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神工知能  作者: K1.M-Waki
3/9

サキコ

 少女は暗い町並みを走っていた。


──誰かに追いかけられている


 さっきまで感じていた、この奇妙な感覚が本物だと気が付いたからだ。

 彼女は紺の膝丈のスカートに、白のブラウス、その上にはブラウンの薄手のUVカットのパーカーを着込んでいた。丸顔で小柄な少女は、何か愛嬌を感じさせはするものの、お世辞にも美人とは言えなかった。そんな彼女が、駅を降りた時から粘着(ねばつ)くような視線を感じていた。


 走っていた少女は、一旦四つ角で立ち止まった。


──誰かが追いかけてくる気配は……ない


 しかし、ホッとしたのも束の間、左手の道から視線を感じた。彼女はビクンと身体を震わせると、反射的に右の道を選んで走った。


 ここ数日、少女は誰かの視線を感じていた。別に意識している訳ではない。小柄で小太り、顔も十人並みと、特段美人でもスタイルが良いわけでもない。学生時代から、男の子に声をかけられた事はなかった。高校を卒業して就職した今も、それは変わっていない。

 それが、この数日間で様変わりした。誰かが観ている。自分が監視されているように感じていた。これがストーカーか? しかし、本人と出くわしたわけではない。心当たりがなければ、警察に訴える事は出来ない。返ってバカにされるだけだと、彼女のこれまでの人生が物語っていた。


(誰だろう? いつからだろう?)


 帰りの電車の中で、彼女は心当たりがないか、もう一度数日前からの記憶を思い返していた。

 そんな矢先、今日、駅を出てからずっと視線を感じていた。いつもとは違う。獲物を追い詰める獣のような視線だった。

 彼女は視線を恐れ、後ろを気にしながら、早足で帰り道を歩いていた。街灯は点いているものの、夜空は曇っていて暗い。本来なら、『今日は真ん丸の十五夜だ』と誰かが言っていた。

 暗がりの中を急ぐ彼女は、時折さっきのように、分かれ道でプッツリと視線が消えることに気が付いた。しかし、その度に別の方向からの視線を感じた。彼女はそれから逃げるように、道を右へ左へと曲がっていた。そして、遂にたまらなくなって、駆け出したのだった。


 追い詰められている。そう感づいたのは、少し前からだった。彼女は、視線に誘導されるように、街路を町外れへと向かわされていることに気づいていた。しかし、それに逆らって、町中に戻ることは出来なかった。どう、角を曲がろうとも、その度に視線を感じ、思いとは違う方向へと、導かれてしまうのだ。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう)


 彼女は胸の内で反芻するも、打つ手は無かった。


 そして、遂に、彼女は町外れの廃工場跡に行き当たった。そこには、何に使うのか分からない機械や作業車が、赤錆たその(むくろ)を晒していた。

 人気は? 勿論、全くない。


──追い詰められた


 彼女はそう感じていた。

 せめて、武器になるものはないか? 彼女は暗がりの中、廃工場の敷地を宛てども無く探してみた。

 視線は続いている。早くしなくては。焦る気持ちばかりが先に立って、手足が震えて何も出来ない。

 焦る彼女に、突然、暗闇から声がかけられた。

「どうした、嬢ちゃん? こんな人気の無いところ、危ないぜ」

 少女は、一瞬硬直して動けなくなったが、さっきから感じていた視線が無くなったことに気が付いた。


──この人ではない


 目の前の男は、白シャツにしわくちゃのグレーの上下を着て、黒いボロのようなコートを羽織っていた。頭には鍔広の帽子を被っている。見たところ素手のようだ。無精髭を生やした男は、『成功者』とは真逆の存在と感じられた。


(浮浪者かな。それとも、ホームレスかしら?)


 少女はそう思った。追いかけている視線の主ではない。だってこの人の目は、腐った魚のようで、何の覇気も感じられないのだから。

 だが、一人っきりで追いかけられていたのが二人になって、彼女が何だか心強くなったのは確かだった。


(この人に助けてもらおうかしら)


 落ち着きを取り戻した少女には、そんな事を考える余裕すら出来ていた。

「嬢ちゃん、一人か? オレは虫取り屋。アンタ、厄介なモンに追いかけられてるね」

 眼前の男は、まるで独り言のようにそう呟いた。微かなそよ風にも吹き消されそうなか細いその声は、何故か少女には、はっきりと聞き取れていた。

「サキコ。武藤(むとう)咲子(さきこ)です。駅を降りた辺りから、誰かに追いかけられているんです。す、ストーカーのような。虫取り屋さん、……と言いましたか。助けてください」

 サキコは、こんな状況だというのに、珍しく饒舌だった。普段は、同僚の女性スタッフに声をかけるのにもオドオドしているのに。

「ふむん」

 虫取り屋と名乗った男は、頭の横を掻きながらサキコに近付いてきた。彼女は、男のクタクタな外見と、異臭を放つように感じられるだらしなさから、若干の嫌悪感を感じていた。しかし、今頼れるのはこの男しかいなかった。

 二人が顔を見合わせられる距離になって、サキコは安堵した。


(悪いことの出来るような人じゃないわ。良いことも出来なさそうだけど……)


 そう思って出来た心の隙を突くかのように、サキコを鉤爪の付いた豪腕が襲った。

「きゃぁぁぁぁ」

 と、サキコは叫び声をあげると、思わずしゃがみこんだ。風を切る<ゴウ>という唸りが頭の上から聞こえた。

 彼女が悲鳴を上げるのと、<キン>という鋼と鋼が打ち合わされる音が響いたのと、どちらが早かったろう。少女がオドオドと頭を上げると、鉤爪は間一髪、赤錆た草刈り鎌に受け止められていたのが見えた。

「おっちゃん、ボディーガードか何かかい? 良いところを邪魔してくれるじゃないか」

 豪腕の主が、呻くように言った。


(この人が視線を送っていた人だわ)


 サキコは、本能的に理解した。逃げなくては。彼女は、半ば四つん這いになりながらも、虫取り屋の背後に周り込んだ。

「あんちゃん、普通の人間じゃないね。その力、何処で手に入れた?」

 虫取り屋の問に、男は、

「そんな事、誰が言うもんか。これは俺だけの最強の力だ。誰にも渡さねぇ。それよりおっちゃん。邪魔してくれた分は、払ってもらうぜぇ」

 男がそう言うと、彼の身体がメキメキと音を立て始めた。半袖のティーシャツの上からでも見てとれるゴツイ筋肉は、更に膨れ上がった。むき出しの腕には剛毛が生えそろい、顔は牙を伸ばした異形のモノに変形(へんぎょう)しつつあった。


 いつしか満月が明るく三人を照らしていた。


 男の目は凶暴な獣のそれに変わり、鼻面が長く突き出していた。膨張を続ける筋肉の盛り上がりに、遂に耐えきれなくなったシャツが、内側から引き裂かれて弾け飛んだ。肩も胸も腹も、褐色の剛毛に覆われている。

 男は満月の明りの下で、四足の巨獣へと変貌を遂げつつあった。


「ワーウルフ──狼男か。獣人とはいえ、なかなか趣味が良いな」

 帽子の男──虫取り屋が、独り言のように呟いた。

「ソイツは俺の獲物だ。最近の女にしては、香水も化粧品も付けてない上玉さ。ゴテゴテと化粧で誤魔化した女なんて、喰えたもんじゃねぇからな」

 獣と化した男が応えた。

「その点は賛同しよう。ところでお前。もう一度訊くが、その力、どうやって手に入れた? 『黒い球体』からか?」

 虫取り屋は臆することも無く、再度眼前の獣人に尋ねた。

「それはさっきも言った通り、秘密だぁ。カハハハハハ。おっちゃん、先に地獄で待ってなよ」

 ワーウルフはそう言うと、四つん這いの姿勢からググっと身体を持ち上げ、その二本の後ろ足で立ち上がった。

「ふむ。文献によると、ワーウルフは四足獣の姿に反して、二足直立の方がパワーも瞬発力も高いと聞く。まさにその通りのようだな」

 虫取り屋が、また独り言のように呟いた。いや、本当に独り言だったのかも知れない。

 自然に垂れ下がった彼の両腕には、赤錆た草刈り鎌。果たして、そんな安っぽい武器で、獣人の攻撃を防げるのだろうか?

 ワーウルフとなった男が、一気に飛びかかろうとしたまさにその半呼吸前、虫取り屋の姿がユラリと霞むと、二人の間の距離は一瞬に縮まった。虫取り屋の右手の鎌が、ワーウルフの喉笛を狙う。獣人は、それを間一髪で上体を仰け反らせてかわした。いや、かわしたつもりだった。

 しかし、剛毛で覆われた喉笛は、横一線に傷口を開くと、どす黒い血を辺りに撒き散らした。

「グゥワァァアァッァアッァアアアア」

 と、狼の苦鳴が辺りに響き渡った。

 やった、とサキコは思った。これで助かると。

 しかし、獣の苦鳴は、段々に笑い声に変わっていった。

「クッククククク、グエッゲッゲゲゲッゲ。やられたぁ、なぁ〜んてね。クククク、これくらいで俺様が参ると思ったか。よう、おっちゃん。文献には、こうも書いてなかったか? 狼男は不死身だと。アアッハッハッハッハ」

 彼の言う通り、喉笛の傷はみるみるうちに塞がり、跡形もなく再生したのだ。


(ダメだ。やっぱり、わたし達、殺される)


 サキコは絶望感にくれていた。一方の虫取り屋は、どう感じていたろう。生気のない目と同様、その表情も、見かけからはほとんど分からなかった。

 そんな虫取り屋が、再度、鎌を振るおうと腕を振り上げた時、遂に狼男は、その戦闘力の一片を表した。ソイツは一瞬のうちに虫取り屋に飛びつくと、その腕に噛み付いたのだ。のみならず、深く噛み切った腕を掴むと、なんとその腕を引き千切ったのである。鮮血が撒き散らされ、主を失った草刈り鎌がカラカラと地面に舞う音が月明かりの下に木霊する。

「キャァァァァァァァァ」

 サキコの悲鳴が明るい夜空に響いた。

 腕を引き千切られた虫取り屋は、苦痛に顔をゆがめ……なかった。相も変わらず、その生気のない瞳で狼男を見つめていた。自分の右腕が噛み千切られたにもかかわらず、片腕を失った痛みも感じず、何の感慨も抱いていないかにさえ見えた。

「すげぇな、あんちゃん」

 彼は、ポツリと独り言のように呟いただけだった。腕の傷口から流れ出す血も、いつの間にか少なくなり、今はポタポタと滴を落とすくらいに治まっていた。

「おっちゃん。なんてクソマズイ血なんだ。垢まみれのホームレスの爺さんだって、これほど不味くはなかった。おっちゃん、アンタも普通の人間じゃないな」

 狼男の声をよそに、

「重度のバグと判断。デバッグを開始する」

 と、虫取り屋と名乗った男は独り言のように呟くと、サキコの胸元に左手を伸ばした。少しばかり白くなった顔がサキコに近づく。彼女は「ひっ」と悲鳴をあげて後退ったが、虫取り屋は有無を言わせず少女の胸元から、銀の十字架のアクセサリを掴んで引き千切ると、口に咥えた。

「何だよ、おっちゃん。お守りのつもりか? 残念だが、アンタはここであの世行きだぁ。閻魔様への言い訳を考えておくんだな」

 勝ち誇ったワーウルフは、そうがなりたてると、虫取り屋に止めをさすべく飛びかかった。

 片腕の虫取り屋が、左手の草刈り鎌で迎撃する。

 二つの影が合わさった刹那、今度こそ狼男が苦鳴を上げた。

「グゥワァァァァ、何だこれは。身体が焼け付く」

 そう叫ぶ獣人の胸には、鋭い鎌の切っ先が沈んでいた。

「知らなかったかい? 狼男の弱点は銀の弾丸だ。今回はただの弾丸じゃなく、銀の十字架だ。どうだい、よく効くだろう」

 何の抑揚もない虫取り屋の声が、そう語った。あの一瞬の攻防の最中に、虫取り屋は鎌の切っ先に銀の十字架を取り付けると、そのままワーウルフの胸に突き立てたのである。

「グウウゥゥゥ、熱い、身体が焼ける。ウォォォォ、何とかしてくれぇ」

 苦痛にもがく狼男に、虫取り屋は三度(みたび)質問した。

「おい、『黒い球体』は何処だ。お前が持っているんだろう」

「分かんねぇよ。確かに、玉は俺に力をくれた。で、でも、知らない間に無くなってたんだ。どこかに行ってしまった。ほ、本当だ。だから……、助けてくれ」

 死を意識した獣人が、懇願する。しかし、虫取り屋は、

「おい、あんちゃん。お前は大きなバグた。修正されねばならん。悪いが、助けることは出来ん」

 虫取り屋は鎌を更に奥深く切り込ませると、狼男は白目をむいて悶絶した。そして、そのまま地面に倒れたきり、動かなくなった。今は変身も解け、若い男の体躯に戻っていたが、その心臓はもう鼓動を打つことはない。完全死である。

 虫取り屋は、倒れた男から鎌を抜き取ると、興味が失せたように自分の右手が転がっているところへ歩いて行った。そして千切れた右腕を拾うと、それを傷口に押し当てたのである。

 しばらくそうしていると、彼の右腕は何事も無かったかのように動きを取り戻した。引き千切られた腕を、元通りに再生するなどの芸当は、普通の人間には出来るはずもない。彼もまた、異形のモノであった。

「嬢ちゃん、狼男は倒したぜ。もう大丈夫だ」

 虫取り屋が(うずくま)って震えているサキコに手を差し伸べようとした時、彼女はいきなり虫取り屋に飛びかかり、その喉笛に牙を打ち込んだのである。

「くうう。しくじった。嬢ちゃん、アンタ、既に噛み付かれていたのか」

 狼男に噛み付かれて助かった者は、傷口から悪魔が入り込み、襲われた当人も狼男となる。サキコも何回かの尾行の際に、このワーウルフに噛み付かれていたのかも知れない。

 明るい満月の光を浴びて、少女も獣人に变化(へんげ)し始めていた。噛み付いた牙は鋭く長く伸び、虫取り屋を更に追い詰めていた。

「クゥゥゥ、更に面倒な事になったな……」

 さっきの格闘で血を流し過ぎた。さすがの虫取り屋も、苦戦を強いられていた。

 どうする? 彼女はワーウルフと化したとはいえ、さっきまで恐怖に震えて助けを求めていた少女である。普通の人なら、愛着が邪魔となり、そのまま喉笛を喰い千切られて絶命するだろう。

 だが、虫取り屋は普通の人間(・・・・・)ではなかった。何の感慨もなさげに、手にした草刈り鎌でサキコの首を切り飛ばしたのである。寂れた工場跡の地面に、狼の頭が転がった。一方、胴体の方はというと、首から鮮血を迸らせながら、工場の敷地を右往左往していた。しかし、それも五分程で終わり、パッタリと地面に倒れてしまった。

「デバッグ終了。後処理に入る」

 虫取り屋はそう呟くと、サキコの首を拾って、彼女の胴体へと歩みを進めた。




 武藤咲子が、自宅のアパートへ戻った時、時刻は夜の十時を既に回っていた。駅を降りてから、不審な視線に追いかけられていたのである。町並みを右往左往し、ようやくストーカーをまくと、全力疾走で自宅へと戻ったのである。

 彼女の全身は、汗でグッチョリと濡れていた。サキコは服を着替えていて、妙な事に気が付いた。いつも着けているお気に入りのペンダントが無いのである。

「どうしちゃったんだろう。アレ、高かったのになぁ」

 サキコは少し落胆したが、無くなったものはしようがない。

 彼女は、冷蔵庫から冷凍うどんを取り出して、電子レンジで解凍した。温まったうどんに、かつお節と生卵を落とし生醤油をかけて、簡単な夕食とした。


──明日も仕事だ。もう眠らないとならない。


 サキコは、寝支度をすると布団に潜り込んだ。

 明日からは、もうストーカーに追いかけられる事は無いだろう。不思議とそう確信していた。しかし、それがどういう訳なのかは、彼女には分からなかった。



 サキコの住むアパートの外では、ボロボロのコートを羽織り、鍔広の帽子を被った貧相な男が立っていた。しかし、その男も、彼女の部屋の電気が消えると、夜の静寂へと消えていった。




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