(2)
「…ぃっ「じゃあ、岸田が考えてる間に次のとこ当てとくからー。」
間が悪く、開きかけた口からの数字は虚しくも掻き消されてしまう。総動員された勇気は見事にミジンコの如く何処かへ飛んでいく。今度こそ、ピーと頭の中で思考停止の音がなる。
「んー、今日の日直これの次解いて。」
先生は気まぐれに、本日の日直を指名した。私がモタモタしていなければ、恐らく当てられずに済んだであろう犠牲者。罪悪感から、自分の現状を放棄して哀れな子羊の分も怨みを込めて先生をじとっと見つめる。私の睨みを気にする風もなく、担任は教卓の横に自分で常備した椅子に腰を降ろした。何でも、生徒が着席出来るのに教師は椅子に座らないことが、常々不満だったらしい。先日のホームルームでのことだ。我が校は、単位制で構成された県内でも珍しい公立の高校で、生徒1人ひとり時間割が違うことで有名な学校である。一限目に授業がない生徒や、午後から授業の生徒とクラス自体があってないようなもの。そのため、出席は昼食を済ませた午後一番の授業前に、連絡事項も含めた場で行われる。
その、ホームルーム中で「先生も座りたいなぁ。昨日、サッカー部とグランド走り回って全身筋肉痛なんだよねー。そもそも、生徒だけお座りスタイルってずるくない?むしろ、先生の方が歳食ってるんだからさー、椅子は必須アイテムじゃない?」と突然授業を中断して隣のクラスから余りの椅子を強奪してきた。勿論、隣でホームルームをしていた爺ちゃん先生になす術はなく、クラスに椅子がひとつ増えた訳である。誰もが唖然としている間に、先生はちゃっちゃと犯行を終わらせブツを手にして大満足の表情でホームルームを再会していた。
その細い目が至福にもっと細くなった狐顏で、現在私を見ている。長い足を優雅に組んで、椅子に腰掛けて偉そうに座っている。そんな、見つめられてもねー。答え出るまで座るのダメだからなー。糸みたいな目の奥から、そんな声が聞こえる。解答なくば、すわるべからず。今日はいつにない気魄を感じるのは気のせいだろうか。
ビクビクどころではない。
私はチンキな中のチキン。スペシャル チキンなのだ。
もう数学云々より、先生の静かな笑みが怖くて顔もあげていられなかった。