第三話 ― 野草摘み、その後
「ねぇ、今日も森に行くの?」
アルフレッドの授業が終わり、腰を上げたハルに向かいアリスは尋ねた。
今となっては教室に来ようが、村に入ろうが住民たちもなれたもので、偶にハルに声をかけてくる者もいる。グレッグからの干渉がなくなったせいか、生徒たちの反応もおおよそ似たようなものであった。計算や授業について聞いてくる生徒も増え始め、少しずつ確執はなくなり始めている。もちろんアリスもその例に漏れず、気が付けばハルにとってはクラスの中で最も親しい間柄になっていた。
ただ、どうにもお姉さんらしく振舞いたいのか、度々ハルの行動について口を出すようになってしまったことが、彼にとって悩みの種である。そして今日もアリスは一人、森へと入るハルに注意をしていた。
まさかあの一件がこのような形で尾を引くことになるとはハルにも予想出来なかったのだ。
「それは、まぁ、そもそも家が森の入り口だよ」
誤魔化すようにハルが言うとアリスは赤い頬を膨らませる。その様子にハルも仕方なしに真面目に答えた。
「……冗談だよ。いくつか欲しい草ものあるから、最近はそれを集めるのに忙しいんだ」
蒸留酒という使い道が出来た今、これまで無視してきたハーブや果実のなかにも、有用なものがいくつかでてくる。今まで集めいていなかった分、そういった類の薬草は手持ちが少ないのだ。アヒムはもう二、三日は村に滞在するようであるので、出来ればその間にいくつか追加で売り込んでおきたい、とハルは考えていた。
「むぅ、でも森は危ないよ? 野犬だっているんだよ?」
「そこまで奥には入らない――というより母さんがそんなの許してくれないからね。だからあくまで家の近くで採取するだけ」
事実、森の奥に入るときにはアドニスに猟のついでに連れて行ってもらっているし、フィーリアと共に採取を行う際にも彼女は決して奥まで入り込むようなことは無かった。
以前、ハルはアドニスに”この森にいる害獣なんて野犬ぐらいのものだ”という話を聞いた。”昔は熊が村を襲うこともあったけれど、狩りつくされたらしい”とアドニスが言ったときには、さすがのハルも驚いたものだ。
”村人だけでよくそんなマネができたものだ”とハルは思っていたのだ。しかし、よくよく聞いてみるとなんでも領主が狩りのために軍を出したという。”本当はまだ残っていたりして”と冗談めかして聞くハルに対してアドニスは”少なくとも俺を含めた村の人間は一度も会っていないよ”と苦笑いを浮かべていた。
そんなこともあり、一度だけ”熊もいないのにどうして、こんなに警戒しているのか?”とハルはフィーリアに尋ねたことがある。その時彼女は”熊はいないけれど危険なものはそれだけじゃないのよ?”と彼を嗜めた。大方、人間のことを言っているのだろう、とハルは理解している。
”全員が全員でないにしろ人によっては半獣人に人権は無いと声高に叫ぶ世界だ、そういうこともある”そう彼は思う。故に彼も無闇矢鱈と森へと入るような真似はしなかった。
なのでアリスの心配というのは、ほとんどハルとは無縁である。しかし、アリスは彼の言葉だけでは納得しないようであった。
「だったら――」
「ん?」
「だったら、わたしも行く!」
「なに?」
名案だと言わんばかりにアリスは胸を張る。
意味を理解したハルは慌てて彼女の提案を否定した。
「いや、止めておいたほうがいいって、何も面白いことないよ?」
「そんなことないよ! 一人よりも二人のほうが楽しいはずだもん」
ハルの提案も虚しくアリスは全く話を聞かない。
”フィーリアに似ている”
何となくハルは目の前の少女に自身の母親を重ねた。
内向的だと思っていた少女は、どうやら内向的ではなく人見知りなだけだったらしい、と初めに出会ったときの様子を思い出しながら、ハルはヤレヤレと頭をかいた。
――――――
「その赤い実がベリーブルームの果実だ。小さいが匂いが強く、漬け込むとわずかに酸味がでる。花は着色料にもなるな。こっちのハーブは柑橘系の香りがする珍しいもので、黄色っぽい色をしているのが特徴」
「へぇ……あっ、これは?」
次々と飛び出す質問に、ハルは言葉遣いを気にするのが面倒になったらしく、子供らしくない喋り方になっていた。目を輝かせながらハーブや木の実を指差しては”あれは何? これは何?”と尋ねてくるアリスにハルは手短に特徴を述べていく。
「そのハーブは乾燥させて煮出せばよい香りがでる。家に持ち帰って飲んでみるといい」
「ホントに!? エヘヘ、じゃあもらっちゃうね」
都市部で売ればそれなりにする茶葉になるのだが、この森では野草としてわりと簡単に取れるものだ。さすがに品種改良した物とは比べるべくも無いけれども、飲み物といえば酒か水というこの世界ではそれだけで十分に価値がある。
そんな風にして、その後もアリスの質問攻めは続き――
「ねぇ、ハルくん、ハルくん! これは?」
そして彼女はどこからかソレを摘んできた。ソレを見てハルは眉根にしわを寄せる。”そういえば、そんなものもあったか”普段はあまり見ないその草を見ながらハルはそんなことを思う。
「それは……捨てたほうがいい」
「えっ? えっ!?」
ハルが忠告するとアリスは手に持った光沢のあるトゲトゲとした草を投げ捨てた。
「イヌツガイという名前の……まぁ、ある意味、毒草だ」
「毒!? えっ、それってわたし、触って、えっ?」
毒という言葉に反応したアリスは目に涙をためながら不安そうにハルを見た。
「怯えなくても、触っただけならどうにもならないよ。というより、たとえ人間でも少量なら口にしたところで大した問題じゃないから心配しなくていい」
「ほ、本当に? 本当に大丈夫だよね?」
何度も念押しするように尋ねるアリスにハルは”大丈夫だ”と言い聞かせる。初めのうちは不安そうにしていたアリスであったが、ハルの様子から問題ないということが分かったのだろう、ようやく落ち着きを取り戻した。
「……でもイヌツガイなんて変な名前だね」
アリスは放り出した葉を遠めに見やりながら呟く。どうやらまだ怖いようだ。
「獣人の住む地域で多く取れるハーブだからね」
「獣人の?」
「だからイヌツガイ――獣人とセットの植物ってことだ」
本当はもういくらか由来はあるのだが、別に彼女にそれを説明する意味は無いだろう、とハルは簡単にその草の説明を切り上げる。一応アリスも納得したようで、軽く”ふぅん”と頷いた。
「とにかく、これからは無闇に知らないものに手は出さないほうがいい」
「……はぁい」
いまだ興味深そうにイヌツガイを見るアリスにハルはそう言って注意を促す。”今回は問題なかったが、下手をすれば肌から吸収されただけで体に異常をきたすものもあるのだ”と告げると彼女もさすがに反省したのか”ごめんなさい”とハルに謝った。
シュンと落ち込むアリスと、彼女を諌めるハル、一見するとまるで兄が妹を叱っているようである。特に普段はお姉さんぶるアリスにしてみればなんとも皮肉な光景だ。
そうして、十分にアリスに言い含めると、ハルは再びハーブの採集に取り掛かろうとする。
「……それじゃあ、もう少し集めたら――」
そんな彼を妨げたのは聞きなれた声であった――
「ハルッ!」
最後まで言い切らないうちにその声が彼を呼ぶ。その方向へとハルとアリスが目を向けるとフィーリアが家のほうからこちらへと早足で近づいてきていた。
そして二人の前まで来ると一言――
「もう暗くなるから早く帰りましょ?」
そう告げた。
「暗く?」
フィーリアの言葉にハルは首を捻る。確かに日は傾き始めているが、まだ辺りは明るく、時刻も九時課(現代で言うところの午後三時)を過ぎているとはいえ、晩課(現代で言うところの午後六時)までには時間がある。普段ならば気にするような時間帯ではないはずであった。
「まだそれほど――」
ハルはそれを伝えようとフィーリアに声をかけるようとするも、彼女はそれよりも早くアリスへと話しかける。
「ほら、アリスちゃんも、もう家に帰らないとお家の人が心配しちゃうわ。アドニスが送っていくからね」
「えっと……はい」
急に自分に離しかけられたことに面食らいながら、アリスはフィーリアの提案を受け入れる。それを聞くとフィーリアは笑顔で二人の手を引き家のほうへと歩き出す。拭い去れない違和感を抱いたまま、ハルは唯なすがままにフィーリアの隣を歩いた。
次話は三日以内を予定しています。