第七話 ― 隠せぬ”嫌悪”と隠された”親愛”
「それじゃあ、行って来ます」
「はいはい、気を付けて行ってきなさい」
村のはずれの家の前でフィーリアは玄関を開ける息子にそう声をかけた。時間は正午過ぎ、天高く上った太陽は秋の陽気と表現するにはいささか強い。
「いい、何かあったら直ぐに言うのよ? それと友達に話しかけるときは言葉遣いに注意して、あと……」
家の外までついてきたフィーリアは道を歩いていくハルに向かってそう声を張る。
村長とのあの一件以来、フィーリアはことあるごとにハルの口調について厳しく口を出すようになった。
曰く”あんな話し方をしたら私のかわいいハルが誤解されちゃうわ”とのことだ。
もっとも、そんな茶化した言い方をしているのも不安の裏返しである。心配をしているのは事実であるが、その中には誤解云々ではなく、ハルという存在が不確かなものに思えてしまいそうな自身に向けての自己暗示にも似たものが含まれていた。
「大丈夫だよ。昨日も散々聞いた」
そういって、母とは違う必要最低限の声の大きさで返すと再び足を進める。
歩きながらハルは出かけ際のこのやり取りがこれからの恒例になるのだろうか、と考えていた。するとなんともいえず面倒な気分になる。
これからはもう少し早く家を出るか
自分のことを心配するフィーリアを思い浮かべながらハルは大きく息を吐いた。
そもそもここから村の学校までの道のりは村に住む者と比べればそれなりに長いけれど、今の時間でも開始には十分に間に合う。最悪、遅れたとしても大した問題ではないので急いで家を出る必要など全くないのだ。ただ、家で親の心配する顔を見ているというのもあまりに生産性が無いからと、このような結果に落ち着いた次第である。
そのうち落ち着いてくれるといいのだが
外は過ごしやすい気温ではなかったが、木々の作る影と吹きぬける風が彼に涼を運ぶ。
彼がそんな風を感じながらしばらく歩いていると、道の端にいつだったかフィーリアと集めた薬草が花をつけていた。彼女によれば暑さを越えると花をつける種類だったはずであるので思っているよりも秋は近いらしい。
ふむ、帰りにでも摘んでおくか
「…の、あ…」
確かあの花は虫除けになるんだったな
窓の近くにでも植えなおそうか
「あの……」
最近は羽虫が多いし――
「あの! ハ、ハルくん!!」
「ああ、聞こえているからそんな大きな声を出さないでいいよ」
辺りに生える草木の観察をしながら歩いているといつの間にか村の随分近くまで来ている。しかも、先ほどから何度も自分を呼んでいる子がいた。
彼も反応しようかとも思ったのだが、いつまでも”あの”と”ええと”を小声で繰り返すのでとりあえず放っておいたのである。
「だ、だったら、ちゃんと返事してよぉ」
「ごめんね。でも、次からはもっとちゃんと声をかけてくれると嬉しいな」
一応、母の言いつけを守り子供らしい言い方で目の前に立ちふさがった少女に謝罪する。そんなハルの様子を見て少女は少し怒ったように頬を膨らませた。
「だって……返事してくれなかったから」
「いや、なかなか話しかけてこないから……ええと君は――」
「……『アリス』」
アリス、アリス?
ああ、そういえばこんな子もいたな
下を向いていたせいで表情は見えなかったけれど
アリスを見ながらハルは”どうやら獣人を嫌悪しないタイプらしい”と判断する。
「アリス、ね。でも、わた……じゃない、僕に話しかけても大丈夫なの?」
「えっ、どうして?」
いい機会だと、ハルは目の前の少女を使って自分の立ち位置を探ることにした。
「いや、村の人って僕らとの間に壁があるだろう? ホラ、半獣人だし」
「んー、そんなこと無いと思うけど……お母さんもそんなの気にしてないよ」
そうだろうか?
確かに教室での反応を見る限り、そうでない子供もいたような気がしないでもないが……
もしかして――
「――家に病気がちの家族がいる?」
「みんな元気だよ?」
「なるほど、大きな怪我か、酷い風邪になったことは?」
「ああ、それだったら昔、森で怪我をしちゃったことはあるよ。そのあと、熱も出て大変だった」
傷口から細菌でも入ったのだろうな
その話を聞いてハルは彼女が何故自分に普通に接してきたのかが分かった。
おそらく彼女はフィーリアに世話になったのだろう。そのときのおかげで彼女の両親がハルのことを色眼鏡で見ていないのだ、と判断した。
いや、だとするとこの間の反応はどうにも過剰じゃないか?
見た感じではあからさまに嫌悪する子供とそうでない子供ぐらいはいたけれど、快く迎え入れようという感じの者はさほど多く見られなかった。
ハルは顎に手を当てながら物思いにふける。
その様子をアリスは不思議そうに眺めていた。
アリスの言葉を鵜呑みにするのは愚かかもしれないが、認めている人間も多少はいそうだ
とすると、言い出せない雰囲気になっている?
推論を進めるほどハルにはその原因がグレッグにあるようにしか思えない。
一応聞いてみるか
「あのさ――」
彼が口を開こうとしたときであった。
「おーい!」
背後からどこかで聞いたような声がかけられる。振り向いて見ると数メートル先からアルフレッドが手を振りながらこちらに走ってきていた。彼は二人の目の前に来ると膝に手をつきしばらく息を整える。
「はぁはぁ……二人ともこんにちは。もう友達になったんだ」
その言葉にアリスは顔を赤らめる。その様子を見ながらハルは”ああ、そういえば異性と二人というのを過剰に意識しだす年頃か”などと納得した。
年を聞いたわけではないがおそらく十ぐらいだろうとハルは予測する。学校のほかの生徒と比べてもとりわけ背は高くない。くすんだ感じの金色の髪を短くまとめており、どちらかと言えば内向的な印象を受ける少女だ。
声をかけられたときにも感じたことだが、おそらくかなりの勇気が必要だったのだろうな、とハルは思う。この前のことを気にして自分に声をかけたのかもしれないと考えると、情の深い子なのかもしれない。
「さっきそこで会ったので、一緒に登校していたんですよ」
いつまでもこのままだと話しづらいと思ったハルはそんな風にフォローを入れる。
「へぇ、そうなんだ」
「は、はい……」
アリスは小さくなりながらも、小声でアルフレッドに答えた。
「それじゃあ、先生も二人と一緒に行こうかな」
アルフレッドはそう言って二人の隣に並び歩き始める。
その道中もアルフレッドは積極的に二人にに話しかけていた。その大半は学校のことや友達は出来たかといったありふれた内容であったが、彼は学校に馴染めていないハルに気遣っているのかもしれない。
”これを機に私とアリスを友人同士にしてしまおう、なんて思っているのだろうな”とハルは考える。
アリスも友人が多いという印象は受けないので、アルフレッドの計画は合理的ではあるのだろう。
だが、そもそもハルとアリスでは”友人が少ない”理由がまったく違っているということを彼は気にしていない。
そうして空回りを続けるアルフレッドの問いかけにハルは当たり障りのない答えを返していた。それに対してアリスはしどろもどろといった様子でアルフレッドの質問に答えを返す。そうなってくると必然的にアルフレッドが喋りハルが答えるというのが会話の大部分を占めるようになってくる。
ハルがアルフレッドが喋りやすいように適当に相槌を入れながら、興味あるかのように話の先を促していると彼はなんとも饒舌だった。気が付けば彼の教育論へと話は及んでいく。
「今は身分で教育の質が違うけどきっといつかは皆が平等に学ぶ機会を与えられるようになると思うんだ。僕はそれに少しでも貢献していきたい」
「大きな夢ですね。すばらしいと思いますよ」
「わ、わたしもそう……思い……ます」
「二人ももそう思うかい!? やっぱり――っと、僕は年下に何を言ってるんだろうね。ごめんね、何か熱くなっちゃって」
そう言ってアルフレッドは照れくさそうに頭をかいた。
実際のところハルはアルフレッドの夢にそれほど興味あるわけでもないのだが、それでも沈黙が続くよりはいくらかマシだと割り切ることにしたようだ。
ただこの世界の教育制度については、彼にもいくらか興味があったので話の端々で疑問だった部分を尋ねる。
アルフレッドの答えはハルの想像していたものと概ね一致していた。
まず普通、貴族は平民とともに教卓を囲むことはない。これがおそらくアルフレッドが言う“身分による教育の差”だろう。金のあるものは学び、金のない者は働く、そういう世界である。
そしてそれは宗教についても同様だ。宗教的な教えについては都市部の人間のほうが詳しい場合が多い。この世界において神というものは、かなり強い立場を保っている。実際神がいるのだから当然といえば当然だ。それは強力な権力が教会に帰属することを示しており、神や教義に対する知識の有無はそれだけで差となりえるとのことである。
「――ってわけさ。おっと、先生は授業の準備をするから、二人は先に行って待っててね」
半ば聞き流しながらそんな情報をアルフレッドから得ていると、既に学校は直ぐそこであった。
アルフレッドが去り、取り残された二人の間に沈黙が訪れる。
「……とりあえず行こうか」
「うん」
沈黙を破りハルが提案すると、アリスは俯きながら短く返事をして彼の後ろを歩き始めた。
無言が続く中ハルは目の前に建った学校と呼ぶにはあまりにみすぼらしい建物へと目を向ける。
縦長の平屋で元は農作業をする村人の休憩所だったらしいが、近くの農地が棄地されて以来放置されていたものをアルフレッドが頼み込んで使用させてもらっているらしい。
元々古かったせいもあり所々穴が開いていた休憩所に、なんとかあり合わせの板で穴を塞ぐなどの応急措置が行ってあった。
それでも所々に開いた穴から建物の中が見えてしまっている。
ああ、見えていなかったら演技なんてしなくて済むのに……
”これから起こることが分かる”それが彼を憂鬱にさせた。
「どうしたの?」
扉に手をかけて動かないハルを心配そうにアリスが見やる。
「いや、ちょっとね」
いいながらハルはさりげなく彼女の位置を扉の横へと寄せておく。
さて面倒だが、宣戦布告を受け取るか
覚悟を決めた彼が扉を開けたのと彼めがけてソレが飛来したのとは、ほぼ同時であった。
次話は三日以内を予定しております。