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島に上陸すると男たちは幾つかの班に分かれることになった。
指揮官のウォルトは老齢のためか、自堕落さのためか、あるいは本人が語るように本当に膝が悪かったか、砂浜に拠点を定めて自分は一歩も動くつもりはない様子だ。
班ごとに方位に沿った道筋で行動するように命令したが、それは自由行動となんら変わらず、オルドとフォルンはコンビを組み、真水を探すために原生林に一緒にもぐりこんだ。
伝染病、赤痢、マラリア、コレラ、血吸いヒル、密林が引き起こす恐怖は経験豊かな老兵が老婆心をむき出しにして口酸っぱく語るものだ。耳にタコができるほど聞かされていたフォルンは、灌木をかきわけながらつぶやいた。
「病気にはかかりたくないな」
「それよりも、毒蛇や毒虫に噛まれることを恐れた方がいい。病気は数日から数週間の猶予をくれるが、毒は数時間で終わりだ」
「不安を呼ぶ教養のあるアドバイスをありがとう。それで、海尉は見つかると思うかい?」
「少なくとも、水は見つけたよ」
オルドは変色した落ち葉を指差した。天然の水路がある。幅十センチほどの濁った水の通り道だ。喉の渇きを潤したい衝動を堪えた。水の流れが緩い。腐った水で腹をくだすはめになるのはごめんだ。清水を求めて二人は上流に遡ることにした。岩崖にぶち当たり、新鮮な湧き水が亀裂からちろちろとこぼれていたので、かさついた唇を押し付けてむしゃぶりつく。
渇きが消えると、二人は何十人もの仲間と一緒にバケツリレーをしなければならない労苦を想像した。ここの来るまでの間、ぬかるみに足底を埋めたこと思い出して、補給の難しさに顔をしかめる。
「オルド、海尉はどこにいると思う?」
「この島にはいないよ」
「どうして? 痕跡が見つからないから?」
「簡単なことさ。僕がこの島に居るのなら、とっくに自分の船に急ぎ足で向かう。僕らの船は島を一周してるんだよ」
「動けない状態かもしれない」
「五人は訓練された男たちだ。四日で残らず肉食獣のエサになったとは考えにくいな。全員マスケット銃を持っているし、海尉はカットラスの名手だ」
「君は人の命に対して、随分と否定的に言うんだね。俺たちの仲間なのに」
虚を突かれたようにオルドは顎を引いた。やがて首筋に赤みが差し、恥じ入った。もごもごと口を動かし、落ち着かない様子で肩の乗ったズボン吊りの位置を変える。
「そんなつもりじゃなかった。探す努力しよう」
「ああ、頑張ろう」
二人は熱心に小島を捜索したが、先行隊の痕跡を見つけることはできなかった。昼飯として桃に似た果汁溢れるフルーツを食べて気は紛れたが、森の奥に入れば入るほど徒労ではないかと思い始めてくる。
島の反対側まで二時間で到達し、波飛沫が飛び交う岩礁には海鳥たちが集団営巣していた。鳥たちは人影に驚いてすぐに飛び立ったが、二人は巣の中の卵をポケットに入れた。卵は保存食になる。
「角笛だ」
「え?」
遠くから微かに聞こえてくるホーンパイプの音。オルドの顔は見る見るうちに色を失っていった。フォルンも聞き耳を立てたが、その不吉な息吹は滅多に耳にしないものだ。
敵襲が遭ったことを告げる音色だと思い至ると、バッと背後を振り返る。
来た道を戻るには時間がかかりすぎる。呪わしいほど距離は開いている。荒波が舞う海岸沿いを回り込むしかないが、それでも間に合うかどうか。いっそのこと海に飛び込むことも想像したが、波に翻弄されるのが目に見えていた。
「急ぐんだ!」
「くそっ!」
二人は可能な限り駆け足で岸部を移動した。
衣服が枝葉の草汁や地面から跳ねた泥で汚れ、尖った石がラッパズボンを切り裂いたが、置きざりにされるのだけは避けたかった。
「ああ! そんなっ……」
岩壁に背中をつけて移動していたオルドは立ち止まった。悲鳴に似たつぶやきが口から漏れ出す。自船が離岸し、遠くに去っていく後ろ姿。オルドは周囲に忙しなく目を配った。敵影は肉眼では見当たらない。アン・ルート号は戦いに向かったか、逃亡したのだ。
どちらにせよこの島に戻ってくるには勝利してもらうしかない。両方が戦闘意欲を抱えていなければ、帆船の戦いは長い。数日かかるかもしれないし、一週間以上かかる場合もある。敗北した場合は――敵領海で暮らすことを余儀なくされる。
敵に見つかれば捕虜だ。捕虜なれば戦争が終わるまでは監獄暮らしだ。士官ならともかく、下っ端の兵隊に捕虜交換条約が適応されるはずがない。この戦争はいつ終幕を迎えるか不明だが、三年続けば三年無駄にすることになる。それだけ、若い時間は無為に失われる。
「食料と水はある……僕らには銃も、ナイフもある」
「少しの辛抱さ。他の人を探そう」
「ああ……海軍が同胞を見捨てるなんてことはないはずだ」
オルドは希望を口に出して、フォルンはその肩を励ますように叩いた。砂浜に向かうと、三名の男たちが呆然と海を眺めていた。指揮官のウォルトはいない。待たずして去ったのだ。あの畜生野郎、と誰かが言った。もっと悪態をつきたくてしょうがなかったが、男たちは理性を働かせて互いに目配せし合った。
「誰か信号旗揚げ索を読んだものはいるかい?」
「戦闘開始の旗は揚がっていなかった」
振り返った水兵の一人が力なく答えた。いきなり姿を消した理由はひとつだ。脅威に対して逃走したからに決まっている。ほとぼりが冷めたあと、ぐるりと引き返してくれる可能性もあるが、もしも敵艦隊を発見したならば戦略上、数名の水兵の命よりも自軍に遭遇した敵の姿を報告するのが先だ。
「俺たちは潜伏することになる。お互い、役職を教え合おう。俺は火薬庫長補だ」
「僕は出納帳係の補佐だ」
全員が一等水兵か水兵見習いであったが、役割が与えられている者は少しだけ格上だった。比べっこした結果、軍隊にはない役職を口走ったオルドがリーダーの座を勝ち取ったが、下士官ではないので全権を得たというよりも、皆の話し合いをまとめる立場に収まった。
ひとまず飲み水と食料が大事だということは全員が一致した。火を熾すかどうかは保留となった。噴煙を敵に発見される恐れがあるからだ。そうなれば鉄の刃で喉笛が裂かれることになる。
夜の食事は砂浜で摂ることにした。大葉に山盛りのフルーツが乗せられて一同ははしゃぎはしたが、陰鬱な雰囲気は残ったまま消えない。円座を組む五人は時々、海岸をチラリと視線をやりながら船の明かりを探したが、水平線とまたたく星空があるだけだった。
「信号旗は本当に揚がってなかったのか?」
「当直の信号係は士官候補生だったぜ。ミスったんだよ」
「クジラにぶつかったように見えた。風もないのに、船体がぐらって揺れてたからな。航行には問題はなさそうだったが」
慰め合いと励まし合いの応酬は夜通し続き、砂浜で五人は雑魚寝した。森で眠るには蚊は脅威だったし、ほどよく海風が吹いているところなら血を吸われることはない。
原始暮らしがスタートした。
唯一幸いだったのは五人とも手先が器用で、工作技術に優れていたことだ。
自然の蔓草を加工してロープを作り出すことができたし、石釜や食器類は簡単に揃った。家具造りは不安を忘れさせる。木工職人顔負けの椅子を造ろうとする者までいた。
遭難して三日が経過すると熱帯魚や貝類や果物ではなく、酒か肉が自分たちには必要だと島民会議で決まった。オルドは果物を使ったアルコール製造を提案し、彼が配給酒を作る重要な係りに任命された。
肉は野生動物から入手すると決まり、狩猟の腕前を競う勝負となった。
フォルンは吊り罠で穴熊を捕えると、逆さの状態で樹木に磔にして喉を裂いた。血抜きし、ばらして骨抜きをしたのちに精肉にした。
生肉が手に入ると、火炎への渇望は抑えられなくなる。
最初だけ、五人は努力して生肉を齧りつこうとしたが魚の切り身と違い、獣臭でとても食えたものではなかったのだ。
肉をどう処分するかの話し合いは長引いたが、折衷案が可決した。見張りの視界が利きにくい早朝と夕方だけ火を用いるのだ。しかし、一週間も経つと規則は薄れ始め、敵影も見当たらないことから兵隊としてしかるべき決まりごとの多くは形骸化した。
敵船に気をつけろ、という程度の気休めだ。
寝床は住居は洞穴を見つけて出入り口に蓋をする方式を取った。
とにかく、彼らは毒虫やヤブ蚊が大嫌いだったので岩壁に覆われた巣穴暮らしは最適と言えた。何よりも、孤島という大規模なスペースは船乗りにとって得難い私室という存在を生んだ。
ひとときの平穏と自由は戦乱に巻き込まれた水兵たちに幸福をもたらした。普段は一般市民である五人とって、砲火や苛烈な訓練から遠ざかることは気持ちが楽になることなのだ。
だが、そういった安寧の日々は二週間ほどであっけなく崩れ去った。
一人がマラリアに罹ったのだ。