第五話 ― 村長との学校に関する対話
「――ですので、私たちの息子をアルフレッド先生の下で勉強させていただきたいのです。そこで、まずは村の長たるブラム殿に許可を取るべきだと思い、本日は参りました。村に寄与するところの多くないわたくしどもではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします」
フィーリアはそういって目の前に腰掛けた男に向かい頭を下げた。
ハルが両親の密談を盗み聞きしてから五ヶ月、あの時は五歳だった彼は誕生日を跨ぎ既に六歳になっていた。いつになったらいけるのかと日々を過ごしていた彼からすればようやくかという思いが強いが、両親は今でも早すぎるかもしれないという危惧を抱いている。
日本に暮らしていた者にとって六歳は学校に通い始める時期であっても、所詮は外の常識だ。この村では最も年下のものであっても八歳からしか通っていない上、そのほとんどが十歳以上である。なので六歳まで待ったのは両親の村に対するせめてもの配慮であったといえる。
別に教師であるアルフレッドが特に年齢制限を設けているわけでもないので、横暴というほどの行為ではないのだが年下の、ある意味で特別な存在、ましてやそれがハルのような者であれば軋轢を生じさせる可能性は否定できない。
そういった事情もありフィーリアはあらかじめ村長の許可という後ろ盾を得るために出向いたのであった。いざというときに”彼らの独断だ”などと逃げられたのでは面白くない、といった意味合いもある。
付け加えておくと父親のアドニスはこの場に来ていない。村の中心にあるこの家に連れてくるには彼は目立ちすぎるからだ。その多くが肉体的に人間よりもずっと強靭である獣人たちは、力のない人間にとって恐怖の対象となってしまっている。村のために働くアドニスでさえ未だに認めない者がいることを考えればこの問題の根深さが分かるだろう。
一方で半獣人には獣人よりのものと人間よりの者がおり、前者はハーフであっても獣人のような力をもち、後者は普通の人よりも少し力が強い程度に収まる場合が多い。幸いにもハルは後者であるため危惧は少ないと言える。それでも彼は念のため帽子をかぶり角を隠してここにきていた。
「よろしくお願いいたします」
村長の様子をさりげなく窺いながら、ハルもフィーリアに倣い頭を垂れる。
その様子を見てブラムは難しい顔をしながら”ううむ”首をかしげた。
どうやら悩んでいるようだ、と彼を観察しながらハルは思案する。
恐らく村長としてはあまり良い返事を返したくはないはずだ
ハーフであるとはいえ獣人、他の村人の反発も強いだろう
ただ、それでも簡単には断れないであろうことはハルを含めこの場にいる全員が理解している。
村のことを考える以上、彼はここで両親の願いを無碍に却下するわけにはいかない。そんなことをして下手に遺恨を残せば今後の付き合いに問題が生じるからだ。
そうなった場合、この村は肉類の供給源に打撃受けることになるし、最も痛いのは薬が手軽に入手できなくなることだ。まして医者の代わりまですることもあるフィーリアを失うのは避けたいところだろう。
そんなことを考えながらハルはブラムの次の言動を予測する。
村には来て欲しくない、けれども村から離れて欲しくもない。
だとすれば――
「確かに村の一員として知識を持つ者が増えることは喜ばしい。だが、その……息子さんは、まだ幼い。もう少し成長してからでも遅くはないのではないか?」
そう来るだろうな、と彼は予測と寸部違わぬその答えを冷静に受け止める。どちらも処理できないならば、問題を先送りにするのは世の常だ。このまま時間が解決するのを願うのか、積極的に対策を講じてくるかについては判断しづらいが、とりあえず”今は来るな”という答えには違いない。
もちろんそんなことはフィーリアもおり込み済みである。
彼女はブラムの言葉を聞くと、その発言がなあなあのまま終わらぬうちに切り込んだ。
「なるほど、ブラム殿の言うとおりです。……それでは何歳からならよろしいですか?」
「ああと……それは……」
”今”が認められないならば”いつか”のために言質を取ってしまおうということだ。現時点でアルフレッドの下に通う生徒の中で最年少は八歳、この家の次男のバートである。これはブラムが提示できる最低ラインということになる。つまり何もせずともハルは後二年待てば自動的にアルフレッドのもとに通うことが出来るというわけだ。
これで決着がついた。
フィーリアはそう考え。ブラムは自身の発言の迂闊さを呪っていた。
ブラムは確かに迂闊であった、しかしそれと同時にフィーリアもまたハルを正しく捉えきれていなかったと、この後すぐ思い知ることになる。
――ハルがそんな甘い選択に納得するはずもなかったのだ。
「ブラム殿、幼いとは何をもって”幼い”とみなすのですか?」
沈黙を破るようにハルが口火を切る。
その言葉にブラムはおろか彼の母親であるはずのフィーリアまでもが目を丸くしている。
止めるべきか、叱るべきか、急なことに普段は冷静なフィーリアさえも対応が追いつかない。ブラムはといえば、止めておけばいいのに高々六歳児の子供の問いに対する答えを準備し始める。
今この瞬間に大人二人を相手取った六歳児の詭弁が火蓋を切った。
「フム、君はまだ六歳だろう? 今、村の学校に通っているのは八歳が最年少だ。だからまだ早いと言ったのだよ」
「その八歳の子は確か……ブラム殿のご子息でしたよね」
あらかじめ母親と父親の作戦会議を聞いていたハルはその時耳にしたブラムの息子であるバートに言及する。
「ああ、そうだが。それが?」
「ご子息が通う前、学校の最年少は十歳だったのではありませんか? その際にブラム殿は一度、最年少の基準を引き下げております。失礼ながら、ここで私どもの申し入れを断れば、ご子息を贔屓したとみなされるのではありませんか?」
「ハルッ!!」
呆気にとられていたフィーリアは我が子の失礼な物言いを聞いてようやく立ち直る。
声色を鋭くしてハルを止めようとするが彼は母の意図に気付かないフリをした。
「なッ! わ、私がそのようなことをすると言いたいのか!?」
「とんでもありません。常々、母よりブラム殿は公平な長だと伺っております。世間では差別されるような獣人である我々どもに対しても、そのようなことなど決してせず、こうして村に住むことも許してくださいました」
ハルの発言にフィーリアはあんぐりと口をあけた。薄々、彼がそのことに気付いているであろう事は分かっていたのだが、ここまでとは思っていなかったのだ。だが何よりも彼女を驚かせたのはハルの言葉遣いである。
普段からは考えられないような格式ばった物言い、それは彼女を混乱させるに十分だった。ハルは、家族以外の人間とはまともに接触したことがない、それならば一体”いつ、どこで”そのような話し方を知ったのか、と。
そんなフィーリアの戸惑いに気付くはずもないブラムは相手が子供であることも忘れて、ハルの言を肯定する。
「あ、ああ、そうだとも! 私は差別などと言うものは大嫌いで――」
「ならば、やはり私が通うことを許可すべきであると愚考します」
「それは――」
「これは決して私欲によるところではありません。ブラム殿を思ってのことなのです」
「私を、だと?」
「はい、確かに村民の感情を考慮した場合、私の入学を渋るのは理解できます。しかし、そういった反感は私が問題を起こさなければ、遠からず沈静化するでしょうし、当然私はそのような愚かなことなどするはずがありません、そんなことをすれば自らの首を絞めるだけなのですから」
そこで一拍置くようにして区切り、ハルはブラムの目を見る。彼の目には先ほどまでの激情とはうってかわって疑問が浮かんでいる。
”私の為? 一体どういう意味だ?”と。
それを確認するとハルはその疑問の答えを話し始める。
「見据えるべきはその先の利益です」
”利益”と口にした瞬間、ブラムの肩がピクリと反応した。
それを目ざとく見つけハルはたたみかける。
「私の願いをかなえたと村人が聞いたら、彼らはこう思うはずです。”獣人の願いですらも聞き入れるならば、彼はきっと私たちの言葉も公平に聞き入れてくれるに違いない”と。それに加えてご子息の入学もただ単に能力に見合った環境を与えたに過ぎないと判断されるでしょうね」
『先ず隗より始めよ』そんな逸話がハルの脳裏を掠めた。
もっともハルの事を隗と見なすには彼はあまりにも独善的すぎのだが……。
そのことにハルも思い至ったようで、口の端に浮かびそうになる苦笑を彼はどうにかしてかみ殺すのに必死だった。
「う、うむ。しかし……」
「分かっております。確かに、このままでは他の子供に示しがつかないでしょう。ですので試験を行うというのはいかがでしょうか?」
「試験、か」
「はい、それならばおかしな噂も立たないはずです。問題はアルフレッド先生に作成していただけば公平となりますし……もちろん内容は学校で授業を行っている十歳を対象とした読み、書き、計算で問題ありません。それでダメならばこの件はスッパリ諦めます」
そこまで言うとハルは口を閉じる。それによってこの場に再び沈黙が生じていた。しかしその沈黙のもつ意味は三者三様である。
言いたいことを言い終えて喋るのを止めたハル。
何か言おうにも何を言えばいいかわからず黙らざるを得ないフィーリア。
そして、今しがたハルにより提案されたことを黙して考慮するブラム。
その静かな場で各々の思惑が交錯する。
ブラムは考えていた。
”確かにここで彼の申し入れを聞けば村での評価は言うとおりになるかもしれない”と。
次男の入学について学校に通う子供を持つ親たちの反応の中には、確かにハルが言うようなものもあった。ソレが大きな不満につながることはまずない。けれども出来ることならば息子のためにもそのような汚名は雪いでおきたいというのが親心だ。
その意味においてハルの申し出は渡りに船であるとも言える。獣人への敵愾心が強い者もいるとはいえハルはまだ子供であるし、見た目は人間寄りだ。反発はそこまで大きくないはずである。
彼が言うように問題を起こす心配もないのなら受け入れるのが上策――
いつの間にかブラムはハルの提案を受け入れる前提で考え始めていることに気付かない。
それに所詮は六歳になったばかり、あの教師にこちらに肩入れさせるのは難しいにしても本人の提案どおり十歳を対象とした内容ならばそうそう解けまい、後は試験が上手くいっていなかったことを理由に正面きって断ればいい
そうブラムは思う。
そうなれば自身につくのは”公平な長”という評価だけで、頭の痛い問題も解消される
そう判断を下すと、ブラムは意地悪く目を細め、自分に向かうハルとフィーリアを見やった。
自分を過信した生意気なガキに世の厳しさを教えてやるのも大人の務めだ
ブラムはニヤリと口元をゆがませると目の前の二人に伝えた。
「分かった。それでは試験を行おう」
次話は三日以内を予定しております。