トシユキ
少年は走っていた。
何かを探すように、分かれ道では周りを見渡し、逡巡した後に道を選んでいた。果たして、何を探しているのだろうか? それとも、誰かを追いかけているのだろうか?
少年は時折、懐からスマートフォンを取り出すと、現在位置を確認したり地図を表示させていた。何かのあてがあるのかも知れない。
何時間かの疾走の果て、少年は町外れの廃棄場跡に来ていた。
そこには、見知った家電製品と、使い方のよく分からない製品類が、ごちゃまぜになって棄てられていた。そして、その奥に何か蠢くものを見つけて、少年は近付いた。
そこに居たのは、何かのガラクタの寄せ集めのようにしか見えなかった。見ようによっては、人間に似通った姿をしているようにも思える。
しかし、あろうことか、少年はソイツに話しかけたのだ。
「兄さん!」
こんなガラクタが、少年の兄なのだろうか? 果たしてガラクタは少年に返事をした。
「な、何だ……、と、トシユキか。ど、どうしたん、だ?」
たどたどしい返事から、何か人間ではないものが、無理をして人語を話しているようだった。
トシユキと呼ばれた少年は、兄──と呼んだガラクタに返事をした。
「兄さん。家に変な奴がやって来た。僕等のやってる事に気が付いたんだ」
焦って話しかける少年に、ガラクタは次のように言った。
「そ、それくらい……、な、何でもない。も、もう……、こちらの準備は、で、出来た。……あ、後は、術を完成させ……るだけ、だ」
ソイツは、そう少年に返事をした。
「じゃあ、出来たんだね。父さんと母さんを生き返らせる事が出来るんだね」
生き返らせる? この少年は、いったい何のことを話しているのだろうか。
「そ、そうだ……、と、トシユキ。も、もうすぐ、だ。もうす……ぐ、と、父さんと、か、母さんに……あ、会える……るん、だ」
ガラクタはそう応えると、ゴミ捨て場に作られたボロのテントに入り込んだ。トシユキも、続いてテントに入る。
テントの中は、暑さと腐臭で、むせ返っていた。しかし、トシユキは平気な顔をして兄と呼んだガラクタに着いて行った。そこには、二体のマネキン人形が服を着せられて寝かされていた。
人のように動いて喋るガラクタ。二体のマネキン人形。まともな人間は、トシユキという少年しかいない。これは、いったいどのような状況なのだろう?
「さ、さぁ……、さ、最後の儀式、だ。こ、この呪文を……、に、人形の額に、か、かき、書き込め……ば、じ、術は……完成、する。う、虚ろな、に、人形、うに……、た、魂を、宿らせ……る事が、で、出来るん……だ」
ガラクタはそう言うと、アートカッターで、怪し気な呪文の文字を人形の額に刻み始めた。
──カリカリ、カリカリカリ
マネキンの額を削る音だけが、テントの中に大きく響いていた。いつの間にか、蒸し暑かったテントの中は、鳥肌を誘うような冷気が漂っていた。
「お、終わった、ぞ……、と、トシユ……キ」
兄と呼ばれたガラクタの塊が言った。
彫り込んだ呪文の効果は如何ようなものか。しばらくすると、二体のマネキン人形がブルブルと震えると、動き始めたのだ。のみならず、口と思しきところから、声さえ発したのである。
「うう、う。あああああ。こ、ここは、ど、何処だ。私は、どうなったのだ……」
それを聞いた少年は、人形に話しかけた。
「父さん、父さんだよね。聞こえるかい? 僕だよ、トシユキだよ」
すると、人形は声を発したどころか、彼の問い掛けに応えたのである。
「と、と、と、……トシユキ」
それを聞いたトシユキの胸の内から、熱いものが込み上げてきた。思わず、父と呼んだ人形の手を握って、会話を続けようとした。
「そうだよ、トシユキだよ。兄さんもいるよ」
「と、父さん……も、か、かか、母さんも、……い、生き返った……たんだ、よ。また……、い、一緒に、暮らせる、……るんだ、だ」
兄と呼ばれていたガラクタも、たどたどしいながら、少年に続いてそう呼びかけた。
「そ、そ、そ、その声は、ヒデアキ……かい」
すると、もう一体のマネキン人形も、言葉を返したのである。
自分の掛けた術の効果に満足したのか、ガラクタは、人形達に次のように話しかけた。
「そ……そうだ……よ、か、母さん。き、気分は、どうだだ、だい?」
そう問いかけられたマネキン人形は、
「く、くく、く、苦しい。ど、どうして生き返らせ、た。と、とても苦しいぃぃぃぃ」
「あ、あたしも、だよ。ど、ど、ど、どうして、こんなに苦しいんだぁあああぁぁぁぁ」
と言って、苦しみ始めたのだ。
「どうして。兄さん、術式は成功したんでしょう?」
トシユキが、兄に尋ねた。ガラクタの寄せ集めのような兄は、
「か、完璧なはず……だ、だ。ど、どうし、て? と、父さん……、か、母さん、……だ……大丈夫か、かい?」
と、繰り返して問いかけた。しかし、術を使ってマネキンに憑依させた両親は、今だ苦しそうだった。
「兄さん。父さんも母さんも苦しそうだよ。どうしたのかなぁ?」
だが、その問に答えたのは、兄ではなかった。
「即席のゴーレムなんかに、人の魂を封じたからだ」
テントの入り口付近で、呟くような声が聞こえた。
「だ、だだ、誰だ!」
兄は、そう叫んで振り向いた。
そこに居たのは、ヨレヨレの上下にボロボロの黒いコートを羽織った貧相な男だった。帽子の下に見える目は、腐った魚のように淀んでいて、それが妙に印象に残った。
「オレか? オレは、虫取り屋。アンタ方、やっちゃいけないことに手を出したね」
相変わらず独り言のようなか細い呟き声だったが、何故か兄弟達にははっきりと聞こえた。
「と、トシユキ……、こ、コイツが、……家に来たやつ……、か?」
兄が弟に問うた。
「ち、違うよ。家に来たのは、もっと若くて、清潔そうな人だった」
弟の言葉に、虫取り屋はチラリと自分の風体を見やると、
「そうかぁ。やっぱり薄汚く見えるかなぁ。これでも、ちゃんと洗濯をしてるんだが……」
と、少なからず、彼はその身なりを気にしているようだった。
「僕達はずっと二人っきりだったんだ。父さんも母さんも事故で死んじゃって。兄さんだって、病気で残り僅かの命だったんだ。少しぐらい、人生の中で良い思いをしたっていいじゃないか!」
激情したトシユキは、怪しい帽子の男にそう言い返した。
「兄さんとやら。アンタの身体も『仮の器』だね。『魔術師』だねアンタ。その能力と知識、何処で得た」
虫取り屋の問い正す声は、相変わらず小さく独り言のようだったが、少なからず恫喝と恐怖を与えるものだった。
「どうしてだよ! どうして死に別れた家族に会うのが、そんなにイケナイことなんだよ。良いじゃないか、少しくらい」
応えたのは、トシユキだった。
虫取り屋は、その腐った魚のような目をトシユキに向けると、
「それは、この世の理に反しているからだ」
と、冷たく応じた。
「ゴーレムに封じられた父母は、永劫に苦しみ続ける魂の牢獄にいるのだ。悪い事は言わん。開放してやれ。お前達のやっている事は、生きている人間の我儘だ」
今日の虫取り屋は、妙に饒舌だった。いつもなら、既にガラクタで出来た兄も、マネキン人形の両親も、二丁鎌で切り倒していたろう。
「どうしてだよ。どうして。僕等兄弟は、今まで二人だけで、辛い毎日を生きてきたんだ。少しくらいの我儘なんて、聞いてくれてもいいじゃないか!」
興奮したトシユキが、そう叫んだ。
「じゃぁ、そこで苦しんでいるお前達の両親を見て、何とも思わないのか? 悪い事は言わん。魂が定着する前に、開放してやれ。このままでは手遅れになるぞ」
虫取り屋にそう言われて、トシユキは、苦しんでいるマネキン人形達を見た。相変わらず、無表情のマネキンは、苦しそうな声を上げて悶えていた。
「お前達の両親は、安らかな死を迎えた筈だ。それをこんな風に、世の理に逆らって偽りの生を与えるなど、間違っているんだ。……重度のバグと認定。これよりデバッグを開始する」
何の表情も見せない虫取り屋の声は、何故か苦渋に満ちているように思えた。
そして、虫取り屋がテントに入り込もうとしたその時、両親の魂を封じ込めたマネキンの首が宙に飛んだ。同時にボロ布で作っていたテントも、千切れて飛んでいった。
「だ、だだ、だ、誰だ!」
ガラクタの兄が、そう叫んだ。
そこに立っていたのは、人の背丈ほどもある長刀を手にした青年であった。
「はぁい、虫取り屋さん。お手伝いに来たよぉ」
と、明るく応える青年は『楽園の番人』──朽木楽土であった。
「貴様、……酷い事を」
虫取り屋が呻くように言った。
「たかが人形に、何を情けかけてんの。僕はアンタの手間を省いてやったんだ。お礼ぐらい言って欲しいね」
と、青年は、ふてぶてしく言った。
「ああああ、父さん、母さん。兄さん、父さん達が! 父さんと母さんが!」
泣き叫ぶトシユキに、ガラクタで出来た兄は、
「よ、よくも……俺達……の、り、両親、を。ゆ、ゆ、許さない……いぞ」
と、怒気を含んだ言葉を吐いた。
「だからねぇ、魔術師のお兄さん。それはルール違反なんだよ。死んだ人間は、死んだままにしておかなくちゃ。禁を犯すものには、ペナルティーが課せられるよ。まぁ、それは僕の仕事じゃないんだけれど。それより、お兄さんの方。『黒い球体』について知らないかなぁ? 君のその身体も、球体から得た技術で作ったんでしょう」
それを問われた兄は、
「そ、そうだ。……『黒い球体』、は……、お、俺達、きょ、兄弟に……希望、を、あ、あ、与えてくれ……た。し、しかし……、もうそれは……、て、手元に、無い。い、いつの間に……か、き、きき、消えてしまっ……た……。な、なぁ、お、俺達……の、や、やって、ている、る事、は……、ま、間違ってい、いるのか、か? お、教えてく、れれ」
と、ガラクタは、切羽詰まったように尋ねた。
「だってよ、虫取り屋さん。しっかり教えてやれよ、正義の味方。これは間違いだって」
そう言う楽園の番人に対して、虫取り屋は沈黙したままだった。
「ズルイなぁ、虫取り屋さんは。こんな時だけ良い子ぶっちゃって。これじゃぁ、僕だけが悪者みたいじゃないか。仕方ないなぁ。アンタがそのつもりなら、今回のデバッグは、僕がやっちゃおうかなぁ」
ふてぶてしい楽園の番人の態度に、虫取り屋から、<ギン>という波動が放たれた。それは冷たく、厳しく、重いモノだった。その場の重力が倍になったような気がした。
その波動に、楽園の番人さえ片膝を着いた。背筋を冷たい滴が伝い落ちる。
「よう、楽園のぉ。お喋りもその辺にしとけ。でないと、お前の首が飛ぶぞ」
相変わらず独り言のようではあったが、その言葉には有無を言わせぬ力がこもっていた。
「さ、さすがは虫取り屋、さん。それが、アンタの本性かい……」
さすがの楽園の番人も、声が振るえていた。いつの間にか、虫取り屋の両手に赤錆た草刈り鎌が握られていた。どこかのホームセンターで安く売られているような、柄の短い鎌だった。いつ、どこから、どうやって取り出したのか。それは、誰の目にも分からなかった。
激しい鬼気を放ちながら、虫取り屋は、静かに楽園の番人に近付いて行った。
「あ、あれあれ? 今日の虫取り屋さんは、機嫌が悪いようだ。ここは、おとなしく退散することにしよう。僕だって、まだ死にたくはないからね」
虫取り屋の鬼気に震え上がった楽園の番人は、そう言って何処へともなく煙のように消えてしまった。
「後は、魔術師の兄ちゃん、アンタだけか」
虫取り屋が、溜息を吐くように言った。
「お、俺の事、は……仕方がな……い。し、しかし、お、弟は……、と、トシユキだけ、は……、か、勘弁してく……くれ。ご、後生だ……から」
たどたどしい兄の言葉に、虫取り屋は頷くと、ヒタヒタと彼に近付いて行った。
「や、やだよう。父さんも母さんも居なくなって、兄さんも死んじゃったら……。ぼ、僕は一人ぼっちになっちゃうよ。そんなの、そんなのやだよう」
弟が、泣きながら懇願していた。
「す、済まん……な。な、なぁ、トシユ……キ。お、俺は……、も、もう、し、死んで……るん……だ。そ、それが……、ま、まだ……こんな所、で、……ウロウロしている……のは……、る、ルール違反……なん……だ。……わ、解ってく、れ」
「いやだよ。嫌だ、嫌だ、嫌だぁ」
トシユキは聞き分けがなかった。ガラクタで出来た兄は、仕方なくトシユキに近付くと、その額に手に相当する部分をあてがった。すると、少年は何らかの術にかかったのだろうか、急によろめいて、その場に昏倒して仕舞った。
「む、虫取り屋、さん……と言った……か。す、済まん、が、……あ、後は……お願い……す、
する。ご、後生だ……から、と、トシユキの……事、事を、よろしく……頼……む」
ガラクタで出来た兄は、詰まりながらも最後の言葉を残した。
「分かった……」
虫取り屋はそう言って頷くと、ガラクタ人形に右手の鎌をふるった。バケツで出来た頭のようなモノが宙空に舞うと、地面に転がって、ガラガラという音を立てた。
「デバッグ終了。後処理に入る」
最後に虫取り屋は、そう独り言のように呟いた。
その日の夕方、場所は静かな住宅街。一人の少年が庭に水をまいていた。
「トシユキ、もうすぐ夕御飯よ。父さんも帰ってくる時間だから、中に入って片付けを手伝って」
家の中から、母親らしき女性の呼ぶ声が聞こえた。
「はぁい、分かったよ、母さん」
トシユキと呼ばれた少年は、水道の蛇口を閉めると、ホースを片付けて家の中に入った。
低い生け垣の向こうでは、貧相な帽子の男と、小さなバケツを被ったあどけない顔の人形がそれを見ていた。
「どうだ、兄ちゃん。これで安心したかい?」
帽子の男は、そう独り言のような言葉を発すると、人形を庭の隅にそっと置いた。
そして、そのまま何処へともなく姿を消していった。