第30話 善意が壊したもの
エリスと別れてから、俺はすぐに街を出なかった。
理由は単純だ。
確認したかった。
自分が何を壊し始めているのかを。
治療所では、いつも通りの光景が続いていた。
神官は働き、行政は動き、住民は秩序を守っている。
表面上は、完璧だ。
だが、細部を見ると違う。
「この件、どう思います?」
若い行政補佐が、控えめに聞いてくる。
以前なら、自分の意見を言っていたはずの場面だ。
「……あなたは?」
そう返すと、彼は一瞬言葉に詰まった。
「私は……
レオン殿の判断に従います」
悪意はない。
不満もない。
むしろ、安心している。
別の場所では、神官が同じことを言った。
「あなたが“まだ来ない”なら、
奇跡は使いません」
基準では、使ってもいい状況だ。
「なぜ?」
問いかけると、神官は答えた。
「もし、後であなたが来て
“使うべきではなかった”と判断されたら……」
言葉が、続かない。
責められるのが怖いわけじゃない。
**正しさが覆るのが怖い**のだ。
夕方、リーナが静かに言った。
「これさ……
誰も、間違えなくなってない?」
その一言で、全てが繋がった。
間違えない。
それは、一見すると理想だ。
だが、間違えないためには――
**挑戦しない**しかない。
人は、試さない。
決めない。
変えない。
その代わりに、待つ。
俺という“正しそうな存在”を。
夜、倉庫街の外れで、再びエリスに会った。
今度は、向こうからだ。
「分かった?」
前置きもない。
「……少し」
そう答えると、彼女は頷いた。
「善意が壊したのはね」
静かな声だった。
「建物でも、命でもない」
視線が、街に向く。
「“試す権利”」
胸に、重く落ちる言葉。
「人は、本来なら
間違えながら、調整する」
エリスは続ける。
「でも、正しさが一つに集まると、
間違える前に、止まる」
それが、世界を安定させる。
同時に。
「世界は、
自分で治らなくなる」
俺は、唇を噛んだ。
「……俺は、間違ってますか」
エリスは、即答しなかった。
「いいえ」
やがて、そう言った。
「あなたは、正しい」
だからこそ、厄介だ。
「私も、そうだった」
彼女は、空を見上げる。
「正しさを否定しなかった。
だから、集めてしまった」
沈黙。
「選択肢は、二つある」
エリスは言う。
「正しさを独占するか」
それは、管理者の道。
「正しさを、手放すか」
その先は、見えない。
「……全部、渡すつもりはありません」
俺は、そう言った。
「でも」
言葉を続ける。
「このまま集め続ける気も、ない」
エリスは、初めて小さく笑った。
「それなら」
一歩、距離を取る。
「あなたは、
私とは違う終わり方を選べる」
その言葉で、腹が決まった。
善意が壊したものは、
人の心でも、世界でもない。
**選び続ける力**だ。
それを取り戻すには――
俺が、
正しさの中心から、
一度降りる必要がある。
それが、
次にやるべきことだった。
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