理由のない喫茶店
大学生の俺は、冬の間だけ叔父の所有している喫茶店で働くことになった。
バイトはいくつかこなしてきたが、この喫茶店でバイトをするのは、これが二度目だ。
一度目はこの店が開店した頃、叔父の誘いでこのバイトをしていた。
そして今回もそうだった。
新しいバイト先を探している最中だった俺に、人手不足だから。と言って、電話を寄越してくれた。
その店の店長は、いとこのユリエさんだ。
ユリエさんは、ハーブやアロマといったものに凝っていて、店でもそういった趣向を取り入れているらしい。
だが、その店にあるのはそれだけではない。
店内に入るとわかるのだが、店の内装をよく見れば、奇妙なものがいくつか飾られていた。
たとえば、どこかの民族では神事に使われるという、色彩豊かに彩られたお面。
欧風家庭をイメージしたという洋風の内装にあって、天井に向かう梁に飾られたこれはあからさまに異彩を放っている。
目が合って、睨まれた気がする。という、お客様からの苦情がきていた過去を思い出す。
それでもいまは、この店の特徴として利用客の印象に僅かでも残るものとなり、客足に貢献していた。
貢献といえば、お客様を和ませているものもあった。
あからさまに形容し難い格好をした置物。
入り口なんかにあるものだから、訪れた客達がおもしろがって気軽に触っている。
一時期、「それに触るな。」とかなんとかいう噂が囁かれていたほど、いいものなのか、わるいものなのか、いまでもその効果ははっきりしないものだ。
他にもさまざまなものが置いてあるのだが、どれもこれも統一性というものがなく、はっきり言って、この店の雰囲気からすると浮いている。
だが。置き場所を変えたくとも、変え難い事情というものがあった。
それらはすべて、店の所有者である叔父の持参したものなのだ。
似合わないからと言って、内装から外すにも、叔父本人がとても気に入っているため、外せなかったのだ。
そんな経緯がある品々は、どういうわけか、その店の人気を後押ししていた。
店内に飾られた品々、その珍妙さに惹かれるのか、グルメ雑誌等にも何度か掲載されている。
そのため、若者客も多く訪れていた。
けれどその店も、この冬で閉店することが決まっている。
経営はうまくいっているのに、どうしてなのか?と、街の人たちはとても残念そうだった。
その店のおかげで若者が訪れるようになった。ということもあって、突然の閉店にひどく落胆していた。
もともと叔父が、いつもの気まぐれで店を買ったのだ。
叔父がやりたくて買ったわけでもない。だから。喫茶店の経営そのものが軌道に乗っているとはいえ、叔父は飽きてしまったのだ。
寒空の下。
俺は開店前の店の窓を拭き終えると、表に出すプレートに「今日のおすすめ」などを書いていた。
(この店がなくなるなんて、信じられないよなぁ。)
その場に座り込んだまま、目の前に立つ店を見あげる。
開店して、はや三年経つが、当時のままの鮮やかな色で書かれた文字は、まだ新しさを残している。
俺はこの店が気に入っていた。
閉店の話を聞いてショックを受けたのは、俺も同じだった。
ユリエさんは顔には出さないけれど、突然のことに、かなり滅入っている様子だった。
看板に向き合っていると、後ろから何かに服を引っ張られたような気がした。
振り返っても誰もいない。
(気のせいか。)
仕事を再開するとまた、誰かが服を引っ張ったように感じた。
振り返ってみると、道の向こう側に子どもが二人、俺のいる方向を珍しそうな顔で見ていた。
小さい男の子は弟だろうか。大きい男の子にくっついて立っている。
いたずらなのかはわからないが、プレートの見直しを終えると店内に戻る準備を始める。
(こんなものかな。そろそろ店に……。)
くいくい。
「ん?」
ズボンを引っ張る小さな手があった。
道の向こう側にいた子どもたちのうち、小さい男の子のほうだった。
「お兄ちゃん」
と、話しかけてくる。
「なにかな?」
と、笑顔で返す。
子どもを怖がらせないように、同じくらいの目線の高さにあわせてしゃがんだ。
「お兄ちゃん。ココのひと?」
「うん。そうだよ。お兄ちゃんはここで働いてるよ。君は?」
「僕ね。探しものしてるの」
「探しもの?」
小さい男の子はこくりと頷き、後から来た大きい男の子から言葉が返ってきた。
「空色のお花」
小さい子の隣に立っていた大きい子が言う。
「空色の花?」
聞いたことがなかった。
この季節に花など咲くのだろうか。
ましてやここは喫茶店、花屋ではない。
(ユリエさんなら知ってるかも。花とか詳しそうだし。)
ふたりが不安そうに見上げてくる。
「とりあえず……」
「とりあえず、中に入ろっか。外は寒いからね」
どうしようか困った末に、子どもたちを連れて、店に戻ることにした。
開店前なので、店はがらんとしている。
「あ、ちょうどよかった。手伝ってほしいことが……。って。どうしたの?その子たち」
カウンターにいたユリエさんが話しかけてくる。
ユリエさんの周囲で開店準備に勤しんでいた人たちも、珍しいお客さんに注目している様子だった。
「ここ、いいですか?」
そう尋ねると、ユリエさんが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。外、寒かったでしょ。何か飲む?」
子どもたちは顔を見合わせて、不思議そうに立っている。
(こういうことは、初めてなのかな。)
「ミルクでいいかな?すぐ温めるから。ちょっと待っててね」
ユリエさんはそう言うと、カウンター内にある調理台と向き合い、早速温める準備に取り掛かった。
カウンター席によじ登った子どもたちは、珍しそうにその光景を眺めている。
「あ。奥からちょっと取ってきてくれないかな」
「はい。行ってきます」
「じゃあ、お兄ちゃんは仕事に戻るな」
子どもたちのことはユリエさんに任せ、俺もしばし仕事に戻った。
ユリエさんに頼まれた新しいフィルターを取りに店の奥に行くと、店に連れてきた子どもたちのことが、既に噂となりつつあるようだった。
「ねえねえ。あのこたち、誰?知り合い?」
女性が尋ねてくる。
「いや。全然知らない子。そこで会っただけ」
「えぇ?!そうなのー?」
「てっきり、あんたの子どもかと思ったよ」
叔母が顔を覗かせて、おかしなことを言ってくる。
「叔母さん。まだ俺学生だよ。子どもがいるわけないだろ」
「それもそうだねぇ」
(二十歳も過ぎれば、誤解されるのかなぁ。)
(俺って、そんなふうに見えるのかぁ。)
「ありがとう。どうかした?」
頼まれていた用事を済ませ、叔母たちの噂話に肩を落として戻った俺に、ユリエさん話しかけてきた。
「うーん。ちょっと、ね」
「あ、れ?あの子どもたちは?」
「ああ。ゆーくんときーくん?だったら。ほら、あそこ。ミルク飲んでお話ししてたら、眠くなっちゃったのよ」
ユリエさんの視線の先には、数の少ないボックス席のソファで眠る子どもたちの姿がある。
「あ。そうだ。空色の花って、知ってますか?」
「空色の花?」
「ええ。さっき、あの子たちが言ってたんですよ。空色の花を探してるって」
「花、ねぇ。今の時期探すのは難しいんじゃないかな。少なくともここにはないわね」
「ですよね」
おかしな置物の類はあるが、装飾用の花やテーブル脇にある花瓶の生花にも、探しものに該当するような色の花はなかった。
「あれ?そういえば名前、いつ聞いたんですか?」
「ああ。名前ね。さっき、君に仕事頼んでる間にね。でもダメだった」
「『お名前は?』って、聞いてみたんだけど。『わかんない』って言われて。『お母さんやお父さんが呼んでくれるでしょ?』って、聞き直してみたんだけど。結局、『わかんない』しか答えてくれなくて」
「だからね。『大きい子のほうが《ゆーくん》で、小さい子のほうを《きーくん》って呼んでいい?』って、尋ねたの。すごく嬉しそうにしてたから、私はそう呼ぶことにしたのよ」
「《ゆーくん》と《きーくん》?」
「そう。ちょうど今、冬でしょう。もう少しすれば降り始めるかなって思って。キレイじゃない?《雪》からとって、《ゆーくん》と《きーくん》って」
「はは。単純だけど可愛い名前ですね」
「一言余計だぞ」
笑いながらユリエさんはこつんと俺の頭を小突いた。
次の日もあのふたりはこの店の前にやってきた。
その次の日も、それからもずっと。
「ねえ、ふたりとも」
「なーに?」
「空色の花を探してどうするの?」
「空色の花を見つけたらね。ママに会えるのー」
「空色の花が咲いたら、お母さん帰って来るって、言ってたの」
「だからね。きーくん、待ってるの」
「そっかー。見つかるといいね。お花。お母さんに早く会いたいね」
「うん」
毎日通ってくる子どもたちは、いつもそわそわした様子で、ボックス席のソファに座っている。
話しかけると、きーくんは話してくれるが、ゆーくんは一言も話してくれない日々が続いた。
ふたりの新しいお客さんが通ってくる日々が続くなか、ついにこの店の閉店の日が訪れた。
「この店、今日でなくなっちゃうって、本当?」
驚いた様子で飛び込んできた、きーくんが、真剣な目で訴えてくる。
「嘘だよね!なくなったりしないよね?!お花、咲くよね?」
(咲く……?)
俺はなんて答えればいいか、わからなかった。
でも、嘘はつけなかった。
空色の花。
あの日以降、花屋にも訪ねてみたが、誰も知らなかった。
「ごめんね。今日でこのお店はなくなっちゃうんだ。でもね。きっとお花は咲くよ」
「きーくんとゆーくんが、お母さんに会いたい!って思っていたら。ちゃんと会わせてくれるよ」
「本当に?なくなっても会えるの?」
「うん。会えるよ」
不安そうだった、きーくんの顔が、少しずつ明るくなっていった。
「いいお店だったのに。今日でもう終わりだなんてね」
「信じられないですよね。なんかさびしいな」
閉店の日、関係者だけの閉店パーティーを開催した。
従業員が次々と店の思い出について語っていく。
叔父も珍しく参加していて、なにか話し込んでいるようだった。
「あの子たち、どうするのかな」
ユリエさんがふと、今はいない子どもたちのことを口にした。
「さあ。少しの間になりますが、ここに来れる限り、ここに来ようと思っています」
「そうだね。気になるもんね?」
「ですね」
この店がなくなってしまうのは、少しさびしい。
気まぐれではじまった場所。理由のなかった喫茶店に理由ができた。
そう感じたのは、初めてかもしれない。
あの温かな空間がなくなると思うと、どこか悲しい気持ちになった。
二、三日経って、久しぶりにこの店を訪れた。
その日は降り続いた雪で辺り一面真っ白だった。
一歩踏み出すたびにざくざくと音がする。
その音に続けと、背後には俺のつけた足跡が伸びている。
目指す店の前に近づくと、その店に向かって小さな足跡が点々と続いているのが見えた。
(今日も来てるのか。)
更に近づけば、ふたりの話し声が聞こえてくる。
歩みを進める音に気づいたふたりの子どもが振り返った。
そのふたつの顔は、とても嬉しそうだった。
「お兄ちゃん。見てみて。お花、咲いたの!」
そう言ってはしゃぐふたりの前には、小さいけれど、透明な雪の結晶でできた花が咲いていた。
透けた空の色を写す、とても不思議な花だった。
(これが、ふたりが探していた空色の花……。)
(すごくキレイだ。)
昼の陽光で青い空を写し、夕日が出れば赤く、朝日を浴びれば金色に染まる。
さくさくと雪の上を歩く音がする。
ゆーくんが音のするほうに駆けていった。
そして、きーくんが驚いた様子で振り返り、嬉しそうに手を振っていた。
窓ガラスの鏡越しに見ていた俺も振り返る。
「お母さん」
ゆーくんの声をはっきりと聞いたのは、これが初めてだったように思う。
キレイな人だった。
ゆっくりした動作で俺に会釈をして、女性はきーくんに手招きする。
「お兄ちゃん。ばいばい」
「ばいばい。元気でな」
「うん」
きーくんが走っていくと同時に、道の向こう側にいた二人は歩き出す。
途中、ゆーくんが俺のほうを振り返った。
何か言いたそうだったけれど、何を言ったのか、俺の耳には届かなかった。
また、雪が降り始めた。
いつの間にか三人の姿は見えなくなっていた。
「ゆーくんときーくんは?」
ユリエさんが走ってこちらにやってきた。
「帰りましたよ。少し前にお母さんが迎えに来られて」
「そっか。じゃあ、会えたんだね」
「はい」
ユリエさんの目にも、空色の花が写っていた。
「よかったね」
「そうですね」
ユリエさんはまるで自分のことのように嬉しそうに笑っていた。
(そういえば、あのふたりの本当の名前を聞いていなかったな。)
(なんという名前だったのだろうか。)
(家も、どこに住んでいるのかも、なにも知らない。)
(不思議な子どもたちだったなぁ。)
空色の花はいつの間にか消えていた。
でもまたいつか咲くだろう。
それが咲いたら今度は、あの子たちに会えるだろうか。
いま、彼らはどうしているのだろう。
<END>