後輩とクッキー
「不眠ちゃん、今日のおやつは私手作りの桜のパウンドケーキなのですよ」
「へえ、なんか美味しそう。新しく覚えたの?」
放課後、不眠とミルクはいつもの空き教室に向かっていた。不眠の花粉症も薬で抑えられ、大分体調が良さそうだ。そんな彼女に今日のおやつの内容を教えるミルクは嬉しそう。
「はい! 春休みにとても素敵な喫茶店で……」
「あの、すみません!」
ミルクが興奮気味に語り始めたところで、耳慣れない声がそれを遮る。彼女達の前に現れたのは見知らぬ男子。身に纏っている学ランはだぼついていて、上靴も真新しい。新入生だろうか、と不眠は考えた。
「なにかご用なのですか?」
ミルクは話が遮られた事に少しも嫌な顔をせずに、笑顔で彼に訊ねる。
「あの、被服室ってどこにありますか? 迷ってしまって……」
ミルクの笑顔を直視して赤くなりながらも、眉尻を下げる彼は不眠の予想通り、新入生だったようだ。被服室は野球部が部室として使用している。被服室はグラウンドと直結する扉があり、おまけにミシンがずらりと並んでいるおかげで、破れてしまったユニフォームがすぐに修理できて便利らしい。そんな野球部の部室である被服室に行きたいという事は彼は入部希望者だろう。
始業式から数日経った今、部活に所属している生徒達はビラ配りに呼び込み、部活体験の運営と慌ただしく動いている。無所属の不眠達にとっては、忙しそうなクラスメイト達を見て、大変そうだ、などとぼんやりとした感想を抱く程度だ。
だが、困っている後輩を放っておく事は出来なかった。
「じゃあアタシが連れてくよ。ミルクは先に行っといて」
「え、でも……」
「いいからいいから。紅茶とか準備に時間掛かるでしょ? コーヒーと深夜も待ってるからさ」
渋るミルクの背中を押すようにして先に行かせる。彼女を見送った後、不眠は後輩の方に顔を向けた。
「じゃあ、行こう」
後輩と並んで歩く不眠は静かに彼を観察し始める。
背丈はコーヒーより低いが、野球部入部希望者だけあって筋肉が付いていてがっしりした印象が持てる。髪は不眠から見ると短めだが、丸刈りが基本の野球部からしたら長めの分類に入るのだろう。平凡な顔付きだが、スポーツマンらしく好感のある爽やかな表情をしている。
「あの、お話の邪魔をしてしまったようで、すみませんでした」
不眠の無言の視線に耐えられなくなったのか、後輩は口を開く。
「別に大丈夫。被服室、分かりづらいとこにあるから迷いやすいんだよね。
それにしても、えーっと君は……?」
「あ、一馬といいます」
「一馬くんね。アタシは不眠。
で、一馬くんは中学も野球部だったの?」
「はい! 中学ではピッチャーをやっていました!」
空気を読んだ不眠が一馬に話題を振る。得意の話題を振られた彼は水を得た魚の如く、イキイキと語り始める。笑顔に変わった彼を不眠は微笑ましく見ながら、時々相槌を打ったり、質問を投げかけたりする。
「おーい、野球部ー。新入生ー」
「お! 悪いな。連れてきてくれたのか」
話していると体感時間はぐっと縮まる。あっと言う間に被服室に着いた二人は前で待機していた不眠のクラスメイトに出迎えられる。無事に一馬を送り届け、じゃ、と軽く手を上げてその場を離れようとする不眠をクラスメイトは引き止める。
「不眠、ちょっと打ってくか?」
「いいの?」
「ああ! 新入生連れてきてくれた礼だ」
「じゃあ遠慮無く。……そうだ。一馬くん投げてよ」
「え!?」
いきなり指名されて仰天する一馬を置き去りに、不眠は背負っていた通学に使っているリュックを下ろすとグラウンドへ向かう。
動き易いように学ランを脱いだ一馬の前には、楽しげにバットを構える不眠。
「手加減はしない方がいいぞ」
「え?」
野球部員であり不眠のクラスメイトが一馬にそっと耳打ちする。一馬は先輩の助言に困惑するばかりだ。
彼は改めて不眠に視線を移す。身長は平均的な女子より少し高い位で、ジャージに包まれた体は線が細い。遠目からでも目立つ隈もあり、一馬にはとても運動が出来るようには見えない。そして何より、一馬には自分の球は女子には打たれない、という自信があった。怪我をされても困るからゆっくり投げよう、と決めた彼はかなり手を抜いた球を投げた。
ゆっくり投げられた球はそれでも素人目に見たら十分に速い。そこそこ運動神経のある男子でもないと打ち返せないだろう。一馬の脳裏には空振りをする不眠の姿が浮かんでいる。だが、そんな彼の想像はカキーンという小気味良い音によって崩される。
返ってきた球は一馬の脇を通り過ぎ、後方に控えていた不眠のクラスメイトに捕まえられる。
「な? 言っただろ?」
不眠のクラスメイトがニヤニヤと笑いながら球を一馬に投げて寄越す。球をキャッチした一馬は再び不眠に向き直る。不眠は持っているバットをアクロバティックに振り回しながら挑発的な笑みを浮かべている。馬鹿にされている、そう感じた一馬はかあっと顔が熱くなった。
「も、もう一本! もう一本お願いします!」
「いいよ」
一馬が気合いを入れるように自分の膝を叩く。今度は身体全体を使った、本気の投球だった。
「あー! 疲れた! うん、一馬くん付き合ってくれてありがとう」
十五分程一馬の球を打ち返し続けた不眠はバットを手放す。結局不眠は一馬の投げた球の七割程を打ち返していた。
「不眠先輩、あの先輩はソフトボール部に所属しているのですか?」
「いや、帰宅部だよ」
「え!?」
あれだけ動ける不眠を見て、ソフトボール部だろうと踏んでいた一馬は不眠の答えにぎょっとする。
それじゃ、と今度こそ不眠はその場を離れた。
「帰宅部……」
「お、おい一馬? 不眠はアレだから。運動神経バケモノだから。ウチのエースピッチャーの本気の投球ですら十本中二本位打ち返してくるから」
俯いてブツブツ言い始めた一馬に不眠のクラスメイトがフォローを入れる。
「……凄いです!」
かばっと顔を上げた一馬の瞳はキラキラ輝いていた。どうやら落ち込んでいたわけではないらしい。
「結構時間掛かっちゃったな……。ミルクが心配してるかも」
被服室まで戻ってリュックを背負った不眠は足取り軽く友達とおやつが待つ教室へ走っていく。
***
「不眠先輩!」
次の日の朝、登校した不眠がコーヒーと日課と化している喧嘩も済ませ、うだうだと喋っていると、一馬が教室に入ってきた。
「一馬くん。どうしたの?」
「これ、昨日のお礼です。受け取って下さい!」
一馬が勢い良く手に持っていた可愛らしい紙袋を不眠に差し出す。ありがとう、と言って受け取った不眠はそっと中身を見てみる。紙袋の中にはケーキ屋で売っているようなクッキーの詰め合わせが入っていた。
「うわあ、いいの?」
「勿論です!」
「……あれ? これは?」
紙袋を覗いていた不眠はクッキーの他に二つに折られたメモが入っているのを見つける。メモを取り出して中身を開こうとした不眠を一馬は慌てて止める。
「そ、それは、後で見て下さい!!」
「……? わかった。
それにしても、本当に美味しそう。大事に食べるね」
クッキーが余程嬉しかったのか、不眠は珍しくふわりと笑う。その笑顔を見てしまった一馬は昨日のミルクの時とは比べ物にならないくらい、まるで茹でダコのように赤くなる。
「あ、あああの! お、俺はこれで失礼しますっ!!」
一馬は赤い顔を見られないようにガバッと一礼すると慌てて教室を飛び出して行った。そんな一馬を吃驚しながら見送った不眠は後輩は一体どうしたのだろうかと小さく首を傾げる。
「……おい、メモは何が書いてあるんだ?」
一馬がいた間は黙っていたコーヒーが口を開く。
「んー、ラインのID……かな?」
「ふーん」
早速スマホを取り出して友達に追加し始めた不眠をコーヒーは険しい顔で見つめる。
「なにそんな怒ってんの? クッキー食べる?」
「……分からん。あとクッキーはいらねぇ」




