第二十話 ― ”とある死”と”とある使徒”と”ある人”
「お前の要求には出来る限り応える……、だから私を救ってくれ……」
沈黙に支配された部屋でブラムは懇願する。ハルは彼の要求にただ”不可能だ”と軽く首を振った。
「出来ることがあるとすれば、自警団が狼を見つけずに帰ってくることを祈るぐらいしかない」
基本的に狼というのは臆病な一面を持ち合わせている。それゆえ彼らは集団でたった一匹の獲物を狙うのだ。それは自然界においてこれ以上ないほど正しい習性である。”卑怯だ”とか”狡猾だ”と蔑む権利は矜持をもった生き物同士にしか存在しないのだから。
だが逆に言ってしまえば、自警団がそれなりに大きな集団で行動し、尚且つ狼を見つけてもちょっかいを出さなければ、何も起こらない可能性はある。慰めになるかどうかも分からない、そんな説明だけを手短にブラムに伝えると彼は絶望的な顔をした。座り込んだまま青い顔でブツブツと何事かを言いながら、軽く握った拳を自身の額に当てる。それはこの辺りでの神に祈りを捧げる動作であった。
”祈りは労働である”
いつだか聞いた文句がハルの脳裏に浮かんだ。
”人が救われるためには『祈り』という『労働』が不可欠らしい”と聞いたときどう思ったかは、今となってはハルには思い出せない。面白いと思ったか、あるいは良い文句だと感じたのか。唯一つ彼が覚えているのはその反対の言葉のほうがずっと人間らしいと感じたことだろう。
”労働とは祈りである”
ブラムは動くことを嫌った。故に今の彼がある。あるいはそれさえも彼に言わせれば村長の仕事だったのだろうか、とハルは魂が抜けたようになっているブラムを見ながら思う。
せめて死人は出なければいいが……
部屋でうずくまるブラムを目の端で見ながら、ハルは”もう用は無い”とばかりに足早に村長宅を後にした。
――そして、やはり神はブラムを救わなかったのである。
――――――
時は夕刻が差し迫った頃。ザックの帰りを村で待つハルに届けられた情報は想定した中では最悪なレベルの被害であった。
狩りはやはりとでも言うべきか、三人から四人で構成される十程度のグループに分かれて行われた。自警団の報告によればその中で被害を出したの二つのグループだけである。しかし、その内容はといえば片や全滅、片や三人中二人が死亡と惨憺たる結果であった。だが、彼を最も動揺させたのはその報告ではない。
――被害者の中に彼のよく知る人間が含まれていたことだった。
彼は急に辺りに漂った刺激臭で彼の存在に気付いたのである。振り向いてみると運ばれる死体の服から落ちた小瓶が割れ、黒っぽい色の液体が辺りに飛び散っていた。ハルはそれを見て、慌ててそこへと近寄る。ハルが近づいて来るのに気付き、遺体を運んでいた二人のうちの一人が彼を止めようと前に出たが、それを近くにいたキールが制止する。キールが目で合図をすると二人はザックを地面に寝かせて、その場から離れていった。
「ザック……」
運ばれた遺体を前にハルは言葉を詰まらせた。その遺体の状況は決してキレイと言えるものではなかったからだ。顔は苦痛に歪み、服は流れ出た血で赤く染まっている。一言も言葉を発さないままハルはザックから目を逸らした。その様子を体に生々しい傷跡をつけたキールが見守っている。
そんな風にしていつまでも続くかに思われた静寂を破り、キールが口を開いた。
「……すまない。俺たちが襲われてるのを見かけたザックが飛び込んできたんだが、……どうにかして一匹仕留めた頃には生き残ったのは俺一人だった」
申し訳なさそうにキールは目を伏せる。そう言う彼自身の腕にも行く筋もの赤い線が走り、痛々しい傷跡が顔を覗かせていた。
「今回の被害がこれだけで済んだのはザックのおかげだ。コイツは俺達のところに来るまでに、他の班とも会っていたらしくてな。その時に忠告してくれたおかげで、一部のヤツらは不用意に手を出さずに済んだんだ」
ハルにはザックが拙いながらも必死で説明する様子が容易に想像できた。
”今回の野犬には手を出しちゃあいけねぇ”そんな風に説得したのかもしれない、とハルは思う。
目の前のザックだったモノの首には大きな傷跡がある。グチャグチャになったソレは見ていて気持ちのよいもではなかった。
「……どうして黙っていた?」
ハルはキールに問いかける。彼はすぐにそれが”どうして今回の計画を事前に知らせなかったのか?”という意味だと理解した。
「俺は……動けなかった。お前との繋がりをブラムに怪しまれるようになって――下手をすれば俺が伝えに行ったせいでブラムの行動が早まる可能性もあった」
「それは当日まで、いや、当日でさえ知らせなかった理由にはならないだろう?」
「俺は自警団として、そのリーダーとして森に入らないといけない。仲間達にも注意していないといけなかった、当日ならなおさらだ。とてもじゃあないが、そんな余裕は……」
”ブラムの監視を恐れて報告にもいけない、さらに自分がいない間に自警団が森に向かえば、それこそどうなるか分かったものではない”彼の主張は概ねそんなところであった。
「それで? その大切な仲間も死なせて君は得るものがあったのか?」
ハルの痛烈な皮肉にキールは閉口する。
全てが後の祭りであった。ハルの計画はもう僅かばかりも機能しない。すなわち完全な”詰み”である。ブラムは村長ではいられないし、彼がキールを共犯だと主張するならそれを妨げる手段もない。
「私はもう君を助けない」
「……ああ、それでいい」
キッパリと切り捨てたハルにキールはことのほか、殊勝に頷いた。
もっとも、そうは言ったハルではあったが実際のところこの期に及んでブラムがキールを道連れにするかについては判断できてない。
誰かに”ブラムは狼のことを知っていて無視している”と告げられた場合と違い、わざわざキールを巻き込んでまで計画的であったことを主張するよりは”狼だとは思わなかった”と知らないフリに徹するほうがマシと考えるかもしれないからだ。
何にせよハルには、この件に関してこれ以上首を突っ込む意欲は完全に失せてしまっていた。
基本的にハルという人物は好き好んで冷徹なマネをしたりはしない。労せず人を救えるなら彼はその方法を二つ返事で肯定するだろう。ただ、その”労せず”の閾値が著しく低く、若干独善的なことを除けば、という前提は必要かもしれない。
彼は自身に害がない限り欲する者には与える。
――が、与えたものについて責任を持つことはない。
”奪う者が常に悪とは限らないが、与える者は常に善である”
彼は想一であった頃、誤解を恐れずにそう主張し続けた。
今回ハルがキールの提案を了承したのは、少なからず彼が自身に有利に働いてくれると考えたからだ。キールの望みはハルの希望の延長線上にあって、それゆえ彼はキールに手を貸すことを厭わなかった。
ザックにもアヒムにも伝えてはいなかったけれど、そもそも最初からハルはブラムに村長を続けさせるつもりで動いていた。村の最高権力者の弱みこそが今回の騒動の中で唯一ハルが望むものであったらだ。
しかし、それも今となっては無理な話である。ブラムの失墜は避けがたく、ハルにそれは防ぎ難い。となれば既にキールに手を貸すという行為は延長線上にあるはずも無く、ハルはかくも容易にキールを見放す。多少は情の移ったザックと違い、所詮キールは何度か会話しただけの”赤の他人”であった。
どうせ、後は自警団が領主に報告して終わりだ
”誰が報告に行くか?”という点で一悶着あるかもしれないが、十分に警戒していけば無事に報告することは出来るだろう、とハルは思考する。
そんなことを考えながらハルは”ザックさんをお願い”とだけ伝えるとキールに背を向け、他の団員達のもとへと足を進める。その後姿を一瞥すると、キールは先ほどの二人に指示を出してザックの遺体を運ばせた。
皆が暗い顔をするその中で、アドニスもまた目元を手で覆うようにして、座り込んでいた。相当に参っていたのであろう、普段ならば”どうしてこんなに遠くから”という距離でもハルを発見するのに、アドニスはハルがすぐ後ろまで近寄っても彼に気付くことは無かった。そんな彼にハルは躊躇いがちに声をかける。
「……お父さん」
「ハッ、ハル!? どうしてここに!?」
肩に手を置いた息子に気付いたアドニスは驚きに目を見開いた。”何故村に?”そう彼が思ったのも無理からぬことだろう。けれど、そんな驚きの表情も一瞬だけであった。彼はそのことについて深く考えるよりも先に、静かにハルを抱き寄せる。すぐに耳に届いた小さな嗚咽に聞こえないフリをしながら、ハルもまたアドニスの背中へと手を回した。
その日、自警団たちによって村にもたらせれた訃報は、一瞬にして村人たちの心に暗い種をばら撒いた。その種は押し留められぬ慟哭となって村を覆う。それはブラムという”悪人”を吊るし上げ、そして新たな火種を伴って村を包み込もうとしていた。
――平穏であったサイラスの村を襲った一連の騒動、”その裏に隠された”真の捕食者はまだ吊るされていない。
次話は三日以内を予定しています。
ただ今週は少々忙しいため一日から二日予定がずれるかもしれません。