春休みの朝と彼の母の話
春休み。多くの学生はそれを享受するように、夜更かし、遅起きをするようになるが、コーヒーの朝は学校に通っている時よりも早くなる。空が明るくなる前に起き出し、いつもの白長ランを身にまとう。朝の寒さに身震いしながらも、台所に入りパチリと電気をつける。急激な明暗の変化についていけず、しょぼしょぼする目をこすりながら、彼は作業がしやすいように腕まくりをする。
熱したフライパンに薄く油をひくと、パチパチと小気味よい音がする。そこにかしわをぽんぽんと投入し、塩と胡椒を適当に撒く。パチパチと小さかった音はジュウジュウと食欲をそそる音に変わる。塩と胡椒の大味な味付けだが、それが美味しそうだ。手早くかしわを炒め終わると、コーヒーは卵を冷蔵庫から取り出す。溶いた卵を卵焼き専用の四角いフライパンに薄く広げて、菜箸を器用に使ってくるくると巻いていく。慣れた手つきでもう数品作ったコーヒーは時計をチラリと確認すると、今度は湯を沸かして珈琲を淹れる準備を始める。湯が沸騰し始めた頃に炊飯器が米が炊けた事を知らせる。炊きたてでふっくら艶々した米をしゃもじで粒を潰してしまわないように気を使いながら混ぜる。
「コー、おはよう」
居間に長い黒髪の女性が欠伸をしながら入ってきた。髪には寝癖がついており、起き抜けで緩んだ顔をしているが、顔立ちは整っていて美人な事が窺える。
「お袋、はよ」
コーヒーは食パンを二枚トースターに放り込みながら挨拶を返す。
「今日も美味しそうね」
コーヒーの母は台所に立つコーヒーの隣まで来て、並べられた料理を眺める。摘み食いをしようと伸ばした母の手をコーヒーはペチンと軽く叩く。
「ほら、トースト出来たぞ。珈琲持ってくから先食べてろよ」
コーヒーは母にキツネ色に焼きあがったトーストを持たせ、台所から追い出す。彼が珈琲をなみなみと注いだマグカップを二つ持って居間に行くと、彼の母は赤く輝くルビーの宝石のような苺ジャムをトーストにたっぷり塗りつけていた。
「んー、美味しい。また太っちゃうわー」
驚異的な速度でジャムトーストを二枚も平らげながらも、体重が増える事を憂いるコーヒーの母だが、彼女の体型はコーヒーが幼い頃から少しも変わっていない。朝は小食なコーヒーはそんな母を呆れ顔で見ながら、マグカップを傾ける。
マグカップを空にしたコーヒーは再び台所に立つ。朝食を摂っている間に荒熱が取れたおかずを男子高校生が使うようなサイズの弁当箱に詰め込んでいく。ちなみにこの弁当はコーヒー自身の物ではない。彼の母の物だ。おかずの半分がかしわで、大変肉々しい中身だが、彼の母は大食いでなおかつ肉食獣並みに肉を好んで食べるため、問題ない。
コーヒーの長期休み限定の日課。それは家の仕事を全てする事だ。そこには勿論、母の弁当作りも含まれている。コーヒーの家は母子家庭だ。母がバリバリ働くため、生活には困らないが、どうしても家事は疎かになりがちだ。そして彼の母は家事があまり得意ではない。学校が休みで暇な彼はいつからか母の代わりに家事をしだすようになった。手際や仕上がりは彼らしく大雑把だが、それでも母よりは幾分か上手だ。
「じゃあ行ってくるわね」
細身のスーツをビシッと着込み、長くてサラサラの黒髪を後頭部の高い位置で括って化粧も施したコーヒーの母は、コーヒーから弁当を受け取る。
「無理すんなよ」
「コーのお弁当があれば大丈夫よ」
コーヒーの言葉はぶっきらぼうだが、彼なりに母を気遣っているようだ。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
高いヒールをカツカツ鳴らしながら家を出る母をコーヒーはわざわざ外に出て見送る。母の姿がすっかり見えなった後、コーヒーはようやく家の中に入る。
「まずはメシの片付けからするか」
コーヒーは気合いを入れ直すように白長ランの襟をビシリと正した。




