幕間 ― ある少年の苦悩
「なぁ、ちょっとお前らに――」
「あ、ああ、グレッグ、悪いけど今急いでるんだ、今度にしてくれ!」
「ハァ? 急いでるって……」
「じゃあな!」
グレッグの返事も聞かずに一方的に会話を打ち切るとその少年は走り去る。まるでこれ以上自分には付きまとわないできれとでも言わんばかりであった。グレッグは急いで腕を伸ばすがその手が届くことはなく虚しく宙をきる。そうして走り去っていく元友人に向かい彼は舌打ちした。
「……一体なんだってんだ」
あの事件から既に数ヶ月が過ぎているが結局彼には押し寄せる崩壊を防ぐことは出来なかった。素直に頭を下げハルを迎合すれば孤立こそ防げたかもしれなかったが、彼はソレを良しとしない。あるいは行ったところで”あの半獣人が受け入れるものか”と考えていたせいでもある。
グレッグは今になってハルを見誤っていたことに気付き始めていた。
思えば初めからアイツはこれを狙っていたんじゃないのか
過去のことを思い起こしながらそう確信する。グレッグにはハルが何をしていたのか詳しく知るすべはない。それでも全てが計画に沿っての行動だと考えればいやに従順な彼の態度にも納得がいく。自身よりもはるかに目上のブラムにもアレだけ大見得切った者が、その息子に反抗すらしないことに何の疑問も持たなかったことが間違いだったのだ。
グレッグは自身の定位置となった村はずれの空き地へと向かう。この場所には何もない。切り倒された木が雑多に放置され、足元にはたけの短い雑草が伸び放題になっている。入り口もほとんど整備されていないせいか、村に住む者でも知らない人のほうが多い場所だ。
元々は農耕地として利用しようとしていたらしいが、地中に石が多く耕しづらいという理由で放置されているらしい。少し奥まった場所まで歩けばそこはグレッグ一人だけの世界だった。
「クソッ!」
丸太に腰を下ろし、彼は拳を振り上げる。しかし、その拳を下ろす先はどこにもなくグレッグは力なく手を解いた。
どこで間違ったのだろうか?
グレッグにはそれが理解できない。彼にとっては獣人など気を許すべきでない相手であったし、彼はただそれを信じて行動しただけである。
「畜生の分際で……ッ!」
怒りに身を震わせたグレッグは我慢なら無いといった様子で空き地のさらに奥へと足を進める。そこには太いロープを何重にも巻きつけしっかりと木に括りつけられたソレがあった。体は傷だらけで、初めは毛に覆われていただろう場所も無残に抉れ赤い傷跡が顔を覗かせる。
グレッグが来たことを知覚したソレは彼に向かい低い声で威嚇した。その様子を一瞥するとグレッグは不快感を顔に滲ませながら足を振りぬく。
「吠えんじゃねぇよ――クソが!」
勢いのついた蹴りがソレの胴体に当たり鈍い何かが潰れるような嫌な音が響く。
クソが! クソが! クソがッ!
あふれ出した赤に目もくれず、少年は憎しみの全てをぶつけるようにソレを蹴り続けた。
「あいつさえッ、あいつさえ来なければ!!」
それまでグレッグは皆のトップであった。親は周りの皆よりもずっと偉く、おまけに体だって他の子供と比べると大きい。彼は子供ながらに自分は特別であると信じて疑わなかった。
もちろん実際のところ彼の思う特別なんて”井の中の蛙”意外の何ものでもない。親は”村の中”で偉いだけで全体として見れば大したことはなかったし、体の大きさも所詮は周りより成長が早かったというだけである。事実、仲間内にも急激に身長が伸びだした者もいる。
だが、だからこそ彼が感じる焦燥感は酷かったのかもしれない。そんな、いつ自分の立場が脅かされるかも分からない不安にさいなまれ始めた矢先のことだったのだ、グレッグの立場を奪う男――ハルが彼の前に現れたのは。
初めて出会ったときグレッグがハルに対して感じたのは余裕であった。
”コイツならどうとでもなる”
親とのやり取りを見て感じていた焦りは一瞬でそんな侮りへと変わった。
何しろ少年は高々六歳で、見た目も白く体も小さいという完全に”得意なタイプ”であったからだ。こういう手合いは初めに上下関係を刷り込んでおけば思い通りに操れる、グレッグはそう考えていたのである。
だというのに――
グレッグは手を握り締める。強く握り締めた手は真っ白になり爪が皮膚に食い込んだ。
ハルという少年は彼が思っていたよりもずっと利発であった。
脅しをかけたグレッグに対してハルが向けたのは明らかに、怯えた者のソレではなかった。それどころか皮肉を返してグレッグを煽り立てたのだ。
”それがどうした?”
顔には柔和な笑みを貼り付けながら、まるでそう告げるようであった。いつかは参って村に来ることもなくなるだろうと何度も嫌がらせを続けるグレッグにハルはいつも笑いかける。いつからかその顔が足元に群がるアリでも見ているようだとグレッグは感じるようになった。
オレのほうが上のはずだ……
しかし着実に周りの心は自分から離れていく。いつか子供だけでなく真の意味で周りが全てハル側に――敵に回るかもしれないと思うとグレッグは気が気でない。そして何より――
「――アリスまで」
グレッグの口がぼそりと少女の名を呟く。今年十一歳となる彼女とグレッグでは二つ歳が違うが、家が近かったせいもあり昔からよく知った顔であった。自分にあまり話しかけることはなかったが、それは恥ずかしがってのことだとグレッグは誤解していた。実際には暴力的な彼をアリスは初めから苦手に感じていたのであるがグレッグはそんな事実など認めない。
「アイツのどこがッ――!!」
煮えたぎる憎しみを込めて再度蹴り上げる。
その頭の中はどうすればハルを出し抜けるのか、陥れられるのかを考え続けていた。
だがグレッグは理解していない、もう反撃の芽すらも存在していないことを。それを理解するにはグレッグあまりに幼く、そして経験が足りていなかった――そう、他人に遊ばれるという経験が。
グチュリといやな音が足もとで響く、どうやらグレッグも気付かぬうちに強く蹴りすぎていたようだ。
彼は足に伝わるその不快感に顔をしかめる。
「うげッ、きったねぇな」
グレッグは足を使って乱暴にソレを草陰に蹴り捨てると、靴を近場の川で洗う。
彼が去った後には赤く染まったボロ雑巾のようなソレがピクリピクリと動いていた。
第二章へのつなぎになります。
二章を投稿し始める前に書いておきました。