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緋色の聖騎士

 振り上げた『ヴィアラウディ』は、激しく高揚した歌を奏でていた。恐るべき敵にして強大なる力を持ちし宿敵。自らに相応しい獲物を前にして、使い手であるヴィトーリオと同様、聖なる魔剣は喜び勇んでいるのだ。


 ヴィトーリオは手に馴染んだ柄を握り締め、その剣先を疾風の如く振るった。通常の『闇の眷族』ならば、必殺の一撃であった。


 広い刃は風を切る。手応えは望むべくもないが、けっして手を抜いた斬撃ではなかった。


 白いドレス姿の『闇の(ダーク・ロード)』は、軽やかに宙を飛び、剣の間合いより三倍ほどの距離に着地した。まるで妖精のように重力を感じさせない跳躍は、明らかに身体能力を駆使してのものではなく、魔術の業であるのは確かだった。


 なるほど……。ヴィトーリオは頭の中ですぐに納得した。


 『教会』の記録にあるリーゼロッテは、『闇の(ダーク・ロード)』の能力よりも魔術を行使するのを好むとあった。あくまでも後天的な技術を使用するのは、『七主』の一人であるこの少女が、肉体を使った戦闘には慣れていないことを露呈している。


 もっともその魔術の技量は、神話時代の『原初の魔術』と等しい強大なものであるとされているので、リーゼロッテが魔術を多用するのは間違いではない。


 しかし……。


 そんなリーゼロッテは、ヴィトーリオに取っては相性のいい相手である。


 十三名の『聖戦士』中、もっとも抗魔力の強いヴィトーリオには、魔力を多用する『異端』を無力化する。そして得意の近接戦闘に持ち込んで、『ヴィアラウディ』の一撃を見舞うのだ。


 ヴィトーリオは剣を引くと、リーゼロッテが着地した場所に向かい、一足飛びに跳躍した。そして両手で握った『ヴィアラウディ』を渾身の力を込めて振るった。それは人の身体能力を超える、異常なほどに素早い動きであったが、やはり剣の先端は空を切る。


 さすがに『七主』だとヴィトーリオは感嘆した。

 ただの『血族』ならばそのスピードで充分に追いつき、その強靭な肉体を両断できるはずの、それほどまでに鋭い一撃だったのだ。


「いきなり危ないじゃないの! わたしじゃなければ、最初の一撃で死んでしまっていたところよ!」


 『七主』と呼ばれている存在にしては、あまりにも愛らしい顔でリーゼロッテは叫んだ。


 ヴィトーリオは思わず足を止め、腰に両手を当てて胸を突き出している少女を、胡乱な視線で見返した。


「──まだ本気になって下さらないのですか?」


 ヴィトーリオは半眼になり、そう呟くと同時に『ヴィアラウディ』を顔の前で垂直に立てた。そして『闇の眷族』に対しての『攻撃宣言』である儀式を執り行なう。

「我らが主の名の元に、我、緋色の騎士たるヴィトーリオ・エルレッティ、大いなる主の敵、闇の僕としてそなたを認めん!」


 剣の先を天に向け、朗々たる声で叫ぶと、ヴィトーリオはゆっくりと剣を降ろし、その切っ先をリーゼロッテに向ける。


「──略式とは言え、このわたしに正式に宣戦布告すると言うの?」


 あどけない笑みを浮かべて、金髪の『闇の(ダーク・ロード)』は問い掛ける。その声には、ヴィトーリオの覚悟を問い質すような響きがあった。


 ──凄まじいプレッシャーだった。


 ピンク色の唇は、歓喜と期待に歪んでいる。暁の空と黄昏の空の色に輝く二つの目、月の輝きを集めるその長い髪は、本人自身のパワーを放出させているようだった。


「おもしろいわ。聖堂の騎士と戦うのは千年振りよ。あなたはどれほど愉しませてくれるのかしら?」


 リーゼロッテの口元が吊り上がり、白い歯を輝かせてにやりと悪戯っぽく笑う。これから始まる命を駆けた戦いに、心底楽しみを期待しているような表情だ。


 ──しょせん、それが『闇の眷属』の本性なのだ。いくら愛らしい外見と無邪気な仕草を強調しようとも、その膨れ上がった闘争本能と殺戮に対する欲望を抑えられはしないのだ。それがヴィトーリオの知る、『闇の種族』なのだ。


 リーゼロッテは十歩ほどの間合いを保ち、両手を胸の前に持ち上げると、そのしなやかな指を複雑に折り曲げ、空中に『印』を描きながら詠唱を始めた。低い呟きと甲高い叫びが入り混じった、古代ギリシア語の魔術詠唱であった。


 リーゼロッテは込み上げてくる怒りと愉悦を押さえ込み、自身の闘争心を捻じ曲げつつ呪文の詠唱に移った。


 『闇の(ダーク・ロード)』としての本能に任せ、その手で彼の肉体を引き裂くことを押し止める為に、魔術と言う迂遠な方法を選んだのだった。


 魔術はリーゼロッテにとって代償行為だった。


 本能ではなく、理性によって発動する魔術は、殺戮本能や破壊衝動からもっとも遠い戦闘技術であるから……。


 千年に渡る生の中、リーゼロッテは極力戦闘を避ける──もちろん、生存に必要な闘いは除くが──生き方を続けてきた。それは父親とも呼べる『真王』の唯一つの願いであり、希望であった。


「汝、力弱き者に無慈悲になるなかれ。殺戮の愉悦に魂を委ねるなかれ」


 それがあの方──『真王』が望んだ唯一つの理であるのだ。


 無慈悲な行為と虐殺じみた争いは醜く、そして『主』としての誇りを穢すものだと教えられたリーゼロッテは、『闇の(ダーク・ロード)』としては純粋な本能である殺戮衝動を、無理にでも押し殺して生きて来た。


 だからであろう。いまのリーゼロッテは、本来の戦闘能力の三割にも満たない力しか、通常の攻撃には使用できない状態だった。純粋な殺戮本能と善悪のない憎悪。それが魂から溢れ出る力の根源であり、『闇の種族』に於ける本当のパワーなのだから。


『闇の種族』は、その身体能力においてそう個体差が大きいものではない。『闇の(ダーク・ロード)』であろうとその『血族』であろうと、肉体の固有する力にそう大きな差はないのだ。


だが、魂の力──霊力とも魔力とも呼ばれている──は、そのレベル自体がまったく違う存在だった。属している世界が違うのだ。


 リーゼロッテは『(ロード)』なのだ。


 旧き時代の神々にも匹敵する、強大な霊力の塊なのである。


 無制限に怒りと憎悪のエネルギーを放出することは、許されない虐殺行為でしかない。


 だからリーゼロッテは、魔術と言う遠回りな業を覚えた。人間が生み出した、闇と光、善と悪を分け隔てることのない、純粋なパワーを放つ業を……。


 もちろん、魔術による戦闘にしても、殺戮の業であることに違いはない。だがその間に、人の意思が紡がれた業を置くことにより、闇の御業とは一線を画していると信じていた。だからこそ、リーゼロッテは『護法魔導師』などと言う地位に甘んじていたのだ。


 複雑な印を描き、難解な術式を凄まじい速度で組み上げていく。そして呪を練成した瞬間、そのエネルギーを一気に開放する。


 月の影響によるものか、通常の倍近いエネルギーが電光に変換されて空を裂いた。幾条もの雷に姿を変えた魔力の塊は、一直線に教会の『聖戦士』に向かった。

 電光の呪文が発せられた時から、リーゼロッテは目の前の『聖戦士』が打ち倒されるであろうと確信していた。


 その魔術が破られるだろうなど、ましてやそれが届く前に霧散してしまうなど、予想などする訳がなかった。






 

 リーゼロッテの両目に、紫がかった光が宿ると同時に、その白い指先から幾条もの光の線が放たれた。それは真っ直ぐに、ヴィトーリオと名乗ったロングコートの男に向かっていく。凄まじく速いのだが、なぜか貴夜にはその場景がスローモーションのように見える。


 ──ヴィトーリオは哂っていた。そのレーザーのような光が胸に突き立ってさえも……。


 すぐに光の矢は消滅した。ヴィトーリオのコートには、焼け焦げ一つ残ってはいない。


「──『ゼウスの雷』ですか……。なるほど、さすがに『七主』の魔力は凄まじいものです。私以外の『聖戦士』であれば、あの一撃で即死か、もしくは戦闘不能の状態になっていたでしょう」


 ヴィトーリオは笑みを崩さぬまま呟いた。


 なぜか貴夜には、その笑みが酷く醜悪なものに映った。高慢さと侮蔑が入り混じった、神に使える戦士の笑みにしてはあまりにも歪な笑みであると感じる。


 リーゼロッテは胡乱そうにヴィトーリオを睨みつけている。だがすぐに、なにかに納得したような表情になり、「迂闊だったわね……」と、悔しそうに呟く。


「考えてみれば、『緋色の騎士』にはもう一つの魔術法具(マジカル・アーティファクト)が与えられているのよね。攻性魔法に対する絶対魔法防御を付与された、紫水晶のチェインメイル──『エントゥーリ』だったかしら?」


 ヴィトーリオは笑みを絶やすことなく、「然り」とだけ答える。そしてロングコートの前を大きく開けると、その下に着込んでいる、薄紫色の宝石を散りばめた鎖帷子を見せた。


「なるほどね。あなたはわたしの情報を良く知り、対策を練った上で今回の襲撃を計画した訳なのね?」


「それは違いますね。あなたがこの国に現われたのを知ったのは、あくまでも偶然なのですから。あなたは教会から指定された、この度の目標ではないのです」


「それなら──なぜわたしにその刃を向けるのよ? 教会がわたし達を処理対象に選ぶことはあり得ないはずよ。しかもあなた一人だけで、『闇の(ダーク・ロード)』であるわたしに対抗させようとするなんて──」


「まぁ、許しなど下りないでしょうね」


 途中で言葉を遮られ、リーゼロッテの表情にはあからさまな苛立ちが見えた。


「──あなたは単独の考えでわたしを処理しようと考えたのね? 教会本部に連絡さえ取っていないのね」


 断定的な口調でリーゼロッテは問い質した。


「もちろんですよ。でも、通常より単独で行動する私達『異端処理官(クルセイダー)』には、自己の判断で対象物を処理する権限があるのです。なんら問題はありませんね。


──と言う訳で、私は貴女を討ちます。それが主の命なれば仕方がありません」


そう穏やかに答えた後、ヴィトーリオは一気に彼我の距離を詰めた。リーゼロッテでさえ疑惑と驚愕の表情のまま、ヴィトーリオの動きについていけなかったようだ。


「ああ、だめだ! 危ない!」


 貴夜はそれを見て思わず叫んだ。








 

 リーゼロッテは己が迂闊さに歯噛みしていた。


 最初から本気で対応していれば、このような事態には陥らなかっただろう。いや、それどころか誰も傷つかずに事を終えたはずだ。


 目の前に迫り来る『聖戦士』が、敵意も顕わに対峙していたのなら、リーゼロッテとてそれなりに対処していたであろう。だが彼は、あまりにも泰然としてリーゼロッテの前に現われた。もちろん、本来は敵同士なのだ。リーゼロッテの対応は甘いものだったと言えようが、それもいまさらな考えである。


 『聖騎士』の魔聖剣──魔術と聖なる輝石によって存在力を高めた魔術法具(マジカル・アーティファクト)──は、すでにその切っ先を目の前に迫らせている。

 リーゼロッテは左手を伸ばし、その剣の刃を受け止めようとした。もちろん、素手でその鋭い刃を受け止めようとした訳ではない。掌には物理攻撃に対する防御魔術、『守護の白き環』を発動させていた。


 ドルイド魔術と教会の聖魔術の複合魔法である『守護の白き(ガード・オブ・サークラル)』は、一時的な防護壁を創造する魔術で、白く輝く円形の盾を空中に創り出すものだ。術者の魔力しだいで、戦車砲弾でさえ弾き返すほどの防御力を有している。


 ヴィトーリオの突き出す剣の切っ先が、その光の環に突き刺さった。


 そしてその障壁を一瞬の停滞の後、まるでボール紙を貫くようにして突き破る。

 瞬時に身を捩りながら、リーゼロッテは刹那の間だけ驚愕した。だがすぐに納得し、己の迂闊さを心の中で罵った。


 緋色の魔聖剣『ヴィアラウディ』は、特に強力な攻撃力や特殊な魔術が付与された魔術法具(マジカル・アーティファクト)ではない。だがその代わりに魔術に対する力──あらゆる『魔術』に対する突破力──は最強のものだったのを、リーゼロッテは思い出したのだ。


 『守護の白き(ガード・オブ・サークラル)』はただの防御魔術ではない。聖なる御業と称される、教会の魔導師が編み上げた魔術なのだ。それを破る聖剣など、『ヴィアラウディ』しか存在し得ない。


 あまりにも見事なほどに、的確に心臓を狙ってきた切っ先を、『闇の種族』特有の驚異的な身体能力によって、辛うじて避けることはできた。だが完全に避けきることは不可能だった。


 『異端処理官(クルセイダー)』にして『聖騎士』と呼ばれている連中と言うのは、その身体能力や再生力に関して、『闇の種族』となんら変わらないのだ。


『闇の種族』と一対一で、同等かそれ以上に戦える戦士。人外の敵を討ち滅ぼす為の剣。『聖騎士』とはその為に造られた、人造の『闇の種族』なのだから……。


 冷たくも熱いその刃は、リーゼロッテの脇腹に突き刺さった。助骨が二本ほど砕かれ、強引に飛び退いた為に、さらに傷は大きく広がった。幸い、重要な臓器には致命的なダメージは免れた。

 だがその傷は焼けるように熱く、同時に内部に向け、凍えるような冷気を生み出した。


 ──絶対抗魔剣。

 それは致命傷さえも再生する『闇の種族』の身体を、細胞レベルで確実に破壊して、一切の再生力を無効化する恐るべき魔剣……。


 リーゼロッテはいままでにない激痛を覚え、汚れた冷たいコンクリートの床に、その両膝を着いた。傷を押さえる左手は、すでに鮮血に染まっていた。


 黒いコートの裾をはためかせ、一瞬の動きでその男はリーゼロッテに迫った。


 右手に握った青白く輝く広刃の剣を、まるで重さを感じさせないような華麗な動きで、リーゼロッテに向かって突き出す。








 リーゼロッテは小さな掌を持ち上げ、その剣に抗おうとしていた。だがそんなものは意味のない行動だと貴夜は思っていた。


 青白い光がリーゼロッテの前で弾けると、鋭い切っ先がリーゼロッテの小さな体を突いた。その衝撃なのだろう、リーゼロッテは後方に弾き飛ばされ、そこで膝を着いた。左手で腹部を押さえているのは、そこが剣で貫かれた傷口なのだろう。

 白いドレスが鮮やかな朱に染まっている。


(う──嘘だろう? なんでリーゼロッテが負けるんだ? 相手はただの人間なんだろう? どうして『主』のリーゼロッテが……?)


 貴夜は目の前の光景が信じられなかった。


 あの恐ろしい『血族』。貴夜を襲い、リーゼロッテに撃退された『オーガ』と呼ばれていた『闇の種族』より、ヴィトーリオは恐ろしい姿をしていなかった。どう見ても優男にしか見えない風貌で、なによりも人間らしい感じがしたのだ。


 あの異形の大男に比べ、けっして忌まわしい存在には見えなかった。その大振りな幅広の剣も、神聖な輝きを放つ、美しいものに見えたのだ。


 だが、現実にリーゼロッテは地面に膝を着き、屈するようにヴィトーリオを見つめている。あの高飛車で、それでいて無邪気な表情は、いまや苦痛と驚きに歪んでいる。


 黒いコートの男、ヴィトーリオと名乗った『異端処理官(クルセイダー)』は、剣を両手で構え直し、さらにリーゼロッテへと歩を進めた。


 深い傷を負っているリーゼロッテは、そこから逃げ出すこともできず、唇を噛み締めたままヴィトーリオを睨みつけるだけだった。


「さて姫君。これで貴女の魔力は私に通用しないと言う理を、漸く理解していただけましたかな?」


 ヴィトーリオは一見穏やかだが、どこか狂おしいほどの悦びをその笑みを浮かべていた。


「──そうね。確かにあなたのその魔術法具(マジカル・アーティファクト)の力を見縊っていたようね」


 些か苦しげではあったが、それでもリーゼロッテは動ずることなく、冷淡とも言えるほどの無関心さでそう答えた。


「でも、だからと言って、まだわたしは負けたわけではないわ。なんと言っても、儀式魔術を執り行なった直後で、魔力のほとんどを使い果たしていただけだもの」


 気高いとも感じる静謐を湛えて、リーゼロッテはヴィトーリオを見上げていた。その色の違う両目には、些かも屈する色は見受けられない。


「──さすが『七主』の『闇の(ダーク・ロード)』よ!」


 ヴィトーリオは剣を両手で振り上げたまま、感嘆するかのよう声を上げた。


「この状況でも高みから見下ろすような言動とはな。どこまで貴様らは傲慢なのだ! 主に仇名す闇の異形が!」


 そう叫んだヴィトーリオの目には、激しい怒りが浮かび上がっていた。先ほどまでの余裕のある、紳士的とさえ感じられたその姿は、いまはもう、どこにも窺えない。


「ふん! だったら早く、わたしをその剣で斬りなさいよ。チャンスはいまだけよ。力を回復したのなら、もう二度とわたしを倒すことはできないわ!」


 頬を痙攣させ、眼を血走らせたヴィトーリオに対し、リーゼロッテは挑発するように吐き捨てる。


 だがその顔色は蒼褪め、唇も紫広に変色している。傷口からは相変わらず血は流れ出て、純白のドレスを紅く染め続けている。


「良かろう。しょせん我らは敵同士。滅ぼすか滅ぼされるかの、相克たる関係。ここで『七主』の一人が滅ぶのも、我が主たる神の意思によるもの」


 ヴィトーリオはギラついた光を放つ眼で睨みつけると、さらに大きく長剣を振り上げた。凄まじい圧力が彼の身体から噴出していく。必殺の意思を込め、振り上げた長剣からは眩しいほどの光が放たれた。


 貴夜の身体はその霊的なプレッシャーにより、ガタガタと勝手に震えながらも自分の意思で動かすことができなくなっていた。


 生まれて初めての生々しい恐怖が、貴夜の身体を凍りつかせていたのだ。


 このままではリーゼロッテが滅ぼされてしまう。あの剣は高慢だが可憐な、闇の存在であるが愛らしく優しいあの少女を、その存在を消し去ろうとしている。


 ──なのに、貴夜は恐怖によって震えるだけだった。


 リーゼロッテは静かに微笑んでいた。いまや振り下ろされんとするその剣を見ることさえなく、わずかに悔しげな表情であるが、すでにすべてを諦めた目で、その美しくも印象的な目で貴夜を見つめている。


(ご・め・ん・ね……)


 唇がそう動いた。そして目蓋をそっと閉じる。


(なんだよ──ごめんねって……?)


 貴夜の心臓が大きく鼓動を打った。全身に震えが走っているのに、頭の中が沸騰しそうに熱くなっている。



 ──だめだ。



 ──絶対にだめだ。



 ──このままリーゼロッテを見殺しになんて出来ない……。



 貴夜は、己の意思に反して動こうとしない、重たい自分の肉体を呪った。


 そしてリーゼロッテとの距離が、あまりにも遠いことに絶望する。


「さらばだ。『黄昏に抗う者』、リーゼロッテ・クリスティーナ・シュバルツヴェルトよ。我が剣の栄光の為に散るがいい」


 ヴィトーリオは無造作にその剣を振り下ろした。


 次の瞬間、貴夜の頭の中で白い光が爆発した。







 リーゼロッテはゆっくりと目を閉じた。そしは皮肉な運命を受け入れる為、そして最後の一瞬に、見苦しく浅ましい本性を思い出さない為に、なにも抵抗することなく、静かにその時を待った。


 ──死とはどう言う感覚だろう?


 不死者として生まれたリーゼロッテには、それが概念としてしか理解できない。その存在自体が特殊なリーゼロッテは、肉体が滅び、魂も滅んで初めて死と認定されるのだ。肉体だけが消失する、人間の死とはまた違う死のはずだ。


 不思議と冷静な自分に、却って落ち着かない。


 でも……。


 ここで死んでもいいのかしら……?


 最後の一瞬に、まだ出逢って数日しか経っていない、少女のように優しげな少年の顔が浮かび上がった。


 リーゼロッテにとっての儚い希望。


 この孤独な世界から救い出してくれるかも知れない、たった一人の淡い光。


 この世界で唯一愛したあの方に、なぜか似て見える桐生貴夜と言う少年。


 そして……。




 リーゼロッテの心に未練が生まれた。


あの少年とならば、永遠と言える時間の牢獄にも耐えられるのだ。


ならば──。



まだ足掻いても良いのではないだろうか?


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