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人の闇

 深夜になっても貴夜のケイタイには繋がらなかった。電源を落としているのだろうか。しかもメールにさえ返信がない。


「いったいなにしてんのよ!」


 ベッドの上で、沙樹は苛立ちを押さえ切れずに叫んでしまった。


「いきなりどうしたの? そんな大きな声を出して」


 沙樹のベッドの下に敷いてある、来客用の蒲団の上に座り、長い髪にブラシを掛けていた愛莉が、不思議そうな顔で訊ねる。ピンクのパジャマ姿だった。


「貴夜の奴、まだ電話に出ないのよ! いきなり早退したと思ったら、まったく連絡も取れないなんて、いったいどこをふらついてんだか」


 沙樹は怒りの表情でそう言ったものの、貴夜がこんな深夜までどこに居るのか、異常なまでにそれを案じていた。貴夜は深夜徘徊するような人種ではない。それに、いまこの街で起こっている数々の不穏な事件もあり、沙樹はただ、貴夜の身を案じているのだった。それにもう一つ気掛かりなことがあった。


 あれほど暴力を嫌っていた貴夜の、まるで獣のように怒りを顕わにしたあの姿を、沙樹はいまだに認められないでいる。人が変わってしまったとしか言えない、嬉々として暴力を振るっていたあの貴夜の顔を……。


 あの事件の後、貴夜は学校から消え去ってしまった。早退の届出さえもなしに、そのまま二度と、沙樹達の前に姿を見せなかったのだ。そしてあの金髪の美しい少女の姿が、沙樹の胸を激しく動揺させていた。


 放課後になり、沙樹は愛莉を引き連れて貴夜の自宅に向かった。あの少女について問い詰める為である。顕人は面倒そうな顔で「俺はいい」と言って帰ってしまったが、沙樹はどうしてもあの少女の正体、そして貴夜との関係が気になってしまっていたのだ。


 そんな二人に、初音は曖昧な表情で貴夜の不在を告げた。いつもなら中で待たせてもらうのだが、初音もこれから外出するとのことで、仕方なしに歩いて十分ほどの近さにある沙樹の家で、貴夜からの連絡を待つことにしたのだ。


(どこにいるのよ。あの女と一緒なのね!)


 異状なまでに怒りが高まっている。理由があの少女への嫉妬と言うのが、沙樹には認めたくないものであったが、それでも苛立ちは治まりそうもない。


「まだ自宅にも戻っていないのでしょう?」


 愛莉の声に、ふと我に帰った沙樹は、「え? ああ、そうみたいよ」と、素っ気ない返事を返した。


それは一時間前、初音に連絡を取った際に確認していた。初音も貴夜がどこに居るのか知らないようであったが、特別それを心配する様子は見せなかった。それも沙樹には訝しいことだったが、問い詰める訳にもいかず、貴夜が帰ってきたら連絡をくれるように、初音に頼むことしかできなかった。


 愛莉はぼんやりとした表情で、「どこに行っちゃったのかしら?」と独白するように呟いた。沙樹は貴夜がどこに居ると言うより、誰と居るかの方が気になっていた。







 ホットパンツにタンクトップと言うラフな格好で、沙樹はベッドの上で何度も寝転がっては起き上がると言う動作を繰り返していた。そして着信音の鳴らない携帯電話をその都度開いては舌打ちする。


 愛莉とて、その見せ掛けの悠然とした態度とは異なり、激しい苛立ちと焦燥に駆られている。ただそれを沙樹のように、素直に表に現わせない性格だと言うだけなのだ。

(今頃はあの娘と、楽しい時を過ごしているのかしら……?)


 そう思うと嫉妬の炎が燃え上がる。沙樹や顕人にもこれほどの嫉妬心を覚えたことはなかった。あの少女はそれだけ特別な感じがするのだ。


 あの少女の、信じられないほど美しい外見だけがその理由ではない。確かに見惚れるほど綺麗な娘であるが、それだけで貴夜の心を掴み取ることなどないはずだ。


 ──ただ、あの少女は貴夜に似た雰囲気を持っている。


まるでこの世にただ一人、他とは違う目線でものを見ているような、それでいて他人を見下していると言うより、どこか孤独を感じさせる瞳。


 捻くれているようで、どこか真っ直ぐに人を見ようとするその心。


 ──そこはかとなく二人は似ている気がするのだ。


 それが酷く愛莉には悔しく、そして激しく嫉妬する理由であった。


 長い髪をブラッシングしながら、ぼんやりとそう考えていた愛莉の耳に、微かな電子音が響いた。慌ててバッグに手を伸ばすと、その音はすぐに切れってしまった。もっともそれはメールの着信を告げるものだったので、特別に慌てる必要はなかった。


 画面を見てみると、それは見たことのないメールアドレスからの送信であった。


「誰かしら……?」


「なに? 誰かからメール?」


 訝しげに呟いた愛莉の声を聞き、すかさず沙樹が訊いてきた。


「わからないわ? でも……」


 着信していたメールを開くと、そこには信じられないような文面があった。


『桐生は俺が捕まえている。無事に帰して欲しければ、一人でNKビルの四階まで来い』


 そのあまりにも短い文面に、愛莉は息を飲んだ。


「そんな……」


 思わず漏らした呟きを沙樹は見逃さなかった。素早く愛莉の携帯電話を取り上げ、画面に映ったメッセージを見ると、「なによ、これ……」、と呟いた。







 メールを送った後、中根は見るものを不快にさせるような下卑た笑みを浮かべた。そして不意に折れた鼻に傷みを覚え、大きく顔を顰める。


「くそ、あの野郎、アイツの所為だ!」


 ずきずきと痛む鼻を右手で押さえると、中根は静かに、そして激しい口調で罵った。


 廃ビルの四階、元はスナックであった暗い室内の中、中根はただ一人だった。取り巻きだった連中は、最早彼と共に行動していない。いや、中根自身がそれを拒絶したのだ。


 中根は腹を括っていた。喩え犯罪者となろうとも、貴夜に対して意趣返しをしなければ気が済まなかった。もっとも胸の奥では、決してそれに対して、自分が罰を受けることなどないと考えてもいた。


 表沙汰にならなければいいのだ。いざとなれば、中根の一族の権力を持ってすれば、事件そのものを闇に葬れるだろうと……。


 中根は結局、自分で責任を取ると言う考えを持てない人間だった。


 自身の一方的な敵意からの行動であると言うのに、その責任を貴夜に求めてさえいる男。


 自分自身の力ではなく、背景にある一族の権力を自分のものだと勘違いしている男。


 だが結局は、すべてに於いて貴夜に劣っていることを理解している中根。だからこそ貴夜を憎悪するのが止められなかった。


 貴夜を虐待するにも、ほとんどの生徒にわからないよう、もちろん教師に知られないようにしていた中根であったが、もしそれが表沙汰になったとしても、もちろん、自分に対して何らかの処置がとられるとは考えもしない。


 それでも小心者で小賢しい考えの持ち主である中根は、これほどまで大胆な計画を立てる人間ではなかった。


 中根は今夜、この廃ビルで東條愛莉を強姦するつもりだった。もちろんそれは、誰にも知られないように計画されていた。貴夜とその一味以外には……。


 幸いと言うか、このビルは中根の叔父の持ち物で、誰もここへ立ち入ることはない。だからこそ、中根は愛莉をここに呼びつけたのだ。


 中根が貴夜を憎んだ原因である少女を、今夜自分の手で陵辱する。そしてその様子をビデオに映し、貴夜にそのDVDを送りつけてやる。


 ──どれほど悲しむだろうか? 


 ──如何に怒り狂うだろうか? 


 それを思うと心のそこから愉快になってしまう。


 そんな暗い妄想に耽っていると、その間だけ中根は鼻の痛みを忘れられた。

 邪な欲望が膨れ上がり、暗い愉悦に浸っていると時間の感覚も無くなっていた。

 そんな折、扉がゆっくりと開いた。


 その音にびくりとした中根は、開かれた扉に向けて懐中電灯の光を放った。

 そこには、中根が考えていた人物とは違う者の姿があった。


「ほぉ──我が隠れ家に侵入者がいるとはな。まぁよい。素材は──良いとは言えぬが、従者の数は多いほど良いのだろうな……」


 マントのような物で身体を包み込んだ、二メートルほどもある身長の大男は、まるで感情の顕われない声でそう呟くと、ゆっくりとした動作で中根に近づいて来た。


「な、なんだよおまえ! ここは──」


 思わず立ち上がりながら叫んだ中根だったが、男の眼が炭が燃えるような色に煌々と輝いているのを認め、思わず口を開いたまま言葉を失う。


「──素材は悪いがその性根は十分に腐っているようだ。『死鬼』とさせるには丁度良いのだろうな……」


 男の平板な声が耳に響き渡った。そして男の右手が持ち上がり、中根の顎にその手が触れるまで、痺れたように指一本動かせなかった。


 首筋に触れた指のあまりの冷たさに、ようやく中根は悲鳴を上げる形に口を開いた。


 だがその次の瞬間、意識を根こそぎ刈り取られ、二度と醒めることのない暗黒の中へと引きずり込まれて行った。








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