引き寄せた手は
「ねえ。コー、あんた友達とプール行く、って言ってたわよね?」
「? ああ」
「じゃあ折角だからこれ使いなさい」
朝食の席でコーヒーが彼の母から差し出されたのはウォーターパークのチケット。目を丸くしている彼に母は説明を付け加える。
「昨日上司に貰ったのよ。でも私、こういうアトラクション系あまり好きじゃないのよね」
「でもなんで四枚もあるんだよ。ウチ二人しかいねえだろ」
「上司のお節介よ。これで誰か誘え、ってことでしょ」
ありがた迷惑なのよねー、と頬に手を当ててブツブツ言っていたコーヒーの母だったが、チラリと時計を見ると、一瞬目を見開き、朝食を超スピードで平らげる。
「じゃあ、私の代わりに楽しんできなさいね」
そう言い残して慌ただしく仕事に出て行った母をぽかんと見送ったコーヒーは連絡を取るべくスマホを取り出した。
水の流れる音と人々の歓声が溢れる空間は、流れるプールやウォータースライダーで飛び散る水滴が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「すげえ、な」
「うん……!! リゾート、って感じ」
「私もこんな所、初めて来ました! 凄いのです!!」
「はは、三人とも驚きすぎだよ。でも確かに凄いなあ。これはコーヒーの母さんに感謝しないとね」
彼らのいる町から少し離れた場所に位置するウォーターパークは、ハワイアンな雰囲気をウリにしていて、小さな水族館やフードコート、フラガールショーなどを開催する。プールというよりはリゾート地のような施設だった。
「二人の水着、可愛いね」
「ありがとうございます。不眠ちゃんと買いに行ったのです」
ミルクの水着は白のビキニで上はフリルがふんだんにあしらわれていて、下は短いフレアスカートになっている。普段は目立たないがスタイルの良い彼女を上手く引き立てている。
対して、不眠の水着はスレンダーな彼女に似合うシンプルなデザインで深い青のホルタービキニにデニムのショートパンツを合わせている。
「うん、本当に可愛い。コーヒーもそう思うでしょ?」
「俺に振るな」
「え? じゃあコーヒーは可愛いと思わないの?」
「……そういう訊き方をするな」
意地の悪い質問に苦しむコーヒーを気の毒に思ったのか、ミルクがさり気無く話題をそらす。
「し、深夜くんとコーヒーくんの水着もとても素敵なのですよ!」
「あ、やっぱりそう思う~? コーヒーの分も僕が選んであげたんだよね」
そう言ってキメ顔でポーズを取る深夜は膝が見える丈のサーフパンツだ。紺色の幾何学模様に黄色の差し色が目立つ個性的なデザインになっている。日焼けを気にしてか羽織っている黄色いラッシュガードはワンサイズ大きい。着こなしが難しい色だが、そこは流石深夜と言ったところだろうか、さらっと着こなしている。
追求から逃れられて分かりやすく安堵しているコーヒーは白地に黒のパイル柄のサーフパンツで、満遍なく引き締まった上半身を惜しげも無く晒している。普段はピンで留めている左サイドの髪は恐らく深夜に施されたのだろう、編み込みになっている。
「そろそろ行かない? 人増えてきたし、ウォータースライダーとか混みだしたよ。皆はやりたいんじゃないの?」
不眠が指差した先には少しずつ列が形成されつつあるウォータースライダーがある。じきに長蛇の列となるだろう。
「わ、本当だ。じゃあ急がないとね。不眠は本当にやらなくていいの?」
「うん、速いの苦手だしここで見てる。やりたくなったらちゃんと言うよ」
不眠はウォータースライダーが良く見える位置にある椅子に腰掛けるとフルフルと三人に手を振った。
三人と離れた不眠はウォータースライダーから次々に吐き出される人々をぼんやりと眺める。三人の順番はもうそろそろだろうか。
不意に後ろから肩を叩かれて、咄嗟に身構えつつ振り向く。
「あ、ごめんね。驚かせちゃったー?」
そこにいたのは不眠より二つは年上に見える男性。染めた茶髪にピアスやブレスレットで飾っている。所謂雰囲気イケメンといった風貌だが、普段高スペックと一緒にいる不眠には普通の人にしか見えない。
「ああ、大丈夫です。どうかしましたか?」
ウォーターパークは広い。きっと道に迷って、目に付いた自分に声をかけたのだろうと判断した不眠は、地図をどこに仕舞ったか思い出しながら男性に尋ねる。
「いや、君一人でヒマそうだなー、って。オレと遊ばない?」
「……あ、連れがいるんで間に合ってます」
男性の言葉は不眠にとって意外なものだった。一瞬キョトンとしてしまったがすぐに断る。
「あはは、なにその間。可愛いね。連れなんてホントはいないんじゃないの〜?」
理解に要した一瞬の間があったのが信憑性に欠けたのか、男性は食い下がってくる。すぐに立ち去ろうとしたが、素早い動きで不眠の肩に手を回す。意外と力も強く、振り払うのは不眠には難しいだろう。実力行使も彼女の頭を過ぎったが、すぐに自分自身で却下する。彼女のスタイルは機動力を生かした短期型だ。今の状態では分が悪すぎる。
「あの、本当に迷惑なんで」
「まあまあ、いいじゃ——」
「なにしてんだ」
ぐい、と腕を掴まれて不眠は男から大きく引き離される。すっぽりと包み込まれた不眠は自分を助けた相手をそっと窺う。不眠を助けた相手、コーヒーは今までにないくらい険しい顔をしていた。
「こいつに何か用か」
いつもより低い声に男は疎か、不眠も思わず身を固くする。
「い、いや、彼女に道訊こうと思ってさ! でもなんとかなりそうだわ」
じゃあね〜、と手を振って男はそそくさとその場を立ち去った。男が完全に視界から消えるまでそのままの体勢で睨みつけていたコーヒーだったが、自分が不眠を抱えたままだと気づき、慌てて開放する。
「わ、悪い!」
「ううん、大丈夫。あと、ありがと」
「……気にするな」
コーヒーの大きな手が不眠の髪をくしゃり、と撫でる。
「遊ぶぞ」
「……うん」
珍しく柔らかく笑ったコーヒーに不眠は力強く頷いた。




