12.「想いは、べつの誰かに継がれていく」
「怒るのもむりはない。気がすむまでなじってくれ」
「私に免じてゆるしてやってくれないか、谷原」尾井川が手をかざして仲裁に入った。「もとはと言えば、五番レジのジンクスなど、鼻にもかけなかった私が悪かったのかもしれん。というのも、柴野先輩から柱のことを聞かされたとき、ある『行事』を怠ったのが、そもそものまちがいだったようだ。五番レジの担当だけではなく、お客さまにまで悪影響をあたえていたことに気づかなかった私にも落ち度がある」
「ある行事?」
「なんですか、それ?」佐伯と道上が興味を示した。
谷原が尾井川につめ寄った。
「もしやそれをやらなかったせいで、いまになって盛田さんは災いをおこそうとしたのでしょうか? 柱に影が現れたのはわけがあったはずです」
尾井川が悲愴感たっぷりのこわばった顔つきで、
「店長になって以来、彼のことを放置してきた。無視されてきた歯がゆさから抗議したのかもしれん。お客さまを不快に思わせることによって、遠まわしに罰をあたえたかったのかも……。五番レジを担当する君まで、被害をこうむったというところか」
「なぜそうまでして……」
尾井川は立ちあがった。
「どうせだ。みんなに見てもらいたいものがある。供養塔である柱に、ある細工をしてある。なかに盛田さんが希望した品物をおさめているんだ」
「つまり、それが柴野前店長と盛田さんが交わした約束の私物というわけですか」
「正確には盛田さんの私物ではない。企業側のものだ。だが、『いぬい』における彼の在籍と、彼にとって存在価値を表すと言ってもいいだろう」
「存在価値」と、谷原は言った。なんだか谷原と重なる部分があった。五番レジで客から無視された毎日は、彼女の存在意義を否定するように思えたのだ。盛田もおなじ気持ちを抱えていたのだろうか。
「私に課せられたその『行事』とは、月がかわるたびに、新しいものと交換する取り決めだった。じっさい、柴野先輩はどんなに忙しくても、その約束を守ってきたそうだ。かたや私は、まさか幽霊などと、ましてやその柱の位置からお客さまに頭をさげていたとは信じがたく、長いあいだうっちゃったままだった」
「見さげ果てた男だね、君も。人は死んでも、その想いは不滅だよ。想いは、べつの誰かに継がれていく。ないがしろにするとは、いささか想像力が足りない」桂木が胸を張って言ったあと、「……と、こんな僕が言うのも、説得力がないんですけどね」と、舌を出した。
「いえ、桂木さんに謗られても、致し方ない。私の方こそ、弁明するわけじゃありませんが、店長会議ではエリアマネージャーやバイヤーから無理難題の課題を押しつけられたあげく、数字のことでネチネチと言われるのです。スタッフ同士の人間関係で退職者が出る頭の痛い問題なども山積し、盛田さんの供養どころではなかった。当然、五番レジが避けられることについて、かまってる暇もなかった」
「せっかく『いぬい』のために尽力してくれた盛田氏の気持ちを、無視したも同然ですな」
「面目ありません」
「ここで店長を責めても、ことはまえに進みませんわ」と、言ったのは栗田だった。
「ですね。その柱の細工と、中身を拝見といこうじゃありませんか。答えが気になる。盛田氏が柴野君に託したものとやらの正体を、ぜひ見てみたい」
「よろしいですとも。――栗田、それとみんな。ちょっと力を借りたい。五番レジの裏へまわってくれ」と、言って尾井川はレジの反対側に歩いていった。一同はそれに従った。
柱の背面にあたる部分には、丈の高いマガジンラックが置かれ、商品である週刊誌や漫画雑誌などが陳列されていた。
「これからこの本棚をそっちへ――通路側へ移動させる。重量はあるだろうが、みんなで押せば、ずらすことぐらいはできるはずだ。手伝ってくれ」と、言って一方の端に手をそえた。
谷原たちは微力ながら手伝った。見るに見かねた桂木もそれに手を貸した。
かけ声とともに押した。
なんとかマガジンラックを横にずらすことができた。
すると――柱の裏側に現れたのは、小さな観音開きの扉だった。
「ありゃま」と、桂木。「こんなシロモノが隠されていたなんて」
「柴野先輩のころから、ふだんはこうやって塞いでいたのです。見た目がいかにも大げさすぎる。お客さまがきっと気にされるでしょうから」
「ほら、開けてみましょ」と、栗田が尾井川の背中を突いた。
尾井川は扉の取っ手をつかみ、ゆっくりと開いた。
谷原たちは息を飲んだ。なにが祀られているのだろうと、不安になった。
コンクリートの柱に穿たれたスペースは、縦横奥行きはたいした広さもなかった。せいぜい広辞苑一冊が縦にすっぽりおさまるほどの大きさである。
なかには小さな一対の花立が立てられていた。造花が活けられていた。
その花立に挟まれる形で、長方形の紙が置かれていた。紙は長年放置されてきたせいか、黄ばんでいた。
「なにそれ」と、栗田。「ひょっとして、幽霊を封じ込めるお札?」
「誰か、取ってみたまえ」と、尾井川が言った。
谷原が一歩ふみ出した。
「私が行きます」
誰も異論を挟む者もいなく、谷原の行動を見守った。
柱のまえでいくぶんためらったのち、意を決し、秘密の祠に手を伸ばした。
紙をつまんだ。
「これは――」紙を見るなり、声をつまらせた。「タイムカード。盛田さんのタイムカードです!」
道上や佐伯がひとかたまりになって、谷原の肩ごしに紙をのぞいた。『盛田 衛』の名前が印字され、八年まえの年数にくわえ、四月と記されていた。
「なんで、タイムカードなのよ。拍子抜けしちゃったじゃない」と、佐伯。
「さすがに、出勤・退勤時刻は打たれてないわよね」道上が言った。
「なるほどね」と、桂木が言った。「これが盛田氏が店で働き続けることの存在意義ってやつだ。アイデンティティってわけだよ」
「ふーん」
「ホント、健気な方だったのね。店員の鑑みたい。まさかそんな人を失うなんて」と、栗田は魔女のとんがり帽子を脱ぎ、襟をただした。
「それにくらべ、あたしは」声を落としたのは佐伯だった。「五番レジの呪いだとか、ジンクスだとか……興味本位で決めつけてた。盛田さんって方が、こんなにも職場思いのハートを持っていられたなんて、恥ずかしいかぎりです」
道上が佐伯の肩を抱いた。
「右におなじく。――反省しなくちゃね」
「私も当てはまる。慢心があったと思う」と、栗田は言った。
その栗田が口にしたとたん、彼女は突然下を向き、おし黙ってしまった。
急な様子の変化に谷原は驚いた。
「栗田主任……どうかされましたか?」と、声をかけた瞬間、栗田は勢いよく顔をあげた。
白眼になって、歯列をむき出しにし、奇声を発したから驚きを隠しきれない。
両手を鷲の爪のように曲げ、尾井川に跳びかかった。
店長は不意をつかれ、床に尻もちをついた。
栗田は短いタイトスカートをまくりあげて、尾井川に覆いかぶさった。
「困るよ、君! なんでこんなときに――」
変貌した栗田は店長に馬のりになって、ぐいぐいと襟もとをしめあげた。
「ちゃんと仕事しろってんだ。あんたが責任者だろ。でないと、あんたのたるみが職員のたるみにつながるってんだ」栗田は声帯に砂でもつまったかのような、男じみた声で言った。
尾井川はのしかかれながらも、
「く、栗田じゃない?」