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8. 補充

 夜の神社は、昼とは別の場所のようだった。


 灯りは最低限しか点いていない。石段の両脇に置かれた小さな行灯が、足元だけを照らしている。闇は、その外側に厚く溜まっていた。

 昼間と同じ道を通っているはずなのに、距離感が狂う。

 数歩進んだだけで、背後が切り離されるような感覚があった。


 境内に足を踏み入れた瞬間、私は立ち止まった。

 違和感は、視界に入る前からあった。


「……飯坂」

 名前を呼ぶと、彼女も足を止める。

「どうしたの」

 私は、何も言わずに顎で示した。

 境内の中央。

 昼間、椅子がまとめて置かれていた場所だ。


 きちんと、並べられている。


 長机の前に、椅子が一列。

 影の落ち方まで、昼とほとんど同じ配置。


 私は、息を詰めて数えた。


 ……一、二、三

 途中で、わざと視線を外し、もう一度最初から数え直す。

 それでも結果は変わらない。


「十四脚、ある」

 口に出した瞬間、喉の奥がひりついた。

 昼間は、十三だった。

 数え間違いではない。

 神社を出る前にも、確かめている。


 飯坂が、私の横に並ぶ。

 彼女も、同じように数えているのが分かった。指先が、無意識に動いている。


「……増えてるね」

 声は落ち着いているが、肯定の仕方が遅い。

「一脚だけだ」

「うん。一脚だけ」

 沈黙が落ちた。

 風が吹き、行灯の火が揺れる。

 椅子の影が、地面の上で伸び縮みした。


 その中に、ひとつだけ、妙に影の濃い椅子がある。

「配置、変じゃない?」

 飯坂が言った。

 私は頷いた。

 増えた椅子は、端でも中央でもない。

 この前、誰も座らなかった“空席”の、すぐ隣。


 まるで、そこに人が並んで座る前提で、間隔を調整したかのようだ。

「これは……」

 私は、言葉を探した。

「次の分、か」

 飯坂は、視線を逸らさずに言う。

「うん。予備じゃない。補充」

 彼女の言い方は、淡々としていた。

 感情より先に、理解が来ている。

「減ったから、足した」

「減る前に、だろ」

「かもね。準備してるんだ」


 私は、背中に冷たいものが走るのを感じた。

 この村は、事件が起きてから対応しているわけじゃない。

 進行を管理している。


「……島野くん」

 飯坂が、少しだけ声を低くした。

「これ、多分ね」

 彼女は、自分の立っている位置を見下ろす。


 「私の席だ」


 否定する言葉が、すぐに出てこなかった。

 論理としては、成立している。

 昼の段階で、名前が呼ばれなくなっている。

 視線が、素通りし始めている。


 減少は、もう始まっている。


「じゃあ、俺は」

 私が言いかけると、飯坂は首を振った。

「まだ」

 はっきりと。

「島野くんよりも、私のほうが先。今は」

 その言い方が、妙に引っかかった。


「今は?」

「儀式に深く関わった人から、消えていく」

 飯坂は、私のメモ帳を見る。

「だから、席が一つで済んでる」


 私は、無意識にメモ帳を握りしめた。


 ――十四脚


 その数が、頭から離れない。

「じゃあ」

 私は、問いを投げた。

「前の取材のときは、どうだった?」

 飯坂は、すぐには答えなかった。

 椅子の列から目を離さず、ゆっくりと言う。


「最初は、十だった」

「……そこから、増えた」

「うん。カメラ係、編集長、古田さんの分」


 夜の空気が、さらに冷えた気がした。

 私は、はっきりと理解した。


 この儀式は、失踪を引き起こすのではない。

 失踪に合わせて、形を整えている。


「急がないと、本当にまずいな」

 低く言うと、飯坂は苦笑した。

「でしょ。今回は、私の番だから」

 その言葉が、冗談に聞こえなかった。


 行灯の火が、また揺れる。

 十四脚の椅子は、誰も座らないまま、きちんと並んでいた。

 座るべき人間が、まだ揃っていないだけだ。


・・・


 神社を離れてから、二人とも口数が減った。


 夜の山道は、昼間よりもずっと狭く感じられる。

 舗装された道のはずなのに、光が足元しか照らさないせいで、左右の森がこちらに迫ってくる。


 車に戻り、エンジンをかける。

 ヘッドライトが前方を照らした瞬間、私は思わずミラーを見た。


 神社は、もう見えない。


「……さっきの数」

 車を走らせながら、私が言った。

「十四脚」

「うん」

 飯坂は、助手席でシートベルトを締めたまま、前を向いている。

「増える条件は、ほぼ分かった」

「消える人間が出ることか?」

「正確には、“消えることが確定した人間が出る”」


 彼女は、淡々と修正する。

 ハンドルを握る手に力がこもった。

「じゃあ、逆は?」

「逆?」

「席が減る条件だ」

 飯坂は、すぐには答えなかった。


 車内に、エンジン音だけが満ちる。

 カーブを曲がるたびに、光が森を切り裂いていく。


「……前の取材で」

 彼女が、ようやく口を開いた。

「編集長が消えたあと、何か変わったか、覚えてる?」

「いいや」

「誰も騒がなかった。席も減らなかった」

「補充されたのか?」

「うん。すぐに」


 私は、喉の奥が冷えるのを感じた。

「自然消滅じゃ意味がない。意味があるのは、信仰として完結すること」

 飯坂は、そこで一度、言葉を切る。

「席が空くこと自体が、目的なんだと思う」


 私は、ゆっくりと頷いた。

 空席信仰。

 人が消えるから席が空くのではない。

 席を空けるために、人が必要になる。


「だったら」

 私は、慎重に言葉を選んだ。

「消える前に、席を成立させなければいい」

「成立?」

「“座るべき人間”が、誰なのか分からなくする」

 飯坂が、こちらを見る。

「つまり?」

「席が、人と結びつく前に壊す」


 私は、頭の中にあるものを、そのまま言葉にした。

「名前。記録。配置。数。どれか一つでも成立しなければ、信仰は完結しない」

 飯坂は、少しだけ目を細めた。

「……それ、私一人じゃ無理だね」

「二人必要だ」

「記録者と、記録対象だね」

 その言葉が、車内に落ちる。


 私は、はっきりと答えた。

「だから、二人でやる」

 飯坂は、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく息を吐く。


「ねえ、島野くん」

「何だ」

「怖くない?」


 私は、一瞬だけ考えた。

 正直に言えば、怖い。だが、それは未知への恐怖ではない。


「……今は、逃げ遅れるほうが怖い」

 飯坂は、苦笑した。

「取材者らしい答え」

「お互い様だろう」

「私はね」


 彼女は、窓の外に流れる闇を見ながら言う。

「もう一回、消えるのを黙って見過ごすほうが、よっぽど嫌」

 その言葉で、すべてが揃った気がした。

 目的も、役割も、覚悟も。

「時間は?」

 私が聞く。

「今日含めて三日。実質二日だね」

「じゃあ」


 私は、車を走らせながら言った。

「明日は、席を“外”に出そう」

「外?」

「村の外。信仰が届かない場所に」

 飯坂は、少しだけ目を見開いた。


「それって……」

「儀式を、拡散させる」

 彼女は、しばらく黙ってから、ゆっくりと頷いた。

「なるほどね」


 信仰は、閉じているから成立する。

 ならば、開いてしまえばいい。

 車は、県境の町へ向かって下っていく。


 バックミラーに、村の灯りは映らない。

 だが、確かに感じていた。


 あの十四脚の椅子が、こちらを“数えている”ことを。

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