そのく
森の奥の泉にたどり着くと、手芸屋は娘の手にこびり付いた血を一生懸命に洗い始めました。
ところがどんなに擦ってもその老人班のようになった血はとれることなく、しわもそのままで元のようなすべすべとした肌にはもどりません。
いったん手を休めて、汚れている他のところを綺麗にしようと娘に言うと、娘は男に襲われたところを綺麗にしたいと服をおもむろに脱ぎだして泉に身体をつけました。
手芸屋はその娘の奔放さに眉をひそめましたが、辺りに自分以外の誰がいるわけでもない森の奥に、警戒心は不要だと思い直しました。
それに娘の滑らかな肌を太陽の下で見ることができるなんて、まるで女神がそこに現れたように思えて創作意欲が湧きあがるのをおさえきれませんでした。
ところが娘の手の、あの老婆のようなしわが、班が、みるみるうちに腕のほうに範囲を広げていったのです。
「これはいったいどういうことだ?!」
いつもの丁寧な言葉をかなぐり捨てて、手芸屋は喚きました。
娘の価値は、その白く美しい肌と対照的な黒い髪、黒い瞳です。
それを手に入れたいがために手芸屋は幼いころからの友人であった男をはさみの餌食としてきました。
そのうえ美しい珠肌を乱暴に扱った男をもその歯牙に掛けました。
そうしてやっと手に入れたはずの美しかった娘の身体は、しわしわの老いぼれた身体となってあちこちに醜い老人班が現れたのです。これでは割にあいません。
手芸屋は呆然とその光景を見ていました。
娘も呆然と自分の身体を見ていました。
さっきまでの滑らかな肌が水浴びをしたとたんにしわしわになって、まるであの床に転がった母のようになっていくではありませんか。
怖ろしくて叫ぶ声すら出すことができません。
娘は逃げ出すように泉から出て、粗末なドレスを身にまといました。
まだ首から上は若い肌のままでしたので、ドレスを身につければさっきまでの娘となんら変わらぬ姿のままでした。
「ああ、あなた。いったいこれはどういうことでしょう」
娘がいくら嘆いてみたところで、手芸屋は声をかけることもできません。
けれども顔は白磁のように滑らかな肌を保ち、黒曜石とも見まがうほどの美しい黒い瞳に椿油をたっぷりと塗りつけたような黒髪をなびかせています。
まだ娘は手芸屋の創作意欲が湧くにふさわしい姿をしていましたので、手芸屋は老婆のような手を引いてそまつな家へととぼとぼと歩いて行きました。
家にたどり着くと、ベッドの上では母親の亡骸が横たわっていました。
娘はそれを一瞥すると、手芸屋にいってそれをどけてもらうように頼みました。
手芸屋は驚きましたが、娘の疲れ切った顔を見ると気の毒に思い、頼まれたとおりに母親を家の外に運ぼうと亡骸にかかっていた布をとりはずしました。
するとどうでしょう。
しわしわの老女であった母親の身体は、首から下がまるで娘のようなすべすべとしたしみ一つない美しい肌になっているではありませんか。
あまりの驚きに手芸屋は娘と母親を交互に見比べました。
それはまるで母親の身体を娘がとったようにも、娘の身体を母親がとったようにも思えます。
もちろんそんなことはあるはずもありませんが、手芸屋にはなにやらそら怖ろしいものを見たような気になりました。
娘が気付かないうちに急いで亡骸に布をかけ直して、外へと運び出しました。そうして家の横に亡骸を弔うための穴を掘り始めました。
娘は空っぽになったベッドを見ると、不愉快なほどの疲れがどっと押し寄せてきて、そこにごろんと寝ころびました。そして「あーあ、疲れた」といったとたんにすやすやと眠ってしまいました。
手芸屋は外でその言葉を聞いて、もしかして自分はとんでもない間違いを犯しているんではないかと思いましたが、いまさら後には引けません。娘を自分のものにきちんとするまではこの家から離れるつもりはありませんでした。
何かを忘れるように夢中になって穴を掘り進め、人が一人入るほどになったので、母親の亡骸をいれようとそばまで寄ると……どうでしょう。母親の唇がぴんとはりつめてまるで生きているようにつやつやの美しい赤を讃えていました。それは家の中のベッドで眠っている娘の唇と瓜二つの若々しい唇でした。
手芸屋は考えることをせずに亡骸を抱き抱え、掘ったばかりの穴の中に寝かせました。
けれど穴に土を盛ることをせず、そのまま家に戻りました。