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喫茶 まわりみち


 春休みのとある日。一人で外出したミルクはふらりと立ち寄った本屋でずっと探していた小説を見つけてご満悦だ。春の陽気の中、公園で特製ミルクティーでも飲みながら、のんびり読書と洒落込みたいところだが、生憎今日は少し冷え込んでいるからあまり適さないだろう。かといって、このまま家に帰るのも味気ない。どこかに良さげなスポットはないだろうかと、周りをキョロキョロと見渡すミルクの目に小さな看板が目に映った。

 その看板はいつもは目にも留めないような路地に立っている。白地に深緑色の文字で「喫茶 まわりみち」と書かれている。所々塗装が剥げてしまっているが、どことなく感じが良い。ミルクは続いて店の外装に目を向ける。壁は白で窓枠と扉は深緑。どうやら看板と合わせているらしい。ミルクは窓から店内の様子を窺ってみる。

 オレンジ色の光で満たされた店内はアンティークな置物があちらこちらに置かれている。客の姿はないが、マスターらしきくたびれた印象の四十代くらいの男がカップを磨いている。店の明かりに照らされた男の物憂げな横顔にミルクの心が僅かに揺らめいた。木製の扉をそっと押し開くと、ちりんちりん、と扉に取り付けられたベルがくぐもった音を立てた。

「いらっしゃい」

 若い娘が客として来るのが珍しいのか、マスターは一瞬目を見開いたが、すぐに気さくな口調で接客してきた。ミルクはカウンター席の真ん中に座ると、劣化からか開くとパリパリと乾いた音がするメニューに目を通す。手書きのメニューは意外と充実していて、あれもこれもと迷ってしまう。

「今日のおすすめは今朝焼き上げた桜のパウンドケーキです」

 注文が決められなさそうなミルクを見かねてか、マスターがおすすめを教える。桜のパウンドケーキ。ミルクにとってあまり耳慣れない料理に彼女は興味を惹かれた。

「ではそれを一つとホットミルクティーをお願いします」

「かしこまりました」

 マスターはカウンター席の向こう側の作業スペースに戻ると、ケーキを切り分け、紅茶の準備を始める。何度も同じ動作を繰り返し行ってきたのであろうその手捌きは滑らかで鮮やかだ。

「お待たせしました」

 ミルクが見とれている間に準備が整ったらしい。パウンドケーキは薄いピンク色で、仄かに甘い香りがする。ケーキの色に合わせてか、紅茶は淡い緑色のティーセットが使われている。

「いただきます」

 手を合わせてから、早速ミルクはパウンドケーキに取りかかる。しっとりとしたケーキ生地をフォークで切り分けて口に運ぶ。桜の風味が口一杯に広がる。甘さも甘すぎず、丁度良い塩梅だ。春の味をしっかりと堪能した後、彼女は紅茶にも手を伸ばす。

 砂糖は少し。牛乳はたっぷり。銀のティースプーンでくるくると軽くかき混ぜて、ミルクはカップに口をつけた。紅茶を舌に乗せた瞬間、ミルクはとてつもない感動を覚えた。

「お、美味しいのです……!!」

 今までミルクの中で最も美味しい紅茶は自分の淹れたものだった。周囲の人間からも美味しいと評判で、彼女自身の舌を満足させられるのも、自分だけだった。だが、それが全てひっくり返る位、マスターの淹れた紅茶は格別だった。

「そりゃよかった」

 美味しい、美味しいと目をキラキラ輝かせるミルクにマスターは初めて営業スマイル以外の笑顔を見せた。その少年のような笑顔を直視したミルクは、急速に顔に熱が集まるのを感じた。ミルクは熱い顔をマスターからさり気なく隠しながら鞄に仕舞っていた本を取り出す。

「おや、その本」

「知っているのですか?」

 本に興味を示したマスターにミルクが食いつく。

「大ファンだよ。お客さん、これが好きって事はこんな本も好きでしょう?」

 マスターがいくつか挙げた本のタイトルは、どれもミルクのお気に入りのものだった。

「で、では、この小説の作者さんの短編集はご存知なのですか?」

「ああ、あれね。凄いよね。色んなジャンルを色んな書き方で書いててさ。しかも面白いし」

「ですよね!!」

 今まで本の趣味が一致する人間に巡り会ってこなかったミルクのテンションが鰻登りで上がっていく。その後もあの作者は、あの本は、と次々に話題が上がっていき、ひとしきり喋って二人がすっかり打ち解けた頃には、ティーポットは空になり、空は茜色に染まっていた。

「もうこんな時間なのです。長居してしまってすみません」

「いやいや、俺も楽しかったから」

「あの……また来ても良いですか……?」

 扉のノブに手をかけながらミルクは恐る恐る訊ねた。ミルクの瞳には期待と不安の色が入り混じっている。

「勿論」

 にっこり笑ってそう言ったマスターに釣られるように、ミルクも花のような笑顔を浮かべる。

「ありがとうございます!!」

 扉を押し開けてミルクは店を出る。入る時はくぐもって聞こえたベルの音が、何故か今度は澄んだ音を鳴らした気がした。




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