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1.「お客さま、五番レジへどうぞ」

 十九歳の谷原たにはら つかさはスーパー『いぬい』にパートとして働き出して半年になる。

 窓ガラスの向こうは秋も深まろうとしていた。


 『いぬい』は山梨県を拠点とし、長野、群馬、静岡、埼玉に展開しているチェーンスーパーである。

 創業は戦後直後で、いくつもの吸収合併を経て着々と店舗数をふやし、六〇年の歳月をかけて東京証券取引所第一部に上場を果たした。


 店には『いぬいカード』というポイントカードがあった。

 カードにはクレジット対応・チャージ式電子マネー機能の有無により四種類存在した。チャージ式カードによる電子決済時には、通常支払いのポイントとは別に二五〇円(税込)で一ポイント付加されるのだ。この『いぬいカード』は、二〇一七年時点で山梨県民の七割が所有しているほど、地域密着型の店舗として知られていた。


 谷原はレジ打ちの仕事をまかされていた。

 はじめのうちこそ、機械が苦手なうえそそっかしい彼女はドジばかり踏んで、尾井川おいかわ店長やおなじパート仲間に迷惑をかけっぱなしだった。


 お客さんにも釣銭を渡しそこねたり、レジ袋を入れるのを忘れたりして叱られもした。

 しかし半年もすればなんとか慣れ、顔なじみの客もふえ、レジを打ちながら世間話もこなせるようになった。


◆◆◆◆◆


「いらっしゃいませ」


 谷原は中年男性に向かって会釈した。

 スーツの着こなしは決まっており、顔も悪くない。メガネのフレームはチタン製で上品なデザインだ。髪の毛はきっちり整えられ、清潔感あふれ、非の打ちどころがなかった。

 レジカゴには缶ビールの六パックとカットチーズ、菓子パン一個、一人鍋のセットだけ――独身なのだろうか。


 スキャナーで商品のバーコードを読み取り、清算カゴに商品をつめていく。

「ありがとうございます。お会計、一九六一円のお買いあげです」と、笑顔で言った。

 男性客はブランドの財布から万札と六十一円を出し、トレーに放り投げるように置いた。


 五〇円がはねて外に飛び出した。

 さすが谷原、学生時代に卓球選手として全国大会に選ばれただけのことはある。すかさず硬貨をキャッチした。


「……一万と六十一円、おあずかりします」と、谷原は明るい声で言った。ドロアー(現金収納の引き出し)に現金をおさめ、釣銭をすばやく抜き取り、男性客に見せながらめくり、「お先に五、六、七、八千円と」先に四枚の札を手渡し、「……残り一〇〇円、お返しいたします」と、レシートとともに硬貨を相手に握らせた。


 男性客はうんざりした顔で財布におさめたあと、思いついたように、


「……ああ、忘れてた。レジ袋ひとつくれ」


 と言った。

 谷原は苛立ちをこらえ、笑顔で、


「誠にすみません。別に五円いただきます」


 男は、「ほらよ」と言って、五円をはじき飛ばした。谷原はそれもキャッチした。レジ袋をさっと取り、清算カゴに入れた。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 と、精一杯の笑顔でこたえた。

 男はふり向きもせず、荒っぽく作荷台サッカーだいにカゴをのせた。




 『いぬい』には、五つのレジのレーンがあるというのに、端に位置する谷原のレジは、太い柱が死角になって見通しがよくないのも災いし、客が流れてこない構造になっていた。四つのレジに会計待ちの客が並んでいるのに、五番レジだけが閑散としているわけである。なんだか戦力になれていないような感じがしてくる。


「お客さま、こちらでお会計いたしますので、五番レジへどうぞ」


 と、谷原は言い、手を差しのべた。谷原のひとつ向こうの四番レジは道上みちのうえ 香織かおりの持ち場である。

 六人の客が並んでいた。最後尾の作業着姿の男性客に言ったつもりだったが、五〇代のガラの悪そうな男は、


「いいんだよ。おれは道上さんにやってもらいたいの」


 と、あからさまに嫌な顔をして言った。

 この男はほぼ毎日のように『いぬい』に通い、かならずと言っていいほど道上のレジを通過する。そのたびに好色そうな笑みを浮かべて話しかけていた。先週など、あろうことか――。


 道上は眼の前の客の清算をするのに一心不乱だ。

 平日の夕方六時台のかき入れ時。いくら道上が美人主婦のレジ打ちとして知られているとはいえ、早く買い物を済ませて家路につきたい老若男女を手際よくさばききれるものではない。

 誰もが学校や仕事帰りらしく、疲れた顔をしている。


 この男性客のように、道上には固定客がついていたが、繁盛期だと、ちっともうれしくないとロッカールームでぼやいていた。


「でしたら、そこの奥さん。こちらへどうぞ。五番レジが空いていますから」


 と、男性客の前の四〇前後とおぼしい女性客に声をかけた。フラットシューズをはいてラフな恰好をしており、谷原にはいかにも主婦に見えたのだ。


 女は眼を見開き、乱暴にレジカゴを揺さぶった。その衝撃でMサイズの卵パックが嫌な音を立てた。


「失礼ね。あたしは花の独身ですから。それとも嫌味?」


「申し訳ありません。そんなつもりじゃありません……」


 谷原は頭をさげた。


「どうせ、二カ月前からバツイチになったばかりです!」


 道上がすかさず笑顔で、


「すみませんね、望月もちづきさん。この子、ここで働き出してからまだ日が浅いでしょ。常連さんのプライベートまでわかってないの。今回はゆるしてあげて」と、手を合わせた。「店長にはナイショ。特別にその活きのいい車エビ、私が奢ってあげるから。それでチャラにしてよ、ね?」


「道上さんにはまんまと乗せられるわ。なら、この卵パックの分も頼みます。割れちゃったし。私も大人げないこと言っちゃった」


「あいよ。卵は交換するから、まかせて――まあ、カンベンしてったら」

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