(6)
私は失念していたのだ。自分がなんでもない所で躓くような運動音痴であることを。そもそも、人に物を投げてはいけないという幼稚園児でも知っているお約束を。
「きーしーだーぁ!!」
筆箱は確かに命中した。佐々木君のもとへ向かっていた先生の背中に、ぼふっとあたり、ぽとりと床に落ちた。
「ひーっ違うんです、先生!!」
「何が違うんだぁ。お前、全く反省してないな!これはアレか、逆襲かぁ!?それ以前に人様に物投げていいと思ってんのか?幼稚園からやり直しなさいよ!」
目じりを上げても糸のような目で、それでも笑みを浮かべたその目だけ笑っていない器用な表情で怒る先生にひーっと再び悲鳴を上げそうになる。
周囲では、そんな私と先生のやり取りをくすくすゲラゲラ笑うクラスメイトの姿と、もはや隠す気もないのか腹を押さえてこみ上げる笑いに机を叩く奴の姿。ああ、これが四面楚歌ってのですか。哀れ私は、独りすみませんと先生に歌うのだった。
「いやー、笑えた笑えた。八重のおかげで腹筋が痛いわよ。」
「なっちゃん!それは褒め言葉じゃないよ。私泣きそうだったんだよ!」
地獄のような数学を終え、ぐったりと机に突っ伏する私に元に親友が見舞いに来る。なっちゃんこと、入本 夏樹である。
「相変わらず、志々目の餌食になってんのねぇアンタ。」
「うう、返す言葉もございやせん。」
なっちゃんは数少ない、志々目 仁の裏の顔を知っている人の一人だ。何でも同類には鼻が利くとかなんとか。類は友を呼ぶというが、どうしてこうも私の周りには腹黒い人種が集まるのだろうか。
「まぁ、羞恥でプルプル拳を震わせたアンタ、可愛かったからあたしは満足だけど。」
どんな面か拝んでおこうと横を向けばにっこりとほほ笑まれ、疲れた身体が更に重くなった気がする。また机とにらめっこを再開させながらぽつりと一言。
「なっちゃん、さっき爆笑してたもんね。実害なければそりゃ楽しいでしょうよ。」
「ふふ、楽しませてくれて、あ・り・が・と。お礼と言っちゃなんだけど、担任の呼び出し今日行かなくても大丈夫よ。」
吉報に伏せていた顔を素早く横に向けながら、なっちゃんに先を促す。耳に寄せられたなっちゃんの唇から、密やかな囁きが吹き込まれた。
「アンタに代わって、仲直りがてらあたしが仕返ししといてあげる。」
それは担任の先生の振られた発言が明日には撤回されるという予告で、彼女の中でどんな心境の変化があったか知らないがにんまりしてしまう。誰かが幸せになることはうれしいことなのだ。これは決して、数学から解放されるという理由ではなく。ただ友人の恋を応援するモノとして、心からの祝福を。