アレキサンドライト
小説初めて書きました。難しい。
注意
・血表現注意。
・登場人物が死んでしまった、みたいな描写があります。
・逆に登場人物が相手に手をかけた、みたいな描写があります。
・最後ら辺にぼんやりと反倫理的な展開があります。
・挿絵があります、また雰囲気が暗いです。
――……ねぇ、ねぇってば。起きて、起きて! ビックリしちゃった……その“翼”、貴方は“竜”ね? どうして“竜”がこんな人里の森にいるの?
――うるさい黙れ“人間”。近づいたら殺すぞ。
――私の名前は「 」。ねぇ、どうしてこんな所にいるの? その傷を見せて?
――お前には関係ない。
――ここ、私の特別な場所なの。貴方も此処が好きなの? 隣いいかしら? お話しましょう?
――――――――――――――――
紫色の屋根を基調とした建物が連なる、花々が咲き誇る街がある。
忙しなく一日を過ごす人間達が住むその街の近くには、青々とした豊かな森が広がっていた。
山道の途中にある看板には、街の方へと誘導する矢印が印されている。それを見て、どの者も当たり前のように矢印の方向へと進む。誰もがそうしてきた。誰も、森の方へとは踏み込まない。
しかし、もしその看板を無視して、一本の山道を逸れて歩いて行くのならば――そこには、誰も知らない秘密の場所があった。
「……」
葉をさわさわと揺らす大木が根を下ろした、カモミールの花が咲く花園があった。
周りを見渡せば暖かな木漏れ日が溢れており、風に優しく撫でられる草花が咲いていた。耳をすませば小鳥達が楽しそうに会話をしていて、心地よい音色が聴こえてくる。
足を踏み出し進んでみれば辺りに人気はなく、静かで安らぎに満ちた空間がどこまでも広がっている。
いつも遠くから響いてくる、あの恐ろしい音が聞こえない。各地で上がる灰色の煙や、喊声、そして砲声のようなものが一つもない。
そのことに、不思議さを感じた。
その静かで暖かな箱庭の中を進めば、目の前にひとり眠る青年を見つける。あまりの美しさに最初は驚いたけれど……すぐに近寄ってみたくなってしまった。
心地よい風と穏やかな空気が落ち着く。
やはりこの場所に来てよかった。そう実感するほどに、花園は以前と同じままの姿を保っていた。未だに荒らされていないことに安堵して、ゆっくりと大木に背中を預けた。
足に重みを感じる……小鳥だ。
自分と同じように羽を持つ彼らが傍にいて、一人ではないような気持ちになってしまう。楽しそうな声に、寝かせて欲しいと無視をすれば、彼らはそのまま飛び立っていった。
いつもはしつこく膝の上に居座るのに、今日は違う。不思議に思い、瞼を開けようとした途端に――草を踏みしめる音が聞こえた。「カサっ」という音。その音に、何故か懐かしい感情を呼び起こされた気がした。
誰かが近づく音を耳に拾い、花園の中心にそびえ立つ大木に寄りかかり眠っていた“青年”は、昔の夢から目覚め、瞼をゆっくりと開いた。
開かれていく瞼から見えるその長いまつげに縁どられた魅惑的な瞳は、きらきらしい輝きを放っていた。深い森のような翠色かと思えば、木漏れ日が当たると血のような朱色に色を移り変えている。
まるで万華鏡のように色が変わるその瞳は、彼が“人間”と似て非なる存在であることを主張していた。
億劫そうに息を吐いた青年の髪は真珠ように輝く銀髪で、光が当たると透き通っている。肌は白く、まるで絹のように細かく滑らかそうだ。
そして何より、端正な目鼻立ちと息を呑むほど麗しげで美しい美貌が、“青年”を儚げで幻想的に映し出していた。
所々薄汚れていても、その美しさは隠されていない。
その美しく儚げな“青年”は、目の前にいる“人間”を唯唯見つめていた。とうとうこの場所にも「 」以外の“人間”がやってこと理解した彼は、これから自分の身に起こることを想像する。叫ばれる。罵られる。そして、仲間を呼ばれる。その後は、いったいどのような武器が向けられるのだろう。
長かったような、短かかったような……でも、これで終われる。そう思い、彼の胸には安堵感が広がっていた。
「……」
しかし、いつになっても叫び声や自分を罵倒する声は聞こえなかった。“青年”は不思議に思った。“青年”の目の前には、惚けたような顔で立ち尽くす“人間”がいた。ぽつんと立ち尽くしたその“人間”は、思いの他小さかった。
子ども……小さな“人間”の子どもが自分を見つめている。それを、“青年”は確認する。
その小さな“人間”は何も言葉を発さず、ただ空のような青碧の瞳を驚いたように見開いていた。
しかし、その“人間”の視線の先にあるものは、“青年”の顔ではなく、彼の背中から生えている“翼”だった。その銀色の“翼”は、美しい“青年”には似合わない、あまりにも禍々しく恐ろしい“竜”の印だった。
その姿を見て、何を思ったのだろうか。その“人間”は魅入ったかのように小さな足を子鹿のようにもつれさせながら、その美しい“青年”に近づいていった。
「……」
その近づいてくる小さな“人間”の瞳に伺えるのは、恐怖心ではなく――好奇心。
幼く、敵意も感じられない程の瞳の輝きに、“青年”は思った。どうするべきか、と。
あえて暴れて仲間を呼ばさせるべきか、それか、そのまま近づかせるべきか。
一瞬考えてから馬鹿馬鹿しくなり、彼はそのまま思考することを止めた。
もう、どうでもよくなっていた。
“青年”は“人間”が近づいてきても、何も反応せずにその場から動くことはなかった。
興味津々に近づいてきたその小さな“人間”は、そっと壊れ物に触れるかのように頬に触れた。小さく柔らかなその手が、温かな体温を彼に与えた。
「……ねぇ、おにいさん。おにいさんは“竜”? それはほんもの?」
そう、小さな“人間”は質問を投げかけた。
「……」
だが、“青年”からは何の返答もない。その反応を気にすることなく、小さな“人間”は頬を触るのをやめてから、再び質問を繰り返した。
「おめめ、とってもきれいね。色がきらきらして、まるで“ほうせき”みたい。どれがほんとうのお色なの? それもほんものなの?」
「……」
「わたしのなまえは『リリィ』。ねぇ、おにいさんのおなまえは?」
「……」
「だいじょうぶよ。おとうさんやおかあさんにも“竜”に会ったって、ないしょにしておくから!」
「……」
「もしかしてしゃべれないの? それとも……あっぜったい、ぜったい“りゅうがり”にもいわないわ! ねぇ、だからおにいさんの、おなまえおしえて?」
「……」
「むー……リリィとなりすわってもいい?」
その小さな“人間”は、返事が返ってくることを諦めたのだろう。小さな頬を膨らませながら、“青年”の横にちょこんと座った。
そして座った直後、視線をウロウロと彷徨せ、しばらくして足元に生えているカモミールの花を指でいじり始めた。
そんな小さな“人間”を横目で見ながら、“青年”は数百年ぶりに気まぐれにやって来たこの場所で、「 」とは別の、「普通」の“人間”を見たことに懐かしさを覚える。
――彼女がこの場所にやって来たのも、確かこんな穏やかな日だった。
青々と晴れ渡った空に浮かぶ太陽の光が、木々の隙間から零れ落ち、こうして草花を優しく照らしていた。そこで自分はこのように大木に寄りかかり眠っていたのだ。その身に血を流しながら眠っていた。
懐かしい記憶に、少しだけ寂しさが胸に広がる。
そんな風に過去の記憶を呼び起こしていると、ふと“翼”が引っ張られるような違和感を受ける。“青年”が違和感の方向に視線を移せば、隣に座る“人間”が嬉しそうに、その白く小さな手で“翼”を触っていた。
「すごい、すごい、うごくわ! これほんものなのね! おにいさんはほんとに“竜”なのね!」
その様子に、ああ……珍しい“人間”だな、と気怠げに見つめてしまう。こんな反応を貰ったのは、「 」以来かもしれない。そう彼はひとりごちた。
「すごい!」
しかし、その反応の理由も予想が出来た。「すごい」、「ほんとに」と、目の前の“人間”は言った。その小さな“人間”が発する言葉から、まだ“竜”を見たことがない、ということを彼は理解した。
恐怖心がその瞳に感じられないのは、“竜”を見たことがなかったこともあるのだろうが……好奇心が勝ったのか、はたまた“竜”についてまだ深く教えられていないのか。でも、そんなことはどうでも良かった。
――早く眠りたい。
そんな風に思いながら、“竜”の“青年”は、自分の“翼”を無遠慮に触ってくる、その小さな“人間”の存在を黙視した。
くせ毛の黒髪に、大きなリボンのついたスカート。そのスカートの生地は悪くはないが、良くもない。おそらく、どこかの中流階級の娘に違いない。
――何故このような場所に一人で来た。
無垢そうで無邪気な青碧の瞳には自分の顔が映し出されており、小さな頬と、桃色の口元がせわしなく動いている。
“人間”は儚く、脆い。その“人間”の中でも、これはまさに脆弱な方なのだろうと見て分かる。小さな体にたどたどしい話し方。誰にでも分かるくらい、その小さな“人間”は小鳥のようにひ弱な存在だった。
「あのね、ここはリリィのとくべつな場所なの。おにいさんも、ここがすきなの?」
勝手に話し続けるその小さな“人間”は、ひまわりが咲くような、明るい無邪気な笑顔で見上げてくる。
「ここのお花もとりさんも、ぜんぶすきなの。なんだかあったかいの」
幸せそうに笑うその顔に、だからなんだと思ってしまう。
でも、無表情で見つめるのに、“人間”は微笑んだままだった。
そんな無垢で、無邪気な“人間”がいったい何を伝えたいのかわからない彼は、ため息をついてから億劫そうに空を見上げた。
青々とした空に浮かぶ雲が、ゆっくりと風で横に流れていくのが見える。自由気ままに飛び回る鳥達は楽しそうだ。
「つばさに、つめみたいなの、ついてる!」
勝手に驚き話し続ける“人間”を横に、振り払おうかと考えた彼だったが、それもまた先ほどのように消え、心に無が戻った。
「おにいさん?」
全てを諦めてしまったかのような、無表情な“竜”の“青年”は、考えることを放棄して、瞼を閉じる。
――早く死にたい、と思いながら。
それからというもの……何故かはわからなかったが、あの日から何度も小さな“人間””は花園にやってきた。
「おにーさん!」
大きな声で笑いながらこちらに駆け寄ってくるその小さな“人間”は、何の反応も示さない“竜”の“青年”の隣に座っては、カモミールの花をいじりながら話しかけていた。
「今日はね! ダンスを練習したの! 見て見て!」
そう述べると突然立ち上がり、隣で危なっかしい足取りでワルツと思われるようなステップを取り始める。その光景をただ黙って気怠そうに見つめているというのに、まるで気にしない。ただ楽しそうに踊り、その小さな“人間”は笑っている。
「……」
その様子を見ていた自分を、小さな“人間”はどう思ったのだろうか? ふとお互いの瞳が交わると、その拙いワルツをやめて、こちらに近づいてきた。
「……っ」
無遠慮にぐいぐいと引っ張ってくるその手は、力強い。
「……離せ」
余りにも強い力で引っ張ってくるので腕が痛い。身体が引っ張られた方向にぐらついてしまう。どさくさに紛れてカモミールの花を踏みつけてしまいそうになり、片手で身体を支えた。
「……! しゃべった! おにいさんしゃべったわね!」
何をするのだと顔を見れば、何故か、自分の声を聞いたことで微笑んでいた。なにがそんなに嬉しいのか。戸惑いつつ目の前の“人間”を見つめた。
すると今度は、その無邪気で人懐っこい笑顔を向けながら、腕に抱きついてきた。その途端に、小さな鼓動が腕に伝わった。
まわされた小さな柔らかい手。触れ合うところからその熱が伝わってくる。「とくっとくっ」と鳴る心音を、触れ合う肌から感じて、何故か――無性に苦しくなった。
「あっ!」
しかし、振り払おうとすると、悲しそうに“人間”は顔を歪める。
「……はぁ」
こんなふうに、他者と触れ合ったのは久しぶりだ。落ち着かない。心臓が暴れて落ち着かない。それに気がつかない“人間”は、一度腕を振り払ったというのに近づいてきた。
そして、泣き出しそうな顔をしながら、恐る恐るまた腕に抱きついてきた。
――人肌の、暖かさ。
懐かしさを感じる他者の体温。それがあまりにも久しぶりだったせいだろうか。無碍に振り払えなかった。我ながら何をしているのか……とため息を吐いた時、腕に抱きついていたはずの人間の重さが、少しだけ減る。
腕を見れば、こちらを見上げている小さな“人間”は、頬を林檎のように赤くしていた。
「……?」
「なっ、なんでもないの!!」
視線が合うと突然大きな声で否定をされる。やはり“人間”を理解することは難しい。
――あの彼女「 」は特にそうだった。ここにも例外がいたんだな、と彼は心の中でひとりごちた。
「おにーさん、こんにちは!」
「おにいさん、これみて! この前のおまつりでリリィがつくったの!」
「おにいさん、おにいさんが好きな食べ物は何? 私はね!」
「ちょっと聞いてよ、ほんっとうに腹立つのよ? もう信じられないわ!」
「ねぇ、今日はこれ作ってきたの! 一緒に食べましょう?」
「お兄さん。会えたわね、私嬉しいわ! 最近来てなかったでしょう?」
こっちが応えないのを気にせず、この場所に来ては自分の事をペラペラと話していく小さな“人間”は、時間が経ってもこの場所にやってきてはお喋りなやつだった。
木登りをして父親に怒られただの、ダンスが上手くできないだのという愚痴から、友人との楽しかった話だの、刺繍が褒められて嬉しかっただの……。
“リリィ”は何度も会う度に、そのひまわりのような暖かい笑顔で話してきた。反応を示さない自分に構わず、とにかく話しかけてくる。だから途中で諦めた。
でも、こんな風にこの場所に来るのは「おかしいこと」だと“リリィ”も、もう分かるはずだった。
幼かった風貌は変わり、彼女は大きく成長していた。短かった黒髪は伸びて、顔立ちは大人と子どもの中間期にいた。
今この時点で、自分と会っているということ自体が危ない。これほど成長すれば、もはや自分に近づくのは許されていないことだと気がついているはず。
「……リリィ」
「なあに? お兄さん」
「……もう、この場所には来るな」
そう毎回、自分はこの言葉を“リリィ”に伝える。もうこの場所には来るなと、自分に会いに来るなと。しかし、その自分の言葉に“リリィ”はいつも同じ反応と言葉を返すのだ。
「い、や、よ! 絶対に嫌!」
「わがままを、言うな」
「わがままじゃないわ! 私の意志よ」
そう反論する“リリィ”は、腰まで伸びた長く艶やかな黒髪を横に揺らしながら首を振った。その長く艶やかな黒髪を見ていると、「 」の面影を見ているようで、不安になってくる。
――危ない。
そう心にポツリとつぶやき、僕は目の前の“リリィ”を見つめた。いつもとは違う真剣な瞳に、はっとしたような顔をした“リリィ”は、視線をうろうろと迷わせる。
しかし、しばらく俯いていたかと思えば顔を上げて――何かを決心したかのような強い意思を瞳に滲ませながら、こちらを見つめ返してきた。
「……わかっているのか」
「なにが?」
「誤魔化すな」
――理解しているはずだ。“人間”は“竜”に近づいてはならないということを。
“竜”は“人間”にとって「狩り」の対象だ。不老不死をもたらす“竜の血”を求めて何百年と襲ってきた“人間”達。それを虫けらのように殺してきた“竜”。
“人間”という生き物は、未知の力を持つ存在に恐怖を覚えるらしい。
ここ何百年か、“竜”の血を手に入れるための「狩り」が上手くいかず殺されてきた「人間」達は、どうやら欲望よりも恐怖心に負けたようだ。「狩り」ではなく、“竜”を「抹消」するための行動をし始めた。
恐れられる存在。恐怖の象徴であり、見つけたならば即座に排除する存在、それが“竜”だ。
それにも関わらず、“リリィ”は何度もこの場所にこっそりとやってきた。
小さかった体は大きくなり、短かった髪の毛は長くなり、たどたどしい幼い口調からハキハキとした口調になった。
だんだんと「大人」に向かって成長する“リリィ”。いつか、あの“人間”達のような「大人」になり、自分に対して恐怖と嫌悪の瞳を向けてくるのだろう。きっと、己の身を殺すドラゴンスレイヤーを手にした仲間達を引き連れ、やってくるのだろうと……そう思っていたのに、何故か“リリィ”はその予想を裏切り、昔から変わらずに逢いに来た。
「私は、わかっているわ。そんなに馬鹿じゃない」
「なら、もうここには来るな。僕も来ない」
「……っ!」
いつもとは違う僕の言葉を聞いて虚をつかれたような顔をした“リリィ”は、それまで強気だった瞳に不安の色を滲ませ、泣き出しそうに顔を歪めた。
――やめてほしい。
そんなに悲しそうな顔を、しないで欲しい。
長く麗しい黒髪と、大きな青碧の瞳。そして、自分に暖かく話しかけてくる“リリィ”に、どうしても「 」が重なってしまう。
“リリィ”と逢うべきではないと述べるのならば、本当はここに来なければ良いのだ。殺されたいのなら、街に続く一本道を降りていけばすぐに終わる。
でも、それができなかった。
――何故……?
何故だろうか、そんな風に自問自答する。
この「 」との思い出の場所で、最期を迎えたいと思ったからかもしれない。いつ殺されてもいいと、諦めてしまったからかもしれない。でも、それ以上に、“リリィ”と過ごす時間が暖かすぎた。
黙り込んだ自分を、潤んだ目で見つめてくる目の前の“リリィ”。
自分の側にいれば、あの時と同じようなことが繰り返されてしまうかもしれないのに、「 」と同じように“リリィ”の身にも危険が迫るかもしれないというのに、そう思いながらも……どうしても逢うことを、この場所に来ることを止めることができなかった。
自分の醜い気持ちを優先してしまった。“リリィ”に来るなと上からものを言いながらも、本当は違った。――逢いに来てしまう、逢いたいと思ってしまう。
「いつまでもこうしていられるわけではない」
「……っ! そんなのわかってる!!!」
自分の言葉を聞いた“リリィ”は、その瞳からぽろぽろと小さな雫を零した。
――ああ、綺麗だ。
その無垢な瞳から流れる雫は、美しい。僕のために流してくれた、その雫。
「……“リリィ”。危ないんだ。わかるだろう」
もう、あんな思いはしたくない。彼女の……「 」の二の舞にさせてしまう。それだけは避けたい。そうなる前に、そうなる前に消えなければ。“人間”達に殺されなければ。
頭では理解しているのに、どうしてもこの場所に来ることを止める事が出来ない。どうしても街に降りることが出来ない。胸が苦しくて、締め付けられるように痛む。どんなに頭では理解しても、心が現実を拒む。
そんな自分の考えを読み取ったのだろうか。“リリィ”はその青碧の瞳から大粒の涙を零しながらも、再び僕に強い視線を向けてきた。
「消えろって、言うなら。どうしてここに来てくれるの?」
「別に、君のために来ているんじゃない」
「嘘よ。だって貴方、私が『また明日ね』とか、『一週間後ね』って言ったら、ここにいてくれたじゃない。今日だって!!」
心が拒むほどに、“リリィ”の言葉が“ほうせき”のようにキラキラと輝きを増す。暖かい言葉。それは、化け物の自分には、手の届かないもの。求めてしまえば、また壊してしまうとわかっている。
だから、あともう少し……あと、もう少しで消えようと思った。“リリィ”の前から消えようと考えた。あと少しだけ。そんな風にずるずると引きずった結果が、これだ。
「違う。ここにきていたのは、この場所が僕にとって、とても大切な場所だからだ」
視線を落としながら、僕は話し出す。彼女のその強い瞳を見ながら話すなんていう力は、心に沸かなかった。もう、枯渇していた。
「大切な、場所……“人間”達に見つかれば、死ぬかも知れないのに。こんな人里に近い場所なのに、それなのに貴方はいつも来て……それほど、ここはおにいさんにとって大切な場所なの? 本当にそれだけ? おにいさんは、本当は……」
“リリィ”はそう述べると、最後まで話さずに黙り込んだ。
静寂が生まれて、お互いに黙り込む。耳に聴こえてくるのは、小鳥達が楽しそうに会話する声と、風に撫でられる草花の揺れる音。
「私は、決めたの」
「……なにを」
静寂の中で呟いた“リリィ”の言葉に、俯いていた顔を前に向けた。
――僕の視界には、“リリィ”の艶やかな黒髪が広がっていた。
「……なっ」
背中に感じるのは細く柔らかい腕。そして温かな体温と心音。
僕は“リリィ”に抱きしめられていた。
まるで昔のような触れ合いに心臓がどきどきと暴れだして、焦燥感から振り払おうとした。
「……離せ」
「私は離したくない。嫌なら、貴方が力尽くで私を離して」
ぎゅうっと力を込めて自分を抱きしめてくる華奢な身体は、暖かい。
でも、強い言葉や抱擁とは真逆に、その腕は震えていた。
「私は、絶対に離さない」
そう力強い声で告げた“リリィ”は、大粒の涙を僕の服に染みこませていく。
「……リリィ」
そんな言葉を告げられてしまっては、離すことなんて出来ない。
「……僕は」
自分に抱きつく“リリィ”に向けて、言葉を発しようと口を開いた。
でもその瞬間に、僕は声を出せなくなった。
「…どうしたの?」
自分達の周りから感じる気配と視線に――僕の頭には一つの考えが生まれた。
この敵意。
突然、苦しそうに顔を酷く歪めた僕を見て、“リリィ”は心配そうな色をその瞳に宿す。
ああ……やってしまった。
「“リリィ”……今すぐこの手を離せ」
バレてしまった。何故気がつかなかったのか。声が震える。息苦しい。早く消えるべきだった。
「い、嫌。どうしたの? おにい」
「いいから離せ!!」
そう叫ぶ僕に、“リリィ”は驚いたようにその双方の瞳を大きく見開き、一歩だけ後ろに後退さる。
でも、僕の腕を掴んでいたその手は離さなかった。
“リリィ”の暖かな手を振り払おうと腕を上げようとした途端。
「っ!」
一つの発砲音が聞こえて、僕は“リリィ”を抱きしめ素早く後方に飛び移った。
「え……」
この静かで穏やかな場所に似合わない不気味な音に、腕の中にいる“リリィ”は声を漏らした。
ガサガザと草を踏む足音が聞こえる。そして暫くすると、予想通りの者達が現れた。
「おい! いたぞ“竜”だ!!」
その大きく唸るような叫び声と、それに反応するかのように慌ただしくこちらに向かってくる複数の足音。
「“竜”め…! こんな所に隠れていたとは、殺してやる!!!」
叫んだ一人の“人間”は、その顔に憎悪をにじませながら、僕の方に銃口を向けてきた。その他にいる“人間”達も、同様だ。恐怖や嫌悪に歪む瞳は変わらない。
優しい風に撫でられ、揺れている草花。小鳥たちが楽しそうに会話し、そこは暖かな木漏れ日で溢れている。その箱庭の中で不釣合いなものが、沢山。
「おい! その女から離れろ!」
「なっ……なん、なの? 止めて! お兄さんに、そんなもの向けないで!!」
そう叫んだ“リリィ”の言葉に驚愕し、呆然と隣を見てしまう。現実に起きてしまった出来事に恐怖が湧いてくる。なんてことを言うのか!
“人間”と“竜”がいただけならば、その竜”が “人間”を捕らえていた、で済んだのに……“リリィ”は“竜”であるこの僕をかばってしまった。
「何だと……! おい女! お前、“裏切り者”か!」
「なんてことだ……! この街にも、“裏切り者”が出てしまうなんて!!」
そう罵る人間達に、“リリィ”は臆することなく強い意志を宿した瞳で、目の前の同胞である“人間”達を強く睨みつけていた。
――やめろ……。
この光景を見たことがある。
「やめるんだ、“リリィ”……!」
これは、彼女「リリア」と共に見た光景だった。
あの時も、同じだった。
――止めなさいよ! こっちに来ないで! そんなもの、向けないで!
――逃げて、逃げて“アーシェ”! 早く、お願い!!
必死に自分を逃がそうとした“リリア”。多くの銃口がこちらに向けられていた。銃口を向ける“人間”達の瞳には、敵意が溢れていた。
その視線を向けられた途端、彼女が巻き添えになると、咄嗟に僕は理解出来た。
そもそも“竜”を庇うなんて言葉、彼女には言わせてはいけなかったのに。考えが頭によぎった時には、彼女は多くの“人間”達の前に飛び出していた。守るように僕の目の前に立ちはだかり、その細い腕を広げていた。
やめろという言葉を発しようとした途端。
静かな箱庭に鳴り響いた、一つの銃声。
叫びながら逃げ惑う小鳥たち。踏みつけられた花々。
こちらに倒れ込んでくる“リリア”。空に舞うのは赤い鮮やかな雫。
光を失ってゆく、彼女の青碧の瞳。こちらに伸ばされた手。
黒い長い髪が、細い体が、力を失ったように、揺れて、揺れて。
彼女、――“リリア”は死んだ。
僕は叫んだ。
意識はそこで途切れた。
「お兄さん!? な、なんで、お兄さん!!」
「早く殺せ!! その“竜”を殺せ! 『竜化』されると面倒だ! 早く!」
“竜”の“青年”アーシェは、昔の――“リリア”との記憶を思い出しながら、視線をゆっくりと前方の“人間”達に向けた。
その瞳は森のような深い翠色をしているが、木漏れ日が当たると血のような朱色に、まるで万華鏡のように色が変わる。髪は真珠ように美しい銀髪、肌は白く、まるで絹のように細かく滑らかだ。そして何より、その風貌は端正で息を呑むほど麗しい。
その麗しい“竜”の“青年”アーシェは、後ろの“リリィ”にしか見えないように、ふっと微笑む。
その微笑みを見た“リリィ”は、驚きに言葉を失う。
「おにい、さん」
なぜなら、それは――“リリィ”が初めて見る、彼の微笑みだったから。
「この女は俺が利用していただけだ。全く、お前ら“人間”達は本当に愚かだな。優しく近づけばすぐに堕ちる。特に女は忠実に動く」
「……! 何だとっ! 忌々しい!! その口を塞げ! 死んでしまえ!」
激怒し始めた“人間”達が、今にもこちらに発砲しそうな雰囲気を醸し出した。
それを見て、僕は走り出す。
「おにいさっ!」
“リリィ”から離れて、離れて……“人間”達の方へ。
自ら死に近づいているというのに、胸に広がるのは安堵感。
嬉しさを感じるなんて、僕は可笑しいのだろう。
でも。
でも、少しだけ……視界が歪んだ。
ゆらゆら滲んで、見え辛い。
何故かは分からない。
でも、やっと、終わる……。
長かった……?
いや、あの日からは短かったようにも思える。
彼女は殺された。
“忌み嫌われた僕が逃げ落ちたこの場所で、竜”の僕に関わったがために殺された。
暖かい、多くの“ほうせき”のような言葉を僕に与えてくれた彼女。
ひまわりのような暖かい存在だった“リリア”。
僕は罰されなければならない。
彼女を見殺しにした僕は、罰されなければいけない。
ああ……女神フローラ様。
どうして、こんな世界をお与えになられたのです。
鳴り響く銃声の音。
体に走る熱い激痛に、呼吸が乱れる。
視界が歪む。映るのは自分に向けられた嫌悪と憎悪。
僕は守らなければならない。
ひまわりのように暖かい存在である“リリィ”を。
“リリィ”には死んで欲しくない。
“竜”の僕に関わったことで死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。
懐かしい思い出に浸りたかった。
“リリア”の“ほうせき”を探したかった。
罰されたかった。
そんな理由で訪れたこの場所で、“リリア”のように多くの“ほうせき”を与えてくれた“リリィ”。
どうして。
どうして、僕はこんなに、憎まれなくてはいけなかったのですか。
どうして、僕達はこんなにも、違う存在なのですか。
これも、僕への罰なのですか。
彼女を殺してしまった僕の罪への、罰なのですか。
どうして、この世界に産まれたんだ。
僕の醜い血が、青空に舞う。
揺れる双方の瞳がチカチカと万華鏡のように色を変える。
まだだ、まだ死ねない。もっと、もっと撃ってくれないと“竜”は死ねない。
早く、と思った。早く撃ってくれ。楽にして欲しい。
でも、そんな僕の思いは。
目の前に現れた“リリィ”によって、打ち消された。
「っ! く……な、あっ……に……行け!」
痛みと熱さで声が出ない。息を吐きだそうとすれば、熱いものが胃から込み上げてくる。
「嫌、嫌よ! こんなの嫌!」
「おい! 女! その化物から離れろ! 撃つぞ!!」
「……! お兄さんは化け物じゃないわ! 私達と同じよ! 姿が違うだけだわ!」
止めてくれ。“リリィ”にそんなもの向けないでくれ。僕だけを殺してくれ。そう叫ぼうとしたけれど、出たのは声ではなくて、真っ赤な血だった。
「山奥に向かう不審な者がいると聞いて来てみれば、こんな化物と会っていたとは……!」
「なあ、その女、まさか……“竜”と契ったのではないか!?」
「混血児だと!? それだけは避けろ! 殺すべきだ! その女も殺すべきだ!」
「ええ、殺しなさい! お兄さんを殺すなら私を先に殺しなさいよ!」
また繰り返される、それ。
静かな箱庭に鳴り響いた一つの銃声。
叫びながら逃げ惑う小鳥たち。踏みつけられた花々。
ふらりと揺れる“リリィ”。空に舞うのは赤い鮮やかな雫。
光を失ってゆく、彼女の青碧の瞳。守るように伸ばされた手。
黒い長い髪が、細い体が、力を失ったように、揺れて。揺れて。
彼女、“リリィ”は倒れた。
僕は叫んだ。
意識はそこで途切れた。
しとしとと、落ちる雨水。ああ……雨だ、雨が降っている?
周りにある草花は真っ赤に染まり、綺麗に赤く揺れている。綺麗な花は汚れていた。
小鳥達の歌は、もう消えない。とても静かだった。
ただあるのは、“人間”達だったものと、鮮やかな、真っ赤な色。
暖かな木漏れ日は消え、青空は灰色に。
綺麗な箱庭は、壊れた箱庭に。
僕の腕の中には君が。
「……ィ」
今にも消えそうな灯火の、君がいる。
その彼女の胸には赤い染みが。
肌は僕のように白くなり、桃色の唇は紫色に。
「“リリィ”……」
その瞳は微睡み、波打つ水の中のように見える。蒼青の瞳が、とても綺麗だ。
“リリィ”が消えそうになっている。
それを微かな心音が、直接僕の頭に伝えてくる。
僕の涙が、柔らかで愛らしいその頬にぽとりと落ちる。
「ごめん……ごめん。ごめん、“リリィ”」
守れなかった、“リリア”。
同じように、消えてしまう、“リリィ”。
後悔と孤独に蝕まれる日々。
僕の凍った心を、暖かく溶かしてくれた“リリィ”。
重なる面影。
失いたくない存在。
「“リリィ”……ごめん」
これから行うことに対する謝罪を、虚ろな瞳のままの彼女に告げる。
「大丈夫だ。大丈夫……今度こそ、君だけでも……怖くない……大丈夫」
同じ世界に連れていくことになる彼女に、せめての祝福を。
「フローラ様……女神フローラ様。お助けください」
この身に流れる醜い血を、この無垢で穢れのない彼女に与えることをお許し下さい。
「僕は、“リリィ”が、欲しい」
言葉をこぼすと、腕から流れる真っ赤な自分の鮮血を口に含み、“リリィ”にくちづけた。
命が失われつつある、彼女の冷たい唇に触れる。
これは、“竜”との契約。彼女の身体に染みゆくその血は、“竜”のもの。
彼女の魂に触れる。
これは。
「この魂」は――。
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お兄さん……。
優しくて綺麗な、“竜”のお兄さん。
時々寂しそうな顔で見つめてくる、お兄さん。
貴方の笑った顔が見たいと思った。その万華鏡のような瞳に触れて。
何かを諦めてしまったような、その表情に、悲しさを感じた。
“竜”は殺すべき存在だと教えられても信じられなかった。
何故? どうして? こんなにも綺麗で優しい彼なのに。
傍にいたかった。たとえ終わりが見えていたとしても傍にいたかった。
彼が欲しかった。拒絶する恐怖心も、嫌悪感も浮かばない。
ただ、傍にいたかった。暖かく静かなこの箱庭で、貴方の隣に座っていたかった。
守りたかった。
約束。
ああ……“アーシェ”。
ねぇ、“アーシェ”。私きっと、貴方にまた出会うわ。
だって、貴方が寂しいことばかり言うんですもの。
きっときっと、絶対貴方の傍にいるから、だから。
その時は、私を見つけてね。
その優しい瞳で、私を包み込んでね。
ね……? 約束、よ。
目の前に広がる色とりどりの万華鏡。
真珠ように美しい銀髪、そして優しい貴方。
目の前に広がる蒼青の瞳。
長い黒髪、ひまわりのような笑顔、そして“君”。
「“リリア”……いや“リリィ”……?」
“竜”の“青年”、 “アーシェ”は腕の中にいる彼女に話しかけた。
その言葉を聞いた少女は、嬉しそうに、まるでひまわりが咲くかのような暖かな笑顔を溢れさせる。
「ただいま……お兄さん。私のアーシェ」
――巡るに巡って、私はもう一度貴方に出会う。
「また逢えた」
拙い文を読んで下さり、ありがとうございました。