表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

2.クレーム

◆◆◆◆◆


「いいか、お客さまは商品をお求めに来店されるのはもちろんだが、客足が伸びる伸びないの差は、それだけじゃない。――他にどんな要素があるか、言ってみたまえ」と、緑色のエプロン姿の尾井川おいかわ店長はするどく言った。腫れぼったいまぶたと、蔑むような目もとが痙攣けいれんしている。唇は薄く、およそ温かみに欠ける顔だ。

 尾井川は狭い事務所の壁にかけられたホワイトボードにABCと書き殴ったあと、指で叩いた。


「土地柄や店舗の立地条件ですか」


 猫背の姿勢で椅子に腰かけた谷原は、おっかなびっくり口にした。

 尾井川は腕組みしたままうなずき、片方の眉を吊りあげ、


「それもある。むしろおおいにある。だが、それだけじゃあない。――となると、あとはなんだ」


「あとは」谷原はしどろもどろになり、どうにか声を絞り出した。「……あとは本社との契約条件ですか?」


 尾井川は軽くずっこけた。


「……おれが言いたいことは、そんな専門的なことではない。もっと、根本的な要素!」


 谷原は上目遣いに店長を見やり、『サービス精神旺盛で、愛想のよい店長の存在では?』と言おうとしたが、生唾とともに飲み込んだ。口が裂けてもそんなことは言えない。店長はパート仲間うちで、『いぬい』の瞬間湯沸かし器として恐れられているのだ。


「あとは。え?」東大寺の仁王像みたいにそり返り、上から谷原をにらみつけた。「あとはなんだ? 早く言ってみたまえ」


「ヒントだけおっしゃってください」


「ヒントときたか」と、鼻で笑った。胸ポケットから金属製の筒を取り出した。電子タバコだ。口にくわえた。「カンの鈍い子だ。事務所に君を呼びつけたのは特別な理由があってのことだ。今日、あるお客さまから苦情をいただいた。レジ打ちの若い女の応対があまりにも悪かったと」


「ああ、その件ですか」


 うつむいたまま言った。暗澹あんたんたる気持ちで眼のまえが暗くなった。道上のレジに固執した男性客か、主婦とまちがえた女性がクレームを入れたのだろう。今回で四度目だった。これで解雇されるかもしれない。


「つまりだ」と、尾井川店長は電子タバコを指に挟んだまま指さした。「つまりお客さまとは、懇意にしている店のスタッフに会いに来てくれる人が、いかに多いかだ。こんな地方都市だからこそなおさらだ。我々はもっと地域住人と密に接して関係を築かねばならん。お客さまは我々と、世間話がてら来店してくれると言っても過言ではない。この信頼関係があってこそ、客足が伸び、ひいては売り上げにまでつながる。おれが言いたいのはそこだ」


「はあ」


「コンビニ業界だってそうだ。仮にここ」と、言ってホワイトボードに書いた文字をマジックで叩いた。カンカンと硬い音が室内にこだました。「ABC、三つのコンビニ店があったとし、いっせいにオープンしたとする。取り扱っている商品はまったく同じ。立地条件や客層もほぼ一緒。ところがいざオープンして、一年経つころにはABC、三店舗の売り上げに、劇的な差が生じることがある。客が入る店と、まったく閑古鳥が鳴く店にすっぱりわかれる。それはなぜか?――店に有能なスタッフがいるかいないかで決定的に差が生まれるからだ。それが売り上げに直結することがしばしばある。接客、サービス、人柄、協調性、テキパキとした動作、手際のよさ、そして笑顔――あと、ハッキリ言えば、可愛い子、美人のスタッフが看板娘となってくれ、多数の固定客が足を運んでくれるようになる。要はリピーターがどれだけいるかだ。男性客にかぎらず、女性客にだって影響する。下世話だが、これが現実だ」


「でしょうね」と、谷原は尾井川をにらみあげた。あまりにも打ちのめされ、怒りは遅れてやってくる。たぶん今晩、寝床に入ってからのことだろう。店長を前に生徒のように座らされ、みじめな感情のとりこになっていた。「どうせ器量が悪いです、私は。それは認めます」


「……おいおい、なにも君の外見が人より落ちるとは言っていない。勘ちがいするな」


 尾井川は取ってつけたように手で制した。

 事実、谷原は決して不美人というわけではない。つつましい性分ゆえ地味なだけで、すらりとした身体つきの、それなりの魅力をそなえた女性だった。化粧して、枝毛の多い髪にくしをいれ、おしゃれして街に出かければ、すれちがう男性と眼と眼があうことだってないわけではない。自己評価が低すぎるため、いつも胸を張っていないのが難点なのだ。


「それに可愛い子、美人のレジ打ち目当てに通う男性客が、皆が皆、鼻の下をのばしてるわけでもあるまい。あくまで男性客に好ましく映った方がよいだけだ。それには当然、きめ細やかな接客ができてこそだ。微々たる差にも見えるだろうが、じつはこの差は大きい」


「きめ細やかな接客ができていないのでしょうか、私は?」


「横で見てるかぎり、お客さまに対する気遣いが物足りない。そもそも覇気が感じられない。君はレジ打ちのメンバーではいちばん若いんだ。もっと元気よく、フレンドリーに接してみるのも手だ。当然、相手によりけりだがな。気心の知れたお客さまなら、タメ口で話したっていい。おれが許可する」


「タメ口ですか。気心の知れたお客さま以外の方に聞かれたら、快く思わない方もいらっしゃるのではないでしょうか」


「いずれにせよ」と、店長は電子タバコを吹かし、いらいらしたそぶりで言った。「道上さんだけでなく、栗田くりた主任、佐伯さえきさんたちとは異なるアプローチの仕方でお客さまの心をつかむことだ。――それとも君はアレか。たかがレジ打ちなんて、と見下してないだろうな?」


「まさか。栗田主任が朝礼でおっしゃってるように、『チェッカーとは来店された方との関係が終わりではなく、始まりである』だと思っております。ちゃんとそのつもりなんですが、やることなすこと空まわりしてるだけで……」


「空まわりね。それはいずれ時間が解決するとして、『いぬい』の評判をおとしめることだけはよしてくれよ」


「はい」


 尾井川は壁の時計を見た。七時をまわっていた。


「――今日のところはもう帰っていい。明日は特売日だ。いつも言ってることだが、出勤したら店舗内をぐるっと一周して、なにがどこにあるか確認しておくこと。お客さまに質問されて、まごまごしてる時期はすぎたはずだ。メモしてレジスターに貼っておくぐらいの勤勉さを持ちなさい。ベテランは皆、そうしてる」


 と、さんざんしぼられて谷原は事務所をあとにし、自身の軽ワゴン車に乗り込んだ。

 ハンドルにもたれ、ぐったりとした。

 仕事疲れも重なり、液体となってシートに染み込んでいくかのようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ