第二話 ― ”人の違い”あるいは”心の違い”
木々の生い茂る森の入り口、そこに一軒の家があった。一応形式上は近くにある”サイラス”という名の村に含まれるのだが辺りを見回してみても他の村人が住んでいる様子はない。隔離されたかのようにその家だけがそこにポツリと存在していた。
それほど大きな家ではないのだが、それでも村の平均的なものと比べれば幾分かしっかりとしたつくりのその家で、一人の子供がかめにたまった水を覗き込み大きなため息をつく。
「どうしてこんなことに……」
日に日に大きく育つ頭の角を手で撫でながら、水面に映りこむ自分を見る。ブロンドの母親の面影はどこへやら髪は父親のように白く、毛先だけにはクルリと巻いた強い癖が出ている。癖が髪全体に出なかったことを幸いというべきか、ここまで影響が出てしまったことを悲しむべきかは判断が難しい、とハルは眉をひそめた。
しかし一番の問題はそのどちらでもない。角は帽子をかぶればどうとでもなる、髪の色は”珍しい”で通せなくもない。どうしても目立ってしまう部分、それは目である。水鏡のなかの瓜二つのその人物の目には人間には現れない、横一文字に走る黒目があった。
今年で五歳を迎えるハルであったが既に言葉の壁はなく、むしろ今では日本語のほうに違和感を感じる程度にはこの世界に慣れていた。そんなハルでも未だに割り切れないのが自身の容姿である。
正直なところ彼は山羊と言う生き物にあまり良いイメージがあるわけではない。宗教家の彼からすれば山羊頭というのは古くからの悪魔の象徴であったし、そうでなくともどうにも特徴が強すぎる。
父親のように頭そのものが山羊でおまけに体の所々が白い毛で覆われることはなかったが、それでも部分部分で父の血が色濃く現れている。全体としては人間である母親の特徴が強いのは半獣人の特徴なのか、それとも偶然なのかは彼には分からなかった。
「ハーフ、か。少数派になるのだろうか?」
見た目にこれだけの差がある以上、決して人間と獣人の夫婦というは多くないだろう、とハルは予想する。
それと同時に彼は以前に自分が想像した人間と獣人の関係性について”間違いだったかもしれない”と考えを改めていた。それはつまり獣人と人間が共存しているという予想についてである。彼が自身の判断を覆したのにはいくつかの理由があったが、大きなものとしては家の場所が挙げられる。
この世界で自分の常識が通じるのかについて、最近では自信をなくし始めている彼であったが、それでもその知識を信じるならば、この文明のレベルで村から孤立するのは異常である。自ら望んでそうしたならば両親は狂人というほかないが、そうでないのならばそれなりの理由があるということだ。そのことについて彼はおそらく人間である母親と獣人が結婚したことが原因であると睨んでいた。
肌の色でだけでも差別が生じるのだ、これだけの差がある隣人を無条件に愛せよ、などというほうが無理なのかもしれない。
「どおりで誰もこの家に来なかったわけだ」
ハルは自分が生まれてからこれまでを振り返りながらため息をつく。
彼は生まれて五年経つ今になっても家族以外の人間とは数えるほどしか会っていない。一人はサイラスの村の村長に当たる人物と、それ以外では時折、両親に用事があって訪ねてくる一部の村人や商人である。
どちらかと言えば母親であるフィーリアが村に足を伸ばすことが多いのだが、その際にも彼女がハルやアドニスを連れて行くことはなかった。そのことについてフィーリアは多くを語らず、決まって言葉を濁すか、強引に話を逸らしてしまう。
それもハルにとっては無用な気遣いであるのだけれど、必要もなく触れることもないだろう、と彼がそのことについて追求することはなかった。
「結局、世界が変わっても人は変わらないってことか……本当に――」
『ハル? ハルー?』
一人ごちる彼の耳にそんな母の声が届いたことで、彼の思考は中断を余儀なくされる。
彼は”やれやれ、またか”と心の中で思いながらも、口では”はーい”などという愛想のよい返事をする。
どうやらハルの声が聞こえたらしくフィーリアは嬉しそうに扉を開けた。
「ああ、ここに居たのね」
やっと見つけたという表情で彼女がハルに目を向ける。
「どうしたの、母さん?」
そう言う母にいつもどおり子供らしくと意識しながら尋ねた。
「ちょっとお手伝いして欲しいの、いいかしら?」
「いいけど、何をすればいいの? また薬草を磨り潰すの? それとも品質分け?」
”一昨日は簡単な解熱剤の調合をしたし、今日は別の薬の準備でもするのだろうか?”と考える。
近頃続いていた長雨を考慮すると頭痛薬というのが彼の予測である。
しかし、どうやら彼の予測は外れたようであった。
「ふふ、どっちでもないわ。今日は種類ごとに分けるのを手伝って欲しいのよ。ホラ、今年は雨が多かったでしょう? そのおかげで珍しいものも比較的多めに取れたから、この機会にストックしておきたいの。ただ、普段はたくさん取れる月光草はあまり取れなかったんだけどね」
月光草というのはハーブの一種で漢方のようなキツイ香りがするのが特徴の薬草であり、効能は咽頭炎や膿瘍、虫刺されが代表的で野外で寝泊りする機会の多い旅人にとっては需要が高い。
さて、なぜ一母親が製薬などをしているのかについて説明しておく必要があるかもしれない。別にこの世界の人間が皆、自前で薬を用意するというわけではない。もちろん簡単な薬草について知識がある者は少なくはないが、製薬となるとそれなりの知識と技術が必要だ。つまるところ彼女は薬師を生業としているのである。
初めは母親のことをただの村娘だと思っていたハルであったが、どうやらなかなかに優秀な薬師であると気付いたのは最近のことになる。知った当初は大いに驚いた彼も今となっては”どうりで孤立しても生きていけるわけだ”という納得のほうが大きい。
有体に言ってしまうと薬は金になるのである。医療技術がさほど高くないことは生活を見れば明らかであるので、必然、人は薬に頼らざるを得ないのだ。ましてや優秀な医者がいる都市部ならまだしも、田舎の一村落において薬師のなす役割は大きい。現にフィーリアは今でも村とは薬のやり取りをしているようであった。
そんな母であったが何を思ったのかハルが三歳を過ぎた辺りで、自身の仕事を彼に積極的に手伝わせるようになったのだ。
フィーリア曰く”いざというときのために薬のことを知っておくべきだ”とのことであるけれど彼からしてみればとても子供に教える内容には思えない。
もちろん手伝いとはいっても毒草などの危険なものには触らせなかったし、手伝った後にもう一度フィーリア自身が確認作業をするのだから、手間はむしろ増えるばかりだ。とても彼女が言うような”手伝い”と呼べるほど立派なものではない。
それが家で本ばかり読む彼を慮っての母親らしい行動か、あるいは彼女なりの我が子とのコミュニケーション方法だったのかについては定かではないけれど、少なくとも家族以外の誰とも繋がりを持てずにいる彼に対する贖罪の気持ちがあったのではないか、とハルは思っている。
もっとも、そういった行為も彼としては身になることが多いので特に問題はないのだけれど、子供と違って迷惑を掛けているのが自覚できる分、その気持ちは複雑である。
そんな裏事情もあり彼は”二つ返事で”というほど気楽に母のお願いを了承できないのだが、そうは言っても断るという選択肢もなく、結局素直に彼女の頼みを受けるしかないのであった。
ハルはその胸中を上手く隠しながらフィーリアに向かって了承の旨を伝える。彼女はといえば”ありがとう! ハルくん大好き!!”などと上機嫌で彼の手を握った。
――人というのは本当に変わらない
ハルは心の中でそんなことを思う。
差別する人間も変わらない、親というものも変わらない。プラスにせよマイナスにせよ人の心の根源は変わるはずがないのだ。ハルはリィンに生まれてからの一連のやり取りから得た確信に安堵する。
「……安心したよ」
「んっ? どうしたの急に?」
”何でもない”ハルはそういって目を細めた。
次話は三日以内を予定しています。