アサルトジョン ~熱砂の雄牛作戦~
身体をかばったジョンは右腕が動かなくなっていた。脱臼と骨折が併発し、激痛が走る。嵌めたところで精密射撃など期待できまい。
「機銃を使え!」
軍曹が叫ぶ。200フィート上空から墜落した輸送ヘリCH-47のひしゃげた機体に銃弾が打ち込まれた。辺りはすっかりゲリラ兵に囲まれている。プロペラは土を抉ってから四散して、ヘリの鼻は地面にめり込んでいる。操縦士の頭は潰れていた。
六名いたアルファチームの二名は死亡、一名は脳震盪で身体を動かせずにいる。他、右腕の壊れた二等兵のジョンと、足を骨折し寝そべって軽機関銃で威圧掃射をする二等兵のサミュエル、打撲と捻挫で済んで拳銃で奮闘するアンダース軍曹の三人で全員である。
アンダースが手榴弾を物陰に放ると異国語の悲鳴がした。爆音の後、ゾンビのように出てきたところを、サミュエルが軽機関銃で弾を分割して見舞った。
「おいジョン、お前だ。お前が機関銃でやるんだ」
アンダースは左腕を掴んで力任せに機銃につかせる。ヘリに備え付けの武装は墜落の影響を免れていた。
「まだ左腕が無事だろう! 撃つんだ!」
トリガーは驚くほど軽いがその反動は凄まじい。右腕に振動が伝わりジョンは悲鳴を上げる。それでも手を離すことはしなかった。指を解くことはしなかった。左から水平射撃をすると、被弾した家屋の壁向こうから悲鳴がする。そこにまた、アンダースが手榴弾を投げ入れる。
「すぐ後ろから別のチームが向かってきている! とにかく耐えろ!」
叫んだ後、「こちらアルファチーム!」と通信機に怒鳴り散らした。
ヘリの内壁は鮮血に舞った砂がこびりついており、臓物を感じさせる。対照的に外は明るい。照りつける太陽の下、身体を割られたゲリラ兵の血が砂地にすすられている。仲間の死体を跨いで、ゲリラ兵は続々と現れる。
激痛の中うっすらと、やはりここは罪人の地であるのだと確信を持った。
そして自分もまた、その地に足を踏み入れた人間なのだと。
ジョンはカリフォルニアで産まれた。クリフとマリアの三人目にして初めての男の子であったから、それは可愛がられた。
海兵隊に志願した時、母のマリアには泣かれたし、入隊が決まると父親のクリフに勘当された。
それでも毎週届く母の手紙には父から一筆添えてあり、読む度に遠い地の両親の健康を祈っている。輸送ヘリの中で読み終え、父母の家はどの方向だろうと首を回す。現在空母サンドワッジから400マイル離れた海上であり、母国からはかなりの距離がある。
「泳いでなら帰ってもいいぞ」
曹長のアンダースが笑いながら言う。
「はい、曹長。いえ、随分遠くまで来たものだと思いまして」
「残念だがなジョン、海兵隊は命令なら月の裏側にもいかなけりゃならん」
言って、タバコをくわえた。
「うるさい女房がいないからタバコは吸い放題だがな」
他の隊員が笑う。先月、離婚届が出てくる騒ぎになった喧嘩がようやく落ち着いたことを知っている者は、殊更笑った。
「禁煙の命令が出れば止めるんですか、曹長」
「政府が降伏すればそんな糞みたいな命令が出るだろう。その頃俺達は穴だらけさ。海兵隊は後退しない。少なくとも俺達はそうだ」
先ほどのミーティングを思い出す。未だテロリストが活発なアフガニスタンの一区画に、大量の携行SAM(地対空誘導弾)が運び込まれるという情報が入った。それを阻止し、兵器の流通経路を抑えるのが今回の作戦だ。作戦名は熱砂の雄牛。空を見上げた悪徳商人が神の使いの雄牛に突き殺されるという民間伝承からの命名である。
「見えてきたぞ」
砂漠の向こうに町がある。人口五百人足らずの小さな町だ。
「ミーティングでも話したが、町は入り組んでおり窓や部屋が多い。狙撃に気を付けろ。ジョン、特にお前は狙われやすい。いざとなったらMGを使用しろ。タイミングは任せる」
「はい、しかしあれは」
「言いたいことは分かる。あれにかかればどんな兵隊だって尊厳ってものを失う。実に糞だ、これ以上ない程な。だが命に代えるほどじゃあない。危なくなったら使え。俺達も助かる」
「――了解しました、曹長」
ジョンは空を眺めた。雲一つなく、太陽が刺ささる。海面はギラギラしているのに、続く陸地がどこまでも砂漠である。神の与えた罰に違いない。そしてその地に降り立つ己を、神は御許しなさるだろうかとぼんやり思った。
「アラート! アラート!」
脈拍の乱れた心電図のように、警告音がけたたましく鳴る。
「ロックされている!」
ゲリラ兵の死体が増える一方で、アルファチームの弾薬も残りを少なくしていく。大地は飽きずに血をすすり、血溜りがまるで出来ない。
本当に人を撃っているのかとジョンは思う。機銃から吐き出される弾は、空に伸びた吊り糸を切っているだけなんじゃないか。神様が戯れて人形を踊らせているだけなんじゃないか。
「おいジョン!」
サミュエルが石を蹴りつけた。
「ヤバい目してるんじゃねえ! しっかりターバン野郎に当てろ!」
無論、相手が踊らされた操り人形だろうと狙いを粗雑にする気は無かった。手に持っているAK47が驚異的な火器であるのは事実なのだ。
とにかく弾をばらまいて、後続のチームが来るまで維持しなければ。間隔に気を使ってトリガーを引いた。新兵とパニックを起こした兵はこれを怠って、熱で砲身を駄目にしてしまう。右腕は完全に麻痺していた。
あれ、と思う。
子供である。
体躯と不釣り合いな銃を担いでいる。
そんなところにいては危ないと口に出掛け、ジョンの身体が跳ねた。
指はトリガーを離れ身体が半回転していた。
腰から地面に落ちると、舞った砂が口に入る。左肩から血が吹き出した。
「軍曹! ジョンが撃たれた!」
「止血する、待ってろ!」
辺りで砂が跳び跳ねる。一ジョンの肺を襲った。肺胞が破れ血液が気管を逆流する。ごぽっ、という水っぽい音が耳の裏から聴こえた。
「ジョン!」
アンダースが叫ぶ。ジョンの目は虚ろだ。
「MGだ! 躊躇うんじゃない!」
「軍曹! やつら携行SAMを!」
サミュエルの指す先に、輸送ヘリの尾翼を破壊したそれを構えたゲリラ兵の姿があった。
「もう一発ぶち混む気だ、ちくしょう!」
「ジョン! MGだ!」
ゲリラ兵の肩から弾頭が発射されると
推進剤に火が点く音がして
ヘリの中へ飛び込んできた
その刹那。
「やあジョン!」
辺りがしんと鎮まり、その中で場違いなほど快活な、子供のような声がした。
「僕が来たからにはもう大丈夫さ」
弾頭はジョンの真上で静止している。空気で固めて固定したように、尾から吹く火も、唾を飛ばす軍曹も、舞う砂も、全てが音を消していた。
ハムスターだ。手の中に収まりそうなジャンガリアンが、ジョンの目の前まで歩いて、口を開いた。
「さあ、ゆっくりと息を吸って。そして唱えるんだ。ロジカルミューテーション――」
「アサルト……ジョン!」
ジョンの身体が光に包まれる。桃色だ。全てを癒す聖なる光だ。血に砂にまみれ、砕けた肉骨が治っていく。筋肉が軋み、雄叫びを上げると衣服が破れた。黄色いリボンが光の粒子を伴い伸び、裸のジョンを包む。まるでサナギのように、包まれていく。
「千の命は千の花……」
サナギにヒビが入った――割れた。光が溢れる。中から現れたのは、少女だ。
「花を枯らす人は許しません! 魔法少女アサルトジョン! 国に変わって銃殺です!」
額の前で親指と人差し指を直角にし、小さな身体を奮わせた。
そして時は動き出す。瞬間、誘導弾は軌道を変え空で爆発した。マジカルリフレクトである。
硝煙の臭いを孕んだ爆風を浴びる。黄色のドレスが揺れ、足元のジャンガリアンが肩まで駆け登った。
「もう、デン君ったら遅いよう」
舌っ足らずな口調だけではない。海兵式の過酷な訓練で鍛えた屈強な肉体は、今や小学四年生の標準的な女の子のそれへと変わっていた。
「ごめんよジョン。でも僕を置いてチヌークで行っちゃうからだよ」
「ちぬーく?」
「呆れた。君は自分の乗ってきたヘリコプターの愛称も知らないのかい」
ジョンは舌を出して自分の頭を小突いた。
「よく来てくれた」
アンダース軍曹が右手を差し出す。いつ入ろうか時期を見ていたが、二人のお喋りは終わりそうになかった。
「やあ軍曹。握手は後にしよう。今はこの状況を突破しないと」
デンが髭をモゾモゾさせた。
「さあジョン、行こう」
「うんっ」
膝上のスカートが膨らんだかと思うと、大地を蹴って視界から消えた。間もなく乾いた銃声がして、鈴を鳴らしたような声が聞こえてくる。
不浄の身体を清めなさい! マジカルファーティリザー!
その命捧げなさい! マジカルプランター!
みんなの命を1つに! マジカルプレッシャー!
家屋の裏から緑色の光が明滅したかと思うと、聞いたことのない絶叫が続く。恐怖だけではない、信じられないようなものを見た時の悲鳴と、それが己に迫るという現実への叫びだ。
アンダースとサミュエルは適当な瓦礫に腰を下ろし、耳を傾けていた。
「そろそろマジカルフラワーか」
「あれは二度と見たくありませんね」
しかし予想に反し、聞こえてきたのはふええと気の抜けるような声だ。
ややあって、両手で顔を覆い少女が――ジョンが帰ってきた。傷一つ無いどころか、埃も付いていない。ショートカットを小刻みに揺らし、肩を震わせている。その上で、デンが腕を振り回して訴えているようだった。
「ハムスターが何やら説得しているな」
間も無く肩を落として二人の元へやって来る。
「問題発生か、ミスタージャンガリアン」
「魔力の消耗がいつもより激しいんだ」
「向こうにガソリンスタンドがある」
「君達の工業製品はそれで動くかもしれないが、僕達の魔法は精神力だ。どうもジョンの、本来の人格が魔法少女としてのジョンを苦しめている」
不思議な話さと首をかしげる。
「女装コスプレ常習者なら違ったろうさ。どうすればいい」
「ジョンを応援して欲しい」
サミュエルが軽機関銃を落とした。骨折した大腿部に当たり、悲鳴を上げる。
「御安い御用だ。おいジョン、しっかりしろ。海兵隊の精神力は強化プラスティックより固いぞ」
「ダメだダメだ! そんなんじゃあ、女の子は頑張れないよ」
「……お嬢ちゃん、頑張れ。俺達がついてるぞ」
「酷いな。君は少女アニメを見たことがないのかい」
「生憎テレビと言えばポルノかフットボールだ」
「兵隊さんは生臭くていけないね。こうやるんだ」
デンが、その小さな身体に大量の空気を送り込んだ。
「頑張れアサルトジョン! 負けないでー!」
そして振り返り「さあ君達も」と促す。
サミュエルがアンダースに言いたげな視線を送る.
「禁煙命令が出るよりマシさ。頑張れアサルトジョン、負けてはならん!」
魔法界からやってきたこの小動物の言うことには従えというのが上層部の決定である。鋼の精神を持つ海兵隊として、恥を偲び唇を噛み締め、言われた通りにせねばならない。
「あ、あんなやつらなんてやっつけろ」
四つ足でデンが駆けていった。
「君の魔法で世界を救うんだ!」
「悪いやつらなんてこてんぱんにするんだー」
ジョンの震えが止まった。デンが首を何度も振る。もう少しらしい。
「ジョーン! もう、本当がんばれー!」
「可愛いぞジョーン」
通信機が爆笑する。後続部隊に電波が繋がったようだ。増援が近い。アンダースは唾を吐いて「君は最高だジョーン」と叫んだ。通信機から口笛が聴こえた。
「みんな、ありがとう」
気付くとジョンは顔を上げていた。目に涙が溜まっているが、そこには力があった。
「みんなのために、私、頑張る」
デンがジョンを促すと、再び戦地へと姿を消した。マジカルフラワーの声がすると、一際大きな悲鳴が木霊した。
サミュエルは眉を歪ませ、言葉を吐き出す。
「神様はひでえことしやがる。なんたって、よりによってジョンなんだ」
「言ってやるなサミュエル」
「だって、あいつ、今回の作戦から無事戻れたら、結婚する彼女がいるんです。それがあんな、あんな姿で、あんなポーズで」
ちきしょう。サミュエルが瓦礫に拳をぶつける。アンダースは何も言わず、煙草に火を点けた。煙が染みたのか、そっと涙を流した。