第六話
七限目終業のチャイムが頭上に鳴り響きようやく放課後。
特に部活動に参加していない司は支度を済ませ早々に帰宅するよう常日頃から心掛けている。登校してきた道を戻らずやや遠回りになる河川敷側を帰っているのは、単純に人通りの少ない道へと半ば本能的に体が動いているからだ。
「司君、私もご一緒してもよろしいですか?」
校門に差し掛かったところでコレである。
どうせ拒否しても何かと理由を付けてついてくるのが見え見えだったので、司は何も返答せずに家路に着く。
「ま、待ってくださいってば。私この町に越して来たばかりで、右も左も分からなくて」
「なら交番に行け。ついでに逮捕されてろ」
「何にも悪いことしてないのに逮捕されるわけないじゃないですか!」
「……出来れば逮捕されてくれ」
罪状ならストーカー罪とかそんなんでいいだろう。
そんな罪状が実際にあるのかはともかくとして、昨日も今日も延々付きまとわれて司は気が滅入りそうだった。
司も桜夜も転入生だ。
学校に編入されたばかりなのに、初日から隣同士でいられれば嫌でも目立ってしまう。
なまじ桜夜が美少女なのも拍車を掛けていた。風の噂では既にファンクラブが出来上がっているらしく、学年やクラス内外を問わず男子生徒からの奇異の視線が隣にいる司に刺さる刺さる。
アイツら実はデキてんじゃね?
とかあらぬ噂が立ってしまったら色々とオシマイだ。
「一緒に帰って噂されたら恥ずかしいってタイプですか? 司君は純情ですねぇ。そういうのって素敵ですよ♪」
「頼むから、俺の半径五メートルは近づかないでくれ」
「そんな冷たいコト仰らないでくださいよ~」
妙に甘ったるいこの声が、所謂“猫なで声”という奴らしい。
「……後生だから、俺の半径五キロ以内に入らないでくれ」
「あの、ちょっとレベルアップし過ぎじゃないですかね……?」
今日はコイツとバカみたいな問答を繰り広げている暇はない。
昨晩確認した通り冷蔵庫の中身はほとんど空っぽなのだ。
だから、今日は近所の店を適当に巡ってある程度食材を買い揃えなくてはならない。少なくとも米、それからその他諸々を適当に。
河川敷伝いに歩き続け、そこから市街に続く脇道へ入っていく。そのまま進んで大型スーパーで買い物してもいいのだが、如何せんこの時間帯は利用客が多過ぎる。どちらにせよ混雑は回避できそうにない時間帯ではあるのだが、出来得る限り人が少ないことに越したことは無い。司は敢えてスーパーには向かわず、突き当たった三叉路を奥へと進み神在町商店街へと向かった。
「うわぁ懐かしい! まだちゃんとお店が残ってたんですね」
「……随分と失礼な奴だな」
そういうことを大声で言うもんじゃない。それにまた“懐かしい”とほざいている。
結局、桜夜は司の後をまるで金魚のフンの如くずっとついてきていた。
しつこ過ぎて、もはや相手にするのも疲れていた。どこぞの勇者は道中背後にずっと三人も連れ歩いて疲れなかったのか。司なら数日でノイローゼに陥る気がしてならない。
後ろを歩く桜夜を空気と仮定しながら歩き、最初に司が訪れたのは八百屋だった。
軒先に並べられた野菜たちの瑞々しさが眩しい。旬の秋野菜が優先的に並べられており、さして知識の無い司でも茄子が秋野菜なのは分かっていた。他にはサツマイモ、ゴボウ、ニンジンなど。どうやらブロッコリーも秋野菜の一つらしい。嫌いだから手は伸ばさないが。
「あいらっしゃい! 今日は何が欲しいんだい?」
「えと……」
とりあえず、調理するのが簡単なものを選んでいこう。ジャガイモは茹でても炒めても煮ても食べれるしある程度は日持ちもする。タマネギなんかもそこそこ保つ。……野菜はたしか、ソレが土の上にあるモノか下にあるモノかで保存方法を変えるんだっただろうか。
とはいえ、大きな冷蔵庫があるわけでもないので多量に買うことは出来ない。頭の中で一人分の量を計算し、それを単純に三倍して三日分とする。かなり大雑把な買い物の仕方だが、料理の腕にとやかく言う同居人がいるわけでも無し、食べられればいい司としてはこれがベストだ。
注文しようとした矢先、何故か目の前で亜麻色のポニーテールがふらりと揺れていた。
「うわぁ、美味しそうな茄子ですね!」
「お姉ちゃんお目が高いねぇ! 今日取れたばかりの秋茄子だよ!」
「秋……茄子……」
何故だ。
何故司の買い物なのにお前がしゃしゃり出てくるんだ。
しかも興味津津であると全身を使ってアピールしているのは何故だ。
何故、よりにもよって司の買い物の最中に。
このままでは要らぬ誤解を――時既に遅し。
「お兄ちゃん、秋茄子は嫁に食わさない方がいいですぜ。うちの女房みたいになっちまうからね。カッカッカ!」
「ちょいとアンタ! そりゃどういう意味だい!?」
「おう!? お、俺は兄ちゃんに実例を交えながらことわざを教えてただけっだだだだ!?」
店主の倍(主に横幅が)はあろうかという奥さんの登場により、八百屋の軒先が即席のお笑い劇場と化す。
それはまるで昭和のコントだ。
“お約束”という使い古され過ぎたセピア色のシーン。流石に古過ぎて司は白けていたが。
「よ、よ、嫁…………わ、私が、つ、司君の……よ、よ……め……」
茄子を訊ねた張本人は茹であがったタコのように全身を真っ赤にさせながら体をくねらせている。
気持ち悪い。
こんな奇妙キテレツな嫁など冗談じゃない。
というか、一介の高校生相手に嫁の話題とは如何なものか。
「すみません、とりあえずコレとコレ……それからそっちを詰めてもらっても」
「ああハイハイ! 毎度ありがとさん。いいねぇ、場に流されずどっしりとした旦那ってのもさ。ウチの人にも見習ってほしいもんだ」
「……そりゃどうも」
全く嬉しくない世辞をもらってから司は八百屋を後にする。
とりあえず今日作る物の予定は決まったので、それに合わせて他の店を渡り歩いていく。道中で米と調味料を、最後に商店街の端にある精肉屋へと寄り道すると、小腹を満たすためにコロッケを一つ頼んだ。それなのに、何故か袋にはコロッケが二つ入れられていた。
「はいどーぞ!」
「……? いや、俺一つしか頼んでませんよ」
「オマケだよオマケ。後ろの彼女と一緒に仲良く食べな」
「……は?」
ちらと背後に目を遣ると爛々と瞳を輝かせる桜夜の姿がそこに。
よだれこそ垂らしていないが、口元がお預けをくらった犬のようにだらしなく開きっぱなしになっている。
肉屋の店員の目の前で、受け取ったコロッケが二つ、司の後ろには桜夜。
この状況を打開できる手段は……大変不本意な選択肢が一つだけ存在する。
「……………………………………………………ほら」
「溜めがすっ――ごく長かったんですけど、私にくれるんですか!? ありがとうございます!」
出来ることなら、今すぐ異国の地で貧困に喘ぐ子供たちに向かって投げたい。
ちっぽけなこのコロッケ一つで人が救えそうなのに何が悲しくてこんな奴に。
コイツに与えたってただの脂肪にしかならんだろう。はふはふだとか情けない声をこぼしながら食べる神様の姿は妙に滑稽だった。
ともあれ、これで買い物はすべて終了した。
この分なら次に買い物に行くのは月曜日辺りだろう。土日はスーパーも商店街も混雑するので絶対に近づきたくない。
一人分の食料の重みを片手に感じながら再び帰路へと就く。
このまま歩いて数分もすればカスミハイツに辿り着く。
シンプルな道なので迷うことはないのだが、それよりも気がかりなのは――後ろを歩く人物の事である。
「どうかしましたか? 司君?」
「お前、まさかまた俺の家に上がるつもりじゃないだろうな?」
「え、ダメ……ですか?」
「…………」
「あぁ冗談です冗談! もう勝手に入ったりはしませんってば!」
「……あっそ」
ならばそろそろ道を違えて欲しいところなのだが、桜夜の歩調は変わらず司の斜め後ろを維持し続けている。
「それに、私のお家もこの近くなんです。途中まではご一緒したっていいじゃないですか」
「……」
なら少しでも早く歩いて帰宅してしまおう。
家にまで入ってしまえばコイツの呪縛から逃れられることが出来るし、また勝手に侵入されることもないだろう。お隣さんとやらの挨拶も済ませなくてはならないし、これ以上コイツに感けているわけにはいかない。幸い、視界にカスミハイツのライトグリーンの屋根が見えてきた。
「……おい、いつまでついてくるつもりだよ」
既に桜夜は司が借りている202号室の目の前にまでピタリとくっ付いて来ている。まさか司の部屋を自宅と言い張るのではないかと危惧していると、答えは予想外の方向から飛んできた。
「あぁ桜夜ちゃんお帰り! 何だ、司君と一緒に帰ってきてたのね」
「あ、おばさま! その節はどうもお世話になりました!」
「……何、だって?」
階下で洗濯物を抱えていたのは、朝方司の隣の部屋を盛大に掃除していたおばさんだった。
女性に対して恰幅が良いというのは少々気が引けなくもないが、実際おばさんの身体は横にも縦にも大きい。しかしそれは家でゴロゴロして太ってしまったというわけではなく、その溌剌とした行動に適応するために肉体が太く強靭に進化したというのが正しい気がする。一言で言い表すならば豪快な女将といった感じだろうか。間近で見るとある種の迫力を感じる。
だが、別に今はおばさんの体格の話は至極どうでもいい。
問題なのはおばさんの言葉の方だ。
今、たしかに“桜夜ちゃん”と言った。それはつまり彼女と初対面ではないということで、加えて件の桜夜はそれに対し“お世話になりました”と快活に微笑んでいた。
この二つの出来事は、必然的に司の隣の部屋に来たという“新しい人”に結び付く。
一つ、今しがた、桜夜は自分の家がこの近くだと言っていた。
二つ、カスミハイツの管理人であるおばさんと既に面識がある。
加えて、今朝おじさんは新しい人のことを“めんこい”人と言っていた。
授業中暇だったので辞書を引いてみたのだが、めんこいとは北海道や東北地方で使われる方言のことで『可愛い』または『愛らしい』という意味らしい。普通男相手に『可愛い』や『愛らしい』とは使わない。つまりこれは必然的に女性を指している。……そういえば、おじさんは東北地方の出身なのだろうか。詳しく聞いたことはないけど。
「まさか隣に来る新しい人ってのは……」
「あらま。桜夜ちゃんから聞いてなかったの? もちろん、203号室に住むのは桜夜ちゃんさ」
「…………」
……絶望した。
心の深淵から世の絶望がこみ上げてきたかのような、もはや口で言い表すことなど到底出来そうにない史上最悪の負の感情が這い上がってくる。だが、流石に管理人の目の前で悪態をつくわけにもいかず、かと言って鉄面皮に徹することも出来ず、司はただただ乾いた笑い声を絞り出すので精一杯だった。
「えー! 私のお隣さんって司君だったんですかー! すごーい! 素敵な偶然もあるんですねー!」
感情のこもった棒読みなど初めて聞いた気がした。
知ってて当然だろう。
つい昨日家主よりも先に侵入していたではないか。
「司君、お隣さんなんだから桜夜ちゃんの手伝いをしてあげて頂戴よ。荷物は少ないけど、女の子が一人でやるにはちと酷だからね」
「…………了解です」
拒否できる雰囲気など微塵もない。
司の承諾を確認すると、おばさんはうんうんと頷いてから自室へと戻っていった。
残された司と桜夜。
ニコニコと心底嬉しそうに笑う桜夜と、一切の表情を凍てつかせた司。
「それじゃ早速、お部屋のお手伝いしてもらおうかなぁ……?」
「…………冗談じゃない」
こんな奴の部屋の片付けなど。しかし、おばさんにああ言ってしまった手前やらなくては、万が一後で告げ口でもされたら司の身が危ない。
……どうにか理由を付けて回避できないだろうか。
「大丈夫です。重い家具はありませんから。ほとんど着の身着のままでこちらに到着しましたし……それよりもあの、出来れば片付けとは別に私のお願いを聞いてくれると助かるんですが」
今にも神経がすり切れて無くなってしまいそうなのに、コイツは……
「…………何だよ、お願いって」
「はい、あの……明日の放課後、部屋の家具や私の衣服を買い揃えたいのです。ですのであの、司君に道案内をお願いしようかと」
「………………はぁ」
今、一つ確信した。
コイツは縁結びの神なんかじゃない。ただの疫病神だ。
今時、商店街で一人で買い物する高校生……いや、そもそも“商店街”を見かけない気が。
スーパーはまだしも、最近のコンビニはスーパーばりに品揃え良かったりしますし、生き残るの難しいんでしょうねぇ……
商店街には商店街の良さもありそうなもんですけども。
次話はまた来週のこの時間に。
では、待て次回。