第十四話 ― いわゆる”消えた死体の謎”
「つまりは、そのイクァとかいうヤツの信者のせいで、この村に狼が入ってきたってわけか」
「そちらについてはあくまで憶測にすぎませんけどね」
空き地へと足を踏み入れた頃には、アヒムによる一通りの説明が終わったようで、ザックは難しい顔をして唸っていた。
「しっかし、そんな危なっかしい神様のどこがいいのかねぇ」
「どんな神でも信仰する者はいるものです。それと、あまりおおっぴらにそんなことは言わない方がいいですよ? 私は気にしませんけど、もし隠れてイクァの信仰をしている人が聞いたりしたら、貢物にされかねませんから」
「……脅さないでくれよ。でもよぉ、やっぱり俺ァ、祈るならイドとかハイアルのほうがずっといい」
”その方がずっと健全だ”とザックは続ける。その言葉にハルもアヒムも心の中で頷いた。
ザックの挙げた二柱は言ってしまえば”祈らばすなわち与えられん”といった神だ。イクァのように気に入る者だけを選んだりはしない。
まぁ、”書物の上では”だがな
美辞麗句で二柱を讃える読み物を頭に思い浮かべ、ハルはそんなことを思った。信仰の奪い合いを考えれば、厳密な意味で与えるだけの神など存在しないのかもしれない。
「まぁ、神様云々はまたの機会にでも話すとして、さっきの話だとこの空き地に狼の死体があるんだろう?」
開けたその場所で、ザックは周りを見回しながら二人に尋ねた。その問いにハルが頷く。
「もう少し先だよ。そこから空き地を出て、少し森の方へ入ったとこ」
「にしても、なんたってそんなとこに狼が?」
「縄で木に縛りつけれれていたんだよ。多分、子供の狼なんだろうけど大きさ的には普通の犬より少し小さいぐらいでさ」
ハルは手を広げて、空き地で見つけたソレの大きさをザックに伝える。
「ってぇと何か、誰かが犬のつもりで飼ってたのか? ンでもって、世話を怠って死なせちまったとか」
「いえ、残念ながら、それほど平和な雰囲気ではありませんでしたよ」
今度はアヒムが答える。
「……どういうことだ?」
「その死体には明らかな”虐待の跡”がありました」
「マジかよ……」
虐待という言葉にザックは眉をひそめる。
「マジです。おまけにその空き地に周りの目を気にしながら入っていく少年が目撃されています」
「いったい誰だよ、そんなことするバカは」
「グレッグくん……だってさ」
ハルの口から出たその名前にザックは一瞬、驚いたように目を見張った。しかしすぐにキッと鋭い眼光を光らせる。
「……最近荒れてるとは思っていたけど、そこまでの悪たれだったとはな」
話を聞いたザックは”あの親あって、この子ありってか、笑えねぇ”と誰に言うでもなく、こぼした。まったくもってその通りだとハルも思う。二人の違いなんて精々、悪質さのベクトルが違うくらいじゃないだろうかと、二人を頭に描きながら、ハルは面倒そうに角をかいた。
「とりあえず、この先だからさ、ついて――」
怖い顔をしたザックにそう声をかけ、死体が括りつけられていた木のほうへと進もうとしたときだった。ようやく気付いたその違和感にハルは一度首をひねり、スンスンと鼻を鳴らす。
「どうしたんですか、急に……もしかしてまた臭いが?」
ハルの様子を目ざとく見つけたアヒムが聞く。
「ん? いや、むしろその逆なんだけど、なんか臭いが――」
「臭いがどうかしたのか、坊主?」
「……ううん、気のせいかもしれないし、とりあえず見に行ってみよう」
ハルの様子を訝しみながらも二人は彼の後ろに続く。
空き地の端、少しだけ倒れた草によって出来上がった道へと足を踏み入れ、三人は足元に気をつけながらゆっくりと歩を進める。ここにきてもハルの感じる違和感は大きくなるばかりであった。もうすぐ現場に着くというのにハルはいまだにその感覚が拭い去れず、”もしかしたら鼻がおかしくなったのかもしれない”と密かに自分の体に異常でも生じたのではないかと案じていた。
しかし、結局のところ彼のそんな心配は杞憂に終わる。
「これは、いったいどういう――」
そこに着いたとき、アヒムは言葉を失った。それと同時にハルの先ほどの発言の意味を理解する。”臭いが気になるのか”と尋ねたアヒムに対し”その逆”と答えたハル、”臭いが前ほど気にならない”それはつまり――
「死体が……消えている」
――死体の消失を意味していた。
「……場所を間違えたんでしょうか?」
「それは無いと思うよ。ホラ、この木」
勘違いという可能性に言及したアヒムにハルはそう言って一本の木を指差した。見ると木の幹をぐるりと囲むように、ハルの腰ぐらいの位置に何かが擦れて出来たような跡が見て取れる。それは間違いなくあのときに巻きつけられていた縄の跡であった。
難しそうな顔で二人が考え込む中、事情を知らないザックはその様子を訝しむ。
「この木がどうかしたのか? それよりも狼はどこに――」
「ここだよ」
「何? そりゃあどういう意味だ」
「ザックさん、私たちが死体を発見したのは間違いなくここなんですよ」
「ここって……」
”なんもねぇじゃねぇか”とザックは口にしたが、それを言いたいのは二人も同じである。
「ってーと何かい、ここにあった死体がきれいさっぱりなくなっちまったと、そういうことか?」
「……うん」
「勘違い……じゃあねぇみたいだな」
ようやく状況を理解したザックは神妙な顔で二人に言う。
「他の獣に喰われたか、それとも野犬が巣にでも持ち去ったんじゃあねぇのか?」
「いや、それはないんじゃないかな。もしそうだとしたら今まで残っていたことが不自然すぎるよ。おまけにあんな腐敗が進んだものを食べるなんて考えにくいし、なによりご丁寧に縄まで無くなってる」
腐肉食の大型獣でもいれば話は変わってくるかもしれない、とハルはそんな心当たりがないかと二人に尋ねたものの、その答えは”この森で熊に出会うよりもありえない”とのことであった。
獣が運ぶことは考えられないとなれば、残る可能性は……
「誰かが動かしたみたいですね」
ハルの考えを代弁するようにアヒムは告げる。
「ここで、狼の虐待を行っていた――グレッグでしたっけ? 彼の線はないですか」
「俺もグレッグが怪しいと思うぜ、なにせ虐待なんて真似していたみたいだしな」
ザックとアヒムは共にグレッグが動かしたのではないかと主張する。
「だけど、死体を子供一人でどうにか出来るものかな? いくら小さかったとは言っても、それなりの大きさはあったんだし」
重労働であることは間違いないだろうとハルは思う。
「それにどうして今更?」
「それは、自分が狼と関係していたなんて知られれば――っ!」
「おい、どうしたんだ」
言いながら気付いたのであろう、アヒムは言葉を詰まらせる。それを見たザックがどういう意味か、と不思議そうな顔をしている。
「アヒムさんの言うことは確かに正しいよ。”虐待していたものが狼だったってことを、グレッグくんが気付いたら”という仮定のもとなら、ね」
「……そういうことか」
二人の言いたいことがわかった、ザックは顎に手をあて考え込む。
アヒムの言うとおり”自分が狼と関係していた”なんて事実は隠したくなって当然だ。だがそれは同時にグレッグは既に”狼だった”ということに気付いていることを意味しており、つまるところ狼の情報がどこからか漏れていることに他ならない。
「そういえば、この間キールさんに会ったんだけど、そっちも狼のことを知っていたみたいだよ。……信じてはいるけどアヒム、喋ったりしてないよね?」
「……私はそれほど口の軽い男じゃあ、ありませんよ。何よりもメリットが無い」
「それはメリットがあったら喋ったということ?」
「揚げ足取りは感心しませんね」
ハルの疑うような口調に二人の間に剣呑な雰囲気が流れる。二人とも表情こそ変えはしなかったがその無表情な仮面の下では視線が交差し、火花が散っている。そんな空気の中、口を挟んだのはザックであった。
「お、おい、待てよ! 俺達で争ってどうすんだ。それに偶々キールがどっかで盗み聞きしていたかもしれないし、グレッグのほうだってキールから漏れたって考えた方がしっくりくるっての」
一触即発の空気にザックはわざと軽い口調でそんな風に言う。その彼の様子に毒気を抜かれたかのようにアヒムとハルの二人は吐息する。
「それもそっか。ごめんね、別に本気で疑ってたわけじゃあないからさ」
「いえ、こちらこそ大人気なく……」
かくしてとりあえず二人の間に流れていた刺々しい空気は鳴りを潜め、もとの落ち着いた雰囲気に戻ったのだった。二人が謝りあったことを確認し、ザックが再び話をもとの方向へと戻す。
「うっし、それじゃあ、さっきの話は一旦おいておくとして、だ。俺はやっぱりグレッグが怪しいんじゃねぇかと思う。一人じゃあキツイが数をそろえりゃあ、何とかなるだろうし、悪友だっていたんじゃねぇか?」
ザックは複数人でやれば死体の処理も問題ないのではないか、と言いたいらしい。その意見にハルは首を横に振る。
「それもそうなんだけど、わけあって今はちょっとグレッグくん孤立しているからさ……面倒ごと、ましてや腐乱死体の処理なんて手を貸すとは思えないよ」
何より片付けたとして自身の体に臭いがつく、そんな状態で村を通れば嫌でも目立ちそうなものだ。
汚れを落とさずに家に変えれば騒ぎになる可能性もあるだろう。
「そんじゃあ死体を動かしたのは、グレッグじゃないってことか?」
「僕はそう思う。ザックさんは知らないかもしれないけど、すごい臭いんだよ? あんな臭い体に付けてたら、ちょっとした騒ぎになりそうだもの」
とは言え、その意見には何の証拠もない。もしかしたらグレッグが勇気溢れる少年でかつ想像を上回るバイタリティーの持ち主だったとすれば、深夜遅くに目立たない程度の小さな明かりをもってここに来て、どうにか死体を移動させた後、体を洗って家に帰る、という荒業が出来る可能性もある。
現代と違ってほとんど明かりのないこの村でそんなことが出来るとは思えないが
「けれど、そうなるといよいよ誰が動かしたのでしょうか?」
「他に動かす理由のある人間って言やァ、ブラムぐらいのもんだろうが、アイツだったら自警団にでも埋めさせるか」
「ダレンさんに埋めさせた可能性もあるね。まぁ目立つことにはかわりないけど」
「というよりもその理論で言えば、村の誰がやっても目立つということになりませんか?」
「まぁ、そうなんだけどね」
「それに、ブラムこそ今更って感じだしなぁ。どうせ俺たちが狼のことに気付いているのはキールが報告してるだろうし」
確かに今になって処理するメリットが見つからない、とハルも頷く。
あえて言うならこれ以上村の誰かが気付かないように先手を打った可能性か……
議論の甲斐なく八方塞である。そうなってくると前提が間違っていて、死体は一人でもどうにか処理可能だし、臭いも気をつければ騒ぎにならなかったのではないか、と考えなければ村人の中から犯人を探し出すのは難しそうだった。
あるいは気付いていないだけで他にも方法があるのか?
ハルは押し黙ったまま頭を回転させ、アヒムは普段は見ない神妙な面持ちで爪を噛んでいた。ザックも落ち着きなく”ああでもない、こうでもない”と右へ左へうろついている。
「とりあえずここにいても仕方がありませんし、村に戻りましょうか」
顔を上げ、そう提案するアヒムにハルとザックは小さく首肯した。
次話は三日以内を予定しています。