく語気を強めた。「あなたのせいで、私はどれだけ努力しても、お客さまが並んでくれなかった。私の接客態度はどこにも落ち度がなかったはずです。どうして邪魔ばかりしてきたんですか! どうしていつまで五番レジにこだわってるんですか!」


 柱のスクリーンに映写された影絵はなんの反応も示さない。あたり一面、えた臭いが広がっていく。とてもその場に佇んでいられるほどのものではない。

 客は潮が引くように店外へ出ていった。


 それと入れ替わるように、商品を搬入する両開きの扉が開いて、尾井川店長と栗田主任が入ってきた。駆け足でレジまでやってきた。


「どうした。なにがあった!」と、尾井川は髪を乱しながらやってきた。柱の前で気が触れたように立ち尽くす谷原を見るなり、「――まさか、君はまた、粗相したわけじゃあるまいな! お客さまがみんないなくなったわけを説明したまえ! 場合によっては減給だけじゃあ、済まされんぞ!」


 谷原たちと同じく魔女の恰好をし、とんがり帽子をかぶった栗田が斜め上を見あげ、指さした。


「店長、見てください!」と、眼をむき、ふるえる声で言った。「五番レジのジンクス――きっと、これが悪さをしてたんです!」


 茫然たるていの尾井川は谷原の横に並び、柱を見あげた。

 キリンのように長い首と、バレリーナのような爪先立ちの男のシルエット。

 店長はあんぐり口をあけ、しだいに身体をふるわせはじめた。薄い髪の毛をかきむしり、


「そうだ……思い出した。もしあのうわさ(、、、、、、)が本当ならば、合点がいく」


 と、頭を抱えて言った。


「あのうわさ?」谷原がふり向いた。「どういうことです、店長? 事情を教えてください!」


 尾井川は四番レジにもたれかかり、谷原に手をさし出した。肩で息をしながら、


「ここまで異常事態がおきたとなると、隠し立てできまい。……よかろう。話してやる。ただしこの件については、おれはタッチしていない。おれは部外者だ。それを前提に聞いてほしい」と、苦々しげに言った。顔をしかめて柱を見あげたあと、「二〇年まえのことだ。柴野しばの先輩――おれの前任者だ――がある日、急に業者を呼んで、五番レジの周辺をぐるりと養生ようじょうネットと、目隠し用の防音シートで覆ってしまった。そして開店しながら、業者を内部に入らせ、改装工事をやらせた。ひと月後、防音シートを取り除くと、現れたのがこの柱だったんだ。柱が作られたにはワケがあった――」


「不自然なこの柱は、あとから継ぎ足したものだったんですか」と、谷原は言った。すぐに尾井川をにらみつけた。「ですが、なんのために――」


 尾井川はうつむき、手で顔面を覆った。腫れぼったいまぶたを揉んだ。


「それもこれも、盛田 衛という男性従業員が自宅で首を吊って死んでいるのが発見されてからだ」


 谷原のかたわらで、当の盛田 衛が赤いハンチング帽を脱ぎ、神妙な顔つきになり、


「そりゃまた初耳だ。ぜひともご教示いただけたら幸いですな」


 と、言った。その言葉に尾井川は恐縮した様子で頭をさげ、盛田に向きなおった。


「いつもお世話になっております。このたびはたいへんな騒動になってしまったようです。これも不徳の致すところ。なんとお詫びしたらよいか――」


「そんなことはいいから、続けてください」

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