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5.五番レジのジンクス

◆◆◆◆◆


「おかしなもので、機械が苦手な人がおっかなびっくり操作すると、ふしぎと調子が悪くなることがあるんだ。それも、ふだんお目にかからないエラーが発生したり、マシントラブルにつながったりする。大のパソコン嫌いの人がキーボードに触れてしばらくすると、モニターから黒い煙が立ちのぼったってなあ、漫画みたいな事例まで聞いたことがあるさ。まんざらありえない話でもないと思うがね」


 夢の内容を話すと、盛田は慰めてくれた。


「やけにリアルだったんで、起きあがったときは全身、汗でグッショリでした」


「あんたは内心、機械に対して苦手意識が強すぎるから、そんな悪い夢を見たんだよ。しかしまあ、寝てても仕事してるなんて、苦労が絶えないね。……そこまで心配しなさんな。レジスターは噛みつきゃしない。もっと自信をもって仕事しな。だったら、こう念じてやればいいさ。『おまえなんざ、単なる箱のついた計算機じゃねえか。ちょっとばかし、でかい図体になっただけの。人間さまに盾突こうってんのなら、頭から水、ぶっかけてやるぞ。そしたら文字どおり、お払い箱だ』って強気に出りゃ、あんがい機械って、言うこと聞くもんだよ」


「ですよね。『もし、ここで故障してしまったらどうしょう』って、マイナス思考になったとき、えてしてこんなトラブルがおこりがちのような気がします。そう言っていただいて、なんだか肩の力が抜けました。盛田さんのおかげです」


「いんや、気にすんな。あんたの力になれてなによりだ」と、盛田は谷原の肩をやさしく叩いた。ふと野菜売り場の方に眼を向け、「……おっと、いけね。あっちに尾井川の旦那がいやがる。立ち話ばかりしてたら、あんたがとばっちり食っちゃいけない。そろそろ退散するよ。なんだったら、夕方ごろ手伝いにくるけど」


「月曜日だから、昨日ほどのお客さまは来ないと思うんで、なんとかしのげると思います。どうかお気遣いなく」


「あそう。だったら僕は今日、早出だったんで、そろそろあがらせてもらいますから」


 と、盛田は手をあげたあと、背を向けてヒョコヒョコ左脚(、、)を引きずりながら歩き出した。

 しばらく行ってからふり向き、


「……まずい。逆だった」


 と、舌を出したあと、あらためて右脚を引きずって去っていった。


 そういえば、彼は谷原とはウマが合ったが、他のレジ打ちのメンバーとはほとんど言葉を交わさなかった。サッカーとして手伝ってくれるのは五番レジのみだ。

 道上など、眼すら合わせようともしないのはせなかった。


◆◆◆◆◆


 時計は三時十五分を指した。

 谷原は休憩をとることにした。ひとり、搬入口に通じる通路を歩いていた。

 ロッカールームのまえに着くなり、ハタと足をとめた。


 小部屋のなかから、「谷原さんが……」と名指しした会話が聞こえてきたような気がしたからだ。

 足を忍ばせて扉に近づき、耳をそばだてた。


「あの子、たまに尾井川の奴に呼び出し食らうじゃない。相当まいってるせいだと思うんだけど」


 と、言ったのは道上の声だった。

 三時きっかりに休憩した組であり、本来なら一〇分で切りあげなければならないのに、話に夢中になっているのか気づいていないようだ。

 谷原は思い切って乱入して、休憩の交替です、とでも告げようかと思ったが、ドアノブに手をかけたところで、


「四番レジで仕事してると、ときどき聞こえちゃうのよ。あの子、例の人と話し込んでるの。暇なときにかぎって、くっちゃべってばかりいて、うっとうしいったらありゃしない。あの人(、、、)、やたらと肩入れしてるのよ。私のレジには近寄りもしないくせに」


「それはそうと、昨日も事務所でこってりしぼられたみたいね。栗田主任が言ってた。でも、あたしはこう邪推するのよ」


 と、小声で言ったのは佐伯だ。

 よく聞き取れないので、扉を少し開けた。

 すき間からのぞき見た。


 二人ともパイプ椅子に座って脚を組み、盛大にタバコを吹かしていた。アイシャドーは濃いうえ、派手な色のグロスを唇に塗りたくり、場末のホステスと見まがうばかりだ。


「どう思うわけ?」


「あんがい尾井川軍曹とデキてたりしてね。アイツってSだから、ああいう言いなりにできそうな子を性奴隷にしてたりして」


「ぷ!」と、道上が吹き出した。「定時をすぎたら、首輪つけて調教してるわけ?」


「軍曹も五〇まわるっていうのに、てんで女っ気がないのはおかしいって。アイツ、仕事はクソ真面目だけど、酒が入ったとたん、人格崩壊するので知られてるんだから」


「さすが佐伯さん。『いぬい』歴十七年の見立てはすごい」


「過去に何人か、パート従業員に手を出してるからね。なかには人の奥さんと不倫しちゃって、エライ目にあってるの。いちばん有名なのは、平成二十三年の『八・二六、台風十二号土下座事件』。大雨暴風警報が発令されたうえ、停電になって店がてんやわんやしてるときに、相手の旦那がゴルフクラブ手にして乗り込んできてね。完全におかんむりよ。あのときの軍曹のうろたえぶりったらなかったわ。お尻、こんなふうにプリッと突き出して平謝りしたんだから」


 道上が口もとを隠しながら笑い、


「まあ、店長があの子とデキていようがいまいが、どうだっていいんだけど。――むしろ、私としてはあの人(、、、)とくっちゃべりながら仕事してるのが気になってしかたがないの。パトロンにでもする気じゃないの?」


「おっさんは無害だって。もともと変わってる人だし。谷原さんがおかしいのはね、ズバリ、五番レジをまかされてるからよ。――そ。いわくつきの五番レジを担当してるから」


「きた――五番レジのジンクスの件?」


 道上が声を落として言った。

 谷原もその話は初耳だ。

 思わず身を乗り出した。五番レジのジンクス?


 佐伯が工場の煙突みたいにタバコの煙を吐いた。唇をまるめ、器用に煙で輪っかを放ち、


「そ。五番レジの呪いだと、あたしはにらんでる」


 と、言った。

 呪い――?


「またまた、私をおどかそうとして。まさか、呪いなんて」


「ところが『いぬい』の七不思議のひとつなのよ。五番レジとあのレーン全体は、寒くなる季節、ちょうどいまごろの時間になると、向かいの建物の日影がかかって、妙にどよーんと陰気臭くなるでしょ。あの子が『いぬい(ウチ)』に来るまえ、ちょっとのあいだ五番レジをやったことあるからわかるの。ただでさえ、太い柱が死角になってるせいで、客も並びたがらない。それにレジスターやスキャナーの不具合が五つのレジのうち、いちばん起こりやすいのは前にも話したとおりでしょ。せっかく新調しても、五年ともたず壊れちゃう。どう考えたっておかしいわよ」


「ふだんはなんの変哲もない直線道路なのに、やたらと事故が多発する道とか、テナントにどんな商売をやっても、ぜんぶ潰れちゃうってあるわね。あんな感じ?」


 茫然たる面持ちでそれを聞く谷原には思い当たるふしがあった。

 悪夢で見たように、スキャナーが急に読み込まなくなるのは序の口で、レジスターの表示画面にバグが発生したり、タッチパネルやテンキーが入力不能になるのはよくあることだった。ドロアーが開かなくなって難儀することもあった。繁盛期ほど起こりやすく、客足がとだえると、調子がもとにもどった。この半年のあいだだけで、十指で数えきれないほど起きていた。


「じつはここだけの話」佐伯は道上の方に身を乗り出し、声をひそめた。「五番レジを担当した人は、ことごとく辞めちゃってるわけ。あの子の前が千葉さん。その前が荒川さん。そのまた前が堀口さん……。みんな辞めてる。三年ともったためしがない。いままで一〇人できかないほどの人間がダメになってしまったらしい。たいていは他のレジ打ちの人間と気が合わず、自滅する形と言った方が正しいかも」


「たまたまでしょ、退職の連鎖なんて。それとも先輩方がイジワルするもんで、イヤになるんじゃないの?」


「あたし、知ってる」と、佐伯は鼻息を荒くした。「そもそもの発端は、二〇年まえに五番レジをつとめたある人物が、自宅で首を吊って死んで以来なのだそうよ。それから『いぬい』の歯車が狂ってしまったってわけ。きっと亡くなってもなお、職場に来てるのかも。ましてや()が死んだあとは、別の従業員が五番レジを陣取ってるわけじゃない? それで悪さしてやれって思うのかもしれない……」


 と、佐伯は言い、両手をダラリとさげて道上にせまった。これでライトを下から当てれば申し分ない。


「ちょっと……よしなさいよ、佐伯さん」と、道上は悲鳴をあげて、我が身を抱いてのけ反った。「そのある人物って、いったいどなた?」


 佐伯は両手をおろして、膝を叩いた。思いつめた表情をして、


「それが盛田さんて人よ。元トラック運転手。名人級のサッカーの腕をもってたんだけど、末期ガンが見つかってから、急にこの世をはかなんだっていうケースよ」


 今度は谷原が悲鳴をあげる番だった。

 通路じゅう響きわたり、ロッカールームの二人は飛びあがる思いをした。

 谷原は頭を抱え、壁にぶつかりながらもと来た道を走っていった。

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