プロローグ ― 狂信者は生まれました
「信仰を広める?」
トウカの言葉の意味を理解できずに想一はそう返した。
「そもそも、私は死んだんだろう? それとも実際には生きているのか?」
「あー、死んでるわよ? そりゃあもう完璧に、どれだけ心臓マッサージしたって蘇生なんて出来ないでしょうね」
そんな報告をしながらもトウカの表情はどこか楽しげだ。
その様子に想一が眉をひそめると彼女は”あら、失礼”と長い袖で口元を隠す。
「それならどうやって信仰を広めろと? 君の言うことを鵜呑みにするわけじゃあないが、神かそれに近い存在なのだろう? だったら私などに頼らず、もっと出来のいい人間を探すことを薦める」
「……質問はその二つでいいのかしら?」
口元を隠したままトウカは想一を見据えた。
「よくはないな。だが聞きたいことではある」
「そう」
想一の答えを聞くとトウカは”まず一つ目の質問について”と前置きして話し始めた。
「別にアナタが向こうの世界で死んでいても何の問題もないわ。というよりも死んでいてもらわないと困るのよ」
死んでいないと困る?
「ワタシはアナタの世界の神じゃないわ。そりゃあ用事のついでにちょっとこの世界にちょっかい出して遊んでたけど、本来いる世界は別、――『リィン』……っていっても分からないでしょうね」
「ちょっと待ってくれ。それじゃあ君は異世界の神だと?」
本当に神だとは思っていなかった想一はトウカの言葉に驚きを禁じえない。
しかも、異教の神どころか異世界の神を名乗りだしたのだ。
「ピンポーン、だいせいかぁい。……あら、と言うかこれじゃあ二つ目の質問に対する答えになちゃってるわね」
トウカは一瞬視線を動かし考えるようなそぶりを見せたが”まっ、いっか”とすぐに切り替える。どうでもよくなったらしい。
対する想一はというと先ほどから続く異常事態に早くも慣れ始め目の前の彼女に対しても”ああ、こういう神もいるのだな”程度にしか思わなくなり始めていた。その態度は神を敬う者らしからないが彼にしてみれば所詮は異教の神である。
それに――
「――神を愛しているけど、敬ってはいない……そうよねぇ?」
「……心を読めるのか」
”まさか”と即座にトウカはこれを否定する。
「そんなことしなくたって、ここにはアナタの一生があるのよ? そのぐらい見れば分かるわよ」
トウカはこちらに背を向けると映し出された映像群へと目を向けた。
「アナタは偶像という存在としての”神”が好き、救済の方法としての”宗教”が好き。それは子供がゲームを好きなのと大差ない」
いつの間にかトウカは再び想一を見ている。
「どうやったら信者を増やせるのか? どうやったら人の心に信仰を植えつけられるのか? それはアナタにとっては陣取りゲーム、いえ、人生ゲームかしら?」
トウカはふふふと笑う。
「なるほど、確かにアナタは”狂信者”ね。でも信仰には狂ってない」
「黙っていただけで随分と好き勝手に言うものだ」
「あら、ごめんなさぁい。つい嬉しくて」
神とは偶像だ
無いと困るが、その仔細などどうでもいい
要は教団のシンボルとして神が必要なのだ、と想一は考える。
極論を言ってしまえば邪神でもよい、そこに需要があるならば邪神だろうと、最高神だろうと付喪神だろうと人は祈るのだ。
「まぁ、そういうわけだからアナタはこっちに来てワタシを適当に崇めながら、信者を増やしてくれればそれでいいの」
どこまでも他力本願な神に想一は思わずため息をついた。
「何度も言うようだが私は死んで――」
「”何度も言う”けれど問題ないわ。ちゃんとこちらで体は用意するから。ほら、こういうのって憧れてたんじゃないの? もう一度人生やり直せるなんて滅多にないのよ?」
「だが、違う世界なのだろう?」
「アナタが同じだと思えば、どの世界も大差ないわ。ただ住んでいる人が違って、見たこともない生き物がいて、こちらの常識が通用しなくて、便利じゃなくて、衛生的じゃなくて、少しだけ危険なだけよ」
「……そうか」
「そうよ」
こともなげにトウカは言い放つ。
その表情は”どう? その気になったでしょ”と言わんばかりだ。
なので想一は彼女にはっきりと自分の意思を告げた。
「他を当たってくれ」
「なんで!?」
予想外と言わんばかりにトウカは目を見開く。
「だいたい、そんなことは自分の世界の人間に頼んだらどうだ。どんな世界かは知らないがこうして神がわざわざ目の前に出て来るんだ、大層信仰に厚い世界なのだろう? 加護の一つでもくれてやれば喜んで働くヤツもいるんじゃないか」
「ハァ……ワタシがそれをしなかったとでも思ってるのかしら?」
トウカはやれやれと首を振る。
「――まず第一にワタシの信仰はもうほとんど残っていないわ。だからこそこうやってワタシからではなく、死んだアナタに来てもらったんじゃない」
「信仰がなければ神としての力も弱まる、と。だったらこの場所はどう――」
「ここは間借りしているだけ。ここに来るまで散々見てきたでしょう? ここはワタシの空間ではなくアナタの精神的な象徴に手を加えているだけよ。だからハザマってわけね」
想一が最後まで言う前に彼女が答える。
その言葉を聞き想一は驚くよりも先に納得する。
なるほど、この世界がいやに何もかも教典に書かれた通りだと思えばそういうことか
そのことを、彼もさほど残念だと思うわけではなかったが、それでもあの時の驚きを返してもらいたいような気分になった。
「まぁ、そういうわけで余計なことはしたくないし、出来ない。それに――」
そう言ってトウカは自分の髪へと手を伸ばす。
そこはちょうど赤い髪と白い髪とが切り替わる辺りだ。
「これが闘神でこっちが法神――」
次に緑髪と黒髪が変わる部分へと手を移動させていく。
「――ここは地母神で、これが冥神だったかしら?」
「何のことだ?」
「ワタシが他の神に奪われた場所よ」
想一にはその言葉を言うときトウカの瞳が鋭さを増したように見えた。
しかし、それも一瞬のことで、気が付けばこれまでと同じ飄々とした態度に戻っている。
「あっ、今いやらしい想像したでしょう? 残念だけどそういうのじゃないわよ?」
「ああ、もう……分かったから、話を進めてくれ」
”冗談よ”と茶化すようにトウカは続ける。
「何度か抵抗したんだけど信者は減るし、信仰は奪われるしでもう散々。何人かいい感じのに、加護をあげたんだけどねぇ。――皆、死んじゃったわぁ」
”加護”と言うより”呪い”だな、と想一は頭の中で思う。
「みーんな、”異教徒”って呼ばれて殺されちゃった。これだけ神の多い世界で何言ってるのって感じよねぇ」
”あなたもそう思うでしょ?”と彼女は想一に同意を求める。
その問いかけに対して彼は答えを返さない。
想一のいる世界もトウカの世界も、神や宗教という点では大差ないのだろう、と彼は思ったからだ。
同じ宗教内でも派閥はあるし、そもそも同じ教えが枝分かれするなんて歴史を見ても良くあることである。そうでなければ宗教戦争など起きたりしないのだから。
この世界に何柱もいる唯一神を頭の中で数えながら想一は”どうやら異世界だろうが宗教の抱える問題は変わらないらしい”と他人事のような感想を抱いた。
「まぁ、相性が良くなかったのよ。なんてゲームだったっけ? 草タイプは炎タイプに弱いみたいなそんな感じの……ワタシは見ての通り聖属性だからきっと相手は闇属性だったのね」
「その知識はいったいどこから手に入れたんだ……」
「待ってる間暇だったから」
”それに君は多分闇属性のほうだ”と想一はあえて言わない。
「いや、それよりも……”待って”いた?」
「そ、もちろんアナタを、よ?」
そう言ってトウカはこちらに手を伸ばす。
「初めて見たときから、アナタしかいないって思ったのよ。あっ、コレは死んじゃった”いい感じの人たち”のときも感じたから当てにならないんだけど……でも、『リィン』の人間じゃ無理そうだし仕方ないわよね?」
「仕方なくないし、そもそも異教徒にそんな頼みをする時点でおかしくないか? 私は君を信仰していないんだぞ」
「だって、アナタのところの信仰してる神なんて元々いないわよ?」
それは何となく気付いていたが、本人の前で言うことではないだろうと想一は呆れる。
「今更、宗旨替えぐらいなんともないでしょう?」
いつの間にかトウカは想一の目の前に立っていた。
”仮にアナタのところの神がいたとしても、アナタなんて拾ってくれないんじゃないかしら? 不敬だし”とそんな失礼なことを言いながら彼女の手が想一の顔に触れる。
「一ついいか」
「何かしら?」
「君が”あの男”を私にけしかけたのか?」
その問いかけにトウカは答えない。
ただ楽しげに笑う。
次の瞬間、想一の体を光が包み込み、死んでいるはずなのにいやに頭が重くなったように感じた。
気が付くと彼は倒れこむようにしてトウカに抱きとめられている。
「よく覚えておきなさい。ワタシはトゥーカ、アナタが信仰すべき唯一柱の神――」
耳元で彼女がそんなことを囁く。
『勝手なことを』
そう言い返そうとしたが想一の口は思うように動かず、ただモゴモゴと言葉とも言えない音を吐き出すだけだった。
そのまま、まどろむように想一の意識は薄れ、そして――
――消えた。
「”加護”ぐらいはあげるからせいぜい頑張りなさぁい――ワタシのために」
その加護を想一は”呪い”と呼んでいたことを知ってか知らずか、彼女は誰もいなくなった暗闇に向かって微笑みかけた。
――――――
――――
――
暗い、苦しい……
早く、早く外に出してくれ!
ようやく意識を取り戻したのもつかの間、気付けば想一はまた暗闇の中にいた。
違う点を上げるとすれば体が上手く動かないことだろう。息苦しさに身をよじりながら何とか暗闇を抜け出そうとするがどうにも上手くいかない。手や足に力が入らず、何とか身を捻ろうにも周りから絶えず自分を締め付ける壁が私をがっちりと抱え込んだ。
その壁はまるで押し出すように私の体をグイグイと押していく。
一体何が……――ッ!?
分けも分からずもがく自分の体を何か大きなものが挟み込む。
そして次の瞬間――
『やった! よく頑張ったわね!! 元気な男の子よ』
興奮したような女性の声が耳に入る。
それとともに急に差し込んだ光に思わず目を細めた。
何を言っているんだ?
その声の主が何を言っているのか分からない。聞いたこともない言葉で女性はなおも何かしら言っているようであった。
周りの様子は良く分からないがあの息苦しい場所から出られたようだ。
そんな風に安心していると今度は妙に耳障りな声が彼の耳に届いた。だがすぐにその声を自身が出していることに気付く。
うるさい
「ア、アゥ……ア」
意識してみても上手く口が回らない。
これは……まさか
『お、男の子……? 本当に?』
混乱する想一をよそに、体が柔らかな布に包まれるような感覚と抱きかかえられる感覚が生じた。
『この子が私の……』
『ふふ、顔つきが貴方にそっくり。目元は……お父さん似かしら?』
私の目には何も見えていないかったが、大切そうに自分を抱くその女性の様子から今の状況は大体理解できた。
なるほど、私は彼女の子供として産まれたのか
「アゥ、ア」
話したいわけでもないのに口からはそんな声が漏れる。赤子が泣くのは本能だと聞いたことがあったがどうやら本当だったらしい、と彼は感心する。現に意志など関係なく、目からは涙が流れ大声でわめいているのだから。
『フィーリア!! 俺の……! 俺たちの子は!?』
『あなた……ふふ、大丈夫よ。元気な男の子』
『おお! そうか、この子が!』
聞きなれない言葉を話す二人。男と思われる声は興奮を抑えきれないといった様子で彼を抱き上げた。女性は先ほどに比べると幾分か落ち着いている。
おそらくこの二人が私の親とみて間違いないだろう
『よくやった! よくやったぞ!! フィーリア』
男がまた何かを言っている。
そうか私は本当に――
「ア、アゥ」
――生まれ変わった、
……いや、生まれなおしたのか
次話は明日を予定しています。