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押しかけ師匠

「一体どう言うことなのか説明して」


 そう問う初音の声は平板で、寒々とした口調でさえあった。

 一人掛け用のソファに脚を組んで座り、顎を突き出して睥睨する初音の姿は、まるで臣下を見下ろす女王然としていた。


「い、いや、だからその……」


 貴夜が口篭もってしまうのは仕方がない。なんと言っても、この世で唯一、貴夜の頭が上らない人物が、この一見たおやかで優しそうな女性であるのだから……。


 だがいま初音は、貴夜以外には見せないであろう本性を顕わにしている。それは外での初音とは、まったく違う姿であった。


 柔らかくウェーブした腰まである髪をかき上げ、気だるそうに貴夜を見つめる視線には、苛立ちと困惑を押し殺したような様子が窺えた。


「だからなによ? どうしてわたしがいないうちに、女の子なんか引っ張り込んでいるの? それも今夜は泊めたいですって?」


「で、でもそれは──その……」


 初音の顔色を窺うようにして、貴夜は言い訳をしようとしたが、初音の氷の視線で睨みつけられると、またもや言葉を継げずにいた。


「そうタカヤを困らせないで欲しいわ。わたしがこの家に住むのは必然なんですからね」


 いきなり黙り込んでいたリーゼロッテが、まるで従者に向かって命じるような声で初荷に告げた。


「──あなたは誰なの? 貴夜とはどういう関係なのかしら? どう見ても日本の方とは思えませんけど?」


 初音の言葉は穏やかであったが、その口調は冷ややかなものだった。


「わたしはリーゼロッテ・クリスティーナ・シュヴァルツヴェルト。タカヤの恩人であり、タカヤの師でもあるわ。だからここでタカヤと住む方がどちらにとっても都合がいいの」


 負けずに高慢な口調でリーゼロッテは答えた。


「へぇ? 貴夜の恩人で師ねぇ?」


「そうよ。わたしがいなかったら、貴夜は今頃死んでいたのよ。それを救い出してあげたの。それに、貴夜はいまだに狙われているから、わたしが護ってあげるのよ」


「死んでいた? 護ってあげる? それはどう言うこと?」


 その答えに初音は片側の眉を上げ、そして胡乱そうに呟いた。


「決まっているでしょ。貴夜は──

 リーゼロッテが切り口上でそう言いだしたの、貴夜は慌てたように遮った。


「ちょっと待ってくれよ!」


 リーゼロッテは横槍を入れられたのが面白くないようで、その色の違う両目で貴夜を睨みつけたが、無理に言葉を続けることはなかった。


「ば、ばくは──実はイジメに遭ってたんだ!」


 貴夜はそう初音に告げると、唇を噛み締めた。実のところ、これだけは姉に知られたくなかったのだから……。


「イジメ? それはどう言うこと?」


 初音の声が低く響いた。その声には驚きと、押し殺した怒りに満ちていた。


「誰よ! 誰があなたを──」


「そ──それは……。言いたくない」


「なぜ? なぜ言えないのよ!」


「姉さんがそんなだから言いたくないんだよ……」


 力なく貴夜は呟いた。


 取りあえずリーゼロッテの言葉を誤魔化す為に言ってしまったとは言え、誰にも増して姉には知られたくなかった。もし知られたのなら……。


 貴夜は三年前のことを思い出し、思わず身震いする。




 貴夜が中学生の時分、やはり貴夜は一部の生徒に目をつけられていた。そして生傷の絶えない生活を三ヶ月ほど過ごしていた。いま思い起こせば、あの時の方が酷い状況だったように思われる。


 三ヶ月の間、現在のように誰にも気づかれないように過ごした。もちろん、姉にだけは絶対に知られないように注意していた。


 しかし姉の目をいつもでも誤魔化せはしなかった。それに、その時分の相手は幼く、それにあまり頭の良い方でもなく、目立つ場所に傷を付けられてしまっていたからだ。


 母親を失ってから、自分がその代わりになることを誓った姉の怒りは大きく、凄まじかった。


 まだ高校生の初音が、その親に文句をつけても埒が明かないと判断したのだろう。


 初音は貴夜に暴力を振るっていた本人に、直接的な『抗議』をしたらしいのだ。


 その現場を貴夜が目撃したわけではない。だからその内容はさっぱりわからないが、イジメグループの連中は、貴夜を見ると恐怖の表情で、まるで逃げるみたいにしてに去って行くようになった。


 一応それで貴夜の生活に平穏が訪れたのだが、ありがたくない噂も広まってしまったのも事実である。




「ちょっと、そんなんだからってどう言う意味よ?」


 初音は剥れたような顔で問う。


「い、いや──だからさ、ぼくが自分で決着をつけようと考えていたんだ。それに、顕人だってぼくを助けてくれるんだ。今日は偶々、一人のところを狙われてしまったんだよ」


「そう……。顕人は知っているのね?」


「ああ、そうだよ」


 そう貴夜が答えると、初音は眉を顰めるようにして、疑惑の視線を貴夜に向けた。


「──まぁ、いいわ。で、そいつらの名前は? それにこの二人はどう関係しているの?」


 真正面から姉に切り込まれ、貴夜はまたもや言葉に詰まる。


 苦し紛れの告白に、それ以上の整合性を作り上げるのは難しく、瞬時に答えることができないのだ。


 その時であった。天の助けが意外な人物から降りてきた。


「相手が誰であるかは存じませんが、彼は複数の男に襲われていました。その折に私達が通りかかり、あなたの弟を救い出したのです。そしてその際、私達はパスポートと手持ちの荷を失ってしまったのです。そこであなたの弟がこの家に招待してくれたのです」


 いままでは沈黙を守っていたシェラが、淡々と、そして論理的に初音の問いに対して答えたのだ。


 初音はその声の主を唖然とした顔で凝視している。


 シェラの外見は、どう見てもまだ十歳に満たないであろう子供である。そのいたいけな少女が、整然とした言葉で初音に答えたのだ。初音が戸惑うのも仕方がないことであった。


「あなた──」


「私はシェラと申します」


 初音が問いかけようとすると、先回りしてシェラは短く答えた。


「そ、そう。──ところであなた、年は幾つなの?」


「あなたが思うほど幼くはありません」


「確かに──ね。でも……」


 初音はそこで言葉を切ると、わずかに俯いて小さく溜め息を吐いた。


「まぁ、いいわ。今夜はもう遅いことだし、いまから出て行けとも言えないわね。取りあえずあなた達の泊まれる部屋を用意するわ」


「えっ! いいのかい?」


 こうも簡単に姉がそれを許すとは思わなかった貴夜は、思わずそう訊き返した。

「仕方ないでしょ。こんな夜更けに小さな女の子を放り出すなんて、そこまでわたしは冷たい女じゃないわ」


「それは感謝いたします」


 人形のように愛らしい、それでいて平板な表情のまま、シェラは厳かにそう言って深々と頭を下げた。


「別にいいのよ。部屋はいくらでも余っているのだから」


 初音は穏やかな微笑を浮かべ、そう告げた。リーゼロッテに対しての態度とは、まったくと言っていいほど正反対のものだった。


「さぁ、ミレディもこの方に感謝を」


 シェラは静かな声で促した。


「え? なぜ?」


 リーゼロッテは驚いたような顔をした。


「だって──わたしとタカヤはフィフティー・フィフティーの関係でしょう? わたしはタカヤを護り、そして至高の位に導く師匠なのよ。それに対して住居を提供するのはあたりまえじゃないの」


「ミレディ。この家の主人はタカヤではありませんよ。だからあなたは、ハツネに感謝の意を示す必要があるのです」


 冷たく言い放つシェラの声に、リーゼロッテは反抗的に見返したが、やがてシェラの澄んだ水色の瞳に気圧されたかの如く、その視線を逸らした。


「──わたし達を受け入れて頂いて感謝いたします。レディ・ハツネ」


 リーゼロッテはドレスの裾を軽く引き、優雅に一礼して見せた。そして艶やかな微笑みを浮かべる。


 先ほどのわがままな少女のような態度とは一変し、まるで貴族の令嬢の如き優雅さと、華やかな気品を醸し出しているリーゼロッテを見て、初音でさえ感嘆の吐息を漏らす。


「──これでいいかしら?」


 リーゼロッテはシェラを横目で見てそう言った。


「大変宜しいですよ。あなたは『貴族』なのですから、礼儀は非常に大切です」


 シェラは相変わらず淡々とした声で頷いた。


「あなた達はどう言う関係なの? どうも姉妹ではなさそうだけれど……」


 初音は細い頤に手を当て、訝しむように二人を見やった。


「リーゼロッテ様は私の主人です。私はミレディの従者なのです」


「主人? あなたそんなに小さいのに……」


 初音は複雑な表情を浮かべ、シェラをじっと見つめた。


「──あなたも大変なのね。まぁ、いいわ。貴夜とどのような関係なのか、もっと詳しく聞きたいところでもあるし……。とにかく部屋の用意をしましょう」


 初音はそう言って貴夜の方に視線を向けた。


「──貴夜にもきちんと説明してもらうわよ」


 貴夜はどこか絶望的な予感を覚え、ただ頷くだけだった。


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