第十二話 ― 埋まらない溝
そして、話は再びハル達とキールの対面へと繋がる。
しばらくのにらみ合いの末、先に口を開いたのはキールだった。
「躾云々はともかく、素行の悪さで言えば、お前も大差ないだろう、ザック?」
「俺のこたァ、どーでもいい、話を逸らすんじゃねぇ。何で盗み聞きなんてセコいマネしやがったのかって聞いてんだよ。お前、そういうのが一番嫌いなタイプじゃなかったのか?」
「別に好きでやってるわけじゃあない。ただ、今一番優先すべきことが何かを考えた結果だ」
気に入らない、といった態度を隠さずに食って掛かるザックに対し、キールは平然とそう言い切った。
「優先すべきこと、だと? ハッ、こんな事実を散々ひた隠しにしてきて何を今更」
ザックは忌々しげに吐き捨てる。
「キールよぉ、お前もっと早い段階で分かってたんだろう!? だってのにお前は村外れのヤツらを切り捨てやがった!!」
「あれは……俺も本意じゃあなかった」
「だったら、なんで――」
「必要だったからだ」
「必要? どれだけアイツらがいなくなったと思ってんだ! それもお前が言うように必要な犠牲だってのか!? 綺麗事言うくらいならハッキリさせたらどうだ? ”村長がそうするように言ったから”ってな」
「それも否定はしない。そうしなければ村の人間に不必要な不安を与えることになるというのは、俺にしろ村長にしろ同じ意見だったんだ、少なくとも初めはな」
「どうだか、本当は――」
「はいはい、二人ともそこまでにしておこう、ね?」
このままでは収拾がつかなくなることを察し、感情的になっているザックをハルが遮る。ザックはハルに”どうして止めるんだ”と不満の声を上げたが、”二人が争っても時間の無駄”という彼の一言により沈黙した。それでも納得は出来ていないようで、ザックが”だけど”と小さく言っていたのをハルは意図的に無視し、キールに向き直る。
「よかった、僕が見えてないのかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「……それは悪かった」
「ううん、そのことは別にいいんだけど。それよりもさ、さっき言ってた”初めは”ってどういう意味? なんか”今はもう袂を分かちました”みたいな言い方だよね」
「そういう意味だ。村長――ブラムには伝えていないが、もうアイツのやり方にはついていけない。だからこうしてお前たちのところに来たのだ」
あくまでも静かにキールはそう告げたが、明らかな怒りがときおり顔を覗かせている。
「だけど、どうして急に? 同じ意見だったんじゃないの」
「俺も村の人間を不必要に怯えさせることは無いと思っていた……だが、それはその間に対策を練って問題を解決するつもりだったからだ。まさかブラムがここまで静観を決め込むとは想像していなかった」
そこで一端言葉を区切り、キールはハルを見やる。眉間には皺がより普段から厳しいその顔をさらに近寄りがたいものにしていた。それだけで、彼がどれだけの敵意を村長に向けているのかが想像できる。
「実際、俺は領主に駆逐を依頼するようにアイツに進言して――いや、これは言い訳だな」
「……キールさんが今の村長のやり方に納得していないっていうのは分かるよ。でも、それがどうして僕らに会いに来ることにつながるのかな?」
「隠さなくても、お前たちが勝手に調査をしていることは知っている。それは褒められたことじゃあないし、俺は今でもお前たちのしたことは間違ったことだったという認識に代わりはない。だが、そのおかげで、狼の存在に気付けたのも事実だ。ならば……ブラムが動かないのならば俺はお前たちに頼るしか――それしか、方法がないッ」
悔しそうにキールは歯を食いしばる。そんなキールをよそにハルは内心少しだけ動揺していた。
調査していたこと事態がバレているのは別段問題ではない。ハルが気になったのは既に狼の件がキールの耳に入っていたことだった。
いつかは漏れるだろうとは思っていたが……
さすがにこれほど早いというのは彼にとっても予想外であった。
アヒムかアリスが喋ったと考えるのが妥当か?
アリスが口を滑らせた可能性が高いのではないか、とハルは予想する。漏れた場合、本当に都合の悪いことに関しては話していないが、それでも知らないうちに情報が漏れているということが、ハルを落ち着かない気分にさせた。
どちらにしても今のままでは判断は出来ない、とハルは一旦それについて考えるのを止め、目の前の会話に意識を集中させる。
「情けないことだとは分かっている。だが手を貸してくれ、この村のために。君だって牙も爪もある男だろう?」
山羊型のしかも半獣人に牙も爪もあるものか、とハルは彼の言葉を聞き流す。その一方でザックの心は揺れていた。
”この村のために”
そう言って頭を下げるキールをザックは複雑な目で見ている。先ほどは”仮にも村人を見捨てた相手だ”という怒りが先行していた。けれどもこういう頼み方をされてしまうと”目の前の男も村を救いたかったのに、立場のせいで動けなかっただけなのかもしれない”という思いをザックは抱きはじめている。
”それならば、お互いに協力するのもよいのかもしれない”
ザックがその提案を口にしようとしたときだ。
「おかしいよね」
唐突にハルはキールにそう言った。
「は?」
「だって、村長が動かないならキールさんが動けばいいじゃない」
”当たり前でしょう?”といった様子でハルは口にする。
ザックは”何のことやら”といった様子で首をひねった、”だからこうして頼みに来たのではないのか?”と。
「だ、だから俺はこうして……」
キールもザックが考えたのと同じように、それを口にしようとする。そんなキールに対してハルは手を振りながら否定した。
「違う違う、そうじゃないって。……行けばいいじゃない、領主の所へ報告に」
ハルの言葉にキールは一瞬にして思考を止められたような思いだった。明らかに話の流れが変わり始めていることを感じ取りキールは焦りを滲ませる。どうにかその場を取り繕おうにも、核心をつくようなその疑問に、不用意な答えをするわけにもいかない。
その間が仇となった。キールが答える前にザックまでもが彼の意図を問いただす。
「そういや、そうだな。確かに領主が信じるかどうかの問題はあるにしろ、先に俺たちを頼るのは順序が違う」
「それは……」
結果、先ほどまでの威勢が嘘のようにキールは口ごもってしまう。その姿を見てハルは自身の直感が正しかったことを確信した。
「……なるほど、行かないんじゃなくて、行けないんだね。酷いなぁ、協力しようって言うならそのこともちゃんと話してくれないと」
「どういうことだ、坊主?」
「村長に弱みを握られてるんだよね?」
ハルの口から出た言葉にザックは唖然とする。すぐにその事実を確認しようと顔を向けたときには、すでにキールの表情には隠しきれない困惑が浮かんでいた。
”一筋縄ではいかない”
これまでのハルの行動や、聞きかじった噂から、しっかりとそんな心構えをもってきたキールであったが、さすがにこの展開は彼にも予想できなかった。不信感を持たれぬように想定してきたいくつかの受け答えは既に何の役割も果たさない。なぜならそれらは、ここに話が及ばぬようにするためのものだったからだ。
”早く言い分を考えなければ”
すぐさま思考を切り替えるキールであったが、ハルは彼の話など聞く気は無いとばかりに淡々と推論を積み重ねていく。どうにか否定しようと思いついたときには既にその仮定の元に次の仮定が積みあがり、気が付けばキールには口が挟めない状況になっている。
そして、キールにとって最悪なことに、その仮定はどれも見事なまでに的を射ていた。
「仮にそうだとすると、その弱みっていうのは、村と天秤にかけても村より重い物……」
「な、何のことだか――」
急激に渇き始めた喉のせいで、キールの太く低かった声は、今では見る影もなく弱弱しい掠れた声になっている。そんな必死の抵抗も意に介さず、ハルは一つの結論へと到達していた。
「だとすると……自分の命、かな?」
何故一言も口にしていないのにそこまで推測できる!?
キールは予期できなかった事の流れに混乱する頭を冷やそうと必死になる。
驚愕するキールであったが、実のところハルがこの結論に至ったのは、彼に落ち度があったというよりも、単にブラムの性格から起こしそうな行動を並べたにすぎない。つまり以前会ったブラムの性格から推測しただけである。その意味において、幸いにもブラムは悪い意味で分かりやすい人物であった。
キールに非があるとすれば、ハルの口から出る言葉にポーカーフェイスで在り続けられなかったことぐらいだろう。要所要所でハルはそんなキールの表情から答え合わせをしていたのである。
「そりゃあ、どういうこった? ”告げ口したら殺す”ってか」
話を聞いたザックは訳が分からないといった様子でハルに尋ねた。
「その脅し方はさすがに……相手がキールさんじゃあ無理だと思うよ」
百八十センチ以上は優にありそうな背丈に、筋肉質の大男、おまけに自警団の団長に対して、その脅し文句を言うブラムはハルには想像できそうになかった。
「ねぇ、ザックさん、ここまで被害が拡大しているのを知っていて、村長が傍観していたってことがバレたとするよ、そういう場合、罰則ってどのくらい酷いものなの?」
「そりゃあ、村長ではいつづけられないだろうから、よくて領地から追放、悪質だと判断されれば、最悪だと死罪も――ってまさか!?」
ハルの言葉の意味を理解したザックは目を見開いた。
「そう、例えば”この件は私とお前の共謀ということにする”とかどうだろう?」
言葉尻は疑問系であったものの、ハル自身はその真偽について尋ねているような様子ではない。むしろただの確認作業といった雰囲気である。
「おい、どうなんだキール!」
「……その、通りだ」
誤魔化しきれないと悟ったキールは一瞬言葉を詰まらせたあと、ハルの発言を肯定した。
その言葉を聞き、ザックは目元に手をあて空を仰ぐ。
「ハ、ハハ、ハハハ……何が、何が”村のため”だ」
そしてザックは力無く笑った。まるで嵐の前の静けさのように彼は誰に言うでもなく呟く、その体は小刻みに震えていた。そしてそのときは唐突に訪れる。
「――結局はテメェの命惜しさじゃねぇか!!」
少しの間をおき、今にも殴りかかりそうな勢いで、ザックは声を荒げた。
普段の温厚な表情からは想像できないほど顔を歪ませ、彼は感情を爆発させる。
「おい、坊主、こんなヤツの言うこと何ざ、聞く必要はねぇよ」
「ま、待て、ザック! 確かにその子の言う通り、俺は脅されたよ。だが俺だって村を救いたいと思っているからこそ、お前たちに協力を求めに来たんだ!!」
キールは必死にザックを説得する。
「このままだと、自警団まで巻き込んじまう。そうなったら余計に被害が拡大するのなんて目に見えてんだ。お前らだってそれを防ぐためにこんなことをしてたんじゃないのか!?」
「それは……そう、だが……」
散々、キールを非難したザックであったが、キールの言いたいことが分からないほど彼も子供ではない。キールが脅されたのも、いわば彼が村長のやり方に反対した証拠だと考えれば仕方ないことのようにも思える。自分がキールの立場だったらと考えると、ザックは怒りの矛先を失ってしまい、どうしようもないやるせなさだけが彼の中に残った。
「どっちにしたって、狼をどうにかするには領主に頼むしかねぇんだ。今更どうしようもねぇだろ」
萎えかけた憤りをどうにか鼓舞するようにザックは言う。
しかし、そんなザックの言葉はハルにいとも簡単に否定された。
「えっ? あるよ、普通に。キールさんも村長も責任を取らされずに狼をどうにかする手段。正確には村長には少し皺寄せがいくけど」
「何だって?」
考えるまでも無い、といったふうにすぐさま口を挟んだハルにザックは素っ頓狂な声を上げる。
「というよりも、キールさんもそのことを分かっていて、僕らのところに協力を仰ぎに来たんじゃないかな」
ハルはいいながらキールに目を向ける。過ごしやすい陽気だというのに、キールは額から汗を流していた。沈黙する彼を見て肯定と受け取ったハルは話を進める。
「まぁ、ザックさんがいたんじゃあ、話しにくいよね。ザックさん、少しだけ二人にしてもらってもいいかな?」
「なッ! 坊主いくらなんでもそれは――」
”俺にだって話を聞く権利はある”
そう主張しようとしたザックに”ちゃんと後で伝えるから”とハルは笑いかける。
結局、ザックにはそれ以上口にしなかった。
”確かに自分は協力者だ、けれどもその行動は、全てハルの意図によるところだった”
その事実を思い出してしまった彼は、自身にハルの行動を制限する権利があるのかと自問し
そして――
「……後で教えてくれよ」
それだけ念押しすると、ザックは背を向けてその場から立ち去っていった。その姿が見えなくなるまでハルは彼の背中を見送り、しっかりと見えなくなったことを確認すると、キールの方へ体を向ける。
「それじゃあ、取引内容を決めようか」
ザックがいなくなった瞬間に、言葉遣いを変え、感情のこもらない笑みを向けたハルに、彼は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
次話は三日以内を予定しています。