第一話 ― 商い
「農作物の値段が上がっている?」
ハルの問いかけに目の前の男は”ええ”と小さく首を縦に振った。
ただ確証はないのだろう男は最後に”まだ噂ですが”と付け加える。
「……今年は不作なのか? 少なくとも村にはそんな雰囲気は――」
「いえ、確かに例年より収穫量が少なくなりそうではありますが、それ自体はそこまででもないみたいです。ただ今年は肉類の収穫が少ないらしく、その代わりに小麦やジャガイモといった穀物の買いが集中しているらしいんですよ」
男は参ったといった様子である。
「わたくしとしてもこれを機会に買いに走りたいところなのですが、何分不確定な情報である上に、失敗したときのリスクが高い。まぁ、そんなわけで弱小商人のわたくしではなかなか手を出せずにいるのですよ」
確かにいくらある程度保存の利くものをそろえたとしても噂が事実でないのなら不良在庫を抱えかねない。それが食料品ともなれば問題は切実である。
つまり彼はハルに”その情報の真偽について何か知らないか”と言いたいらしい。
「ふむ、確かにアヒムには世話になっているし、情報提供は吝かではないが……。ところでアヒム、助け合いという言葉を聞いたことは?」
ハルの言葉にアヒムと呼ばれた男は大げさにため息をつく。年齢はハルよりも二回り以上も上である。自称”ケチな商人”であるが、旅慣れした雰囲気を漂わせ、年季の入ったクロークを羽織る姿はおおよそ商人らしくない。
高身長と黒い焼けた肌、腰にはククリ刀のような形の刃物を下げており、堀が深く奥まった双眸には若さに見合わぬ光があった。
そんなアヒムは心の中で”不気味な子供だ”と思いながらもそれをおくびにも出さない。実情はどうであれ目の前の少年はアヒムにとって間違いなく失いがたいパートナーであった。
「貴方、本当に六歳ですか? ……分かりました、この香水の買取に色を付けます」
いいながら先ほど仕入れたばかりの香水を指差し、アヒムは懐から銅色の硬貨を数枚ハルに手渡した。
「ああ、それと頼んでおいた葡萄酒もまけておいてくれ」
「分かりましたよ……全く」
アヒムとの付き合いについて説明するならば時は四ヶ月前まで遡る。正確には初めて取引を行ったのは三ヶ月前になるのだが、ハルとの出会いはそれよりも一月ほど前であった。今回の取引はハルにとって通算三度目であり、おおよそ一月に一度この村に来るペースだ。
元々はこれだけ頻繁には来なかったのだが、ハルとの取引が思いのほかボロいらしく最近はよくこの村に来るようになったらしい。
まったく初めの苦労はなんだったのか……
ハルは改めてそう思う。
彼は初めこの家まで足を伸ばさなかった。というのもほとんどの仕入れを村で行い、時折必要に迫られてはこの家で薬を買い付ける程度だったからだ。彼の専門はあくまで、酒などの嗜好品や村で一部の職人が生産する木で出来た装飾品である。
そんなわけで薬の仲買人と違い、ハルもグレッグを言外にゆすってどうにかこの商人が村に来ていること知ったのだ。
”初めて会ったときは随分と胡散くさがられたな”とハルは懐かしがる。
まぁそれも、急に六歳の子供が取引を持ちかけるのだから当然といえば当然である。そんなアヒムを言いくるめ、何とかサンプル用に作った香水を握らせたのが四ヶ月前、彼が取引に応じるようになったのがその一ヵ月後のことだ。
香水はハルが想定していた以上に、利益を生んだ。もともと香油というものは上流階級にも合ったようであるがアルコールを利用した香水については未だ手が伸びていなかったらしい。
この辺りには石鹸を使う習慣がなく、水浴びなども毎日行うものではない。それは水が硬水で石鹸が泡立たないせいなのだろうが、とにもかくにも代替品となりうる香水は至極簡単に女性の心を掴んだようであった。
ハルの香水は一般的な香油よりも出来がいいわりに、値段は香油よりも安いということで現状農村部や大きめな都市の富裕層に人気がある。おまけにハルにとっても材料の入手は比較的容易である。
そして何よりも同価格帯の物と比べると非常に軽いのが魅力的であった。なにせ現代と違い移動は馬か徒歩、一度につめる荷物が限られてくる以上、軽量で高付加価値の商品は喉から手が出るほど欲しい。
そのおかげでお互いの利益が噛み合い、ハルとアヒムはめでたく商売仲間となった。それ以来、アヒムは仕入れついでにこうしていくつか耳寄りな情報をハルに持ち込んだり、その真偽について相談しているのである。
無論取引についてはフィーリアたちも知っているのだが、香水については未だに伝えておらず、薬酒を作成して小遣いを稼いでいる、ということにしている。一応ポーズとして蒸留の過程と、そこに薬草を漬け込む様子を見せたら、フィーリアもアドニスもたいそう驚いていた。
それにしても農作物の値上がり、か
逸れかけた思考を無理やり元に戻しながら、ハルは最近の村での様子を思い出しながら慎重に口を開く。
「そうだな、私の見解を言わせてもらうなら、噂が出ている以上、全くの出鱈目ではないだろう」
事実、何らかの事情がなければ値上がりなど起こらないだろう。村との交流ができるようになったおかげで村の外の情報も多少入るようになったし、村からも情報は仕入れているが特に今年の税が高くなったという話も聞かない。となると不作という可能性が現実味を帯びてくるが――
「ただ――」
”やはりそうか”といった様子のアヒムにハルは続ける。
「この村ではそういった心配があるとは思えないな。大人は子供にこういった事情を隠したがるものだが、雰囲気までは隠しきれるものじゃあない。少なくともアヒムが言うようなことがあれば誰かしら騒ぐ者も出てくるはずだ」
”それに気になることもある”とハルがボソリと呟くとアヒムは耳聡くそれを聞きとがめた。
「気になること?」
「これはうちの村だけの話かもしれないが、肉類については例年よりもむしろ充実している」
「それは……私の聞いた話と辻褄が合いませんね。それはどの程度?」
「少なくとも父は大物こそ、それほどでもないが、頻繁にウサギなんかは狩ってくる。現時点で蓄えも十分だし、村に卸して余りあるぐらいだよ」
”はっきり言ってそこまで価格が上がるというのは想像できない”とハルは告げた。
「うーむ、それではやはりガセですかねぇ?」
「だが、わざと価格を吊り上げようとしていると考えるには不自然だ」
食料品を買いに走らせるにしても、それほど物が余っているわけではない。あまりの豊作で値崩れを心配してとった行動とは思えない、とハルは考える。
同業者が潰しあっている?
いや、それにしては情報がおざなりすぎる
これじゃあ、その場の勢いで買い付ける馬鹿ぐらいしか釣れない
それらを踏まえハルは一つの可能性をアヒムに伝える。
「肉の事情に関してはこの村だけのことかもしれないから、噂の村では本当に食糧難を見越しているのかもな」
「とはいえ、やはり買い込むのは危険ですか」
そう言うアヒムに首肯し、ハルは商談へと話を戻した。
「ああそれと、蒸留酒の買取って出来るか?」
「ジョウリュウシュ? ああ、異人たちの酒ですか、残念ですがアレは需要が少ないんですよ」
アヒムは困ったように頭をかく。
「どうしてもというなら今度、回るときは欲しい客がいるか聞いて回るんで一定数以上いるようなら仕入れるのものかまいませんが……」
「いや、そこまでではないんだが……作るのは簡単なのでな」
さすがに副産物を蒸留しなおすのが面倒だとは伝えない。純度を高めるには複数回の蒸留をしなければならないのだが、繰り返すほど風味は薄くなる。せっかくなのでその風味も利用したいという思惑もあった。
「飲みやすく出来れば売れるとは思わないか?」
「飲みやすく?」
”どういう意味か”と尋ねるアヒムに用意しておいた小さめの瓶を取り出し渡す。
アヒムがそれを開けるとあたりに濃い酒の匂いと、甘く爽やかなハーブのような香りがフワリと広がった。
「これは……」
「薬酒、正確にはリキュールというんだが」
蒸留酒をベースに、果物の皮やハーブ、種子などを加えたものがリキュールである。作成の過程で甘味料などを加えることで甘く出来るうえに、水などで割って飲むにも最適だ。
「ほう、ハーブの香りがしますね」
「度数のわりに比較的のみやすい。果物の果汁で割って飲むのにも適しているし……どう思う?」
「どうもこうも、これなら間違いなく売れますよ!」
珍しく興奮した様子でアヒムはそのリキュールに口を付ける。
両親からの疑いをそらすためにも、ハルは出来れば仕入れて欲しいと考えていたのだが想定していた以上に好評のようであった。
「今ある分、全て買います。どれぐらいになりますか」
「売れるかは分からなかったから、それほど多くはないが数瓶分は家にあるから取りに来てくれ」
”普段はアドニスに提供していたのだが、これからは少し渡せる量は少なくなりそうだ”とハルは心の中で詫びを入れた。
道中アヒムとハルは値段の交渉を行う。結果、一リットル程のリキュールにつき香水の半分の値段で売ることが決定したのであった。
二章を開始します。
次話は三日以内を目標にしています。