そのろく
今回、無理やりなシーンがありますので、苦手の方は回避してください。
「おい、待てよ。話してる最中にいきなり歩きだす馬鹿がいるか?」
男はなぜかあわてて娘の後を追いました。
娘はそんな男の言葉など聞く耳など持たずに、山のように布が入った籠を重そうに手に持ちながら森へ入って行きました。
夕暮れ時の森は薄暗く、灯ももたない娘はほうほうとなく鳥の声にも怯えながら一本道を迷わず進むと、家のほうから耳をつんざくような悲鳴が上がりました。
驚いた娘は重い籠をどすんと道に落として、いまだに悲鳴が聞こえる家のほうへと走って行きました。
娘を追いかけていた男は、辺りをきょろきょろと見回し、折れた枝を探し当てるとそれを拾って娘の後を追いかけました。
はあはあと息を切らしながら娘が家にたどり着くころには、すでにどこからも声が聞こえてくることはありませんでした。
この辺りには娘と母親以外に住むものなど誰もいません。
どう考えても先ほどの悲鳴は娘の唯一の肉親である母親の声に違いないのです。
娘は空きっぱなしになったドアまでゆっくりと歩き進めると、家の中を恐る恐る覗き込みました。
するとそこには母親の上にまたがり前足で胸を押さえつけ、そののど元に歯を立てて血を全身に滴らせた狼の、娘を見つけてにやりと笑うその姿が目に入りました。
「お、お母さんっ!」
母親に駆け寄ろうにも狼の姿があまりにも醜悪で、駆け寄ることができません。
狼は入り口で立ち止まっている娘に、笑いながら言いました。
「帰ってくるのがおそかったな。あんまりにも遅いから逃げたかと思ってお前の匂いのあるこの家までやってきたんだが、ここにいるのはこの老いぼれた女だけで、ぎゃあぎゃあ騒いでものを投げてきたので殺してやったところだ」
「なんてことを!そこにいるのは私の母親なのに」
娘は両手で顔を掻きむしるように覆いながら、その場で泣き崩れました。
その後ろ手からいきなり置きな男が現れ、母親にまたがったままの狼に向かって勢いよく拾った枝を投げつけました。
ぎゃんっ
不意をつかれた狼は枝の勢いをそのままに受けて、母親の身体の向こうにどすんと倒れこみました。
すかさず男は家の外に置いてあった巻き割りの斧を握りしめて、狼の首をその斧でたたき落としました。
狼の首は勢いよく外にほおりだされ、残った身体も男が無造作に外に捨てると、後には狼に首を噛まれてすでにこと切れた母親の躯が床に転がっておりました。
「御母堂の遺体をどうする」
「ごぼどう?ごぼどうって?」
「お前の母親のことだ」
男は「言葉もまとも知らないのか」と相変わらず娘を馬鹿にしながらため息をつくと、放心状態で地面に座ったままの娘のところまでやってきてしゃがみ込みました。
「母親は死んでるぞ」
「……そんなっ!お母さんが死んじゃったら誰が私の面倒をみるというの?!」
娘は母親が狼に襲われて亡くなったことを嘆き悲しんでいたのではなかったのです。
これからさらに貧しくなる娘の生活を思って嘆いていたのです。
「お前には情はないのか」
「情?情ってなに?」
「そうか。お前は言葉も知らなければ心もない。自分の身の可愛さだけはあるとみえるがな」
そういって男は娘の腕を掴むと無理やり立たせてそのまま粗末なベッドに投げました。
「……痛いっ」
「そうか、痛みはわかるのか」
男は狼を殺した礼を寄こせと娘に覆いかぶさり、痛みに泣き叫ぶ娘の言うことなど何一つ聞かず一夜を過ごしたのでした。